第14話

 ――うーん、参ったなあ……。


 無人の社員食堂で、今、私と向かい合っているのは、入社2年目、20歳の部下、大野さんだ。


 少し癖のある髪は明るめの茶色に綺麗に染まっていて、ばっちりとマスカラまで決めているメイク。自分が20歳のまだ大学生だった頃は、彼女とは比べものにならないほどお洒落には気を使えず、あか抜けていなかったなあ、と思う。


 うーん、つまり、歳の差や上司部下の立場がなくても、ちょっと、会話をするのに勇気が必要なタイプ、なのだ。


 その大野さんは、この場に呼び出して席に座って向かい合ってからずっと、憮然とした表情で黙りこくっていた。


「ええっとね、とりあえず、昨日の原料の件は、生産スケジュールを調整してもらってなんとかなったから」

「私、悪くないです」


 不機嫌さを隠そうともしない口調でそう言われて、私は天を仰ぎたくなる。


 大野さんは品質管理課の中で、原料の受け入れ試験を担当している。入荷した原料の品質が決められた規格の通りであることが検査の結果確かめられたら、製品の製造に使うことができるのだ。


 昨日、試験検査のスケジュールが遅延していることが発覚し、担当者だった大野さんに状況を確認したところ、彼女は「いつまでに試験検査を終わらせなければいけないのか」がわかっていなかったということが判明した。


 とりあえず締め切りに間に合わないものについては製造現場との調整でなんとかしたが、問題は、担当者が締め切りがいつなのかもわからずに仕事をしていたという実態である。


「うーんとさ……誰が悪いとか、そういう話は今は置いておこう。ただ、次からこういうことがないように、どうして今回みたいなことが起きたのか一緒に考えたいなって思って」

「なんで私だけこんなこと言われなきゃいけないんすか」

「えーっと、ね」


 私は居心地の悪さでそわそわと作業着越しに自分の腕をさすった。頭が痛くなってくる。私は、自分が20歳の頃どころか、それ以前の人生で一度も、目上の人間にこんな態度をとったことがない。


 そもそも、自分の仕事が遅延したことで他部署にまで迷惑をかけたのだから、普通は罪悪感とか覚えるものではないのだろうか。


 しかし、ここで態度の悪さやらを叱責して感情論になっては泥沼展開必至だ。それだけは避けたい。


「大野さんを責めてるんじゃないよ。ただ今回のことがあったから、今の品質管理課の仕事の回し方とか、考え直したいなって。大野さんも困ってることがあるから、こういうことになったんじゃないのかな? 相談してくれたら、そういう問題を一緒に解決していけるかなって」

「私が悪いってことですか?」

「違うちがう、誰が悪いとかじゃないよ」


 私より一回り以上年下の、幼いと言っても良いぐらいの少女は、ずっと不機嫌さを隠そうともしない仏頂面だ。もしかして萎縮して頑なになっているのだろうか? ここはもっと母親のように慰めてやるべきなのか?


 そう思って少し口ごもった隙に、彼女が先に口を開いた。


「液クロ回してるんで、そろそろ行っていいっすか?」

「ええっ」


 ずっこけそうになって、嘘だろ、という言葉が喉まで出掛かって、留まった。


 いやいやいや、一応、上司と面談してる最中だよ? 舐めてんのか? 


 なんて、咄嗟に怒鳴れるタイプの人間だったら、違う展開になるのだろうが……。


 私は幼い頃からビビりだった。しかも、こういうギャルっぽいタイプの子は苦手なのだ。


 情けないことに、強気で押されると、押されただけ押されてしまう。


「あ……ああ、うん、そうだね、試験を優先してもらって……話の続きはまた今度にしようか……」




 いやいやいや、ダメなんだ、これでは。


 とはわかっているのだが、もうずっとこんなことばっかり続いている。


「うわあーあああ……」


 昼休みのチャイムとともに、私は日光を浴びに社員用玄関から飛び出し、扉の陰でしゃがみ込みながら、両手で顔を覆った。


「おおー、山城っち、なんか景気悪そうだね。どうしたよ」


 背後から、ハスキーな女性の声がかかった。私は慌てて立ち上がって振り返る。


「あっ、日向さん。お疲れさまです」


 着古した作業着を纏った、眉毛のない女性は、第三製造課の日向さんだ。少し痛み気味の明るい色をした髪を後頭部で一つに束ねて、その毛先は肩の辺りで跳ねている。脱力した姿勢で壁にもたれながら、缶コーヒーを手にしている。そばにある自販機で購入したものだろう。


