第2問 忌避「友だちって必要か?」③
四月六日 木曜日。
月曜、火曜日は学校生活に関係する説明やレクリエーションが主体だったが、昨日からはいよいよ本格的に授業が始まっていた。もっとも、始まったばかりなのでまだ中学校で習った内容の復習に近かった。
木曜日の三時限目はコミュニケーション英語になっていた。高校に上がったからか、あるいはこの高校だけなのか定かではないが、これまで英語一教科だったものがコミュニケーション英語と英語基礎の二教科に分けられるらしい。一応説明を受けたが、英語基礎の授業をまだ受けていないので柳森は違いはよく分かっていない。
コミュニケーション英語(通称:C英)はセクションで細かく区切られ、フィクション・ノンフィクションに関わらず短い話が掲載されている。短いとは言え文章量は中学の教科書よりも格段に増えていた。しかし授業のスタイルはあまり変わらない。要するに文章を日本語に訳す作業を繰り返すだけだ。
一組のC英は担任の斉藤先生が担当教諭だった。斉藤先生は席の間を通って教室中を歩き回りながら、英文を音読する。
文章も終盤に差し掛かり、まさに柳森の脇を通過しようとした時、斉藤先生の音読する声が途切れた。明らかに切れる箇所ではないところで切れたので、柳森は何事かと教科書から顔を上げた。斉藤先生は床に転がっていた、何かカードのようなものを拾っていた。
「……『第2問 こ』? なんですか、これ」
一瞬にして教室に緊張が走った。斉藤先生が手にしていたのは、謎解きゲームの問題が書かれたカードだったのだ。『第2問』と書いてあったということは初日に机の中に入れられていたものだ。
――どこぞの間抜けが誤って落としたんだろうな。
柳森の頭には挑戦状の一文が浮かんでいた。
『教師陣にはこの謎解きの存在を知られてはならない。バレてしまったらその時点でゲームオーバーだ。』
ここで謎解きゲームの存在がバレてしまったら、強制終了となってしまう。緊迫した空気になったのは、みんなもその一文を思い出しているからだろう。
「これは誰のですか?」
カードをひらひらと掲げるが当然誰も手を挙げないし、我関せずと目線を逸らす。重苦しい静寂が支配した。一組の結束を前に斉藤先生も食い下がる。名乗り出るまで授業を再開しないつもりか、カードを掲げ続けている。
膠着状態の中、我慢比べが果てしなく続く。
――……ん? あれ、『こ』って……。
「あっ」
――俺じゃん。
記憶が鮮明に蘇る。柳森に配られたカード。そこに書かれていたのが、まさしく『こ』だった。誤って落とした間抜けとは、他でもない柳森自身だったのだ。
そしてもう一つの過ちにも気付く。こんな場面で声を出そうものなら、自分が落とし主だと名乗り出るも同然の行為だ。しかし出した言葉は飲み込めない。今更気付いてももう手遅れだった。
「これは柳森のか?」
「あの……、えっと……」
「なんなんだ、これは。学校に必要なものなのか?」
「あ……、それは……」
正直、柳森にとっては謎解きゲームがどうなろうと知ったことではなかった。元々、参加意欲は無かったし、ここでゲームオーバーになろうがどうでもよかった。
しかしそれは柳森個人の意見であって一組の総意ではない。ここで終わるのを良しとしない者も少なくないだろう。その人たちからすれば、柳森は謎解きゲームを終わらせた人物として記憶されるだろう。
空気のように存在感を消し、ただ平穏な高校生活を送りたい。それが柳森の望みであって、クラス中から冷ややかな目線を送られて平気なわけでは決してない。この先の安寧を考慮するなら、正直に話す選択肢は無いに等しい。しかし、斉藤先生も見逃してくれるような雰囲気ではなかった。
「あの、先生。それ、私のです!」
板挟み状態だった柳森に、救いの手が差し伸べられる。声の主は廻立だった。
「世界史の問題集をやってた時に、解答を一問ずつ単語カードに写してたんですよね。多分その内の一枚が外れて落ちちゃったんだと思います」
「『こ』としか書いてないが?」
