旅先は彼らの大切な人が眠る場所

 最近、カノアが街に画材を買いに行く時に一緒に連れて行ってくれるようになった。


 画材のお店には色とりどりの絵の具や太さ長さが違う筆、何に使うか分からないような道具もたくさんある。


「カノアは絵の具を使わないの?」


 校内や美術室に飾ってある絵は絵の具で描いたものが多い。水で溶かす絵の具と、油を練り込む絵の具があると授業で習った覚えがある。


「母の家に逗留していた芸術家が俺に絵を教えてくれたんだ。その人色鉛筆を使って描く絵が素晴らしくて。俺はあんな絵を描いてみたい」


 カノアのお母さんは歴史的な芸術家を多く輩出する土地の、領主の娘だった。


 先生と結婚して王都に住んだものの、体を壊してしまって長く領地で静養していたそうだ。先生は研究院を辞めて一緒に行こうとしたけれど、誰よりも先生の研究を応援していた奥さまが、それを止めた。カノアが少しずつ話してくれた。


 カノアの祖父にあたる領主の館には常に数人の芸術家が逗留していた。その中の一人にカノアは絵を習ったそうだ。


「色鉛筆で描いた絵は光に晒されているうちに、色が褪せてしまうんだ。お前に渡した絵も恐らくは数年で色褪せてしまうだろう」

「え、そうなの? 飾ってはいけなかったの?」


 青ざめる私に優しく笑う。


「気にするな。長く保つよりも見てもらえた方が嬉しい」


 せめて日差しが当たらない所に移動させなくては。あの素晴らしい絵が色褪せてしまうなんて考えたくない。


「その人が絵が色褪せない方法を話していたんだけど、覚えていないんだ。鉛筆の種類とか、仕上げにする作業を言っていた気がするんだけど。いつか、その人を探し出して聞いてみたい」

「鉛筆にも種類があるの?」

「こっちに来て」


 色鉛筆が並ぶ前で説明してくれる。


「青といっても、これだけの種類がある」


 『青』と言える鉛筆は、数十種類あるように見える。


「同じように見える色でも紙に書くと違った色合いになったり、芯の柔らかさで描き心地や他の色との混ざり方も違う。使い分けると色々な表現が出来るんだ」


 何となく分かる。同じように見える『土』や『肥料』に、説明しきれないほどの違いがあるようなものだろう。用途によって使い分けるところも似ている。


 最近描いている絵のことも教えてくれた。馬場で遊ぶロイたちを題材にしているそうだ。生き物を表現するのはとても難しいとこぼす。


「また、見せてもらえる?」

「うん、描きあがったら見てほしい」



「夏休みは、ご両親の所に戻るの?」


 隣を歩く先生が、ゆっくりとした口調で尋ねてきた。朝が弱い先生は少しぼんやりしている。徒歩で学校に行く日は相変わらずカノアは先に家を出てしまう。


 研究院も夏の間はお休みになる。畑の世話や記録は助手たちが交代で行う。私の当番は初めの方だから残りは自由なのだけど、何も予定を立てていなかった。


「そうですね。何も考えていませんでしたが、恐らくそうすると思います。先生はどうされるのですか?」

「カノアの母親の領地に行こうと思っているんだ。毎年その時期には墓に会いに行くことにしている」


 もしかすると夏にお亡くなりになったのだろうか。触れてはいけない事のような気がして、何も言えなくなってしまった。


「もし、よかったら君も一緒に来てもらえないかな。アーレンツ領やライニール領とは全然違う雰囲気で面白いと思うよ」

「ありがとうございます。でも、さすがにそこまでお邪魔するのは気がひけます」


 母の墓、そんな大切な所に行く時まで他人が入り込むのはカノアも嫌だろう。


「カノアのことを気にしているなら恐らく大丈夫だよ。君がいてくれるとカノアの口数が増えて私とも自然に話してくれる。だから正直に言うと二人で行くよりも君がいてくれた方が助かるんだ」


