本山の崩落に巻き込まれ、反抗期男子の趣味を知る
運んで来たパトロニエは、先生の家の畑でも研究院でも、1日足らずで枯れてしまった。
「父の家の方では、1週間ほどは枯れなかったみたいですが、元気な様子では無かったそうです」
持ち運んだから弱ったという事を差し引いても、アーレンツ領の方が、パトロニエにとって条件が良さそうに思える。特定の所でしか育たない香草なので、父の家で1週間枯れなかった事は驚きだ。
アーレンツ領で採取した土と水の成分は、研究院の他の部門で分析をしてもらっている。先生の実験室では出来ないような、本格的な分析を依頼してもらっている。
「他の作物の育ち具合も見たけれど、あの土地には何か他とは違う条件があると思う。ミレットのお父さんにも確認したけど、育て方や肥料、気象条件には、他の土地と比較して特別な違いはなさそうだ」
先生が大きな石板に、他の条件なども書き込む。私と先輩助手たちが神妙な顔でそれを見つめる。
「先生、地形はいかがでしたか?」
少し年かさの助手が尋ねる。この方は先生が教授になる前から一緒に研究をしているという古参の助手だ。私にも親切に指導をしてくれる。
「むしろ育成には向かない地形だった。やはり土と水かな」
みんなで地図を囲む。アーレンツ領と周辺の地形が詳しく描かれていて、土と水を採取した場所に印をつけてある。
「ミレット、皆にどこにどういう作物を植えているかを伝えてくれる?」
アーレンツは広い。場所によって育ちやすい作物、工夫が必要な作物、育たない作物がある。私はそれを皆に伝え、協力してアーレンツの作物分布地図を作り上げた。併せて、領地で何がどれくらい生産されているか、という数値をまとめたものも提出する。
「土と水の分析結果が楽しみだね」
先生の言葉に全員が深く頷いた。
数日後に出て来た検査結果は、皆の期待を裏切らないものだった。
「明らかに、グリリウムが多く含まれています!」
分析結果を取りに行った古参の助手が、興奮した声をあげて部屋に飛び込んで来た。結果を心待ちにしていた先生と私たちは、争うようにして結果の紙をのぞきこむ。
「水だね。川の水がグリリウムを運んでいるんだ」
グリリウムは鉱物の一種ということしか知らない。アーレンツ領にはそれほど高くないゆるやかな傾斜の山があり、アーレンツ全体に水の恵みをもたらす川の源泉となっている。
「川の上流と下流のグリリウムの量から推測すると、源泉から湧き出る時点で既にグリリウムが含まれているんじゃないかな」
一通りみんなで推測を話し合った後、先生は私に分析結果を手渡した。
「ミレット、これは君の研究対象にすると良いんじゃないかな」
心臓が大きくはねた。
「私が⋯⋯良いんですか?」
私がもらって良いのだろうか、という気持ちと出来るだろうか、という不安が胸に渦巻く。
「ミレットちゃん、私も手伝うから」
「俺も助けるよ」
「君には、研究院に入って正式な助手になってもらわないと、俺たちはずっと偉くなれないからね」
先輩たちも優しく励ましてくれた。先生の真剣なまなざしを受けて心を決めた。
「ありがとうございます。頑張ります!」
私はこの研究で論文を書いて研究院に入ってみせる。改めて心に誓った。
先生や先輩助手たちの推測をもとに、次に水と土を採取する場所を決めた。実際の採取には忙しい先生に代わって、先輩助手がアーレンツ領まで付き合ってくれた。
「ミレットちゃんの家に行くと、弟さんが美味しい料理でもてなしてくれるんだ!」
アーレンツ領行きには、声をかけると毎回コレントがついて来る。料理が大好きなコレントは、いかに美味しいアーレンツ領の野菜を皆に楽しんでもらうかを真剣に考えて次々に新しい料理を生み出している。
その事が評判となり、アーレンツ領に土と水を採取しに行く時には、必要以上に多くの先輩助手が手伝いに来てくれる。にぎやかな事が大好きな両親と祖母は、それをとても楽しみにしてくれている。
