舞踏会実習なんて嫌いだ

 驚いた事に、モリーナは本当に畑で水やりをした。アシュレがいない時に恐るおそる声を掛けてみたら喜んで放課後に研究院までやってきたのだ。


 泥除けの長靴を貸すと興味深げに眺めた。


「どうして、乗馬の靴みたいなものを履くの?」

「水や土が跳ねてしまうと靴が汚れてしまうでしょう。それに私たちがその辺りを歩き回っている靴には、植物を痛めてしまう菌や、他の種が付いていることがあるの。消毒をした靴を履くことで作物の方も守っているの」


 散水用の道具も初めて見たようだ。大掛かりな水やりは畑の世話をする為の人が雇われている。水場から動物の腸を使った管をつなぎ、効率良く水を撒くのだ。


 私たちは作物の様子を確認しながら、じょうろで少しずつ水をやる。


「どうして、こんなに水が細かく出るのかしら」


 私がじょうろの仕組みを教えてあげると興味深そうに観察している。上流階級のご令嬢の目には映る全てが新鮮なようだ。


 モリーナは話してみると嫌な人間ではなかった。なぜ初等部の頃からずっと私に嫌がらせをするのか分からない。


(アシュレがいないから?)


 アシュレがいない時に話しかけて欲しい、そう言っていた事に何かがあるのだろう。忘れてしまったけれど、アシュレもモリーナと同じくらい立派な家柄のご子息だった気がする。各地に領地がある家の嫡男で、領地について学ぶために頻繁に学校を休んでは、父と共に将来に向けて学んでいるそうだ。


「アシュレは、私があなたと接することを嫌がるの」


 それなら、普段も私には関わらなければいいのに。よく分からないけれど『アシュレ付きのモリーナ』と『ただのモリーナ』は別の人間だと思うことにした。


「お願いがあるの」


 水やりが終わって帰る支度をしていると、決死の覚悟といった表情でモリーナが言う。


「なに?」

「あの、あなたの髪の毛を触ってもいい?」


 必死な顔が可愛くて笑ってしまった。


「いいわよ。好きなだけ触って」


 モリーナはそっと髪に触り、やがてモフモフとし始めた。モリーナの美しい顔には、いつもの意地悪な冷笑よりも、好奇心に満ちた笑顔の方が似合っているのに。


 モリーナはまた誘って欲しいと言って、名残惜しそうに帰っていった。



 もうすぐ夏休みを迎える。その前に私を憂鬱にさせる事が待っている。全教科の厳しい試験の事ではない。


 舞踏会の実習のためのパートナー選び。


 この国では16歳を迎えると結婚出来るけど、貴族の子女は高等部を卒業する19歳を超えた辺りが結婚適齢期とされている。そのため本格的な社交に参加し始めるのは、高等部3年生の18歳から19歳頃になるのが主流だ。それまでは出席しても誰かのおまけとしての賑やかし程度だ。


 社交の季節には、あちこちの貴族のお屋敷や王宮でも舞踏会や晩餐会が開催される。そういう場で恥をかかないように学校で事前練習を行い、実践形式の舞踏会が開かれる。


 実際の実習は夏休みが明けてから行われるけれど、その前にエスコートをしてもらうパートナーを選ばなければならない。


(来年になれば、コレントが高等部に入るから楽なんだけど)


 実習に参加できるのは高等部の生徒だけだ。高等部の生徒であれば、学年は関係なくパートナーとして選ぶことが出来る。


 婚約者が高等部にいる人は問題なく決まる。兄弟姉妹を相手として選ぶ人も多い。その他は自分たちで決めることが出来る。最終的に相手がいない人については教師が適当に割り当ててくれる。


 昨年は教師に割り当ててもらった。ハルガンが気を遣って声をかけてくれたけれど断った。ハルガンが本当に組みたい相手と組めないだろうし、私と関わるとハルガンの評判が下がってしまうので、出来る限り近寄らないようにしている。


 よく知らない子と組むことよりも面倒なのは、決まるまでの期間ずっと、モリーナを始め彼女の取り巻きたちから当てこすりを言われることだ。気にしないようにしているけれど、私にだって感情はある。嫌な気持ちにだってなる。


『アシュレ付きのモリーナ』は今までと変わらず、折に触れて私に嫌な形で構ってくる。たまに後ろめたそうな表情を見せるけれど何故か続ける。今年もまた当てこすりを言われる日々が始まる。


「カノアはどうするの?」


 夕食で聞いてみると、深い深いため息をついた。カノアが級友と親しんでいるとは思えない。やはりパートナー選びはカノアの悩みの種でもあるようだ。


「舞踏会そのものが憂鬱だ。欠席する事は出来ないのかな」

「なるほど、欠席ね!」


 それは考えたことがなかった。


「例えば保護者が何か理由をつけるんだ。その時期に学校を欠席しなければならない必要があるって言うとかさ」


 カノアが先生をじっと見る。私も先生をじっと見る。先生は興味なさそうな顔をして食事をしていたけれど、私たち二人の視線に負けてため息をついた。


「不正はできないよ」

「不正じゃない理由を作ってくれよ」

「それはいいですね!」


 カノアが先生をじっと見る。私も先生をじっと見る。


「出来ない」


(あ、そうだ!)


