答え合わせ⑦

 四月二十四日 月曜日。

 放課後、水城は文芸部の部室に向かった。

 文芸部に入部したいが休部になっていると嘆いていた鈴堂だったが、休部状態なら入部は可能と知るや、すぐに入部届を出したらしい。そしてどの部活動に入部するか迷っていた廻立も、鈴堂が入部届を出した直後に後を追う形で入部を決めた。

 高い運動能力を買われて数多の運動部から活躍を期待されていた廻立が、なぜ文芸部に入ったのか、水城は以前、廻立に尋ねたことがあった。

「鈴堂さんと一緒にいる方が面白そうだったからね。それに、鈴堂さんって案外おっちょこちょいな所があるでしょ? だから私が守ってあげないといけないなって感じちゃって。私の運動能力は鈴堂さんのために使いたいんだ」

「へ、へえ……」

 まあまあ重めの理由が返ってきたので、水城は深くは追及しないことにした。

 水城も二人を追い駆けて文芸部に入ってみようかとも考えたのだが、阿吽の呼吸を見せる二人と対等にやっていける気がしなかったので、早々に却下した。それに、いつまでも誰かの背中を追うばかりではいけない。結局、第一候補だった手芸部に落ち着いた経緯があった。

 そんなこんなで鈴堂と廻立の二人で再出発を果たした文芸部が、最近、秋湊高校で密かに話題になっていた。

「――そういうわけだから、鈴堂さんお願い! 結果はいつでもいいから!」

 C棟二階の図書室の隣にある、何用の部屋だか分からない細長い一室。そこが文芸部の部室だった。水城が図書室の前を通り過ぎるタイミングで、部室から一人の女子生徒が飛び出してきた。強引に何かを依頼すると、足早に去ろうと通路を走ってきた。

「おおっとッ、すみません……って水城さんじゃん」

 ぶつかりそうになって大きく仰け反ったのは、同じクラスの篠峯だった。

「水城さんも『風鈴堂』に用事?」

「う、うん。そんなところ……」

「なに相談するの? って訊いちゃ悪いか」

 篠峯は右手を敬礼するように額に近づける。

「今さっき私が調査をお願いしたから、その後になっちゃうかもだけどごめんね。あとぶつかりそうになったのもごめん! じゃあね!」

 台詞を残して篠峯は去って行った。あっという間の出来事で狐につままれたような心地の水城は、「文芸部」のネームプレートを仰ぎ見る。

 鈴堂を擁する文芸部は、生徒の間であらゆる相談・調査を請け負ってくれる場所との噂が広まっていた。なんでも、とある男子バスケットボール部の部員がそこで相談をしてからというもの、みるみると部活内で活躍し始めた実績があるらしい。

 また一組を中心とする鈴堂への尊敬の念も同時に口伝えで広がった影響で、「鈴堂に相談すればなんでも解決してくれる」という噂が出来上がってしまったのだ。そこに鈴堂風雅の名前をアレンジした「風鈴堂」なる名称も自然発生的に生まれてしまい、人気に拍車を掛ける事態となっている。

 そんな状況を本人はどう思っているのか。

「水城さん。あなたも何か相談ですか?」

 部室に足を踏み入れると同時に、対面する向きで部室の奥に座っていた鈴堂は、あからさまに嫌そうな顔をした。眉間に皺が寄っている。こんなにも感情を露わにするのは珍しい。

「先程の篠峯さんにもお伝えしましたが、私に相談されてもお力添えはできませんよ」

「ち、違うよ。先週の土曜日のことで、一応報告しとこうかなって」

「ああ、大旗先輩に会いに行ったやつね」

 鈴堂の右腕側、黒板を背にして座っている廻立が思い出したように声を上げた。

「そう。ちゃんと本人に会って、お礼が言えたから」

「復帰できるのはいつごろだって?」

「五月かららしいよ。大旗先輩、鈴堂と廻立さんにも会ってみたいって言ってた。この人気ならすぐに耳に入ってここに来るかもね」

「人気……ですか」

 途端に鈴堂の瞳から光が消え失せた。

「え、そんなにスゴイことになってるの?」

 廻立にそっと耳打ちする。「だねー……」と廻立さえも困り気味に笑う。

「さっきの彩葉で今日二人目だからね。一人目なんて二年生の人だったし」

「一体なぜそこまで広まってしまっているのでしょうか」

「まあ私たちの年頃だと噂話とか好きですし。それに『風鈴堂』ってキャッチーなフレーズが出てきたのも大きいですかね――」

 すると廻立が水城のブレザーの袖をちょんちょんと引っ張った。口元には手を添えている。耳を近づけると、

「その名前を付けたの、私なんだよね」

「……え?」

「最初は鈴堂さんの魅力が広まればと思って、良いのも思い浮かんだし、軽い気持ちで言いふらしてたんだけど……」

「それ、鈴堂さんに言ったの?」

「言えるわけないじゃん! こんなに反響があるとは予想してなかったんだもん」

 廻立のような影響力の強い人間が話せばそうなっても仕方ないだろう。

「どうかしましたか?」

「いえなんでも! あー……、やっぱり鈴堂さんが聡明だからじゃないでしょうか。頼り甲斐があるというか、結構向いてるんじゃないか……と私は思いますけど」

「そうだよねー。カッコいいよねー」

 廻立も同調する。持ち上げてその気にさせる腹積もりなのかもしれないが、聡明な鈴堂に効くはずもない。鈴堂はより一層、表情を曇らせた。

「……視聴覚室で二問目が書かれたテープを発見した時、椅子の上に乗っていた私が倒れて、廻立さんに助けられたことがありましたよね」

「え? ええ……」

「私は何かに夢中になると、極端に視野が狭くなってしまうのです。集中すればするほど外部の情報が遮断され、知らない内に危険を冒そうとしていた経験が以前からよくありました。あの時の私も、まさにそうなっていました」

