舞踏会の夜、好きが向かう方向

 ここ最近は、遅くまで論文のための作業を行うことが多い。先生も夕食後に見てくれる。10月中に提出しなければならないので、あと1か月ほどしかない。


「専門教育を受ける前に提出するものだから、気楽に考えて大丈夫だよ」


 先生も、先輩たちも言ってくれるけど、皆の論文を読み込んでいる私からすると、自分が書こうとしている内容の薄さや浅さが気になって仕方なかった。


(この薄くて浅いものですら、一人では仕上げられない)


 自分の力不足が情けなくなる。


「ごめん、ミレット。ここだけ教えてもらえないか」


 私の集中力が切れた時を見計らって、カノアが声をかけてくる。論文を書き終えるまでは、家庭教師の役割はお休みさせてもらっている。


「うん、これはね⋯⋯」


 ここでお世話になってから今までの間に、カノアの勉強の穴になっていた所は、ほとんど埋まっている。今は新しく習った所で、理解しにくい所を教えるくらいだ。夏休み前の試験では、上位成績者として名前が貼りだされるほどになっていた。


「ご褒美として、高い画材を買わされたよ」


 と愚痴をこぼしながらも、先生はとても嬉しそうだった。もちろん私は全科目1位だった。自慢だけど。


 アーレンツ領のパトロニエは、大量に収穫できた。実験としては済んでいるので、春からは定期的に出荷できるよう、もっと大掛かりな生産を進めるそうだ。両親と一緒に、ライニール男爵に協力のお礼と今後の相談に行った時には、ライニール領でも生産をする準備を進めていると聞いた。


 普段、アーレンツ領で採れる野菜の販売経路と、パトロニエのような高級な香草の販売経路は違う。それもライニール男爵に手配して頂いた。


 父によると、腰が抜けそうなくらいの利益が出たそうだ。


「私だったら、そんな利益どうしていいか分からないよ」


 そう言って戸惑う父を見て家族全員が、本当に、アーレンツ領をライニール男爵に治めて頂けて良かった、と何度目になるか分からない言葉を繰り返した。ライニール男爵は全て鮮やかに対処する。


「領主直轄の畑で、大掛かりに栽培することにした。手の空いた領民に手伝わせて報酬を支払うことで、領民も潤うようになるから」


 その利益を、領民に行きわたるようにご配慮頂いているようだ。今は高値で売れるけれど、私の論文の発表によって他の地域でも栽培が始まったら値崩れするだろう。だから今、目先の利益に飛びついて、今までの地道な生産を放り出す領民が出ないように、という配慮でもあるそうだ。


 ハルガンとこの話をする時は、馬場や中庭などではなく、廊下で捕まえるようにしている。出来るだけカノアの目に触れないようにしたい。私は私の話したい人と話し、やりたいことをやるけれど嫌な思いはさせたくない。


「教室の中で話しかけてくれよ」


 いつもお手洗いに行くのを邪魔してしまうので、ハルガンに困った顔をされてしまうけど、教室の中だと『アシュレ付きのモリーナ』が気になる。ハルガンと話すのは、なかなか面倒だ。



「ミレット、お願いだから一度本を置いてこれを着てみて」

「あ、ごめんなさい。今着るね」


 休みの日に、珍しく母が先生の家を訪ねて来ているのは、舞踏会の衣装を合わせるためだ。私は着飾る事には興味がない。領土から通っていた昨年は、いつも通り馬で学校まで行き、厩舎の控室でドレスに着替えて舞踏会に出た。さすがに髪だけは、家で母にまとめてもらったけど、お化粧などはしなかった。


「これも似合うけど、こっちもいいと思うの」


 今でこそ華やかな事に縁が無いけれど、母は裕福な貴族の家の令嬢だった。王立学園の高等部の頃に父と恋に落ち、両親の大反対を押し切って父との婚約にこぎつけた。


 舞踏会実習のパートナーになって欲しい、決死の覚悟で申し込みをした父の話はもう、何十回と聞かされている。そんな母なので、やる気のない私をもどかしく思っていたようだ。今年はカノアと組むと言ったら、飛び上がらんばかりに喜んで張り切っている。


