第8話

 昼休みのチャイムが鳴り響いてから数分後。


 ゴオオオ、と、エアシャワーが作動する音が、無人の清浄エリアに響いた。


 エアシャワーというのは、工場外からの汚れを医薬品の製造現場へ持ち込まないために、入室前の作業者へ高速の風を吹き付けて異物を飛ばす装置だ。


 人ひとりしか入れない小部屋に入った作業者が、その場でくるくる回っている。全身にしっかり風を当てるためである。


「山城ちゃん、おまた~」


 無塵衣むじんい・ゴーグル・使い捨てマスク・ゴム手袋・長靴を、定められた手順に則って装着した藤原さんが、のんきな声とともに出てきた。


 この格好になると、顔も全身も覆い隠されるせいで最初は誰が誰だかわからなくなるのだが、そのうち背格好で判別ができるようになるのだから、人というのは不思議なものである。


 藤原さんに続いて、安倍さんがクリーンルームに入ったようで、再び、ゴオオ、という強風の音が響いた。小刻みにくるくる足踏みしながら回転する仕草に、生真面目さが出ている。元々細身で背が高い印象のある人だったが、薄っぺらいポリエステル製のオーバーオールを着ると、あれでも着太りしていたのか? と思わされる。


「お待たせいたしました」

「安倍さんこのエリア入るの初めてらしいんで、せっかくだしついでに、軽くフロアの説明しますねー」


 愛想良くそう言いながら、藤原さんが自然に安倍さんを誘導しながら歩き始めた。さっきの会議が初対面のはずなのに、すでに私よりも安倍さんに余裕を持って話しかけている。ここに来るまでに更衣の手順を説明して仲良くなったのだろうか。いや、きっとそういう問題じゃない。人見知りが激しい私と違って、藤原さんは誰にでも気さくに話しかけてすぐに打ち解けられるタイプの人なのだ。そういうところが、少しうらやましいな、と思う。


 簡単にぐるりとフロアを一周しながら各部屋の案内をすると、我々はついに問題の作業室の前にたどり着いた。


「……ここですね」

「そう、問題の包装工程をやってる、第四PTP室」


 昼休み中なので、どの部屋も扉が閉ざされ、電気が消えている。ガラス製ののぞき窓の向こうは真っ暗だ。


「山城ちゃんもPTPの機械見るのって初めて?」

「PTP包装の機械自体は動いているのを見たことありますけど、この機械は初めてですね」

「そっか。まあ、大まかな機構はどのPTP機もだいたい一緒なんだけどね」


 藤原さんはそう言いながら、扉を開ける。作業室は、10畳強の小さな部屋だった。


 明かりをつける。部屋のど真ん中に、問題の機械が鎮座している。自動販売機を4つ並べたさせたぐらいの大きさの、直方体の機械だ。


「動いてないからわかりにくいけど、部品は全部セットされてる状態だから、機構を説明しますね」


 藤原さんが、一番手前上部に取り付けてある、金属製の漏斗じょうごを指さした。


「これがホッパーで、包装したい錠剤を投入します。ホッパーの下には振動トラフがあって、ガイドに沿って錠剤が整列されて運ばれていきます」


 説明しながら、藤原さんは機械の反面を覆う透明なカバーを開けて、中を見えやすくした。整列トラフよりやや下方の部分を指さす。


「それからここは、透明なプラスチックのロールシートを設置する場所です。ここからシートが引き出され伸ばされて、熱をかけた型を当てて錠剤を入れるポケットを成形します。成形したポケットに、さっき投入した錠剤がぽこぽこっと一錠ずつ入っていく」


 動いていない機械だといまいちインパクトがないが、初めて薬品工場の見学でPTPシートの製造現場を見たときは、次々に出来上がっていくシートがおもしろくて興奮したものだ。


 安倍さんは黙って小さく頷きながら、藤原さんの説明をただ聞いている。


 藤原さんが、今度は機械の上の方を指さした。


「そしてここが、アルミシートのロールを設置する部分。ここからアルミシートがまっすぐに延ばされて、熱を加えて、錠剤が入れられたプラシートとプレスされてくっつく。そしてここに設置されてるカッターで、規定の長さ――今回のペインレス錠の場合は、1枚10錠なので、その分の長さにカットされ、PTPシートが完成する、というわけです」

「完成したシートは、ここに排出されるのですか?」


 機械後方に回って、安倍さんが尋ねる。


「はい、製造中はそこにコンテナを置いて、製造したPTPシートを回収します。ケース詰めは別の、清浄グレードが違う場所で実施するので」

「では、そのコンテナで製造品を回収する時に、今回の問題が起きているということですね」

「そうなりますねー」


 考えれば考えるほど、不可解な現象だ。錠剤が成型された時点では強度に問題がなかったはずなのに、たったこれだけの短い行程を経た途端、粉々になってしまうなんて。


 私が思わず、むむむ、と小さく唸ってしまうと同時に、安倍さんが大きく頷いた。


「わかりました」

「何がっすか?」

「この問題、私が陰陽道で解決してご覧に入れます」

「――は?」

「――え?」


 突然の訳の分からない宣言に、私と藤原さんの戸惑う声が重なった。


 しかしそれには安倍さんは何も答えず、PTPの排出口に向かって指さし、何事かを小声でぶつぶつと呟き始めた。


 小声ではあるが、声の響きだけは狭い部屋にやけによく反響している。しかし、何を言っているのかはよくわからない。お経みたいな、独特の抑揚だ、と思った、その数秒後――


 突如、小さな部屋に、まばゆいばかりの光が溢れかえり、私は思わずきつく目を閉じた。

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