第三章

忍ぶれど……夏。工場内を交錯するそれぞれの思い。職場内恋愛の是非!陰陽道はどう向きうあのか?!

第20話

「ぶっちゃけ山城っちってさ」


 日向さんが缶ジュースの蓋を開けながら尋ねてきた。


「はい、なんですか?」


 私は彼女に返事をしながら、開封したばかりの麦茶のペットボトルに口を付ける。今日は日向さんの奢りではない。昼休み、喉が乾いたから玄関前ホールの自販機にお茶を買いに来たら、後から日向さんがやってきたのだった。


 今日は朝から曇りがちで、カンカン照りの真昼に比べればまだ多少涼しい方かもしれないが、あまり甘ったるいものを飲む気分にはなれない。


 日向さんが自販機のジュースのボタンを押す姿に思わずそう言うと、曰く、炭酸飲料ならアリなのだという。


「藤原っちとはどうなの?」

「どう……とは?」

「いやいや、わかるっしょ」


 例によって突っ込みの手刀が胸元に打ち込まれた。


 私は苦笑いしながらペットボトルのキャップを閉める。


「いや……別に、何もないですよ」


 こういうのって幾つになっても苦手で、上手く流せない。


 実のところ、アラフォーになったら色恋に絡んだ噂の主役になることから逃れられると思っていたこともあったので、この歳になってもこれなのか、という思いがある。


 平安製薬は人口流出が年々深刻化しつつある地方都市の、郊外にある。従業員の中で県外出身者は片手で数えられるほど、という超地域密着型な社内で、30代後半になっても独身の私はかなりの少数派だ。


 ここでは30を越える前に結婚してない女は完全に「行き遅れ」扱いだ。ぶっちゃけ、家庭によんどころない事情でもあるのか、さもなければ人間性に異常があるのではないかと疑われる。自分が入社時点から一部の従業員から好奇の目で見られているのは知っていた。


「嫌そうな顔すんなって。仲良いじゃん、二人」

「まあ、仕事では色々助けてもらってますし、同い年だから話しやすいですけど。それだけですよ」

「本当に何もない系? 一ミリも? 可能性ゼロ?」


 追求してくる日向さんからは、悪意やからかいのような気配は感じられないが……。正直、居心地が悪い。そういうのしたいなら、もっと若い子とやって欲しい。……あ、いや、もしかしたらそれやるとセクハラになるのか。


「……うーん、藤原さん自身がどうこうというか」


 私は白衣のポケットからタオルハンカチを取り出して、汗をかいたペットボトルの周りを軽く拭いた。


「職場内でそういうの、私は、ちょっと。仕事中も周りの目とか気になるようになるの怖いし、別れたときに……あー、えっと」


 ここまで口にしてしまってから、ちょっと続きの言葉に躊躇った。今まさに話題にしている藤原さん、離婚した奥さんが購買部にいるんだよな……。二人が一緒にいるところを見たことがないけど、どんな感じなんだろう。考えるだけで気まずすぎる。


 私が口ごもった理由にすぐに気付いたらしい日向さんが、ひひひ、と心底面白がるように笑う。


「まあ私も、社内結婚して3年も持たず離婚した男はちょっと嫌かも」

「いやいやいや、私別にそこを貶すつもりはありませんよ!? 結婚って色々難しいんでしょうし」

「なになになに何の話してんのー! もしかして恋バナ恋バナ!?」


 越智さんがやってきて、ミルクティーを自販機で購入した。


「山城はどうなのよ!」

「何がですか、越智さんまで」

「たとえば、あの安倍さんとか!」

「安倍?」


 日向さんがピンと来ない様子で首を傾げる。


「総務部にこの前配属になった中途さん」

「あー、なんか、いたね、そういえば」

「最初地味な人かな、と思ったけど、よく見たらイケメンのポテンシャル感じない? 野村萬斎にちょっと似てる」

「越智ってああいうのタイプだっけ?」

「私はエグザイル系のムキムキの強そうな男らしい子がタイプなのー! 旦那は違うけど」

「……違うんですね」

「そりゃあ、エグザイルとは結婚できないからね……」


 そういう問題なのか?


