第11話
「しかし、色々考えちゃいましたね、田辺さんの話」
社員食堂のテーブルにはまばらに人が座っている。藤原さんと安倍さん、そして私は注文していたデリバリーの弁当を受け取ると、なんとなく一緒のテーブルに座って昼食を取り始めた。
「まあ、明日は我が身感はありますよね」
なんとも言えない気持ちで私は藤原さんに同意した。
私が生まれ育ったこの地方は昔から医薬品産業が盛んで、大小様々な薬業関係の会社がある。それは、遡ること江戸時代から、この地方が薬の行商人を多く擁していたことに由来する。
平安製薬も長岡薬業も、「置き薬」用の薬を製造する会社として設立された。
「置き薬」を売る「売薬さん」は、全国の決められたルートを巡回して、家庭用医薬品を対面販売する。決まったお客さんがいるので、沢山は儲からないけれども安定した売り上げのある商売だった。
しかし交通網が進化し、物流が発達し、薬局やドラッグストアがそこかしこにできるようになると、この業界は斜陽となった。県内の置き薬を作っていた中小企業は生き残りのための事業転換を余儀なくされた。大手メーカーの下請けになったり、化粧品や健康食品の製造を始めてみたりと、様々な会社が様々なチャレンジをした。
長岡薬業のように、再起不能になってしまった会社は数知れない。
「でも、あんなに悲観することないのにって思いますよ」
プラスチック製のがっちりした弁当の蓋を開けながら、私は思ったことを口にした。
「安倍さん調べでは、社内では製造から開発から営業まで、マルチな経験積んでるんですよね。キャリアのある技術者として、転職先なんて沢山ありそうじゃないですか」
「あー、なるほどね」
私の言葉に、藤原さんは茹でブロッコリーを頬張りながら苦笑した。
「山城ちゃんはさあ、転職組だもんね。東京でもいろんな会社経験してるんでしょ」
「東京じゃなくて千葉とか埼玉とかですけど……まあ、複数回職場は変わっていますね」
「俺は田辺さんと一緒でさあ、保育園から小中、高専、一度もこの県から出たことなくて、で、平安製薬、勤続14年目。正直さあ、今更新しい環境に心機一転飛び込めって言われると、かーなーり気が重いよ」
藤原さんの言葉が、なんだかしっくりこなくて、私は薄くて平べったい野菜コロッケを割り箸で半分に割りながら首を傾げる。
「藤原さん、なんていうか、人なつっこい性格で明るいし……どこにいってもすぐ馴染めそうじゃないですか?」
そう言うと、藤原さんはにやにやしながら首を横に振った。
「俺、こう見えて人見知りなのよ」
「またまたー」
「いや、本当よ。だから必死になって上の人に気に入られて、後輩は味方にして、居場所作ってって。やっと確保した安全圏にいる、って思ってるからこそ、山城ちゃんたちみたいな中途さん入ってきても、余裕もってウェルカム~! って受け入れられるんだよね。それが全部リセットってなると、精神的にきついわ」
「うーん」
藤原さんの言葉に、大学を出てからの自分の人生についてふと思いを馳せる。
確かに、自分と藤原さんの生き方、バックボーンは、根本的に違うな、と思う。私は今まで、どうせ正規雇用じゃないのだから、と思って、その時そのときの職場に執着したことがなかった。契約が切れたらそれまでだ、と思ってきた。居場所を作ってそれを必死に守る、という発想がなかった。
もちろん、元々のコミュ力の高さはどう見ても私より藤原さんの方が断然上だし、私と違ってどこへ行っても彼は結局まわりの人に愛されて上手く行きそうだな、とは思うのだけど。
それでも、今まで根を張ってきた会社を出て新しい環境に身を置く、というのが、彼や田辺さんにとっては私よりも遙かにハードルが高いものなのだ、というのは、わかる気がしてきた。
「だからこそ田辺さんは、必死に会社を守ろうとしたんですね。良好な関係で買収してもらえるんなら、会社自体は残るわけだから……」