「ほら、あるじゃないですか。単語の中から正しいものを選べって問題。確かそれは、番号じゃなくて『あ』から『こ』までで割り振られてたんじゃなかったかなー」
強引で苦しい説明だった。斉藤先生も釈然としない様子だったが、問題集というワードが功を奏したのか、特にそれ以上言及することなく「ふーん、そうか」とだけ言ってカードを廻立に返した。
「ありがとございまーす」
「えっと、どこまで読んだっけな」
斉藤先生は中断した箇所の二行前から音読を再開する。
危機は去った。柳森は冷汗でびっしょりと濡れた額を拭った。
「危なかったな」「バレるかと思ったよ」「ヒヤヒヤしたー」
三時限目が終わると周りの席のクラスメートから一言ずつ声を掛けられた。
「あ、うん……」
精一杯の、ぎこちない愛想笑いを返す。
「廻立さんのフォローに救われたね」
「そう……だね」
柳森は後方をちらりと窺った。右斜め二つ後ろの席に座る廻立は、何も無かったかのように、隣の席の鈴堂と楽しげに喋っていた。
廻立には助けてもらったのだから、お礼ぐらい言った方が良いだろう。
「……」
分かっていても、一歩を踏み出せない。
――別に言わなくても良いんじゃ……。でも何も言わなかったら、感じ悪いやつって思われるかもしれないし。でもなー……。いや――
頭の中で堂々巡りが起こる。ただ一言「ありがとう」と発するだけなのに、なぜ出来ないのだろうか。自分の奇妙な天邪鬼さに嫌気が差す。
結局、「今は話し中だから割って入るのも迷惑だろうし、それに今すぐじゃなくても機会はいくらであるし」などと理由を付けて席を動かないまま、四時限目の開始のチャイムが鳴った。
昼休みになり、先生が教室を出てしばらくしてようやく謎解きゲームの話題が持ち上がった。全員、少々過敏になっているのだ。
鈴堂の助言もあってか、全グループが二問目の問題文を発見していた。
「『第2問』の後の数字は、1から12まで連続してるね。この順番に並べろってことなのかな?」
「ええ、そうだと思います……」
鈴堂と意見が一致した廻立が十二枚のテープを並べ直す。
「姫華、黒板にメモしてくれない?」
「は、はい……!」
廻立に言われるがまま、水城は四限目の授業の板書を消して黒板に数字を書き写す。
一組全員強制参加のこの謎解きゲームは、K班の、取り分け鈴堂と廻立の二人が中心となって進行していた。他のクラスメートも、何か情報や気付きがあれば取り敢えずこの二人に共有しておこうという意識になっていた。
一問目を順調に突破したせいか、多くが謎解きゲームに前のめりになっている。そんな中で遠巻きに眺めていた柳森は、鈴堂の異変に気付いた。
先程の歯切れの悪い返事といい、昨日あたりから鈴堂はゲームに対して乗り気ではないようだった。入学初日は、大多数と初対面であろうにも関わらず、大立ち回りを見せてあっと言う間にクラスメートたちの心を掌握していた。だが今の鈴堂はできるだけ発言を避けているような雰囲気だった。
その姿勢は柳森と通じる部分があって同族意識が芽生えそうになった。もっとも、柳森は他人との関係を一切断ちたいと思っているのに対し、鈴堂はあくまで謎解きから遠ざかろうとしている。その違いは決定的だった。なにより、彼女とは立っているステージが全然違う。同族と呼ぶには身分違いも甚だしかった。
まあ、どうでもいいけど。
柳森は鈴堂をさっと一瞥しただけですぐに目線を外した。昨日の鹿島先輩のように気付かれたら恥ずかしいからだ。
本当は謎解きには興味がなかったのだが、悪目立ちしたくないので、一応参加している体を醸し出すために水城が書き連ねていく数字を目で追う。
十二枚のテープに書かれた十二個の数字。順番に並べた結果は以下の通りだった。
63 22 46 17 66 31
22 57 61 54 41 27
「またこの番号の教室を探せば三問目があるのかな」
「また? それはないんじゃない?」
「俺ら㉛の空き教室を二日掛けて隅から隅まで探してたけど、それっぽいのなんて無かったよ」
早くもクラスに馴染んできた生徒が口々に自分の意見を発する。そして発言し終わると一様に鈴堂の方を窺う。注目を集める鈴堂は、期待のこもった視線を悟ったのか、諦念した様子で口を開いた。