 無理に誘って申し訳ないけど、と先生が困った顔をした。


「そうおっしゃって頂けるなら、ぜひご一緒させてください」


 ほっと安心したような笑顔がカノアの笑顔と重なる。


「カノアが、あんなに話をしてくれるのは数年ぶりなんだ。中等部に入った頃から全く話してくれなくなって、何を考えているのか分からなくなって困っていた」

「先生には、そういう時期は無かったのですか?」


 宙を見上げて、記憶を掘り起こすように視線をさまよわせている。


「無かったと思うんだけどな⋯⋯。私がカノアの年頃の時にはもう農作物に夢中だったしね。君が来てくれてから変わったんだ。ありがとう」


 お礼を言われてくすぐったい気持ちになるけれど、役にたったのは私ではない。


「先生、違いますよ。多分ロイのおかげです。馬と仲良くなったからだと思いますよ。反抗期の子供の心を緩ませる馬の力は偉大ですね」

「そう? 馬なのかなあ。確かにロイとカノアは最近仲良しで、それは良い事だとは思うけど⋯⋯」



 目的地までは馬車で丸一日かかった。こんなに長く馬車に乗ったことがなかったので、すっかりお尻が痛くなってしまった。


 自分で馬に乗った方が楽な気がする、そう言うとカノアに馬鹿にされてしまった。


「お前、本当に貴族の令嬢だったのか?」

「多分、間違ってたんだよ。今の身分の方が私にはぴったり合ってるもの」


 先生は静かに本を読んでいる。私は少し読んだだけで揺れに酔って気持ち悪くなってしまった。カノアは窓に頭をもたせかけて、ずっと寝ていた。よくこんな揺れで眠れるものだ。


 先生の予想通り、私が旅に同行することに対して、カノアは不満そうな態度は見せず、色々と案内してくれるとまで言ってくれた。


 到着して馬車の外に出るなり、私は思い切り伸びをして体をひねって腕をぐるぐる回した。その腕がカノアに当たってしまい舌打ちをされる。


「ごめん、そんなに怒らなくてもいいじゃない」


 カノアも思い切り伸びをして腕をぐるぐる回す。そして私にぶつける。


「今のわざとでしょ!」

「ふん、そんな所に立ってるからだ」


 意地悪そうな顔をして笑う。生意気だ。


「ほら、二人ともやめなさい」


 先生が呆れたように私たちの間に入って歩きだす。カノアは優しい時もあれば意地悪な時もある。


(ほんと、気まぐれなんだから)


 コレントやライニール家の兄弟たちのような素直さが懐かしくなる。コレントは、夏休みの間はライニール領の屋敷でお世話になるそうだ。なんでもコレントの熱意に打たれたライニール家の料理人に、料理を教わる事になっていると喜んでいた。


 まず最初に先生の奥さまが眠る墓所に向かうと聞いている。私は遠慮しようとしたけれど、二人とも一緒に来て欲しいと言ってくれたので同行している。馬車は荷物と一緒に、一足先に領主の屋敷に向かった。


「負担に思ったら申し訳ないとは思うけど、私たちは君を家族のように思ってる」


 先生はそう言ってくれた。カノアも反抗せずに微笑んでくれた。全く負担なんかじゃない。私はとても嬉しかった。


 馬車に乗っている時にはただの石畳だと思っていた路は、とても整って美しく見えた。不思議に思ってしゃがみ込んで眺めているとカノアが教えてくれた。


「王都の街とは違うだろう? 隙間が出来ないように形を整えているだけじゃなくて微妙な色の組み合わせにもこだわっているんだ」

「建物も美しいのね」


 何が違うのかは分からない。でも全体的に調和が取れていると感じた。建物については先生が教えてくれる。ご両親が建物の専門家なので幼い頃に教わったそうだ。


 二人の大切な人のお墓は墓所の奥にあった。領主の一族ということもあり花壇に囲まれて美しく整えられていた。


 私たちも花を供え、頭を垂れて瞑目する。


 私の祖父は私が物心つく前に亡くなっているので、まだ身近な人を亡くした経験がない。二人の深い悲しみも、その悲しみが果たしていつか癒えるのかも分からない。


 ただ静かに、二人が大切な人と会話する時間を邪魔しないようにする。そして私から見た二人の事をお伝えする。


 先生のおかげで勉強を続けられるようになって、とても感謝をしている事、奥さまが応援していたという先生の研究がどれほど素晴らしいかという事、カノアが馬に愛情を注いでいる事、素晴らしい絵を描く事、思いつく限りを精一杯お伝えした。

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