第3問 焦燥「どうやったら仲良くなれるんだ?」⑤

 四月十七日 月曜日。

「へえ、対外試合?」

「うん。先週末にいきなり決まってさ」

 昼休み。寺嶋は隣の席の橋田と話していた。

「一年生も全員出るって。俺ついこの間やっとラケット握ったばっかだぜ。なのにいきなり試合とか、ありえんわ」

 橋田はバドミントン部に所属しているが、経験は無く、まったくの初心者らしい。それで実戦となると、嘆きたくもなるだろう。

「寺嶋くん。呼んでるよ」

 後ろから声を掛けてきた小田切が教室の後方の扉を指差す。

「俺? 誰が――」

 反射的に背筋が伸びる。そこには、大賀迫先輩が仁王立ちしていた。小言じゃなければいいが、と願いを込めながら駆け足で大賀迫先輩の元に駆け寄る。

「寺嶋。男子バドミントン部が近々試合するらしくてな」

「あ、ちょうどその話を、してました」

「それで体育館を使わせてほしいってことで、今日は俺らが使う予定だったけど、急遽メニューが変更になったから。他の一年にも連絡しとけ」

 リーダーの仕事には連絡事項の伝達というものがあった。決定事項が各リーダーに伝えられ、リーダーから各学年に通達される。寺嶋がリーダーとして伝令を受けるのは、これが初めてだった。

「分かりました。何に変更になったんですか?」

「部室で体操服に着替えてトレーニング室に集合。そこで筋トレな」

「……え」

 大賀迫先輩の言葉に、寺嶋は身体を硬直させた。寺嶋だけではない。会話が聞こえる距離にいたクラスメートも大賀迫先輩を仰ぎ見る。沈黙はやがて教室中に伝播した。

「な、なんだよ……」

 静かになった教室で数十の視線を浴び、いつも大きい顔をしている大賀迫先輩も流石にたじろぐ。

「今、トレーニング室って……」

「あ? ああ、お前はまだ知らねえか。社会科室のことだ。あそこは室内が広いし、机も動かせるから、たまに筋トレとかするのに使うんだよ。だから俺たち運動部は通称、トレーニング室って呼んだりしてんだ」

 じゃあ他の奴らにも伝えとけよ、と大賀迫先輩は捨て台詞を残してそそくさと去って行った。

「……トレーニング室って、三問目のトレーニングルームのことだよな?」

「なら次の問題は社会科室にあるってことか」

 教室にざわめきが戻る。クラスメートたちの声を背中で聞きながら、寺嶋はぎこちない動作で後ろを振り返った。鈴堂、廻立、水城の三人が目の前にいた。

「ちょうどお昼食べ終わったし、行ってみようか」

「は、はい!」

「そういうわけですので、私たちは『トレーニングルーム』へ行くのですが、寺嶋さんも一緒に行かれますか?」

「……ああ、もちろん!」

 食べかけの弁当も忘れ、寺嶋は鈴堂の誘いに二つ返事で答えた。

 各クラスのバスケ部員に連絡事項を伝えて回った後、寺嶋はその足でC棟三階にある社会科室に向かった。寺嶋が到着すると、三人の他にも十人ほどの有志が捜索を開始していた。

「見つかった?」

 部屋に入って一番近くにいた廻立に尋ねる。

「まだだねー。この教室広いんだもん。視聴覚室と同じくらいあるから、時間が掛かるかもね」

 廻立の言うように、社会科室はHR教室二つ分はあろうかというほど広い教室だった。一列に机が八脚もあり、一クラス全員が着席しても席が余る。列がずれているせいもあるが、それでもなお教室の後ろにはスペースがあった。机を寄せれば、それなりの広さにはなるだろう。

