第22話

 飲み会は、日向さんと比較的仲の良い中堅の社員を中心に、20人ほど集めたという。思ったより規模がでかい。あまり話したことのない人も多い。緊張するし憂鬱だ。部屋の隅っこで大人しくしていよう、と決意したどり着いた県内チェーンの大衆居酒屋のお座敷は、何故か開始時刻通りに到着したはずなのに既に「出来上がって」いた。


「山城っち~! 遅いぞ~!」


 予想だにしていなかった展開。畳の上で、泥酔した日向さんがスーツ姿の安倍さんの肩に寄りかかっている。安倍さん、会社では作業着だが、もしかして通退勤時は毎日スーツなのだろうか。


「えっ? あれ? 私、開始時間間違えました?」

「大丈夫! 勝手に0次会やってただけだから!」


 靴を脱ぎながら日向さんの隣にいる越智さんに聞くと、あっけらかんと返答があった。


 何も大丈夫じゃないし意味がわからない。


 我が県は、自家用車がないと生活が厳しいタイプの田舎、いわゆる車社会というやつで、会社もほぼすべての従業員が車で通勤している。


 なので、平日の就業時間後に飲み会をする場合、一度会社から自宅に帰ってマイカーを家に置き、そこから公共交通機関を使って飲み屋が集まる市の中心部へ向かう、というのがお決まりのパターンだ。従って、飲み会の開始時間は終業時刻からかなり余裕を持って設定される。


 今回、妊娠中の越智さんはお酒を飲まないため、ハンドルキーパーとして日向さんを乗せて会社から飲み屋街へ直行したそうだ。時間に余裕があったため、1次会開始前に別の店で時間を潰していたらしい。


 妊婦を前に短時間でこんなになるまで飲んだんかい、と思うが、二人の仲では許されることなのだろう。越智さんはぐでんぐでんの日向さんの隣で屈託なく笑っている。


 そして、越智さん曰く「イケメンのポテンシャルがありそう」という触れ込だった安倍さんが、1次会会場に着くなり日向さんに捕まったようで、ウザ絡みをされているのだった。


「山城っち~、この男、秘密主義過ぎるぞ~」


 べろんべろんの40女に肩を掴まれ揺さぶられながら、安倍さんは表情一つ変えていない。


 日向さんが酒癖悪いのは人づてに聞いていたが、ここまですごいとは思っていなかった。だいたい若い男性が絡まれがちで、強く拒絶できないので苦笑いしながらやり過ごしているらしいのだが、ここまで冷静な反応を返されると、日向さんとしても「手強い」と感じるようだ。


 私も若い頃は飲み会でおじさん上司にセクハラされてあわあわしていたタイプなので、この顔色一つ変えない感じはすごいな、と思う。こんな風に振る舞えていたら、セクハラおじさんも寄ってこなくなっただろうし、人生違っていただろう。


「てかこれ、もう始まってるんですか?」

「あと藤原が来たら全員だからそっからスタートね。飲み物選んどいて」


 越智さんが飲み放題メニューを手渡してきた。


「あ、私はビールで」

「おお、良いな! 飲め飲め!」

「いや、ほどほどにしますけど」


 この状況を素面で耐えられる気がしない。というか、日向さんはこんなに泥酔して本当に恋のキューピッドをするつもりなのだろうか。


 私は会場をちらと見回した。六条さんはこちらからは離れたテーブルで、同じ設備システム部の男性陣と並んでいる。


「おっせーぞ藤原っち! 主役でもないのに遅れて来てんじゃねー!」


 日向さんの大声で私は振り返る。頭を掻きながら藤原さんが登場していた。


「え、俺、遅刻でした?」

「1分前だよーん」

「始めっぞおい! みんな飲み物頼め! 90分飲み放題だ!」


 日向さんがガラ悪く怒鳴ると、ずっと黙っていた安倍さんが、静かに懐からメモを取り出した。


「先に来ていた方の分はすでに聞き取りしました。後は藤原さんだけです」

「俺は生で」

「よっ! 仕事のできる男!」


 日向さんの煽りにも本当に表情一つ変えず、安倍さんは立ち上がると店員さんに最初の飲み物を注文しに行く。それと入れ替わりに、藤原さんが私の隣の座布団の上に腰を下ろした。


