私の生徒は反抗期
コレントを見送って少し寂しくなった私を励ますように、先生が畑を案内してくれた。家のどこよりも畑に一番興味を持つことを、良く分かってくれている。もちろん畑を見ているうちに、心に元気が湧いて来る。
(この背の高い作物は何かしら。成長が気になるから、明日から記録をつけよう)
先生に質問できる機会も増えるはずだ。聞きたいことが頭の中にたくさん浮かんできた。
家の中は予想通りで、どこもかしこも本に埋もれていた。日差しを入れるための窓だけ無事で、そこかしこに本が積んであるのは、研究院の先生の部屋と変わらない。本と土の香りに満ちているところも変わらない。
「こんな狭い部屋しか空けられなくてごめんね」
先生はそう言ったけれど十分に広い。恐らく、本が詰まっていた所を無理やり空けてくれたようで、部屋の前の廊下には他の所よりも多く本が積まれている。研究院とは違って様々な分野の本がある。意外だったのは、鉱物や建築、芸術についての本も多いことだ。先生の趣味なのかもしれない。
部屋には大きな窓があり、庭の畑が見渡せる。大きな机と大きな本棚、寝台、部屋の隅にはちょっとした物置がついていて、服や持ち物がしまえる。私にはもったいないくらいの立派な部屋だ。
私の部屋は階段を登ったすぐのところだ。数部屋先がカノアさんの部屋、一番奥が先生の部屋だと教えられた。他の部屋には本が詰まっているので、崩れないよう、そっと扉を開けるように言われる。
食堂や厨房、浴室など生活に必要な場所や、お客様を通す応接室などは全て1階にまとまっている。
使用人はとても少なく、一般的な貴族とは暮らし方が少し違いそうだ。王都のハルガンの家なんて領地の屋敷と変わらないくらい広くて庭が立派で使用人も大勢いた。
貴族らしさとは無縁だったうちには、ほとんど使用人がいなかったので、私はこのくらいの方が落ち着く。
先生の家は領地を持つ貴族ではない。代々学者を輩出している家系で、功績のある学者や研究院の教授に与えられる名誉として、貴族の身分を与えられている。
継ぐような爵位や政治的なしがらみがない先生は、ハルガンの家のような貴族らしい暮らし方をしていない。貴族しか入室を許されないような書庫に入ったり、子供を王立学園に通わせるような特権だけを上手く利用しながら気楽に暮らしている。
夕食を取りながら、先生にくぎを刺された。
「ミレットが一番大事にしなければならないのは、自分の学業だからね。ここに来てから畑や馬の世話のことを気にしているけれど、私は君のお父さんから下宿料を頂いている。だから、手伝いは何もしなくて良いくらいだよ」
「やりたくて、やる分には構いませんか?」
先生が困ったような顔をして笑った。
「やってはいけない、と言っても畑も馬も世話をするんだろうとは思っているよ。ほどほどにしなさい、ということだ。それから、カノア」
カノアさんが無言のまま、視線だけ先生の方に向けた。
「勉強を教わるようには言ったけれど、自分でも努力して、出来るだけミレットの手を煩わせないようにしてくれ」
「こんなのに、教わる必要はない」
(こんなの!)
コレントもハルガンの弟たちも、元気いっぱいだけど優しい子たちだ。こんな乱暴な口を利いたりしない。また少し緊張してしまう。
「何て口を利くんだ。『ミレットさん』だろう?」
カノアさんは先生には返事をせず、不機嫌そうな顔をして私に言う。
「あんたの方こそ、俺にあれこれ口を出して煩わせるなよ」
(あんた!)
怯んではいけない。例え嫌われても、家庭教師として役に立たなければならない。
「カノアさん、取り敢えず去年の試験の答案を一通り見せて頂けないでしょうか。それを見て勉強の内容を考えさせて下さい」
「あんたに教わる事なんか何もない」
先生が厳しい顔をした。
「カノア、口の利き方に気を付けるんだ。それに、お前のあの成績で教わる事が無いとは言えないはずだ」
先生とカノアさんがにらみ合う。父とコレントが言い争うところなんて見た事がない。どうして良いのか分からない。
やがて、カノアさんが大げさにため息をついた。
「分かった。勉強は教わってやる」
そして、厳しい視線を私に向けた。
「おい、ミレット」
「はいっ!」
「お前は俺の事を『カノア』と呼べ。『カノアさん』なんて言ったら返事しないからな。敬語も必要無い。弟と同じように話せ。その代わり、俺も『さん』も付けないし、敬語も使わない。いいな、文句無いな!」
「カノア!」
先生が険しい顔をして立ち上がった。
(喧嘩になってしまう? どうしよう!)
「わ、分かりました! 違いますね。えっと、分かったよ、カノア! えっと⋯⋯試験。そう試験、後で見せてね! 楽しみにしているですよ!」
どんな話し方をすればいいのか分からなくなってしまった。でも、喧嘩をされるのは困る。必死で笑顔をカノアに向けてみる。私の必死さが伝わったのか、カノアは何も言わずに食事に戻った。
先生は深いため息をつくと、席に座った。
「ミレット、申し訳ない。どうしても言うことを聞かない時には、私に言ってくれ」
先生が教えると言い争いになる、という状況をしっかりと理解できた。
知らない人が急に家で暮らすようになったのだから、不愉快になるカノアの気持ちも分かる。出来るだけ気に障らないような振る舞いをしよう、強く心に誓った。
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