「……そうですね。今回は数字に丸囲いがありませんし、一問目とは別物と考えた方が良いでしょう。それに、二問目の問題はそれらの数字だけではありません」
そう、『第2問』と書かれたカードが存在しているのは記憶に新しい。他のクラスメートたちも鈴堂の言葉を合図にカードを取り出していた。このカードが二問目に何らかの形で関係しているのは明白だった。
「ひとまず、みんななんて書いてあったか教えてくれる?」
「俺は『に』」「『す』」「あたし『て』ー」
――……え。声に出して発表するパターンなのか。
次々と手を挙げて発表していく。その勇気がある者はそれで済むだろうが、全員が人前で堂々としていられるわけではないし、まだそこまでクラスに馴染んだわけでもない。
「……えっと、宝徳さんは?」
出尽くしたあとで、まだ手を挙げていない者を廻立が名指しする。
「……『え』」
宝徳の声を聴いたのは自己紹介以来だった。無表情な外見からは想像できない、幼さを残す声だった。なんて感心している場合ではない。
「柳森くんは……ってそういえば私が持ったままだったね」
「『こ』だろ。忘れねーよ」
どこかから飛んで来たお調子者の一言で笑いが起きる。
「はは……」
自分で発表しなくて済んだのは幸いだったが、失敗を蒸し返されたようで柳森は複雑な気分になる。
「最後は……居能くんか」
「俺なんだけどさ……」
最後の一人となった居能は、たった一文字を言えばいいのに、やけに困り気味だった。
「『ね』……、に点々」
「え?」
訊いた廻立も、黒板に板書していた水城も、全員が一斉に居能の方へ顔を向けた。そっぽを向いていた柳森でさえ、思わず首を動かしたほどだ。視線を一手に集めた居能は釈明するようにカードを掲げる。
「マジなんだって、ほら!」
ほら、と言われても距離があって柳森には見えないが、「ホントだ……」「なにこれ」と居能のカードを覗き込んだ廻立たちが呟いていたので恐らく本当なのだろう。
「ってか点々だけ別にくっ付けてね?」
「俺が貼ったんじゃねえよ。最初からこうだったんだって」
「それなら、俺も『か』って書かれたカードに、濁点だけ切り抜いたやつが別で貼ってあったわ」
「じ、実は私も……」
それぞれ『が』と『ぐ』を持っていた
波乱はあったものの、これで四十二人に与えられた文字が判明した。
浅野 瑞生『あ』
居能
関
瀧森 りん『ぐ』
畠本
平泉
宝徳 明日那『え』
前田 堅吾『う』
廻立 夕陽『み』
水城 姫華『き』
柳森 誠仁朗『こ』
横手 光輪『て』
鈴堂 風雅『ま』
「全員バラバラだね」
「これも、あいうえお順に並べるのかな」
「並べたとしたら……浅野、小浦、前田、宝徳、神鳥……。これ意味ある?」
「名前の頭文字を繋げるとか!」
「あ、こ、ま、ほ、か……いや、単語にならないな」
「それに四十二個しかないから無い平仮名があるし、そもそも居能くんの存在しない文字はどうするの?」
「そ、そうか……」
「数字もなんなんだろうな」
忘れかけていたが十二個の数字も使用しなければならない。
――ん? 二桁の数字。平仮名。謎解き。……もしかしてこれ、超ベタな暗号問題なんじゃ……。
数字を眺めていた柳森は、中学生のころ、図書室にて興味本位で手にした『世界暗号大全』という本を思い出した。その本の一番初めに取り上げられていた、ポピュラーな暗号問題。
「……あ」
柳森が解読方法に気付いた直後、沈黙を貫いていた鈴堂が声を漏らした。鈴堂はすぐにしまった、と後悔するように眉を顰めた。しかしもう遅い。
「なにか分かったの? 鈴堂さん」
「教えて!」
鈴堂がまた閃いた。クラスメートの期待値は一気に膨れ上がる。
「……そうですね」
溜め息交じりにそう呟き、観念したように目を閉じる。そして再び開くと、鋭い眼光が宿っていた。
「水城さん。申し訳ありませんが、今のこの席順のまま、平仮名を書き直して頂けませんか?」
「え? あ、はい」
水城は書いた自分の文字を一旦消し、廻立の取ったメモと見比べながら再度板書していく。その間に、鈴堂は解説を進めた。
