畑がいっぱいの素敵な家
「お天気が良くて安心したわ。引っ越しにはぴったりの日ね」
明るい口調とは裏腹に、母が真っ赤な目をしている。朝食には全く手を付けていない。祖母も同じような状態だ。
父も昨晩から口数が減って元気がない。
「うん、雨じゃなくて本当に良かった」
「荷馬車も時間がかからずに、王都まで進めそうだわ」
大抵の子たちは王立学園に入学する時に、家族と別れて王都で暮らすようになるけれど、私たちはこの年齢までずっと両親と一緒に暮らしてきた。卒業するまでずっと一緒だと思っていたのが、予想より早い旅立ちになり、両親も祖母も寂しさを感じているようだ。
「お前たちの事だから、生涯ずっとここで暮らすと思っていたのに」
ついに祖母が泣き出してしまった。なるほど、お嫁に行く予定が無い私と、嫡男のコレント。確かに生涯ずっとこの家で暮らしていてもおかしくはなかった。予想より早いのではなく、出て行くのは予想していなかったというのが正解のようだ。
「長いお休みには、ここに戻ってくるようにするわ」
「戻って来た時にはまた、美味しいもの作るからね」
コレントが作ってくれる食事とも、しばらくはお別れだ。口に運んだスープをよく味わった。
今日は荷馬車に御者とコレントが乗り、私はキリーに乗っていく。いつもの通学時にはコレントはポリーに乗っているので、ポリーも当然のように馬小屋から出ようとした。
「ごめん、ポリーはお留守番だよ」
ポリーは耳を後ろに倒してフウフウ鼻息を荒くして不満を訴えた。コレントがポリーの首筋にぎゅっとしがみついて、ポンポンと優しくなでた。
その姿を見ていて、急に家を出る実感がわいてきた。父と母、祖母も涙を隠さない。私は一人ずつにギュッと抱きついた。3人もそれぞれ私の存在を確かめるように頭をモフモフと触る。
「頑張ってくるね」
私が涙を見せてはいけない。心配をかけてしまう。これからは家族に頼らずに、先生に迷惑を掛けないように、気を抜かないようにして過ごさなければならない。お腹にしっかりと力を入れて懸命に笑顔を作り、私とコレントは出発した。
何度振り返っても、父と母と祖母は、いつまでも私たちを見送って手を振っていた。
◇
荷馬車は先に先生の家に行って私の荷物を下ろし、その後にライニール邸に向かうことになっている。着くとすぐに先生が出てきてくれた。研究院で見かける時とは違って少しくつろいだ服装をしている。
「待っていたよ。お疲れさま」
「先生、これからお世話になります。よろしくお願いします」
先生の家に住んで毎日先生に会う事が出来る。まだ実感がわかない。
「こんにちは、先生。コレントです。姉がいつもお世話になっています」
コレントが飛び出して来て挨拶をした。
「セイボリー・ジラルスです。初めまして」
先生が手を差し出し、二人は握手した。先生の息子さんがいらっしゃるかと辺りを見回したけど見当たらない。その様子に気づいた先生が、尋ねられる前に言った。
「息子のカノアは、まだ中にいるんだ。声をかけたから、すぐに来ると思うんだけど申し訳ない」
「いえ、お休みを邪魔しているのですから、気になさらないで下さい」
私はキリーを馬小屋に預けた。元からいる2頭は穏やかそうな子たちだ。3頭は鼻面を寄せて挨拶している。
先生の家には想像していた以上に先生らしさが溢れていた。王都の中心からは少し外れていて、こじんまりとした所だと聞いていたけれど、控えめなのは建物だけで門を入ったところから建物まで広い畑が広がっていた。
(庭が全くなくて、全て畑!)
門のすぐそばに馬小屋があり、残りの土地は全て、畑に出来るところは全て耕してある。私は一目でこの家が好きになった。
使用人が私の荷物を下ろして家の中に運んでくれた。
「思ったよりも荷物が少ないね」
「私の持ち物で一番多いのは本なのですが、繰り返し何度も読むようなものは、学校にもあるので置いてきました」
「本なら、ここにもたくさんあるから自由に読んでいいよ」
「ありがとうございます」
先生の研究院の部屋から想像するに、恐らく家の中も本でいっぱいだろう。どんな本があるのか、とても楽しみだ。
荷物を下ろし終わった頃に、家の中から男の子が一人出て来た。背は私より少し高いくらいだろうか。コレントよりも年上に見える。
「カノア!」
先生が声を掛けた。男の子は不機嫌そうな様子で、こちらまで歩いて来た。
「ミレット、息子のカノアです」
「ミレットです、よろしくお願いします」
「ミレットの弟のコレントです、よろしくお願いします」
私たちがお辞儀すると、息子さんは面倒そうに頭を軽く下げた。
「カノア、ちゃんと挨拶しなさい!」
少し眉根を寄せただけで何も答えない。黒髪に黒い瞳というところは先生と同じだけど、顔だちも雰囲気も全然似ていなかった。
コレントよりも年下を想像していたので、思ったよりも大きい事に戸惑ってしまい、続けて何と声をかけて良いか分からない。しかも明らかに歓迎されていない。
「大きいですねえ! 僕より大きいとは思いませんでした! あなたは何年生ですか?」
コレントの無邪気さに救われる気持ちだ。息子さんも戸惑ったような顔をしながら答えてくれる。
「今度から1年生、高等部の1年生です」
(私より1歳下なのか)
「僕よりも年上なんですね! 姉さんをよろしくお願いします」
コレントは同年代の子よりも小柄で、私よりもまだ小さい。カノアさんを見上げて握手を求めた。カノアさんも応じているし、きっと人見知りなだけなのだろう。少し驚いたけれど、先生の息子さんなのだから優しい子に決まっている。
「これからお世話になります。よろしくお願いします」
もう一度言ってみたけど、全く聞こえないかのように無視された。
「カノア!」
先生の叱責も完全に無視している。
これから家庭教師として勉強を教えなければならない。何とか会話のきっかけをつかもうと思ったけれど、私なんて存在しないかのように全くこちらを見てくれない。緊張してきてしまった。
(慣れたら話してくれるはず。今日すぐには難しいわよね)
荷車を引いていた馬も水を飲み終わったようだ。私はコレントをギュッと抱きしめて別れを告げた。学校で会おうと思えば会えるけれど、中等部と高等部では校舎が違うので偶然出会う事はないだろう。
「姉さん、また学校でね」
コレントはひとしきり私の頭をモフモフ触ってから笑顔で出発した。私は急に心細くなって自分の髪の毛をモフモフ触った。
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