「そっか。ここら辺はもう探した?」

 窓際に並んだ腰までの高さの保管庫の一つに手を掛ける。上には地球儀やら資料集が所せましと置かれていた。

「いや、まだ。特別教室だから物が多くて、手こずってるよ」

「確かに、これ一つひとつ確かめていくのは骨が折れるな」

 柱に吊るされた正距方位図法の地図を一瞥した時、教室の後方にいる鈴堂の姿が目に入った。腕を組み、右手の人差し指を唇に添えている。あのポーズは思考を巡らしている証だ。

「あの、鈴堂さん。何か気になることでも?」

 声を掛けて良いものか迷ったが、我慢しきれなかった。

「もしかして、『トレーニングルーム』はここじゃなかった……とか?」

「いえ、おそらくここで合っていると思います」

 もしかしたらミスリードしてしまったのではないか、という不安が寺嶋に付きまとっていた。しかし鈴堂は合っていると言った。その一言は寺嶋に安心をもたらすのに充分だった。

「私が考えていたのは、問題の隠し場所を見つける手掛かりです」

「手掛かり?」

「一問目は答えとなった数字と同じ場所に、問題文が隠されていました。そのように、この三問目でもヒントがあるのではないか、と」

 この社会科室が答えだと分かってから、あとはもう、しらみつぶしで捜索するしかないと寺嶋は思っていた。寺嶋だけではなく、今捜索に参加しているみんなもそうだろう。しかし鈴堂だけは、閃きで問題を解こうとしている。謎解きゲームに誰よりも実直に向き合っている。

 ――そんな人に、俺はライバル心を燃やしていたのか。そりゃ敵うわけないよな。

「やっぱすげえな、鈴堂さんは」

「? なにがでしょうか」

「いや、まあ……なんとなくな」

 鈴堂を妬んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなった。

「寺嶋さんもすごいじゃないですか。こうやって社会科室に辿り着いたのも、寺嶋さんのお陰ですし」

「そんな、あれは偶然だよ。別に俺が何かしたんじゃないし」

「ですがあの上級生の方が一組に、寺嶋さんに会いに来たから、みんなの耳に入ったのです」

「それは俺がバスケ部一年のリーダーだったから、俺に連絡事項を言いに来ただけさ」

「なら、あなたがリーダーで良かったです」

「ッ!」

 ――……本当に、敵わないな。

 ずっと空回りしているばかりだったが、その空回りも決して無駄ではなかった。そう鈴堂に肯定されたようで、寺嶋は目の奥が熱くなった。

「……ありがとう」

 顔を見られないよう、少し背ける。

「なんか机の裏に貼ってあるよ」

 教室の中央辺りから野上の声が飛ぶ。鈴堂の注意はそちらに切り替わったようで、幸いとばかりに寺嶋は瞬きの回数を増やした。

「ほらこれ」

 机の下に潜っていた野上がのそりと顔を上げる。見せたのは、これまでの問題文が書かれたような養生テープではなく、指先に乗るサイズの名札シールだった。

「なんて書いてある?」

「えっと……ひろのぶ?」

「『かんえん』ね。ほら、昔の年号の」

 野依は教室の後ろの壁を指差しながら野上の読み間違いを訂正する。壁には左上からびっしりと短冊が画鋲で貼り付けられ、一枚ずつに歴代の年号が記されていた。

「関係あるのかな」

「生徒の忘れ物じゃない?」

「……あ、でもこの机の裏にもあったわ。ほら、『宝暦』だって」

 野上が潜っていた席の右隣の席を確かめていた中田が、同じようなシールを人差し指にくっ付けて浮かび上がってくる。中田の声を皮切りに、その場に居た全員が机の下に潜り込んだ。そして見つけた年号を口々に発表していった。

 寺嶋も一番近くの机を探ってみる。すると、やはりその机の裏にもシールが貼られていた。

「鈴堂さん、こっちにもあったよ。『昭和』だった」

 これが先程、鈴堂の言っていたヒントなのだろうか。寺嶋が尋ねようとしたその時、無情にも昼休みの終わりの告げるチャイムが鳴った。

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