 カノアの支度まで買って出て、こういう事に疎い先生に感謝されていた。


 ドレスの新調を嫌がる私の為に、昔の自分のドレスや装飾品を持って来てくれている。背が高く女性らしい体つきの母と、小柄でするんとした私では体形が全く違うので、母に大きさを調整してもらった。



 あっという間に舞踏会実習の日がやってくる。


 母に支度をしてもらった私が1階に降りると、先生とカノアが待っていた。盛装したカノアはいつもより大人びていて知らない人みたいだった。


「ミレット、とても素敵だね。見違えたよ!」


 少し黄色みがある緑色のドレスはとても上品な色で、日に焼けた私によく似合うと母が言ってくれた。するんとした体形の私には、レースをふんだんに使った、ふわふわの形が合うらしい。髪の毛はすっきりまとめて結い上げた。むき出しの首筋には、ドレスと同じ色の宝石がきらめいている。


 ドレスや首飾りは素敵だと思う。でも似合っているかどうかは分からない。不安な気持ちで、カノアを見ると柔らかく笑ってくれた。


「似合ってる」


 少し安心した。


「やっと、娘を着飾らせる楽しみを味わえたわ! カノアさんも何て素敵なんでしょう」


 先生と母が、褒めちぎって送り出してくれた。さすがに今日は徒歩ではなく馬車に乗っている。馬車の中で作戦をおさらいした。


「3曲踊ったら、広間からさりげなく抜け出しましょうね」


 舞踏会の実習では、最初の1曲はパートナーと踊ると決まっている。その後は自由だけど、帰宅して良いわけではない。途中で点呼を取られるので、そこまでは居なければならない。


 本当の舞踏会ではないので、基本的にはダンスを申し込まれたら断らない事になっている。誰にもダンスを申し込まれない場合は、壁の前に立って申し込みを待たなければならない。


 壁の前でぼんやり立つ時間が惜しかった昨年の私は、1曲目を踊った後に中庭に隠れた。もちろん、事前に柱の隙間に本を隠しておくのも忘れなかった。


「面倒なのは、同じ相手と3曲以上続けて踊ってはいけない、という決まりだよなあ」


 時間いっぱいカノアと踊り続けられれば面倒がないのだけど、そうもいかない。昨年の私の成功体験をもとに、今年もこっそり抜け出して時間を見計らって広間に戻る事にしている。


「3曲踊る前に足が痛くなったら、もっと早く抜けてもいい?」


 私は足元を見下ろした。踵がとても高い靴は美しいけれど足には優しくない。


「分かった、我慢しないでちゃんと言えよ」


 今日は優しい方のカノアだ。着慣れないドレスを着て、歩き慣れない靴を履く私を助けてくれている。


 学校に到着して馬車から降りると、学校とは思えない華やかな光景が広がっていた。色とりどりのドレスを着た女の子たち。カノアにエスコートしてもらいながら、広間に向かう途中でハルガンに会った。隣には他の学年の女の子がいる。


「あ、ハルガン、こんばんは!」


 教室の中ではないので声をかけた。隣の女の子にも微笑んでお辞儀をする。女の子も微笑んでお辞儀を返してくれた。とても可愛らしい子だ。


 でも、ハルガンは私を見て驚いたように息を呑むと黙り込んでしまった。隣に立つ女の子が怪訝な顔をしてハルガンを見上げている。


(どこか変かな⋯⋯)


 心配になって、自分の姿を見下ろして確認してみる。母のとっておきの衣装なので、流行に乗ったものではないけれど質は悪くない。それほど他の女の子と比べて見劣りするものではないと思っていた。でも、どこかが変なのかもしれない。