「げ、なんで隣に来るんすか」

「え、ダメ? てかここしか空いてなかったんだけど……」


 もう一度ちらと振り返る。六条さんの周辺の席は確かに空いていなかった。というか、よく考えたら、この日向さんの正面の席は、みんな泥酔状態の日向さんを避けてたから空いていたのか……。


「いや、なんでもないです。日向さんの相手、よろしくお願いします」

「俺、日向さんみたいな人いなすのは得意な方だけどさー。山城ちゃんもあれ、たまには体験してみてよ」

「得意って言い切れるのすごいですね……」

「まあ、弊社に勤めて10年以上、鍛えられてましたわ」


 飲み物が配られ、ぐだぐだの乾杯で飲み会がスタートした。


「でもあれですね、10年以上一カ所の会社に勤めるって経験、私はないので、なんかすごいなって思います」


 先日の、PTP包装機に取り憑いていた田辺さんの一件でも思ったが、根本的に生き方が違うな、と思う。


「学校卒業した後勤めた会社にずっといるだけなんだけどね。私から見ると、色んな会社に飛び込んで仕事できる山城の方が、すごいなって思うけど」


 そう言うのは越智さんだ。彼女は確か、会社近くの薬業高校卒のはず。


「まあ私も、環境変えるのが得意だからそういう生き方をしてた、というわけではないんですが……」

「じゃあ山城っちはこの平安製薬で私らと一緒に骨を埋めるのか!?」


 日向さんがモスコミュールの入ったコップをテーブルに乱暴に置きながら尋ねてきた。てか、もう2杯目行ってるし。


「骨を埋めるという言い方はなんか嫌なんですけど……まあここが最後になれば良いかなとは思ってます」

「よし、決まりな! 安倍っちもな!」


 すっかり気配を消していた安倍さんが再び絡まれ始めた。


「私も骨は埋めたくないですね」

「安倍さんって、前の会社でも今みたいな仕事してたんですか?」


 藤原さんが話題を微妙に変えた。陰陽師、というキーワードははっきりと口にはしなかった。そういえば、日向さん越智さんたちは、安倍さんの業務内容のことを知っているのだろうか。生産計画会議に出ていたおじさん方はどん引きしていたけれど。


「そうですね。前職では繊維メーカーの工場長からの依頼でコンサルさせていただき、業務や経営改善の実績が認められたため、契約満了という形で離職いたしました」

「あ、じゃあ、もしかしてうちも期間限定で来てるんですか?」


 社長が連れてきたんだし、勝手に正社員で高待遇とかなのかと思っていた。


「半年更新の契約社員ですね」

「なんだそれ、正社員にしてもらってずっと平安製薬にいろ! 山城っち辺りと結婚してここに永住しな! 彼氏募集中だから!」

「え、山城ちゃんて男に興味とかあったの? 彼氏とか結婚とかアリなの?」

「興味ないし彼氏も結婚も考えてないですけど、そういう言い方されると何となく癪に障りますね……」


 頭を押さえながら藤原さんの言葉に返すと、彼は肩を竦めてごめんごめん、と言った。


「なんだよ、つまんないなー」


 ついに日向さんが呂律の回らない調子でつぶやきながら、机に突っ伏した。これはしばらく寝るな。抜け出すならチャンスだ、と、藤原さん、安倍さん、私はグラスを手に他のテーブルに散らばった。なお、越智さんは既にこのテーブルから姿を消していた。


 偶然なのか、藤原さんは設備システム部の人々の固まっている場所へ向かい、六条さんの隣に座った。


 ***


 幹事が泥酔し、ストッパー役を期待していた越智さんはいつの間にか早抜け帰宅していたため、締まらない感じでお開きになった。ぐでんぐでんに泥酔している癖に、日向さんの飲み会への執着は止まらない。


「二次会いぐぞぉ、にじかい~!」


 ふらふらしながら叫ぶ日向さんを、藤原さんと、第二製造課の若い男の子が二人ががかりで支えている。


 地方の二次会は、都会とは違ってかなり早い時間にお開きになるものだ。終電が早いからだ。ちなみにオールナイトというものもない。朝の、始発の時間まで営業しているような店がないからだ。


