大好きの形を決めなくて良いならば
夏休みが明けてからの学校では、舞踏会の練習にかなりの時間が割かれている。今月末に行われる学校主催の舞踏会は、1年の中で最大の行事だ。
練習の時にも事前に決められたパートナーと組むので、高等部全体で練習を行う。練習だけでも大掛かりだ。
私のパートナーはカノアなので、去年のように毎回、相手に気を遣って緊張しなくて済む。去年までの憂鬱さが嘘のように今年はとても気楽だ。
「仲良くないやつと毎回これは、結構きついな」
カノアも同じ意見のようだ。
「合図と共に男子は女子の手を取って進んでください。上からつかんではいけませんよ、下から優しく受け取るように手を取って下さいね」
先生の言葉に従ってカノアが私の手を取る。カノアは器用で運動も得意なので、ダンスも上手くリードしてくれる。春に初めて会った時には私より少し大きいくらいだったのに、今は見上げないと目線が合わなくなっている。ふわりと、カノアの石鹸の香りがする。
「お前、芸術も音楽もひどかったから、ダンスも駄目かと思った」
失礼な事を言う。確かに音楽はひどかったという自覚はあるけれど。
「私、運動は苦手じゃないわよ」
ステップを覚えるのも得意だ。私たちは楽しく踊ることが出来た。周りを見ると、険悪になっている人たちや喧嘩を始めている人もいる。慣れないのはお互い様だけど、それでも期待と違ってがっかりしているのかもしれない。
「ほんと、カノアがいてくれて良かった」
「俺もだ」
私たちの協力体制は完璧だ。
ふと気づくと、すぐそばにモリーナと数人の取り巻きが立っていた。
(まずい、今日はアシュレ付きだわ)
私一人が皮肉を言われる分には問題ないけどカノアを巻き込みたくない。慌ててカノアを引っ張って立ち去ろうとしたけれど、取り巻きの一人が口を開く方が早い。
「ハルガンの恋人になりたいって、おっしゃっていたのではないの?」
「平民は身持ちが悪くて驚くわね」
「何でこんな素敵な人が、茶色い羊なんて相手にするのか不思議だわ」
今日はやめてほしいのに。モリーナはいつもと違って申し訳なさそうな顔をしてアシュレの顔をちらちらと見ている。
「茶色い羊って、お前のこと?」
カノアが不愉快そうに眉間にしわを寄せている。
「立ち去りたいんだけど、どうしたらいいと思う?」
素直に聞いてみた。カノアは肩をすくめると私の手を取った。
「こうすりゃいいんだよ」
アシュレをぐいっと押しのけて無理やり歩き出す。私も手を引っ張られて、そのままその場を立ち去ることが出来た。教室に立ち寄って昼食を手にすると一緒に中庭に行った。
今日は舞踏会の練習後に昼休みになる事が分かっていたので、一緒に昼食を食べる事にしていた。カノアも私も食堂が嫌いなので、家から昼食を持ってきている。
「お前、いつもどこで食べてるの?」
「私は、研究院に行く途中のベンチで食べて、そのまま畑に行ってる」
「お前らしいな!」
楽しそうに笑ってくれた。機嫌が直ったようだ。
「さっきは嫌な思いをさせてごめんね」
「いつも、あんな感じなの?」
「うん。毎日じゃないけどね」
ふうん、と言ってパンを食べ始めた。
「ハルガンの恋人になりたいって何? お前、あいつが好きなの?」
「違うわよ」
私は適当に返事をして失敗した事を説明した。カノアは大笑いする。
「俺の場合は、馴染めないと言っても少し距離を置かれているだけだから困らないけど、向こうから来られるのは面倒だろうな」
「心からそう思う。放っておいてくれればいいのにね」
まだ夏の暑さが残っている。日陰にいても、汗ばむくらいだ。
「でもカノア、素敵な人って言ってもらえたじゃない! 良かったね」
「素敵って皮肉じゃないのか?」
不満そうに言う。私は少し身を引いて、カノアを眺めた。
「違うんじゃない? ほら、あなた顔が整っているでしょう。背も伸びてきているし、かっこいいと思うわよ。意地悪言うのをやめたら、きっと女の子に好かれるんじゃない?」
カノアがパンを置いて、こちらを向いた。真剣な顔をしている。気に障ることを言ってしまっただろうか。
「お前はどう思ってるんだよ。俺の事をそんな風に素敵だと思ってるのか?」
冗談で流す雰囲気ではない。これは本気で聞かれていると感じる。
「素敵だと思ってるよ。ただ、私が素敵だと思うところは顔が整っているところではなくて⋯⋯絵に真剣に取り組むところとか、本当は優しいところ、かな」
私に向けられる瞳があまりに真剣で、そこから目をそらせない。
「俺は、お前のことが好きだ」
心臓がどくん、と大きく波打った。
「それは、家族とか友達という意味ではない、ということ?」
「恋人とか⋯⋯そういう意味」
あまりに思いがけない言葉に心拍数が上がり、思考が乱れてしまう。頭と心がそれぞれ動き、まとまりがつかない。
「さっき、お前がハルガンの恋人になりたがってるって聞いた時、ものすごく嫌だった。ハルガンがお前の頭を撫でているのを見るのも、たまらなく嫌だと思ってた」
ハルガンと話していた時に不機嫌な態度だったのは、私との仲を嫉妬したという事なのだろうか。
「同じ気持ちを持って欲しいと思ってる」
「でも、私は研究員になりたいから誰とも結婚しないし、恋もしないの」
カノアが不思議そうにする。
「それは間違ってるよ。研究員になることと結婚は、どちらかを選ぶものじゃないし、その辺のご令嬢みたいに婚約しないと恋が出来ないという立場でもないだろ?」
「そうなの?」
「そうだよ」
(そうなのか⋯⋯)
「お前が好きだと思えば、それだけでいいんだよ。恋とか愛とか結婚とか、形を決める必要もないと思うし、する、しない、って決める事でもないよ」
「そうなのかな」
「絶対に、そうだ」
(結婚しないから、恋もしない、ということは結び付かないのか。そもそも、研究員と結婚も結びつかないのか)
「ごめん、頭が混乱して上手く考えられない。同じ気持ちを持つって、どうしたらいいと思う? 私にどうして欲しい?」
「そうだな⋯⋯」
カノアが視線を宙にさまよわせた。
「俺のことを恋人として好きになれるか、という基準で見て欲しい」
「分かった」
「でも、今までと変わらずに接して欲しい」
「⋯⋯分かった。好きって言ってくれても、意地悪はするの?」
「する。今までと変わらずって言っただろ?」
「やっぱり、意地悪している自覚はあるんじゃない!」
ふん、っと意地悪そうに笑った。そして少し目を伏せた。
「出来れば――俺の事を好きになってほしい」
私は少し考えた。
「形を決めなくて良いなら、広い意味で良いなら、私はあなたの事が大好きよ」
「ありがとう」
「今日の話は、後でちゃんと考えてみる。すぐに理解できるかどうか分からないけれど、約束する」
私たちは微笑み合った。カノアの事が大好きという気持ちは本当だ。好きの気持ちを分類して、はっきり名前を付けたくなってしまうのは、研究者を目指す者としての良くない癖なのかもしれない。
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