第2問 忌避「友だちって必要か?」⑥

 四月十二日 水曜日。

 一組の水曜日の四時限目は家庭科になっている。

「前回出した宿題はやって来ましたかね」

 家庭科担当の清水しみず先生は、妙齢の身ながらやや古風な言い回しをするのが特徴だった。今日は二回目の授業で、前回、つまり初回の授業で早々に宿題が出された。内容は「一週間の晩ごはんの献立」である。食生活と栄養バランスに関する単元だからだろう。

「どなたかに代表して発表してもらいましょうか」

 ここで普通の先生なら「今日は十二日だから出席番号十二番!」となるところだが、清水先生は違った。

 白衣のポケットから二つのダイスを取り出し、教卓に打ち投げた。一つはごく一般的な六面体ダイス。もう一つは清水先生が学生時代に、イギリス旅行の道中で立ち寄った蚤の市で購入したらしい、七面体のダイス。五角柱の形をしていて、全ての面が均等な確率で出るのか怪しい代物だった。

 この二つのダイスの目で当てる生徒を決めるのが清水先生のやり方だった。なぜこんな回りくどいやり方なのか。

 曰く、日付で指名するやり方だと、該当する生徒は事前に当てられることを想定して準備するかもしれないが、逆にそれ以外の生徒は当たらないだろうと安心して宿題をやってこないかもしれない。そうならないよう、事前に想定できない方法にした、と初回の授業で説明していた。

「五か。こっちは……お、七だね。じゃあ五列目の七番目だから、宮内くん」

「うわあまじかよ。恥ずっ!」

 オーバーなリアクションを見せる宮内と、囃し立てる周りのクラスメートたち。お調子者の宮内は坊主頭を掻きながら、満更でもなさそうな顔で教壇に上がった。

 本格的に授業が始まってから一週間。中学校の復習のような内容が殆どだったが、徐々に高校らしい高度な内容へと進んでいた。

 昼休み前の、空腹を我慢しながら受ける四時限目。慣れ合うクラスメートたちの姿。どこにでもある教室の風景が広がっていた。こうやって新入生は高校生らしくなっていくのだろう。

 柳森も教室の片隅で一人でいる根暗ポジションがすっかり板に付いていた。

「お肉ばかり食べ過ぎではないかい?」

「しょうがないじゃないですか。俺食べ盛りなんすよ」

 宮内の軽口に教室が沸く。宮内みたいに、柳森は道化師を演じられない。場を盛り上げられない。気の利いた台詞は言えない。ただ人目に付かないようひっそりと存在感を殺して生きる。それこそが柳森の望んでいた形だった。

 ――そう、これでいいんだ。


 昼休みになると、柳森はいつものように購買でパンを買い、靴を履き替えて例の場所に向かった。

 C棟の裏手へと周った直後、柳森は足を止めた。人がいたからだ。

 生垣よりも少し内側に植わった一本の木の下に、一人の女子生徒がいた。木の根元を見ているのか、俯いて立っている。生垣の前には脛の半分まで伸びた雑草が生えているので、柳森は踏み入らないようにしていた。しかしその女子生徒は構うことなく雑草の中に佇んでいる。

 ボサボサの長髪を後ろで一つ結びにし、前髪は眼鏡のレンズに掛かっている。スカートは裾が雑草に触れそうになるほど長い。背中が丸く曲がっているのは、下を見ているからだけではないだろう。

 秘密の場所に人がいたことに動揺したものの、こんな好条件の場所を誰も知らないわけはないだろう、と今更ながら柳森は納得した。一昨日、昨日はたまたま誰もいなかっただけで、柳森のように孤独を愛する生徒や、素行の悪い生徒の溜まり場になっている可能性だってある。

 ――憩いの地だと思ったのに、また別の場所を探さないといけないかもな……。

 今後の展望について思いを巡らせていたせいで、柳森は身を隠すことをすっかり失念していた。

「――ッ⁉」

 その女子生徒は、ようやく柳森の気配に気付いたらしく、全身を震わせて飛び退いた。ガササッと踏まれた雑草の音が響く。女子生徒は柳森の存在を確認するや否や、脱兎の如く反対方向へと去って行った。

「あっ……」

 追い出してしまったような罪悪感が胸に残る。とはいえ結果的には一人になれたので、ここに居座ることにした。

 それにしてもあの女子生徒は何をしていたのだろうか。一瞬見えた胸元のリボンは青かった。ということは二年生だ。木の根元を見るように俯いていたが、まさか本当に根張りを観察していたわけではないだろう。

 気になった柳森は、少し躊躇い、雑草の中に足を踏み入れた。先程の女子生徒が立っていた付近に到着すると、行動をなぞらえる。視界に入ったのは、生垣と木の間に置かれた一枚のベニヤ板だった。

 幹に立て掛けるようにして置かれたその板は、大学ノートほどのサイズだった。周りの雑草のせいもあって近くに来なければ発見できないだろう。置かれていると言うより捨てられていると表現した方が適切かもしれない。それでも柳森がこの板に注目したのは、絵が描かれていたからだ。

 表面に乗った赤と青色が目を引く。柳森は鼓動が速くなっているのを自覚した。震えそうになる手で板を手に取る。

 描かれていたのは、池を泳ぐ一匹の鯉だった。

「これって、まさか……」

 もしそうだとするなら――

 柳森は「いけのうしろ」、つまり板の裏側を確かめた。そこには、中央に『第三問』と書かれた紙が透明の袋に入れられて貼り付けてあった。

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