「かっこいい恋人も、一緒に来ることがあるのよね?」
「恋人じゃありませんよ。幼馴染です。弟がお世話になっている家のお兄さんですよ」
たまにハルガンも付いて来る。自分の領地に帰るついでだと言って、私たちが土や水の採取をしている間に自分の家に帰り、王都に戻るころに合流している。
カノアは来ない。彼は助手たちが苦手なのか、王都の家に先輩たちが顔を出した時にも、自分の部屋に入ってしまって出て来ない。先輩たちと夕食を共にするような時には、食堂には近寄らずに部屋で食べてしまう。
今まではカノアに遠慮して先生の家には近寄らないようにしていたという先輩たちだけど、私が来てからは気軽に寄れるようになったと喜んでいる。
先生は嬉しそうだけど、カノアには迷惑な事だろう。でもカノアには申し訳ないけれど、学校に友人がいない私にとっては思う存分好きな事を話しあえる先輩たちとの交流がとても楽しい。
◇
この家の元の主人は先生のおじい様で、鉱物の研究者だったそうだ。そのおじい様が残された鉱物関係の本が家の方々にある。
今は頻繁に読まれる物ではないので、他の本に埋もれてしまっていて全容は分からない。私は、アーレンツ領に行かない休日にはグリリウムについて書かれた本や、なぜアーレンツ領の川にはグリリウムが多く含まれているのかの謎が解けそうな本を捜索している。
ガガガッ、ドサッ、バサササッ
大きな音と共に、本が崩れて来た。
(しくじったわ⋯⋯)
危ないかな、とは思ったのだ。目当ての本は床から数冊目のところにあった。その上には天井に届くほどの本が積まれていた。全部どかすのが面倒なので、思い切って勢いよく引っ張り出してみたのが失敗だった。
大型の本が当たった背中が鈍く痛む。本と一緒に倒れた時に、床にぶつけた肘も痛い。壁の片側に何層にも積んであった本が、全部崩れてしまってうつ伏せになった私の上に被さっている。ここから抜け出して、元のように本を積むことを考えると気が滅入る。
(後でまた考えればいいや)
私は本に埋もれてうつ伏せになったまま、体をブルブル振るわせて少し空間を作り、肘をついて、顔の下で手に持っていた本を開いた。光も入って来る。快適ではないけれど、本を読むことは出来そうだ。
(あの川は地中から染み出した水が源だった。ということは、地下水が考えられるけど、あの辺りにグリリウムを含む地盤があるのだろうか)
この本には国全体の地質についてがまとめられている。説明と共に地図と地層の断面図が収められている。
ガチャリと扉が開く音がした。
「何だ、これは!!」
カノアの声だ。そういえば隣はカノアの部屋だった。本の崩れる音が聞こえたから見に来たのだろう。とりあえず本の続きを読む。
(この図だと範囲が狭すぎるわね。もう少し広域の図は⋯⋯)
「誰かいるのか? ミレット?」
ページをめくる音が聞こえたのだろう。仕方ないから返事をする。
「はーい、いまーす。何でもないので、お構いなく」
索引から広域の図のページを確認してページをめくる。狭いので大型本はめくりにくい。もう少し空間を広げようと体を震わせた。
するとバサバサ音がして体の上の本がどけられた。
「お前、お構いなくじゃない! こんな時でも本読んでるのかよ!」
「んー」
この地図の大きさはちょうど良い。川の源あたりから少しずつ地質が近いところを追っていく。地層の断面図が見やすい。これは良い本だ。
「おい!」
本を取り上げられた。
「え、返して!」
カノアが本を閉じて後ろに隠してしまった。すごく怒った顔をしている。
「これは、どうしたんだ、って聞いてるんだよ」
「見れば分かるでしょ、崩れたの。後で片付けるから本返して」
「駄目だ、片付けるまで返さない」
カノアは本を持って部屋の外に出て行ってしまった。
(もう、いいところだったのに)
思索の邪魔をされるのは嫌いだ。とはいえ、部屋をめちゃくちゃにしてしまったのは事実なので仕方ない。ひとまず片付ける事にした。