「ごめん、少し驚いて。⋯⋯ドレス似合ってるね。とても綺麗だ」

「ありがとう」


 答えたところで、カノアが私の手を引いて歩き始めてしまった。いつものように強く引っ張ったりはしないけど、ろくな挨拶も出来ていない事が気になる。


「挨拶くらい、いいじゃない」

「あいつの、お前を見る目が気に入らない」

「⋯⋯ねえ。私、どこか変かな。似合ってない?」

「何で、そんなこと聞くんだよ」

「だって、ハルガンが驚いてたから、どこか変なのかなって心配になって」


 カノアが不機嫌そうに言う。


「似合ってる、綺麗って、あいつ言ってただろ?」

「でも⋯⋯本当にカノアもそう思う?」

「思ってるよ」


 そっけない言い方をされる。カノアなら正直に言ってくれると思ったけど、さすがに似合わないとは言えないのだろう。泣きたくなってきた。ひどい歌声を披露して恥ずかしかった時のことを思い出す。


「もう⋯⋯何だよ」


 カノアはため息をつくと、少し強く手を引いて廊下の端に寄った。足を止めて私のひじをぐっと引き寄せる。私はカノアにぴったり寄り添う形になってしまった。すぐ横を他の生徒たちが通り過ぎて行く。


 カノアは少しかがんで耳元でささやいた。


「綺麗だよ。綺麗で魅力的で――すごく嫌なんだ」

「嫌?」

「お前の魅力は俺だけが知ってればいいのに、他のやつには知られたくないのに。これだと、みんなが気付くだろ? 誰かに連れて行かれそうで怖くなる」


 首筋に息がかかり、熱い言葉をかけられて心臓が破裂しそうになる。顔も耳も熱い。赤くなってしまっているだろう。


 カノアは私の顔をのぞきこむ。


「絶対に誰ともダンスするなよ。今日のパートナーは俺だからな」


 少しうるんだ瞳に強く捕らえられて、ますます胸が高鳴ってしまう。首筋まで熱くなってしまった。

 

「分かった。⋯⋯少しだけ自信が持てた。ありがとう」

「少し? 俺がこんなに褒めてるのに? でも、お前はそのくらいでいいよ」


 少し笑って、また広間に向かって歩き出した。


 驚いたことに『アシュレ付きのモリーナ』が、私たちに声をかけてきた。モリーナは私でも分かるくらい豪華な衣装を身に着け、それが本当によく似合っていた。隣に立つアシュレも同じくらい完璧な装いで、並んで歩くだけで周りを圧倒する空気をまとっている。


「ミレット、見違えたわ。とても綺麗! いつもは髪の毛ばかり目立っているけど、お化粧するとこんなに美人になるのね。カノアも本当に素敵。二人はとてもお似合いよ」

「ありがとう。モリーナも本当に美しいわ。あなたには、こういう優雅な世界が本当によく似合うと思う」

「うん、ここの女王のようだね」


 褒められたからなのか、カノアもモリーナに優しく応対する。


 不穏な気配を感じて目を向けると、アシュレが青ざめた恐ろしい顔で私を凝視していた。いつものように皮肉を言うと思ったモリーナが、私に親しく接したことが気に入らないのだろう。無言で、無理やりモリーナを連れて行ってしまった。


「お前、あのアシュレに何したんだよ。あれは少し嫌いという程度じゃないだろう」

「私もそう思う。でも、本当に心当たりないのよ。教えてくれれば謝れるんだけどな」


 教師が開会を宣言し、ダンスの曲が始まった。カノアが私の手を取り、柔らかくリードしてくれる。練習の時よりも靴の踵の分だけ目線が上がり、目が合いやすい。優しく微笑まれると、細められた目に灯りが反射して輝き、また胸が高鳴る。


(どうしよう、今日はドキドキさせられっぱなしだ)


『俺の事を好きになって欲しい』


 カノアの言葉を思い出す。言ってもらった後に考えてみた。コレントやハルガンに対する好きと、カノアに対する好きを比べてみた。先生に対する好きとも比べてみた。


 私は自分が先生に恋しているかもしれない、と思っていた。でも今はそれが間違っていた事を知っている。


 先生の心に奥さまがいらっしゃると分かった時、少しだけ胸が苦しくなった。でもそれ以上に先生を尊敬する気持ちが強まった。教授としてだけでなく、一人の人間として敬愛している。


