第二章
花壇に現れる不吉の徴……「矢」と相次ぐ社員の体調不良に関係はあるのか!?あなたは猫派、それとも犬派?現代の陰陽師、ハラスメント問題へ切り込む!
第13話
7月も末になり、早朝でもすでに暑さを感じるようになってきた。青空に灰色の雲がところどころかかっているが、南東からは強めの太陽光が差している。
今日は決して朝残業をするつもりはなかったのだが、たまたま早くに目が覚めたので早めに会社に到着したのだった。
時間があるなら家でのんびりして、いつもの時間に出社すれば良かったのに、と思ったのは社員用駐車場に到着してからだった。もはや仕事以外に時間の潰し方を知らない、自分の社畜っぷりにげんなりする。
駐車スペースにはまだ数台の車しか停まっていない。いつものようにサンシェードをフロントガラスに設置し、社屋へ向かって歩き出す。と、建物の陰に怪しげな姿が見えた。
気付いてしまったからには、声をかけないわけにはいかない。
「……おはようございます、安倍さん」
「おはようございます、山城課長代理」
生真面目に一々立ち上がると、生真面目な表情と声で、安倍さんが挨拶を返してきた。
この流れで、尋ねないわけにもいかない……。
「ええと……今日は一体、ここで何をなさってるんですか」
安倍さんの足下を見る。いつかのような側溝とグレーチングはなかった。その代わりに彼の足下にあるのは、見慣れぬ、四角いカゴのようなものだった。腕に抱えられるぐらいの大きさの、金属の格子で四面を覆われたものである。全く用途がわからない。医薬品の製造に使うものでないことだけは確かだ。
「当社の敷地内で、
「し……?」
「動物の糞のことです。花壇の隅で、土を少し被せられた状態で発見しました。状況とその形状からして、猫の物と思われます」
「うーん、野良猫ですかね」
工業団地の周辺は広い田園地帯だ。昔ながらの農家では猫を放し飼いにする家も多いだろうし、私も何度か会社周辺で猫の姿を見たことがあった。
「
「あー、医薬品工場の敷地内で動物の糞尿は確かにまずいですね」
医薬品の工場は虫やネズミが入り込まないように厳重に管理しなければならないことになっている。屋外の状況自体に対しての規制はないが、当然、社屋の周辺の衛生状況が悪ければ、品質に影響が出る可能性もあり、対策を立てざるを得ない。
「既に凶事は起きており、昨日はゴミ捨て場が荒らされていました」
「それ、陰陽師的なやつと関係なくないですか?」
「早急な対策が必要です」
「……ええと、で、どういう対策をするんですか?」
尋ねると、安倍さんは自分の足下に置いてある金属のカゴに目をやった。
「捕獲器を設置しました」
「捕まえちゃうんですね」
その説明で、思い出した。猫ではないけど、イノシシなどの害獣に関するニュースで、ああいう形の装置を見たことがある。箱罠と言っただろうか。
「捕まえらたらその後はどうするんですか? やっぱり保健所に……?」
「猫の飼育に興味がおありなら、山城課長代理がご自宅に連れて帰られても良いですよ」
「いや、うちのアパート、ペット禁止なので……」
「なになに、山城ちゃん猫飼うのー?」
「うわっ!?」
突然背後から第三者の気配が出現して、私は思わず仰け反った。
いつの間にか私服姿の藤原さんが立っていた。
「おっはよーございます、安倍さん、山城ちゃん」
「おはようございます、藤原課長代理」
「おはようございます……」
「始業前なのに何やってんですか?」
藤原さんが不思議そうに辺りをきょろきょろしている。私たちがいるのは通路から少し離れた建物の陰で
「箱罠を仕掛けていました。最近、この辺りで猫が糞をしたりゴミを荒らしているようなので」
「なんで藤原さんには常識人ぶった説明するんです?」
「あー、猫かあ。たまーに見るなあと思ってたけど、この辺縄張りにしちゃったのかねー」
「野良猫のボランティア団体にご協力頂き、捕獲器を貸与していただきました。捕獲できた場合は団体を通じて里親を募集することになるかと思います」
「そっかあ、飼ってくれる人、見つかるかなー。工場内でも募集してみたら良いかも」
「そうですね、良い案だと思います。山城課長代理には断られてしまいましたが」
二人の目がこっちを向いた。
「ちょ、しょうがないじゃないですか、罪悪感抱かせるような言い回しやめてくださいよ……」
「えー、山城ちゃんは犬派?」
「いや犬派とか猫派とかの問題では……」
「俺も犬派で、もう家に一匹いるからダメなんだよねー。白い犬なの、見る?」
「いや別に」
「かわいいのよ、ほら」
藤原さんがうきうきでスマホの画面をいじり始める。私は動物が苦手なのでペットを飼ったことがないし、愛犬家、愛猫家のこういうテンションが理解できない。
「そ、そうだ、藤原さん。そういえば、シミキエール錠Wの製造遅れてるのって、何か理由があるんですか? あれ、ちょっと品質検査に時間がかかるので、出荷まで時間がなくなるときついんですが……」
「あー、シミキエールWね……」
急に、藤原さんが困ったように苦笑しながら、我が社の主力製品の名前を口にする。口にしながら、ちゃっかりとスマホの画面に某携帯電話のCMに出ているのとそっくりな犬の写真を表示させて見せてきた。
「ああ、か、可愛いですね……」
「北海道犬ですね」
安倍さんが冷静に犬種を判定する。
「いやあ、実を言うと、錠剤外観検査班の子たちが先週から入れ替わり立ち替わり体調不良で休んでて、行程が停滞気味んだよね」
「ええっ。風邪が流行ってるとかですか?」
工場内の作業員のうち、錠剤を成型して以降の工程――錠剤の外観を検査する工程と、検査が終わった錠剤を包装する工程の担当者は、圧倒的に女性が多い。
家に保育園や学校に通う子どもがいる女性作業員は、インフルエンザが流行する時期になったりすると、よく休みがちになる。保育園から熱を出した子どもを迎えに来るよう呼び出しがかかることもあるし、子どもからインフルエンザを移されることもあるからだ。
だが、夏はあまりそういう話は聞かない。
「いや、なんていうか……」
珍しく、藤原さんが気まずそうに口ごもった。どうしたんだろう、と思いながら、様子を見ていると、誤魔化すように作り笑いをして、藤原さんは急に安倍さんに向き直った。
「安倍さん、陰陽道の力でなんとかなりませんかね?」
「ふむ」
ええ、この流れで安倍さんにそれ、頼む? と思いながら、私は二人を交互に見比べる。安倍さんは相変わらず表情一つ変えずに、淡々と言った。
「古来より、疫病の退治は陰陽師が担ってきました。お力に、なれるかもしれません」
「ま、マジで?」
思わず小さく聞き返してしまったが、安倍さんはどう見ても至って大まじめな顔つきだった。
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