社畜陰陽師ッ!

第一章

社畜陰陽師、登場!深夜の医薬品工場に突如現れた怪しい影!包装機が繰り返す謎のエラーに、現代の陰陽師が立ち向かう!古の科学の系譜は、ブラック企業を救えるのか!?

第1話

 静まりかえった小さなオフィスに、鈍く軋んだ音が響いた。


 カチッ……。


 古い時計の針が動いた音だ。


 普段だったら意識することのないその小さな音で集中力が切れてしまって、疲労が限界に達しているのを自覚する。


「あー! くそっ!」


 壁掛け時計を見上げると、長針と短針が真上を向いて重なり合っていた。


「また午前様か……」


 ため息を大きく吐き出すと、私、山城香子やまきたかこは机に突っ伏した。


 4つのデスクが並び、あちこちで書類や製品サンプルが雑然と重なり合っている、6畳ほどの薄汚れた事務室に、今は私一人だけ。


 片づけても片づけても仕事の山は増える一方だ。


 北陸の片隅にある老舗医薬品工場・平安製薬(株)。


 関東で派遣社員として渡り歩く生活に疲れ、Uターン就職して2年。小さな会社だとはわかっていたが、ここまで絵に描いたようなブラックな職場だとは覚悟できていなかった。


 もう一度深くため息をつくと、手元にあった「至急合格判定お願いします! 明日秤量行程開始予定!」の連絡書がクリップされた書類に「合格」のはんこを押し、パソコンの電源をオフにする。


「帰るか……」


 20時ぐらいに、職場に買い置きしていたカップ麺を夕飯代わりに食べたから、家に帰ったらもうシャワーを浴びて寝るだけだ。4時間眠れれば良い方、という生活がもう何日も連続している。


 鞄を手に立ち上がる。


 そのとき、デスクの隅に置いていた書類が一つ目に入る。


『逸脱是正計画書(9)

 前回と同じ一時措置です。

 急ぎで回覧お願いします』


「うーん……」


 本来ならさっさと自分の名前のはんこを押して次の担当者に回せば良いものなのだが、何かが引っかかってしまって、私の手元に数日留まってしまっている。


「……明日また、考えるか……」


 流石にもう限界で、頭が働かない。


 見なかったことにして、デスクを後にする。




 会社内でこんな時間まで仕事をしているのは私だけらしい。


 更衣室で作業着から私服に着替えると、廊下は真っ暗だった。スマホで壁や足下を照らしながら玄関に向かう。


 真夜中の工場は、何度経験しても不気味で怖い。早足で下足箱にたどり着き、急いで靴を履き替え、玄関の扉を開けようと、取っ手に手をかけた。


 ――が。


「ええっ!?」


 私はスマホの画面の光を、両開きの扉の取っ手にしっかり当てて、今一瞬目にしたものをもう一度確認した。


 いや、どう見ても、ごっついチェーンで二つの取っ手がぐるぐる巻きにされて、扉が開かないようにロックされている。


「な、なんで!?」

「正面玄関は先ほど封鎖させていただきました」

「ひいいいっ!?」


 誰もいないと思っていたのに、背後から突然、男性の声が響きわたってきて、私は悲鳴をあげながら振り返った。勢いで背中を扉の取っ手に強打する。


「痛っ」


 よろめきながら声のした方に目をやると、暗闇の中で、男の顔が宙に浮いていた。


「ぎゃー!!!!」

「お疲れさまです。品質管理課の山城課長代理ですね?」


 落ち着いたテノール・ボイスは、聞いたことのない声だった。


「だ、だ、だ、だ、誰!?」

「本日……いえ失礼、昨日より総務部陰陽課に配属となりました、安倍と申します。よろしくお願いいたします」

「し、新入社員!?」


 ブラック企業すぎて毎週のように退職者と中途入社の社員が現れる会社なので、いつの間にか知らない新人がいることは珍しくないのだが、こんな時間にこんな場所で挨拶されるなんてあり得ない。


 よく見ると、男の顔は宙に浮いているのではなく、懐中電灯で顔面を顎の下から照らしているだけだった。心臓に悪いのでやめて欲しい。40歳前後だろうか、色白で薄い顔立ちの男性だ。


「な、なんでこんな時間にまだ会社にいるんですか? てか総務部にそんな課、ありましたっけ?」

「組織改編と配属のお知らせを、社内サイトに掲示していただいたはずですが」


 男はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。怖いこわい、やめてくれ、と思ったと同時に、暗闇から白い顔が消滅し、代わりに、社員証が照らし出された。


 見慣れた我が社の名前、会社ロゴ、「総務部陰陽課 安倍晴男」の文字、スーツ姿の顔写真。


 陰陽課って、なに? 怪しすぎる。この人、ほんとに会社の人? 不審者なのでは? とにかくここから一刻も早く立ち去りたい。


「えーっと、あの、とりあえず私、帰りたいんですけど、なんで扉がぐるぐる巻きにされてるんですか?」

「正面玄関は封鎖いたしましたので、お手数ですが南側の非常口からご退出願います」

「な……なんで?」


 何故か安倍さんなる新人男性は社員証を照らしたままなので、誰もいないように見える暗闇から声が聞こえてくるシュールな状況になっている。


「先ほどより、こちらの方角は凶方となりました。方違へをお願いします」

「か、かたたがえ?」

「はい」


 聞き取れなかったから聞き返したんじゃなくて、意味がわからないから説明して欲しいのだが、安倍さんは何も言わない。


 暗闇に浮かぶ社員証をもう一度よく見た。


 陰陽課ってもしや……陰陽師とかの、あれ?


「あー……社長、またなのかよー……」


 私は思わず天を仰いだ。


 うちの二代目社長は、十年以上ずっと火の車な自社を憂う度に、おまじないとか風水とか、そういうのに頼っておかしなことを始めてしまうのだ。


「山城課長代理の退出後の施錠は私がいたしますので、このままお帰りください」


 安倍さんは淡々とそう言うと、電気のスイッチを入れてくれたらしく、突然、非常口までの廊下が明るくなった。


「うおっ まぶしっ」

「どうぞお気をつけてお帰りください。遅くまでお仕事お疲れさまでした」

「えーっと」


 初めて明るい場所で見た安倍さんは、そこそこ長身の、こぎれいなスーツを違和感無く着こなした、どこにでもいそうなサラリーマン風の男性だった。無表情だが真面目そうな顔つきだ。ちょっと野村萬斎に似ている。


 社員証を持っていたし、本当にうちの会社の人なんだろう……でも、新人さんを一人こんなところに置いていっていいのかな。若い新入社員なら気を使って一人にはしないところだけど、正直ちょっと関わり合いになりたくない気もする。だいたい、新人って言っても私より年上っぽいし。


 私の葛藤に気付いたのか、無表情のまま、安倍さんはポケットから鍵を出して振って見せた。


「ご心配なく。非常口の鍵は総務部長よりお預かりしておりますので。安全確認の後、施錠して私もまもなく退出いたします」

「あ、はい、そうですか……なら遠慮なく、お先に失礼しまーす」


 私は靴下のまま廊下をダッシュして、非常口で靴を履き会社を脱出した。


「満月か……」


 駐車場も真っ暗かと思ったが、今夜はよく晴れていて、月明かりで足下がよく見えた。


「はあ……帰るか」


 ただでさえ疲れていたところに、訳の分からないことが起きて、もう心身ともに限界だ。


 さっさと帰って寝よう。


 私はもう一度ため息をつくと、鞄から車のキーを取り出した。

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