 そういう意味では、気分が乗らない二次会でも終電を口実に早い段階で抜けられるという利点がある。


「二次会行く人、挙手ー!」


 次々と手が挙がった。元々、日向さんには好意的で飲み会も嫌いじゃない人たちが来ているのだろうから、二次会への参加率も多そうだ。


 藤原さんがささっとその数を数えた。


「りょうかーい。お店に空いてるか確認しますねー」


 私はもう帰ろうかと、駅の方向へ足を向けたが、その瞬間に、急に、ぐい、と腕を引っ張られて、よろけた。


「山城ちゃんも、二次会、行くしょ?」


 藤原さんだった。


「いやー、もう帰ろうかと……」

「まだ話し足りないじゃん」

「なんか話すことありましたっけ?」

「えっ、冷たっ。そう言わずに行こうよ」

「藤原さん、酔ってます?」


 うざい酔っぱらいのおっさん上司みたいだな。顔が赤くなったり締まりの悪い表情をしているわけじゃないんだけど、言動がいつもよりゆるい気がする。


「うーん」


 私の突っ込みに気まずくなったのか、藤原さんが頭をがしがしと掻き始めた。


「ごめんごめん、無理強いするつもりはないんだけど……」


 急に殊勝になられると、こっちも急に気まずくなる。


「いや、あの、いや、別に用事があるとかじゃないんで……じゃあ次の電車の時間まで、顔だけ出そうかな」


 言ってしまった瞬間、藤原さんの顔がぱあっと明るくなった。


 それを見て、なんだか、ちょっとだけ居心地が悪くなる。藤原さんがどうとかではなくて、根本的に、何事においても押しに弱い自分の性質を自覚して。


 結局、仕事でもこうだから上手く行かないことがわんさかあるんだよな。


 などとネガティブなことを考えている間に、藤原さんはお店に電話をしにスマホを片手に少し離れた場所へ歩いていった。


「ふう……」


 思わずため息をついた、その瞬間だった。


 ぼた、という、ちょっと重たげな音とともに、頭頂部に軽い衝撃が襲った。


「――んっ?」


 なんだろう、と頭上に視線をやろうとした瞬間、頭の上に何かが被せられた。


 カァー、という声が響いて、遠ざかる。


 まさか……。


「カラスのです」


 安倍さんが私にツバ付きの帽子を被せてくれたようだった。そんなもの持ってたっけ? いや、普通持ってないよね、スーツ姿なのに。


「え、てか、あの、し、って、」

「カラスの糞ですね」

「最初からそう言ってくださいよ……っていうか、マジですか。もう夜なのに」


 最悪だ。都会での鳥の糞害の話はよく耳にするが、本当に体に糞が直撃したのは人生で初めてだ。これ、時間が経ったら臭くなるんだろうか。


「山城さんは、二次会に行かれる予定でしたか」

「今そう言っちゃったところですが、それどころじゃなくなりましたよ」

「欠席して、今すぐご自宅へ戻られるのが良いと思います。矢は、不吉の予兆です」

「鳥の糞が頭に直撃した時点で既にどう考えても不吉なんですが」


 淡々と言う安倍さんに若干呆れ気味に突っ込む。カラスの糞を受けた頭を素早く隠してくれたのはめちゃくちゃありがたいが、やっぱりおかしなことを言っている。


「山城ちゃん、二次会行くよー」


 電話を終えた藤原さんがこっちに来るところに、安倍さんが声をかけた。


「申し訳ありませんが、山城さんは二次会は欠席してご帰宅されるそうです」

「へっ?」

「あー、あの、すみません、ちょっと緊急事態が発生しまして……ごめんなさい」


 苦笑いしながら私は慌てて藤原さんに手を振り、後ずさった。藤原さんは茫然とした表情をしているが、詳しい事情を話す時間もない。


 とにもかくにも、一刻も早く髪の毛に着いたカラスの糞を洗い流したい。


 きびすを返した瞬間、六条さんとほんのちょっとだけ、目が会った気がした。

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