「山城ちゃんのがお疲れっしょ」


 にやりと笑う日に焼けた顔は、少し強面だが、今は怖いとは感じない。初対面の時は、絶対にヤンキー上がりだ、と思ってかなりビビったのだが。


「ええ、まあ……はい、疲れてます……」

「どうしたよ!」

「いや、なんていうか……自分、不甲斐ないなあって」


 ため息をつくと、日向さんのそばに歩み寄ってうなだれた。


 ザ・ネアカという感じの、屈託ない笑みを浮かべる日向さんは、一度心を開くと頼れる姐さん感があって話しやすい、という印象を持っていた。


「仕事のこと?」

「はい……。若い子の指導って、難しいなと思って……」

「んー? 何が?」


 全く理解できない、という風に肩を竦める日向さんは、体育会系の人なので、若い頃から後輩の指導に慣れているのかもしれない。当然だが、当社での監督職歴も、中途の私より長い。


 河内課長率いる第三製造課は、製造工程中の、錠剤が成型された後の工程を主に担当していて、「錠剤外観検査チーム」と「包装工程チーム」に分かれている。日向さんは包装工程チームのリーダーだが、近々検査チームのリーダーの越智さんが産休に入るため、ゆくゆくはそちらのリーダーも兼務することになっている。


「やらなきゃいかんことは、やれ! やったらいかんことは、あかん! ってはっきり言うだけっしょ」

「ううう……チキン過ぎて、その単純なことができないんです……」

「意味がわからん。じゃあ、山城ちゃんがあかんわ」

「はい……」

「おーい、元気出せー!」


 油断した隙に、平手で背中を思いっきり叩かれた。


「うおあっ」

「そんな元気のなさじゃ、成るものも成らんぞ!」

「うっす」

「ほれ、ねーさんがジュース奢っちゃる」


 そう言うと、日向さんは小銭を自販機にカチャリカチャリと投入し始める。


「や、良いですよ、そんな」

「おいおい、私の缶ジュースが飲めねえってのか」


 私は思わず吹き出しながら、小さく頭を下げた。


「あざっす、いただきます」

「おうおう」


 ブラックのコーヒーのボタンを押す。会社が依頼して設置した自販機なので、一般の自販機より20円ほど安い金額になっている。ガコン、という音と共に、缶が落ちた。


「まあまあ、うちの部署と違って、そっちは繊細そうな子、多そうだしね。指導の仕方つったって、それぞれよ。ビシッと言ってやるのが苦手なら、腰据えて時間かけて話し合う、ってのも、山城っちらしさがあって良いんでないの」

「はい……自分なりに考えていきます」

「まあ坂上いなくなったばっかりだし大変だわなー。あたしだって最初から部署の子たちと上手くいってた訳じゃないし」

「日向さんも、悩んだり失敗したこと、あったんですか?」

「もちろん、ありまくりよ」


 いつも堂々とした態度の日向さんがそんなことを言うのは、意外だった。


「全然言うこと聞かないやつもいるし、ちょっと注意しただけで泣き出す子もいたし、頭痛かったわー」

「そっか……でも今は、第三製造課の作業場の雰囲気って、良いって聞きますよ」

「あたしの人柄と努力の賜物だね」

「うう、その自信、羨ましい」

「山城っちには100年早いね」


 日向さんは確か今年40歳で、私より4、5歳年上ということになる。確かに人生経験の差だけでも、かなり大きく感じる。


「……そういえば、検査チームで風邪が流行っているんですか?」


 話題が第三製造課の人たちに移ったことで、私はふと、今朝の藤原さんたちとの会話を思い出したのだった。


「風邪? そんな噂立ってんの?」

「ああいや、噂というか、なんか急に休暇取る作業員が多いって聞いて」

「あー、なんかね、最近腹が痛いとかいって早退した子はいたけど」

「ふーん」


 今はまだ直属のリーダーではないからか、日向さんは詳しい事情を把握していないようだ。


 お腹にくる夏風邪、というのもあったりするから、その類なんだろうか、と、私はそれ以上は特に興味を持たずに、コーヒーを持って事務所へ帰ったのだった。

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