 先生といる時に感じる胸の高鳴りと、カノアが好きと言ってくれた時の胸の高鳴りは違った。


「足、痛くない?」


 2曲目が終わり、3曲目に入る。


「うん、大丈夫。ありがとう」


 3曲目はダンスに集中する。カノアのリードは分かりやすくて気持ち良く身を委ねられる。手袋越しに体温を感じて、恥ずかしいような、もっと強くにぎりたいような、不思議な感覚を覚える。


私たちは踊りながら、さりげなく広間の出口の方に近づいた。曲が終わって礼をする。


 周りが騒々しくなった。次のダンスの相手の所に向かう人、申し込みとそれを受ける会話。


 ハルガンがこちらに歩いて来るのが見えた。私が壁際で退屈するのを気の毒に思って、ダンスを申し込んでくれるつもりなのかもしれない。目が合ったので、元気良く笑顔を作ってみせた。


(私には作戦があるから、お気遣い無用よ!)


 伝わると良いのだけど。


「行くぞ」


 カノアが私に耳打ちする。


「うん」


 二人で揃って出ると目立ってしまう。それぞれ、人込みをぬってお手洗いにでも行くように広間をそっと抜けた。


 中庭の方に進むにつれて人がいなくなっていく。廊下の柱の陰にカノアの姿をみつけた。


「脱出成功!」


 声をかけると、カノアがにやりと笑った。中庭に続く広場のベンチに腰掛けた。月が明るく輝いている。


「夜の学校は怖くないのか?」

「嫌な事を言うのね。怖くなってきちゃうじゃない。⋯⋯明かりが多いし、慣れたところだから大丈夫」


 明かりの少ない所に行くのはやめよう。考えているうちに怖くなってきてしまった。


「ねえ、お手洗いに行く時、近くで待っててくれない?」

「はあ? 嫌だよ。そのくらい一人で行け」

「だって、カノアが怖いこと思い出させたんだから、仕方ないじゃない」

「馬鹿じゃないのか、子供みたいなこと言うなよ」


 今日はずっと優しいカノアだったのに、いつもの意地悪カノアに戻ってしまった。


 広間からダンスの音楽が聞こえてくる。秋を感じさせる、熱気を冷ますような風が通り過ぎていく。カノアが好んで使う石鹸の香りがふわりと届く。この香りを感じると、怖かったときに寄り添ってもらった安心感を思い出す。


「いつも、優しいカノアだったらいいのに」

「え?」


 私は今日ずっと感じている、ドキドキした気持ちを思い返した。きっと間違いない。


「前に、形は分からないけれど、カノアの事が大好きって言ったでしょ?」

「あ、うん」


 隣でカノアが身を固くしたのが分かった。


「考えてみたんだけど、どうしても『どういう好きか』って分析したくなるの」

「⋯⋯うん」

「分かったのはね、他の誰に対する気持ちとも違う大好きだって事」

「どんな風に違う?」

「大好きだなって思った時にね、胸がドキドキして、すごく恥ずかしくなってどこかに隠れたくなるの。でも一緒にいると嬉しい。もっと一緒にいたくなる。そういう大好きは他の誰にも感じたことない」


 カノアが立ち上がって数歩前に歩く。どう思っているのか表情が見えない。


「前に、ちゃんと考えるって約束したから結果を報告しようと思って」

「結果を報告って⋯⋯実験じゃないんだからさ」


 カノアが月を見上げて大きく息をついた。そのまましばらくじっと月を見た後に、ゆっくりとこちらを振り返った。少し恥ずかしそうな笑顔だった。


「ありがとう。その好きで正解だよ。正しい方向に向かってる。そのまま、もっと俺の事を好きになってよ。俺の好きと同じくらいになるまで待ってるからさ」

「えっとね、傾向としては優しくされた方が好きが多くなる気がするよ」

「何だよそれ。⋯⋯じゃあ、今日はお手洗いに付いて行ってやる」

「やった! ありがとう」


 遠くから聞こえるダンスの音楽が、明るく華やかな曲に変わった。私たちは並んで音楽を楽しんだ。

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