 会話が一旦途切れたところで、日向さんが話を急に元に戻した。


「じゃあつまり山城っちは、藤原っちには一切、気持ちも可能性もないってことで、オッケーね?」

「え、あ、はい。てか、なんでそんなこと聞くんですか?」


 ただ噂話について確認したかった、とかではなかったようだ。


「じゃあ来週末の金曜日、飲み会やるから。絶対参加な」

「えっ? 飲み会? 絶対参加? なんで?」


 私は基本的にコミュ障なので、あまりそういう集まりにお誘いもされないし、たまに誘われても気後れして断ってしまい、参加したことがほぼほぼ無い。


「てかそれと藤原さんの話は何の関係があったんですか?」

「それよ、それなんよ」


 日向さんのテンションはずっと高い。


「いや、実はさ、藤原っちのこと気になってるぽい子がいてさ。あいつ今フリーだし飯でも誘ってみたら、なんて言ったんだけど、自分から誘う勇気が出ないらしいわけ」

「うわー、甘酸っぱーい」


 茶化すのは越智さんだ。


「んで、夏休み前に飲み会開催するから、呼んでやろうってわけ」

「はあ、それはそれは……」

「えー楽しそうじゃんー」

「だから予定開けとけよ」

「いや、なんで私が参加必須なんですか?」

「年齢とか男女比とか不自然じゃないようにしなきゃだろ、わかれよ」

「わかんないっす……」


 藤原さんならどんな年齢層とか男女比の飲み会にいても違和感なさそうだ。相手の女性社員とやらが、私と歳が近いか、あまり飲み会に出ないタイプなのかもしれない。


 めちゃくちゃどうでも良いし、関わりたくないのだが、じっとこちらを見つめてくる日向さんの無言の圧力がすごい。


「わ、わかりました。夏休み前の金曜日ですね」

「よし来た」

「私も行くー!」

「そうだ、その安倍さん? だっけ。総務の中途入社の男も連れてきてよ」


 日向さんの言葉に、私は振り返りながら目を見張る。


「え、何故?」

「だってイケメンなんでしょ」

「そして何故私が」

「同じ中途入社同士なんだから仲良くしろよー」

「てか既に仲良いんじゃないの? この前食堂で安倍さんと山城が会話してるとこ見た気がする」

「いやまあ会話する程度に面識はありますけど」

「あ」


 越智さんが急に遠くを指差したので、私と日向さんもその先に目をやった。


「噂をすれば安倍さんじゃない?」

「ちょうど良いじゃん、誘ってきて山城っち」


 日向さんの平手が背中にヒットする。


「うう……てかそういうの興味なさそうな人だから断られるかもですよ?」

「良いじゃん、とりあえず聞いてきて」


 安倍さんは敷地内パトロールでもしているのだろうか。辺りを見回しながらゆっくりと社員用駐車場への通路を歩いている。


「安倍さん」


 小走りで近づくと、いつもの通り無表情の安倍さんが、立ち止まって振り返った。


「お疲れさまです、山城課長代理」

「お疲れさまです。あの……来週末の金曜日って、仕事の後、何か予定入ってますか」

「夏休み前の最後の出勤日の後ですね」

「はい、えっと……第三製造課の日向リーダーが、小規模の飲み会をやるそうなんです。もし予定空いてたら、一緒にどうですか」


 安倍さんの眉が、わずかにだが、ぴくりと動いた気がした。私とは違うタイプだけど、あんまり社交的ではないというか、親しくない人との飲み会が好きそうな類ではなさそうだ、と予想していたので、あまり好意的な反応が来るとは思っていなかった。


 意外にも、返事は即、返ってきた。


「わかりました、是非参加させてください」

「はい、やっぱりそうで……えっ! 参加ですか?」

「はい。何か問題が?」

「いえいえいえ! すみません、ありがとうございます。あの、私もまだ詳しいこと聞いてないので、後で時間とか場所とかわかったら連絡しますね」

「お願いいたします。折角お誘いいただきましたし、従業員の方々のことを知る良い機会ですので」


 お堅い言い方だな、とは思いつつ、サラリーマンのあるべき姿でもあるな、と思う。


 会社員にとって、社内外の関係者との付き合いは大事だ。会社主導の公式の懇親会すら避けて通れた派遣社員時代が長かった私には、こういう飲み会などにためらいなく飛び込める人々のことを尊敬しつつ、気後れもしてしまう。


「ご用はそれだけですか?」

「あ、はい、すみません、呼び止めてしまって……」

「いえ。それでは、失礼いたします」


 感情の見えない顔と声でそう告げると、安倍さんはまた静かに通路を歩き始めた。

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