「はい、先生!」


 私が手を挙げると先生が視線を向けてくれた。


「私は平民じゃないですか! 平民に舞踏会は無縁です。受ける必要のない授業です!」

「あ、お前だけずるい!」


 先生は首を横に振る。


「もしかしたら、そういう家に嫁ぐ事になるかもしれない」

「えー。私は生涯結婚しないで全てを研究に費やすので関係ありません」

「将来はまだ分からないから駄目だ」


 カノアと私は『保護者が欠席させてくれる』に期待を込めて、色々と提案してみるけれど全て却下されてしまう。


「君たち二人が組めばいいじゃないか」


 私とカノアは顔を見合わせた。


「それは思いつきませんでしたね」

「面倒が無くていいな」


 決まりだ。私とカノアは握手して協力を誓った。



 パートナーが決まった人は教室に掲示してある一覧に印をつける。私が印をつけていると、目ざとく見つけた女の子が寄ってきて覗き込んだ。そしてモリーナに告げ口をしに行く。


(本当に面倒ね。結局、相手がいてもいなくても当てこするのね)


 もう授業は全て終わっている。私は捕まらないように、さっさと荷物をまとめて廊下に出た。小走りで研究院に向かう。


「待って!」


 馬場の辺りで声をかけて来たのはモリーナと彼女の取り巻きではなかった。


「ハルガン!」


 本が腕からずり落ちてきた。急いで出てきたので荷物がちゃんとまとまっていない。追いついたハルガンが持ち直すのを手伝ってくれる。


「ありがとう。こんな所までどうしたの?」


 少し顔を伏せて言いにくそうにしている。何か男爵からの便りがあるのだろうか。


「舞踏会の実習、パートナーが決まったのか?」


 その事か。ほっとして気がゆるみ、また本がずり落ちそうになる。


「そう、今年は面倒がなくて良かったわ」


 教師に割り当てられたパートナーの場合、練習から当日のダンスまで接点が多くなってとても気を遣う。その点カノアだったらお互いに失敗しても気にならないので気が楽だ。


「相手は誰?」

「カノアよ。この前ここで会ったでしょう? 先生の息子さん」


 ハルガンは不快そうな顔をした。初めて会った時にカノアが不愛想な態度を取ったから印象が悪いのだろう。


「悪い子じゃないから嫌わないであげて欲しいの。双子とかコレントみたいに素直じゃないけれど、優しい所もたくさんあるのよ」

「ミレットは誰の誘いも受けないと思ってた」

「何言ってるの。受けるも受けないも、私の事は誰も誘わないわよ」


 ハルガンが何を気にしているのかが分からない。この前の態度から、カノアが私に辛く当たってるんじゃないかと心配しているのだろうか。


(あの時、無理やり引っ張られたりしてたし、あれだけ見ると意地悪そうに見えて当然ね)


「俺が去年誘った時、断ったじゃないか」

「あれは、迷惑かけたくなかったから」

「迷惑じゃないよ。誰かを選ぶなら俺でいいじゃないか。⋯⋯今から相手を変えられないのか?」

「カノアと組むのをやめるってこと? 無理よ、協力する約束をしたもの」


 今日のハルガンは様子がおかしい。ハルガンなら相手に困ることもないだろうし、舞踏会実習のことを本当に気にしているとは思えない。


「どうしたの、今日は変だよ。何かあったの?」


 ハルガンがうつむいて眉を寄せた。何かを言おうとして迷っているように見える。


「ミレット!」


 馬場の方から声を掛けられた。カノアだ。今朝、先生が研究院に来るように言いつけていたから、一緒に行こうというのだろう。恐らくまた肥料を持って帰る事になりそうだ。


「少し待ってて!」


 カノアに声をかけてハルガンに向き直ると、更に固い表情になっていた。ハルガンにしては珍しい事だ。


「ねえ、何かあったの?」


 もう一度聞いてみたけど彼はため息をついただけだった。


「悪い。ちょっと嫌な事があったから。ごめん、行っていいよ」

「でも⋯⋯」


 明らかにいつもと様子が違う。


「ミレット!」


 待ってと言ったのに催促してくる。でも今はハルガンが心配だ。


「どこかで、ちゃんと話を聞こうか?」


 ハルガンは私を少し見てから深呼吸をした。そしてモフモフと頭を撫でた。いつもよりも長く。少し強く。


「ごめん、本当に何でもない。ミレットのふわふわを触ったら元気になった」


 いつものハルガンのように笑うけれど、明らかに無理をしている。気になるけど、これ以上聞いても答えてくれないだろう。


「また元気がなくなったら、いつでも触りに来てね」

「うん、ありがとう」

「教室で言ってくれたら、ちゃんと廊下に出るから。いつでも好きなだけ触っていいからね」

「うん」


 立ち去るハルガンを見送った。いつも助けてもらっているのに、力になれないことを申し訳なく思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る