「まずあの十二個の数字ですが、気になるのは1から7までの数字でしか構成されていないことです」
鈴堂の指差した先。
63 22 46 17 66 31
22 57 61 54 41 27
「言われてみれば、確かに」
「なぜ0と8と9が無いのでしょうか。それは、使えなかったからです」
やはり、鈴堂も柳森と同じ考えのようだ。しかしピンと来た柳森ならいざ知らず、他の生徒はこれだけでは答えに辿り着かない。何を言っているのかさっぱりといった具合で頭上にはてなマークを浮かべている。
「この教室で1から7までの数字で表されるものは、席です。一列に七人、それが六列。7掛ける6で四十二人。その全員に一つだけ平仮名が与えられた、とすると……」
「あ、
意外にも廻立が博識ぶりを披露する。柳森も覚えていなかった名前をすぱっと言い当てた。
「そうです。十の位は横の列、一の位は縦の列を表しているのです。例えば、63ですと廊下側から6列目の、前から3番目。柳森さんの『こ』というわけです」
急に名前を呼ばれて柳森はどきっとする。
「前から六番目の、3列目じゃなくてー?」
「いえ、17、27、57と一の位が7の数字がありますよね。列は6までしかありませんから、一の位は縦の列を表していると判断できるのです。他にも廊下側から数えるか、窓側から数えるか、前からか、後ろからか、と数える方向によって指定される文字は変わってきます。ですが、出席番号と照らし合わせるなら、浅野さんを1列目、1番目と据え置くのが妥当かと思われます」
「一番……!」
なぜか浅野は、一番という言葉に過剰に反応していた。
「か、書き終わり、ました」
板書していた水城が粉まみれの指のまま振り向く。黒板には、四十二文字が綺麗に整列していた。鈴堂の解説を背中で聞いていたのか、丁寧に連番も振られている。
1 2 3 4 5 6 7
1 あ ゛ね と か や ほ お
2 ひ い り ふ た そ ろ
3 ぐ め さ わ せ に ゆ
4 し は ぬ つ す が れ
5 ら く え う み き け
6 の な こ て ま よ も
「じゃあ22は、2列目の2番目――」
「私だ! 『い』!」
数字ごとに表を目で追い、口を揃えて文字を読み上げる。次第に文章らしきものが見えてくると、その声は一体感を増して増幅していった。
「27、2列目の……7番目、『ろ』!」
はじき出された十二の平仮名が、全て出揃う。
63 22 46 17 66 31
22 57 61 54 41 27
↓
こ い が お よ ぐ
い け の う し ろ
「泳ぐってことは、魚の鯉……だよな」
「レクリエーションの時に、武道場とゴミ捨て場の間に池があった気がする!」
「じゃあ、その池の後ろ? に三問目があってことだな」
クラス中が沸き上がる。その渦の中で、柳森は人知れず胸を撫で下ろしていた。二問目の解き方が合っていたからでも、正解が分かったからでもない。
今回は池の後ろと、一箇所しか指定されていない。ということは、一問目のように全員で協力して捜索する必要は無いだろう。上手くいけばこのままフェードアウトできるかもしれない。一組の頭脳となった鈴堂は本人の意思とは裏腹に、もう逃れられないだろうが、教室の片隅にいるような柳森が消えたところで誰も気に留めないだろう。
これでようやく平穏な高校生活を送れる。あとは謎解きに興味がある連中で好きにやってくれ。
柳森は窓の外に目を向けた。遠くの山の頂に、桜の木が一本だけ生えている。春風にそよぐその柔らかな光景は、これからの穏やかな高校生活を暗示しているようだった。
しかし、この二問目は、むしろ解いてからが長かった。
翌朝、柳森が教室に入ると聞こえてきた話題は当然、三問目の在り処だった。だがどうやら結果は芳しくなかったらしい。
「池はあったんだよね」
「うん。一つだけね」
「でも、その池……、鯉なんて一匹もいなかったんだ」
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