 当時を思い返すと、一旦撤退した視聴覚室に戻る時の鈴堂は呼び掛ける声も耳に入っていない様子だった。自ら椅子の上に乗ると志願した際も、それまでのお淑やかな印象からはかけ離れた強引さがあった。

「池に落ちそうにもなりましたし、水溜りに足を取られて転んでしまったり……。その度に廻立さんや水城さんにも迷惑を掛けてしまいました」

 椅子から落ちた時もだったが、池に落ちそうになった時も間一髪だった。そう少し廻立の反応が遅れていれば、頭から入水していただろう。

「それとこれも厄介な私の特性なのですが、私は一度気になると、その事ばかり考えてしまうようになり、途中で投げ出せなくなるのです」

「それは、一貫性があって良いことなんじゃないですか?」

 鈴堂は控えめに頭をふるふると振った。

「使いこなせるようになれば利点となるのでしょうが、今の私では視野が狭くなってしまうことが多く、不利益の方が勝っています。ですので私は、そもそも興味を持たないようにしたのです。距離を置けば囚われることも無くなるのではないかと」

「あ……、そういえば初めて教室で会った時、私てっきり、鈴堂さんは謎解きとかに興味ない人だと思ってました」

 冷めた目をしており、廻立に付き合ってあげているような態度だった。

「今回の謎解きゲームについても、最初は関わるつもりはありませんでした。一度気になってしまうと、きっと夢中になってしまうと容易に想像できましたので。ですが真剣に捜索するみなさんを見ていると、一問だけならと、つい自制が緩んでしまいました。結局一問だけでは終えられず、最後まで参加してしまったのです」

 二問目を解いている時も、鈴堂はどこか消極的だった。椅子から落ちた件に引け目を感じているのだと思っていたが、それだけではなかったらしい。距離を置くにはすでに手遅れの状況で、期待するクラスメートたちに引き戻されてしまったが。

「謎解きゲームが終わり、今度こそ気を引き締めようと思っていたのです。それなのにまさか相談される立場になるとは」

 興味を持たないことを目標と定める鈴堂にとって、今の状況はあまりにも酷だろう。

 関心事が向こうからやって来るのだから、防ぎようがない。

「……」

 鈴堂の危うさを何度も間近で見てきた水城は、流石に鈴堂が不憫になってきた。だがどう言葉を掛けて良いものか分からない。

 ――……いや、私じゃなくていい。

 鈴堂を励ます適任者は、彼女しかいないだろう。

「でも、私は鈴堂さんがちょっと羨ましいな」

 諭すように口を開いたのは、やはり廻立だった。

「私は鈴堂さんとは逆で飽き性だから。色んなものに興味を持ったり、友達に勧められたりしてやってみて、その時は楽しくて夢中になるんだ。けど……」

 廻立は目線を落とした。口角は上がっているが、いつものような人懐っこい笑顔ではなく、哀しそうな笑みだった。

「けど、私自身もびっくりするぐらい早く、しかも急に熱が冷めるんだよね。昨日まで楽しいって思ってたはずなのに、次の日には何の興味もなくなってたり……。それが私のちょっと嫌なとこなんだ」

 机の下で拳をぎゅっと握り締めたのを、隣に座っていた水城は見逃さなかった。

「特に友達に勧められたのとかは、向こうはまだ私が楽しんでるって思ってもっと色々教えてくれるから、言い出しづらいってのもあるし。『あんま好きじゃなかった?』とか『もう興味なくなった?』とか訊かれると、悪いなーって感じちゃうんだよね」

 言い出しづらい気持ちはなんとなく水城にも理解できた。

 自分の意見が言えなくて、誰かの後ろに隠れて生きていた。身を隠す盾を失いたくなくて、友達の意見に従順になっていた。好きなアイドル、流行りの曲、背伸びしたファッション、マンガ、番組……。水城も何かと友達に勧められることが多かった。まったく好みに合ってなかったり、全然良さが分からなかったものがほとんどだった。それでも表面上は取り繕う。必死に面白いふりをして、顔色を窺いながら感想を述べる。共感されないというのは、辛いことだからだ。

 ――……いや、それも言い訳かもしれない。

 心の奥底にある本音は、友達グループからハブられるのが怖かったからだ。正直に言う勇気など持ち合わせていなかったからだ。

 友好関係の広い廻立ならば、きっと水城よりももっと勧められる機会は多いだろう。しかも廻立の場合は一度、共感し喜びを共有してしまっている。食い付いておいて、一方的に離れるのは心苦しいに違いない。

「だから私は鈴堂さんが羨ましい。周りが見えなくなっちゃうくらい熱中して、それがずっと継続するんだからね。一貫して真剣に向き合ってる姿は、カッコいいよ」

「……お互いに極端な性格のようですね」

「あはは、二人を足せばちょうど良くなるかな」

「そうかもしれませんね」

 鈴堂の表情が心なしか和らいだように見える。

「それに――」

 廻立は椅子を蹴って立ち上がると、胸を反らせた。

「鈴堂さんが危ない目に遭いそうになったら、私が助けてあげる。そのために文芸部に入ったんだもん。迷惑なんて思ってない。むしろもっと頼ってくれていいから。だから安心してよね!」

 慰めになっているのかいないのか分からないフォローを入れる。

「……まあ、危険な目に遭遇しないに越したことはないのですけれども」

「それもそっか!」

「はあ……、なぜこれほど噂になってしまったのでしょうか」

「ねー。不思議だねー」

 廻立は素知らぬ顔で尻尾を振っていた。

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