アーレンツ領で過ごす休日
「先生、来週のお休みは両親の家に行ってきます」
先生の家でお世話になってから1か月が経った。私と弟がいなくなり、祖母、父、母の3人での暮らしに問題がないか様子をみたいと思っている。
「もし良ければ、私もお邪魔させてもらえないかな。前からアーレンツ領の作物について気になっていたんだ」
「先生、野菜です。ぜひ野菜を召し上がって頂きたいです」
王都で暮らすようになって野菜全般の味が薄い事に驚いた。王立学校に食堂があるけれど、私も弟のコレントも、いつも自宅から持ってきたお弁当を食べていた。今までは3食のほとんど自宅で作った物を食べていたので、味の違いに気が付かなかった。
ライニール家で暮らすコレントも嘆いていたので、私だけの感想ではないと思う。
「品種が違うのか、育て方なのか、土か水か。とても興味深いね」
先生と私が野菜について話し合っているのを横目に、カノアは関心無さそうに食事を続けている。でも、ちらちら先生と私を見ているのが分かる。誘ったら来てくれるかもしれない。
「カノアも一緒に来ない? ⋯⋯あ、ごめんなさい。アーレンツ領までの遠乗りは難しいわよね?」
挑発するように言うと、案の定『そんな距離、問題ない』と一緒に来ることになった。先生は苦笑している。意地悪な誘い方をして申し訳ないけれど、ぜひ美味しい野菜を食べてもらいたい。
◇
「キリー! 元気だった?」
コレントが久しぶりに会ったキリーの首を優しくなでた。コレントはハルガンの家で馬を借りてきている。私たちは遠乗りに慣れないカノアのために、少しゆっくり馬を走らせた。
「学校は変わりない?」
コレントのいる中等部と私のいる高等部は少し離れた所にあり、わざわざ会いに行かないと顔を合わせる機会がない。今までは毎日行き帰りに、お互いの学校でのことを報告し合っていたので、こんなにゆっくり話をするのは久しぶりだ。
「うん、身分が変わったけど、誰も何も言わないし困ってないよ」
弟はおっとりしていて敵を作らない子だ。ハルガンの双子の弟も同じ学年で、家でも学校でも仲良くしてくれているらしく、三つ子のように過ごしているようだ。
「あなた、背が伸びたと思う」
もしかしたら身長が追い抜かされているかもしれない。少し離れている方が、成長に気が付きやすいのだろう。少し寂しさを感じる。
後ろの二人を振り返ると、先生は周りの景色を観察し、カノアは真剣な顔で手綱を操っていた。
アーレンツの家に到着すると、畑仕事をしていた父と母が厩舎まで走ってきた。そして、私の頭を力強くワシワシとなでた。いつものモフモフではない勢いに愛情を感じて、私も『久しぶりだな』と嬉しくなる。
コレントは、両親に挨拶するなり屋敷に飛び込んで行った。美味しいお昼ご飯を作ってくれるのだそうだ。
先生とカノアを紹介すると、初めて会う母は平伏しかねない勢いでお礼を言い、しっかりと先生の手を握っている。
「ミレットが勉強を続けられるのは、先生のおかげです。本当にありがとうございます」
先生は困ったような顔で、母の手を握り返した。
「いえ、こちらこそ、ミレットさんが来てくれて助かっています。息子の家庭教師だけでなく、畑や馬の世話まで手伝ってくれますし、特に畑の作物の記録を付けてもらえる事は本当に助かっています」
母がカノアにも丁寧に頭を下げた。
「ミレットは弟がいるから、あなたにも姉さんぶった態度を取るでしょう。でも、心根は悪い子ではないので許してやってくださいね」
カノアは少し赤くなって、どもりながら母に答えた。
「いえ、的確な教えを頂けて感謝しています。良い先生に来て頂けて嬉しく思っています」
社交辞令でも嬉しい。喜ぶ私の顔を見てカノアはぷいっとそっぽを向いた。
一通りの挨拶が済むと、父と先生は畑の方に向かった。母は弟がいる厨房に向かう。私はカノアを連れて屋敷の裏に回った。
この屋敷は高台の上にあって遠くが見渡せる。眼下に広がる畑はこれから植える作物のために耕されて、ふっくらして濃い色を見せている。馬にすきを引かせている畑もある。遠目に、それほど高くないゆるやかな傾斜の山が見える。アーレンツ全体に水の恵みをもたらす川の源泉であり、この土地を象徴するような緑が生い茂る山。