この部屋の本は、先生の中では『捨てるほどじゃないけど読まない本』のようで、無秩序に積んであった。だから元の位置に戻す必要はないだろう。とりあえず重ねて積むことにした。
「読まない本は、全部捨てちゃえばいいんだよ」
カノアが文句を言う声が聞こえる。扉を開けた時に廊下まで流れてしまった本を片付けてくれているようだ。黙々と本を積み上げる作業をしているうちに、鉱石全般の本を見つけた。
(グリリウムの事が書いてあるかも)
目次を確認し始めたら、また本を取り上げられた。
「人に手伝わせておいて、何やってんだよ!」
(手伝ってって頼んでないのに)
仕方ないので、また本を積み始める。
「父さんとお前、そっくりだな。前にも全く同じ事があったよ。父さんも崩れた本の下で調べものしてた。お前らどうかしてる」
きっとその時もカノアが片づけを手伝ったのだろう。これを聞いてやっと、心配してくれたんだな、と気が付いた。
「ありがとう。手伝ってくれて」
カノアは聞こえなかったふりをして片付けを手伝ってくれた。全て終わると、廊下に出て隣の自室の扉を開けた。中に入り、私から取り上げた本2冊を持って出てくる。
「絵を書いてたの?」
開いた扉から画架に立てかけられた絵が見えた。カノアが気まずそうな顔をして扉をさっと閉め、私に本を差し出した。
「アーレンツ領の畑?」
カノアは答えず、本を私の目の前までぐっと差し出す。遠目なので細かいところは見えなかったけれど、先日アーレンツ領に一緒に行った時の畑が遠く広がる風景のように見えた。近くでちゃんと見たい。
「あの、見せてもらえない?」
「⋯⋯まだ、描きかけだから」
「どうしても見たいです。お願いします」
カノアは無言で私に本を押し付けると扉を開いて部屋に入った。
(見せてくれないか⋯⋯)
諦めて本を持って部屋に帰ろうとしたところ、扉が開いたままの部屋の中からカノアが声をかけてくれた。
「さっさと入れよ、見たいんだろ?」
「ありがとう!」
部屋の中央の画架にたてかけてあったのは小さな絵の中には、アーレンツの畑の風景が広がっていた。鮮やかな色合いだけど柔らかい調子で表現されている。画架の横には、たくさんの色鉛筆が差してある筆立てが置いてある。色鉛筆でこんなに豊かな表現が出来るなんて知らなかった。
「すごい、ここに本当に畑があるみたい」
カノアはまだ描きかけと言ったけれど、私には完成しているようにしか見えない。
「もういいだろ?」
「ごめん、もう少し見たい」
家の煙突から立ちのぼる煙。父と母の笑顔。祖母の少し眠たそうなのんびりした顔。仲間の馬と久しぶりに会って喜ぶキリー。絵を見ていると、描かれていないあの日の想い出がどんどん湧き出てくる。あの日のことだけではない、アーレンツ領で過ごした時間が、この中に詰まっているようだ。
「あまり、上手く描けなかったけど⋯⋯ちゃんとアーレンツ領の風景に見えて良かった」
カノアが少し恥ずかしそうに言った。私はカノアの顔をしっかり見た。
「私は絵の良し悪しは分からないけど、この絵の中にアーレンツ領が詰まっていると感じたの。見ていると、私の中のアーレンツ領の記憶がどんどん湧き出てくる。ずっと見ていたくなる素敵な絵だと思う」
カノアは少し赤くなって、嬉しそうに笑ってくれた。こんなに素直に笑うカノアを見たのは初めてかもしれない。
「さっき、描きかけって言ってたけど、これでもまだ完成じゃないの?」
「うん。もう少しだけ手を入れたい。⋯⋯完成したら、また見たいか?」
「もちろん。絶対に見たい。見せてください」
「分かった」
これが完成したら、どんな絵になるんだろう。想像しただけで心が浮き立つ。本当に楽しみだ。部屋に戻って本を開いても、まだ頭からアーレンツ領の風景が離れなかった。
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