ラボに迫りくるまさかの怨霊!クロマトグラムの幻を救うのは霊媒師ではなく現代の陰陽師だッ!地方への赴任は果たして「左遷」なのか!?

第26話

「山城ちゃん、おつかれー。珍しいね、山城ちゃんの方からこっちの部署に来るの」


 生産統括部の事務室の扉を開けるなり、藤原さんの明るい声が飛んできた。


 藤原さんは、常に一定のテンションだな、と思う。いつどんな時も愛想が良くて、不機嫌そうだな、と感じることが滅多にない。人とのコミュニケーションがかなめになる仕事だから、努めてそう振る舞っているだと思う。尊敬する反面、未熟な自分には到底真似できない、とも思う。


「お疲れさまです……」

「いや、てか、暗っ!」


 ううん、しかし、やたら明るいテンションで茶化す傾向は、ちょっと勘弁してほしい。他の人の視線がこっちに注目するのも避けたい。大事おおごとにしたくない相談事なので。


 幸い、品質関係以外の事務方の部署が集まるこのフロアは現在、席を外している人も多く、比較的閑散としていた。


 我々の部署間で相談ごとが発生する場合、ほのぼのした雰囲気で話し合える内容であることはほぼないと言っていい。大抵は、製造出荷スケジュールの無理やりな帳尻合わせの要望だからだ。


 坂上課長は時々、電話口でこちらの部署に怒鳴りつけていたこともあったぐらいで……藤原さんはそういうとき、へらへらしてかわしていたみたいだが。


「……製造受託品の出荷スケジュールって、今も菅原さんが管理してますよね?」


 菅原さんは、もうすぐ定年になる大ベテランの社員……だが、実質、閑職に追いやられている人だ。他のおじさん社員連中に比べるとギラギラしておらず、語り口も穏やかなので、雑談をする程度なら話しやすい人なのだが、その分トラブルの際は頼りないと感じることもある。


「そうだねー。今、総務部の面談中だけど、もうすぐ戻ってくると思うよ。何かあった?」

「天神メディック向け製品の出荷スケジュールを、今一度確認したくて」

「来月出荷分の? もうパッケージまで終わってあと品質検査待ちのロットだよね」

「はあ……」

「あ、彰子あきこさん今日お子さん熱出して休みだからその椅子座って良いよ」


 促されて、藤原さんの隣の中堅女性社員さんの、キャラクターものの薄い座布団カバーがかけてある椅子を引いて座り、思わず頭を抱えた。


「試験検査でトラブル?」

「そんなとこです」

「逸脱処理とか発生しそうってこと?」

「部長に相談しますけど、多分それは、なしでいけるとは思います。解決すれば、ですが……」


 そう言ってしまってから、まずかったな、と思った。部内で発生したトラブルを、正規でないルートで他部署に漏らして、変な噂を流すのは組織の信用をなくしてしまう。


 藤原さんと話していると口が軽くなってしまうのは、よくないな、と思った。部長に相談しに行く前に、製品出荷までのスケジュールを厳密に把握するのと、関係者に少しだけ根回しをしておこうと思ってここに来ただけだったのだが。


「めちゃくちゃ顔色悪いじゃん」

「それは元々です」

「そんなやばいトラブルなの?」

「分析機器の不調で試験検査が始められないんです」

「影響でかそう?」

「というか、原因不明で、復旧できなくて」

「激やばじゃん」

「激やばですよ……」


 もう一度頭を抱えた瞬間、居室の扉の開く音がした。


「お疲れさまです。何か深刻なトラブルのようですね」


 飄々とした藤原さんとは対照的な、冷静で感情の見えない男性の声が飛んでくる。


 顔を上げると、無表情にこちらを見る安倍さんと、その後ろに、下がり眉が印象的な小柄の中年社員、菅原さんが立っていた。


 総務部の面談って、安倍さんとの面談だったのか。


「あー、お疲れさまです。ええと、私、菅原さんにちょっとご相談が……」

「ちょうど良いじゃん、安倍さんにも相談しなよ」


 藤原さんが何気ない口調で、横からそう言い出した。なんでこの人は安倍さんにやたら絶大な信頼を持っているんだろう。


「ええと……いや、まだ安倍さんのお力を借りるほどの状況かもよくわかりませんので、とりあえず菅原さん……」


 ちらっと菅原さんに目をやると、相変わらず気の弱そうな表情で、きょろきょろと視線をさまよわせていた。


「相談……聞くけど、うん、そうだね。折角だし、安倍さんにも同席してもらえると……僕もありがたいかな」

「わかりました、ではさきほどの会議室の予約時間がまだ残っていますので、戻りましょう」


 淡々と言うと、安倍さんは踵を返して再び部屋を出て行き、その後を菅原さんが追う。


 私はもう一度、彰子さんのデスクで軽く頭を抱えた。


 ……なんでそうなるんだ。


 ***


 平安製薬(株)では、主にドラッグストアや薬局で販売される、自社ブランドの家庭用医薬品を製造販売している。


 その一方で、一部、他社から依頼されて製造している医薬品もある。何十年も前に、先代の社長が経営を危ぶんで、事業の方向転換を図ったときの名残だ。


 当時、いくつかの会社から製造委託を受けたものの、あまり利益の出る仕事は得られず、すぐに製造委託業務の新規受注を停止したらしい。しかし会社同士の付き合いもあるので、一度受けてしまった仕事は切れずに、何十年もコスパの悪い製品をずっと工場の片隅で作り続けている、という状況になっている……とかなんとか。


 そして、その会社のお荷物扱いされている受託事業関係の製造管理を担当しているのが菅原さんだ。社内での口さがない人々曰く、出世街道から外れて面倒ごとだけ押しつけられている、気の毒な身の上なのだそうだ。


 私はビジネスとかお金のことはどうにもよくわからないのだが、この天神メディックというそこそこ大手の会社については、請け負っている品質管理業務だけを見ていてもかなり手間が多い。人件費や諸経費だけでも相当にコストパフォーマンスが悪いのでは、という気がする。たまに先方の担当者と連絡を取るときもやっぱり面倒くさいやり取りが多くて、あまりかかわり合いになりたくない、という人々の心情も理解できなくもない。


 ――でも、仕事は仕事だから。


 お仕事もののドラマなんかでよくある、あの業務に関われたらエリートで、この部署に行ったら負け組、みたいな、仕事の内容に優劣をつける感覚。あれ、昔から、私はあまり好きではない。


 それに、私たちが作っているのは医薬品である。誰かが怪我や病気を治したいとか、健康を願ったりして必要としているはずのものを作っているのだから。常にプライドを持っていたいという気持ちがあるのだ。……人に言ったら、青臭いと返されそうなので、人前では口にはしないのだが――。

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