「茶色くて、美しくない風景だと思うでしょう。でも私からすると、豊かな恵みを約束してくれる心躍る風景なの」
「母が育った土地は芸術が盛んだったから、こことは景色が全然違う」
先生は、お父さんが研究の為に長く滞在した土地で幼少時代を過ごし、カノアのお母さんに出会った。そこは、歴史的な芸術家を多く輩出する地だという。
「美しさにこだわる気風だから、景観を特に大切にしていて、畑や家畜小屋、厩舎のようなものは、目に入らない所に追いやられていた気がする」
カノアも、お母さんが病に倒れて静養のために生まれ育った領地に戻ってからは、ほとんどの時間をそちらで過ごしていたと聞いている。
「そういう、美しいものに囲まれる生活も素敵でしょうね」
カノアはにやりと笑った。
「そんなこと、全然思ってないだろ? お前は心から農作物や動物が好きだって顔をしてる」
「ばれた? 私は芸術の良さを理解できない無粋な人間ですもの」
皆が美しいというから、美しいのだろうとは思う。でも私には、たわわに実る野菜や、水にぬれてきらきら光る葉の方が美しく思える。
「美しいと思う物は、人それぞれだから、それでもいいんじゃないかな」
カノアらしくない優しい言い方に少し驚いた。開放感のある自然のおかげだろうか。いつものようなイライラした調子が薄れている気がする。
「あのさ、何でみんなお前の頭を触るの?」
カノアが不思議そうに私の頭を眺めた。
「ふわふわの動物を触ったことある? 馬や牛じゃなくて、小さな犬とか羊とか」
「いや、ない」
私は後頭部に手を回して髪をひとまとめにすると、カノアの方に差し出した。ぽわん、として枕のような大きさになっている。
「私の髪の毛を触ると、そういうふわふわの動物を触っているような気分になるらしいの。触ってみる?」
断るかと思いきや、反抗心より好奇心の方が勝ったらしく、素直に手を伸ばしてきた。
「わあ」
両手でモフモフ触っている。次第に見たことが無いような笑顔になってきた。反抗期の少年でも、小動物のモフモフには勝てないらしい。してやったり、という気持ちが顔に出ないように気を付けた。
屋敷の煙突から登っていた煙が細くなった。
「そろそろお昼ご飯ができたと思う。コレントが作る料理は、本当に美味しいのよ。この地で採れる野菜もね」
果たして、屋敷に戻るとまさにコレントがみんなを呼び集めようとしているところだった。食卓には美味しそうな料理が並んでいる。
アーレンツは畜産はそれほど盛んではないので肉は特別な日しか食べない。それぞれの家で飼っている家畜からの乳や卵、豆、野菜が主な食材だ。
祖母も降りてきて、みんなで食卓を囲む。
「命の恵みに感謝」
父の声に全員で瞑目して生命の糧となってくれた万物に感謝する。コレントが私たちの皿に料理を取り分けてくれる。
細かく切って炒めた野菜を煮込んだソースは、畑の生命が凝縮されている。これを、大ぶりにきった野菜を詰めた生地の上にかけて焼いたパイは最高に美味しい。
「これは! ミレットが言う意味が分かりました」
先生が野菜を口にして驚いた顔をする。野菜の味の違いを伝えたかったので、コレントにお願いして素材の味が引き立つ料理を作ってもらった。想定通りに驚いてもらえて、コレントも満足そうな顔をしている。
「アーレンツでは室内栽培をしていないので、その季節のものしか出せないのです。定期的に来て、一通り召し上がって頂きたいな」
地域によっては、大きな建物を作って季節が違う農作物を作る技を持つ所もある。近隣の領地に売ることで、大きな利益を上げているそうだ。でも、のんびりした気質の住民が多いここでは、自分たちが食べられる分だけ作り、のんびり余剰の時間を過ごすことを好む。
先生はあれこれ口にして、父に栽培方法などを聞いている。
私はジャガイモ料理を、カノアと自分の皿に取り分けた。ジャガイモをヤギの乳でじっくり煮込んだ後に1晩寝かせて、チーズをかけて焼いたこの料理は、王都で食べた時には物足りなかった。
(わあ、この味よ!)