「でも、なんでダメになっちゃったんだろ?」
理由については田辺さんは説明してくれなかった。というか、理由を聞いたらまた発狂寸前になったというか……。
日の丸ご飯を食べていた安倍さんが、ゆっくりと箸を置いた。
「一部の経営陣からの猛反対に遭ったようですね。社内で話が拗れていくうちに、社長も何故かM&A反対派に取り込まれて、話は白紙に戻ってしまったとか……」
「ええっ、そんな。田辺さん、社長のお墨付きで動いてたって言ってたのに……そんなの、裏切りじゃないですか」
田辺さん(の、深層意識)が、ちくしょう! と拳をぶんぶん振り回したくなる気持ちもわかる。
M&Aは会社の生き残りのための手段で、買収される側の企業のトップにいる人は、役職解かれてしまうなど、損になることも多い。重役から反対意見が出ることなんて最初からわかっていたんだから、社長は田辺さんを守ってあげなきゃいけなかったはずなのだ。それが、いざ重役会議で揉めたらあっさり寝返った、なんて。
彼からしてみれば、絶望的な気持ちだったろう。
最近はすべてのやる気を失って、オフィスの窓際でうたた寝している、という話も、事情を知ってしまうとただただ気の毒になってきた。
「そんなひどい会社、今すぐ辞めちゃえばいいんですよ――って、ああ、だから、そういうことじゃない、んですよね」
つい「自分だったら」という考えに基づいて毒づいてしまってから、慌てて言葉を付け加えて、藤原さんの方を見た。困ったように、頷いている。
「気持ちの整理、つかないんじゃないかな。俺だったら結構気持ち引きずって、うじうじしちゃう」
「で、窓際で、田辺さんみたいにうとうとするんですか?」
「うーん、うとうとはするかも……別の会社の製造機器に化けて出たりはしないけど……」
「あ、そう、そうですよ、それより問題は」
田辺さんの事情に思いを馳せすぎて一瞬忘れていた。
私は浅漬けのキャベツを口にしている安倍さんに視線をやる。
「このままじゃ、田辺さんの怒りも居眠りも収まらないし、また次の製造の時に包装室に現れて錠剤を崩壊させて行っちゃうんじゃないですか? どうすればいいんでしょう」
「いいえ、もう心配はありませんよ」
穏やかだがはっきりとした口調で、安倍さんはそう言うと、私と藤原さんを交互に見て頷く。
「えっと……それは、どうして?」
「先ほど、あの包装室からの帰り際に、厄除けの術を施しておきました。また、今朝から会社敷地の北側にエンジュの植樹もしましたので、社外からの厄が侵入することはないでしょう」
「ええ、本当にそれで……?」
私はほんの少しめまいを感じながら、安倍さんに尋ねる。
「な……なんか、こういうのって、こう……問題を抱えていた人とかの、悩みを解決して一件落着、みたいになりません? こっちに田辺さんがこないようにガードを強化して、おしまい……なんですかね?」
「山城課長代理は、長岡薬業の内輪の揉め事に我々が介入することが、当社にとって必要な業務であると思われますか」
冷ややかな声と目つきでこちらを見ながら言われると、こちらも冷静にならざるを得ない。
「い、いや、そう言われると全くそんなことはないです……はい……」
「私が一条社長より与えられた任務は、陰陽道の力を使ってこの平安製薬の業務を改善し、トラブルを解決することです。製造ラインでの逸脱の原因を突き止め、その厄を現場から追いやった。これで、責任は果たしたことになるかと」
「ま、まあ、そうですね……」
確かにそうなのだ。他社の内ゲバの話なんてどうでもいいのだ。
私が本当に今取り組まなければならいのは、この一連の逸脱事件を社内でどう処理するか、ということだ。
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