第2問 忌避「友だちって必要か?」⑦

 四月十三日 木曜日。

 いつも通りの朝を迎える。ここ数日は謎解きゲームの話題をする者もめっきり減った。朝練が厳しいだとか、課題が難しいだとか、始業時間が近づくにつれて徐々に騒がしくなっていく朝の教室。

 昨日の昼休みに三問目を発見した柳森は、結局そのままベニヤ板を元の位置に戻した。三問目が見つかったとなると、一組の騒々しさは今の比ではないだろう。柳森はその渦中に飛び込むつもりは無かった。

 俺が言い出さずとも、いずれきっと誰か(例えば鈴堂とか)が見つけるに違いない。このままタイムオーバーになったとしても俺は最初から賞品なんて興味はない。そう自分に言い聞かせて沈黙を貫いていた。

「今日の午後は校内の草むしりを行うので、みなさんはそれまでに体操服に着替えて教室で待機していてください」

 朝のショートホームルームもいつも通り進行していた。

「草むしりのエリアは各クラスで担当が決まっています。この一組は、えー……C棟の裏庭です。後ろの黒板に紙を貼っておくので各自、エリアを確認するように」

 おそらく全員が聞き流したであろう斉藤先生の言葉に、柳森だけが密かに驚いていた。C棟の裏庭というと、柳森が憩いの地としていたまさにあの場所である。そこが一組の担当エリアならば、三問目が発見されるのはほぼ間違いない。

 ――なんだ。どのみち俺が言い出す必要なんて無かったんじゃないか。

「草むしりとかダルくね?」

「早く終わらせようぜ」

 斉藤先生が退室した後、各所から不満が漏れる。一時限目が始まる前の教室がざわざわと賑わっていた。

 柳森の心中は、それ以上に騒がしかった。


 午前中の授業は身が入らなかった。理由はもちろん、あのベニヤ板のことを考えていたからだ。どうでもいいはずなのに、気になって仕方がなかった。頭の中がもやもやしていて落ち着かない。

 こんなに考え込んでしまうのなら見つけなければよかった。柳森は後悔の数々に見舞われる。あの女子生徒に遭遇しなければ。あの場所に行かなければ。あの場所を見つけなければ――。

 ――……いや、それなら、俺が教室から逃げなければ……。

 後悔を遡っていた柳森は、思わぬ過失と出くわす。後悔したことを後悔する。

 ――もういい。全部忘れよう。俺はただ、平穏に生きたいだけだ。誰にも邪魔されず、一人で生きたいんだ。

「柳森」

「あ……はい!」

「早く取りに来い」

 化学基礎のじん先生が一枚のプリントを差し出していた。今は入学してすぐのころに受けた実力試験のテスト返しをしている最中だった。出席番号順にテストを取りに行っていた列が、柳森のところで止まっている。

「すいません」

「ぼーっとするなよ」

 急いで教卓に向かい、受け取るとそそくさと席に戻る。点数を見てみると、九十二点。理科が得意科目なのもあり中々の好成績だった。

「何点だった?」

「私、八十六点」

「マジ⁉ めっちゃ頭良いじゃん!」

 後ろの方から会話が聞こえてきた。

「……」

 柳森は答案用紙をそっと仕舞った。


 昼休みになると同時に、購買にも寄らず、柳森は例のベニヤ板の前に佇んでいた。来るつもりは無かったのに、気が付けば絵をじっと眺めていた。

 昨日からこの絵が脳裏から離れない。

 池を泳ぐ一匹の鯉。なぜ池の中に鯉が一匹だけなのか。その答えは絵の中に描かれていた。他の鯉は、池の周りで横たわっていたからだ。力無く横たわる数匹の鯉とは対照的に、池の真ん中で悠々と泳ぐ鯉。天に向いた尾ひれは水面を蹴って水しぶきを散らしている。おそらくそれが原因だろう。他の鯉は、一匹の鯉の尾に蹴られて陸地に打ち上げられてしまったのだ。周りを蹴散らし、我が物顔で池の中を泳いでいる。

 この絵が伝えたいメッセージを柳森は理解できた。痛いほどに、苦しむほどに理解できてしまった。

「間違いを盲信し続ける方が怖いですから」

 真っ直ぐな瞳とともに鈴堂の言葉を思い出す。

 一人でいるのは楽だ。それは紛れもない事実である。しかし、それだけだろうか。

 ――テストで良い点取った時は、すげえって褒められたくないか。最近人気のお笑い芸人の話をしていたら、俺もあのネタで笑ったって混ざりたくないか。授業の内容を聞き逃したら、ノート見せてって頼みたくないか。

 一人でいたい。それは本当に俺が掲げるべき信条なのか。

「せっかくなら、楽しんどこうかなって。それに、新しい好きに出会えるチャンスかもしれないじゃん?」

 今度は廻立の言葉がフラッシュバックする。もし足元に落ちているこれが、チャンスなのだとしたら。

「はあーー……」

 深い溜め息をつきながら、柳森は生い茂る雑草も気にせずにしゃがみ込んだ。

 無理だ。他人との関わり方なんてとっくに忘れてしまった。その勇気があるなら一人ぼっちになんてなってない。

 せめて、こっそりと鈴堂たちに渡すことは出来るかもしれない。柳森は板をひっくり返した。板に貼り付いた袋を剥がそうと手に取る。すると、袋に隠れて、裏側にも絵が描かれているのに気付いた。

「……はは」

 ――クソ、なんだよ……。

 昨日の女子生徒。この場所に隠された理由。謎解きゲームの目的。それら全てが推察できた。

 柳森は問題文の入った袋を思いっきり剥がした。そして右手に三問目の問題文を、左は板を小脇に抱えて立ち上がった。


 扉を開ける。喧騒が響いていた教室は一瞬にして静寂に包まれ、不審物を抱えて飛び込んできた柳森に視線が集中する。

 鈴堂は廻立、水城のいつもの三人組で昼食を食べていた。しかし、柳森は別の人物を探した。

 この先も続く高校生活で、柳森が言葉を交わさなければならないのは――。

 自分の席で一人で黙々と弁当を食べていた宝徳明日那。同じく自分の席に座り、宮内と喋っていた前田堅吾。少し離れた所で畠本たちとカードゲームをしていた横手光輪。奇遇にも三人は近い位置にいた。

 三人ともが視界に入る場所に移動する。同じ班のメンバーに向かって、柳森は自分が発見した紙を見せながら言った。

「あの、さ……三問目、見つけた……」

 心臓が止まってしまったのかと錯覚するほど果てしない静けさ。次の瞬間、教室の空気は一気に沸騰した。

「マジ⁉」

「あったん? どこに?」

「お前すげえじゃん!」

 怒涛の勢いで柳森の元にクラスメートが押し寄せる。目眩がするような熱気が吹き荒れた。

「あ、おおぅ……」

 嬉しいとも恥ずかしいともつかないこの感情、この瞬間を、きっと柳森は忘れないだろう。

「なんて書いてあったの? 見せて見せて!」

 嬉々としてせがむ廻立の要望に応えて、透明の袋から紙を取り出す。二つ折りになっていたので何が書いてあるのか柳森もまだ知らなかった。

「えっと……」

 開いたA4の用紙にはこう書かれていた。

『第3問 次のアルファベットが示す教室に、次の問いがある。


  RPYGLGLE PMMK            』

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