第2問 忌避「友だちって必要か?」⑤
狭かった校舎の影が僅かに広がっている。そろそろ昼休みが終わる頃だろうと、柳森はノートを閉じて立ち上がった。ずっとしゃがんでいたので膝と腰が痛い。空に向かって大きく伸びをする。
「あれ、柳森くん?」
「ぅわっ!」
素っ頓狂な叫び声を上げる。油断し切った状態で急に話し掛けられたので、心臓が飛び出るほど驚いた。戻ろうとしていた方向の反対側から姿を現したのは、廻立と鈴堂の二人組だった。しかも鈴堂の長い黒髪がなぜかしっとりと濡れ、首にタオルを掛けている。
「こんなところでどうしたの?」
「いや、どうしたのって……。こっちの台詞なんだけど……」
通り雨に打たれたのかと見紛うぐらい濡れた鈴堂の髪を見ながら返事をする。
「ああ、これ? これはね、ちょっと池に落ちちゃったんだ」
「は⁉」
「廻立さん、大袈裟に言わないでください。足を滑らせてしまって、髪が池に入っただけです。落ちてはいません」
「私が咄嗟に腕引っ張らなかった落ちてたでしょ」
「それは……そうかもしれませんが」
落ちかけたのは本当なのかよ。
「取り敢えずグラウンドの手洗い場で汚れを流して、日当たりの良い場所で乾かそうかなってことで校内を回ってたんだ」
びしょびしょのままで校舎に入るわけにもいかないだろう。しかしタオルで髪を拭きながら外を歩いているのも中々珍妙な光景だった。
「いくら自分の答えが合ってるって信じたいからって、普通そこまでするか?」
鈴堂の大胆な一面を垣間見て、柳森は思わず余計な一言をついてしまった。しかし鈴堂は気を悪くした風はなく、むしろ言われたことの意味が把握できない、というように首を傾げた。
「私は私の答えが合っているとは思っていません。それを確かめるために行動しているのです」
「……え?」
「鈴堂さんは一つの解に固執してるわけじゃないよ。あれから別の解き方を考えたり、別の場所も探したりしたしね。それらを踏まえて、やっぱり最初の答えしかないってことで、改めて池を入念に探してて、それで落ちちゃったんだよ」
ですから、と鈴堂は再度訂正を図ろうとしたが、結局それ以上は何も言わなかった。
「……自分が間違ってたって認めるのが、怖くないのか?」
「はい」
一切の思案も抵抗もなく、鈴堂は透き通った瞳を向ける。
「間違いを盲信し続ける方が怖いですから。だから私は正解を――三問目を見つけたいのです」
謎解きに興味津々なのかと思えば、距離を置こうとしたり、また乗り気になったり。柳森は鈴堂のことが分からなくなった。
「あ、ねえねえ、あっちの方が日当たり良さそうじゃない?」
「それほど変わらないと思いますけど……」
二人は踵を返して来た方へ戻ろうとする。
「なんでっ」
わざわざ訊く必要もなかったのに、他人との関わりを避けていた柳森は、気付けば二人を呼び止めていた。
「なんで、謎解きゲームにそこまで熱中できるんだ。たかがゲームだろ? 危ない目に遭ってまですることなのか?」
鈴堂は振り返らせた身体をご丁寧にも柳森へ向け直すと、はっきりと答えた。
「一度気になったら、解決するまで気が済まない性格なんです」
恥ずかしながら、と語尾に付け足した。
「私にも訊いてるのかな? あはは」
廻立は冗談めかして笑う。教室でよく見せる、分け隔ての無い笑顔だった。一組の中心人物と言っても過言ではない廻立。カリスマ性を発揮する鈴堂でさえ巻き込んでいく行動力はどこから来ているのか、知りたかった。柳森が頷くと、「あ、マジで?」
本当に訊かれると思っていなかったらしく、困惑したようだった。それでもちゃんと答えてくれた。
「うーん……。せっかくなら、楽しんどこうかなって。それに、新しい好きに出会えるチャンスかもしれないじゃん?」
