きっと生涯忘れられない恥ずかしさ
「先に言っておくけど、多分ミレットが見て楽しい畑ではないと思う。でも、そういう畑もあるということを覚えておくといいと思うよ」
あらかじめ聞いていたにも関わらず、私は少しがっかりしてしまった。畑や作物に対して愛情場全く感じられなかった。
(庭や街の景観に対するような熱量が全く感じられない)
外からは見えないように建物の陰に隠されている。作物が日差しをしっかり浴びられるようにというような配慮は全く感じられない。仕方なく育てていますといった様子で手入れされていない事も感じ取れる。
「形が悪い野菜は捨てられる事も多くあるんだ」
先生も少し悲しそうだ。王都の片隅にあるわずかな畑でももう少し愛情を込めて手入れされている。土地によって大切にするものが違うという事をまざまざと見せつけられた。
市場も、カノアに連れていってもらった王都の街の市場とは違って野菜や果物は綺麗に並べられていた。大きさごとに区分けして見た目が悪いものは隅に追いやられていた。
◇
夕食後に皆で歓談している時のこと。領主と奥さま、お子さまたちが素敵な演奏を聞かせてくれた。ピアノと弦楽器に合わせて一番下のお嬢さんが素敵な歌声を響かせる。
私は音楽は得意ではないし詳しくもないけれど聞くことは好きだ。私の家では音楽を奏でるような習慣はなかったけど、学校では折に触れて素晴らしい演奏を聞く機会があった。級友の中には幼い頃から専門の教師に師事していて休み時間に腕前を披露する人もいた。
驚くべき事にカノアもピアノが上手だった。家に無いので練習をしていないけれど、ここにいた時に習ったので、それなりに弾けるのだという。
周りからカノアのピアノに合わせて歌うよう促されて先生が弱った顔で断っている。そして私にこっそり言った。
「絵を描いたり、音楽を奏でたり、私には全くない才能だ。母親譲りなんだろうね」
(先生にも苦手なことがあるのね)
他人事のように笑っていたら、私が指名されてしまった。先生が断った後なだけに、とても断りにくい。
正直なところ、歌は得意ではないどころか驚くほど下手だ。あの、私に皮肉ばかり言う級友たちですら歌に関しては何も触れてこないくらいひどい。
大汗をかいて遠慮してみたものの、小さいお嬢さんに手を引っ張られて『一緒に歌いましょう』とピアノの前に立たされてしまった。
カノアが誰でも知っている歌の前奏を始めた。私は覚悟を決めて歌い始めた。
「「「⋯⋯」」」
その場の雰囲気が微妙なものに変わったのを感じる。先生が申し訳ないという顔をしている。一緒に歌ってくれている女の子が、出来るだけ大きな声で歌おうとしてくれている。
演奏が急に止まった。ピアノを振り返ると、カノアが椅子から転げ落ちんばかりに大笑いして涙を浮かべていた。
「お耳汚し失礼いたしました⋯⋯」
私はしおしおと椅子に戻った。女の子が、私の膝に座って頭をモフモフと触りながら『素敵な歌声だったわよ』と明らかな慰めを言ってくれた。大人たちは、気まずさを吹き払うように新しく演奏を始めて歌ってくれた。今度は美しい音楽と歌声が響く。
(これで、誰も二度と私に歌えって言わないはずだわ)
そんな恥ずかしい思いをして、私の夏休みは終わった。
◇
新学期が始まってすぐに、アーレンツ領の大きな畑でパトロニエを植える作業を行った。助手の先輩たちにも手伝ってもらい、ハルガンの父のライニール男爵が手配して下さったグリリウムの粉末を土に混ぜ込み、初夏に収穫していた種を撒く。
「思った以上に種が多く採れたから、これだけ広くてもしっかり撒くことができたね」
先生が満足そうに畑を見渡した。根が弱いパトロニエの場合、発芽した芽を植え替えるよりも種を直接撒いた方が育ちやすい。その分、芽が出てくることが確認できるまで落ち着かない日々を過ごすことになりそうだ。
両親の家でコレントが料理を振る舞ってくれた。夏の間、ライニール領の屋敷で料理人に習っていたというだけあり、更に料理の腕が上がっていた。
「コレントくん、街で食堂を開けるくらいだよ!」
先輩たちも口々に褒める。コレントがとても嬉しそうだ。カノアもお代わりをして、たくさん食べている。
そう、先輩たちに混ざって、今日はカノアも来ている。馬のおかげで情緒が安定した効果か、最近は家に先輩たちが来ている時に混ざって話をする事がある。
先輩たちから夏休みを楽しく過ごした話を聞き、たくさん笑って、また畑に情熱を注ぐ日常が始まった。
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