形を保ったジャガイモがほっくり甘くて、ほどよいチーズの塩味、乳のとろっとしたクリーム感が口のなかで、じわじわとうま味を広げる。カノアも柔らかい表情で、次々に口に運んでいる。
ふと、気になる風味を感じて、コレントの顔を見た。
「コレント、これって?」
「うん、珍しいよね」
コレントも私が疑問に思った事がすぐに分かったようだ。
「厨房にあったから、母さんに聞いたら、リリーナさんの畑の近くに育ってたからお裾分けで頂いたって。こんな珍しいものが育ってるなんて驚いた」
隣に座るカノアが不思議そうな顔をしているので説明する。
「この、少し華やかな香りはパトロニエという香草の香りなの。採れるところが限られている珍しい香草で、特に新鮮なものは手に入りにくいの。コレントは調理人を目指しているから、たまに王都の市場まで買いに行くことがあるんだけど、とても高価なのよ」
リリーナさんは、近くを流れる川の向こうに住んでいる。この人気の香草の育て方が分かれば気軽に使えるようになって、コレントも喜ぶだろう。後で行ってみようと思う。
食後は先生と一緒に、水と土の標本を採りに行った。研究院に持って帰って成分を調べるのだ。カノアはコレントに領地を案内してもらうことにしたらしい。
「カノアを連れ出してくれて、ありがとう。私が言っても絶対に来なかったと思うよ」
「楽しんでもらえているようで、安心しています」
「ミレットが来てくれて、本当に助かっているよ。ありがとう」
先生がにっこり笑ってくれた。私は先生が笑ってくれたり、良い発見をして褒めてくれると、嬉しくてしかたない。もっともっと先生に褒めてもらえるように、と頑張る気持ちが沸いてくる。研究院に入って、ずっと先生と一緒に研究を続けられたら、どんなに幸せなことだろう。
私はますます張り切って、水と土を採取した。
一通りの採取が終わったところで、パトロニエをおすそ分けしてくれたリリーナさんの家に向かった。家の裏には、無造作にパトロニエが生い茂っていた。私は畑の横で、旦那さんと一緒に雑草をむしっていたリリーナさんに声を掛けた。
「お久しぶりです、ホルトさん、リリーナさん」
二人は顔を上げて私を見ると、笑顔で手を振ってくれた。駆け寄ると、作業用の手袋を脱いで私の頭をモフモフ触る。
「元気だったかい? 会えなくて寂しいよ」
「あんたとコレントが遊びに来てくれないと、静かすぎて退屈だね」
二人は私の後ろに立つ先生に目をむけた。
「こちらは、私がお世話になっている学者の先生です。パトロニエが育つのが珍しいので、見せて頂こうと思って」
「ずっと前から生えてたからね、奥さまが珍しい香草だっておっしゃるまで、ただの草だと思っていたんだよ」
私もコレントも、ここには良く来ていたのに全く気が付かなかった。先生と一緒にパトロニエを観察した。ホルトさんとリリーナさんに断って、周りの土や川の水を採取させてもらう。少し深めに土を掘って、根まで一緒にパトロニエも何株か採取させてもらった。
「周りの他の作物や雑草を見ても、特別に変わった事は無さそうだね。パトロニエがなぜ限られた所でしか育たないのか、情報が少なすぎて分かっていない。とても興味深いね」
「家と、研究院の方にも植え換えてみますか?」
「そうだね、帰ったらすぐに取り掛かろう」
私と先生は、二人に挨拶をして家に戻った。念のため、実家の畑にもパトロニエを植えて、両親に様子を記録してもらうようお願いした。
カノアはまだ馬に不慣れだから、日が暮れる前に王都に帰らなければならない。後ろ髪を引かれる思いで、家族に頭をモフモフしてもらってから家路についた。
「王都での暮らしは嫌いじゃないけど、本当はここが一番好きなんだ」
ぽつりとコレントがこぼす。私は馬を並べて走らせた。
「また、来ようね」
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