――新しい好き。
昼下がりの太陽の光に照らされて、鈴堂の濡れた髪がキラキラと輝く。臆することなく堂々と自分を語れる二人を、柳森はとてもカッコいいと思った。
「あ、ま……廻立、さん」
「ん?」
「この前、俺のせいで斉藤にバレそうになった時、その……ありがとう」
いつか言おう。そう後回しにしてずっと抱え込んだままだった言葉をようやく廻立に言う。唐突だし間隔も空いてしまっていたので、廻立は一瞬何のことか分からなそうにしていたが、「ああ!」と思い出す。
「二問目の時のやつね。そういえばあったね、そんなこと。ぜんぜん良いって。あそこでバレちゃうのはもったいないなーって思っただけだから」
お礼が遅れたのも気にしていない様子で、あっさりした返事だった。悶々としていた日々はなんだったのだろうか。柳森は急激な脱力感に襲われた。
「あ……二人とも、こんな所に、いたんですか? もう……新しいタオル、持ってきましたよ」
校舎の死角から水城が姿を現す。ずっと二人を探していたのか、息を切らしながら持っていたタオルを鈴堂に手渡した。
「ありがとうございます」
「ごめんごめん。日当たりの良さそうな所の方が乾きやすいかなと思って、ここに移動したんだった」
「いいですから。それよりも、もうすぐ昼休み、終わりますよ」
「おっと、もうそんな時間か。それじゃあ早く乾かしちゃわないとね。鈴堂さん、しゃがんで」
「一人でできますよ……」
「いいからいいから」
強制的に鈴堂をしゃがませると、廻立はブレザーのポケットからブラシを取り出し、鈴堂の黒髪を梳かし始めた。
「夕陽ちゃん、いつもブラシ持ち歩いてるの?」
「そう。さっきタオルと一緒に持って来たの。私、癖毛だからこれがないと大変なことになっちゃうんだよね」
腰あたりまである長髪の毛先の方にブラシをかける。
「こうやってブラシで梳くことで、空気の通り道ができて早く乾くんだよ」
「そうなのですか。濡れたまま梳くのは髪に悪いと聞いたことがあるのですが」
「濡れた髪はキューティクルが弱くなってて、傷付きやすいからね。でもこれみたいに目が粗めのだったら大丈夫なんだ。根元からいきなりブラシを入れると引っ掛かって髪を痛めるから、毛先の方から順にするのがコツだよ」
人形の髪を撫でつけるように、丁寧な仕事を見せる。鈴堂も薄目になって気持ち良さそうな表情をしていた。
――……絵になるな……。
ノートを持つ左手がうずうずする。スケッチをしたい衝動を柳森は抑える。
「詳しいね、夕陽ちゃん」
「まあね。あとは姫華が持って来た新しいタオルで、挟むように拭いてあげれば……。これなら大丈夫なんじゃない?」
多少の水気はまだ残っているようだが、元々鈴堂の黒髪は艶っぽく輝いているので、いつもと変わらないまで回復したと言っても過言ではない。昼休みの間に池に落ちたなど誰も思わないだろう。
「廻立さん、ありがとうございました。重ね重ねご迷惑をお掛けしてしまい、どうお詫びをすれば良いか……」
「お詫びなんて良いよ。むしろ鈴堂さんの髪に触れたからオッケー」
「……? 水城さんも、タオルありがとうございました。洗って後日、お二人にお返し致します」
「は、はい。それよりも、本当に昼休み終わっちゃいますよ」
腕時計を見ながら水城が急かす。
「そうですね。戻りましょう」
「柳森くんも、早くしないと五限目に遅れちゃうよ」
「あ、ああ……」
そう言い残して三人は去って行った。一人、校舎の影の中で立ち尽くしていた柳森は、遠くで鳴るチャイムの音を聞いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます