サツマイモも好きだけど、本当はあなたが好き

 アーレンツ領の大きな畑にパトロニエの種を撒いてからは、毎週様子を確認しに行っている。幸いにも2週間もかからずに発芽して順調に育ち始めた。


 グリリウムを含まない土地では、パトロニエは発芽しないし根付かない。発芽して育ち始めた時点で、検証としては半ば完了している。


「このくらい混み合っている所は抜いてしまってくれる?」

「分かった、こういうのだね」

「そうそう、葉が触れ合わないくらいにしてね」


 コレントが育ちが悪そうな芽を選んで摘んでくれる。二人だけで来るのは久しぶりだ。ここで一緒に暮らしていた時のことを思い出す。休みの日にはこうやって、家の畑作業を手伝っていた。


 コレントとゆっくり話をする機会は、ほとんどなくなってしまった。私たちは作業が一区切りしたところで、土手に腰かけてお茶を飲んだ。


「僕、本当に料理人になりたいんだ」

「うん」

「それでね、将来は料理人のところに弟子入りをしたい」


 夏にライニール邸の料理人のもとで修業をしたのは得難い経験だったと言う。もう継ぐ爵位も領地もない。私たちは自由に将来を選べる。


「料理人って、どういう所で仕事が出来るの? ほら、どこかのお屋敷に雇われるとか、自分でお店を開くとか、道が色々あるんでしょ?」


 コレントによると、料理人の学校もあるらしい。ただ、そういう所は貴族の爵位がない子息の行先で王宮や貴族の屋敷で雇われるような料理人は、その学校の出身者から選ばれる事が多いそうだ。


「後は、これはと思う師匠を見つけて弟子入りをするんだ。そこでずっと仕事をする事もあれば、紹介してもらって、どこかのお屋敷で雇ってもらう道もある」


 師匠。夏にコレントが教わったような事だろう。


「でも僕は、街の食堂も気になる」

「街の食堂に行ったことがあるの?」


 私はカノアに街に連れて行ってもらったけれど、ライニール家のような貴族の子供たちが街に気軽に出たりしないと思う。


「双子が協力してくれるんだ。変装して3人で抜け出すの」

「なるほど」


 納得した。あの子たちならやりかねない。


「まだ、決まっていないということね」


 私は気が付いた。私が幼いころから研究院に行くという夢を語っていたせいで、この子は自分の道を選べなかった。


「コレント、ごめん。私はずっと家を継ぐのが当然あなただと決めつけて、自分だけ好きな道を選ぼうとしていたね」


 コレントは嫡男だけど、長女が結婚して養子を迎え入れて家を継ぐ事も多い。私たちは話し合う必要があったのだ。


「いいんだ。結局、僕ら二人とも好きな道を選べるようになったんだから」


 私はコレントをぎゅっと抱きしめた。


「私はあなたを応援する。私に手助けできそうな事があったら言ってね」


 コレントは後ろに手をついて、空を眺めた。


「尊敬できる師匠って、どうやって見つけるのかな。姉さんは、たまたまジラルス教授に目を掛けてもらえたから師事したの? だって農学の教授は他にもたくさんいるでしょう」


 確かに農学の教授はたくさんいる。偶然に出会ったのがジラルス教授という幸運もあった。


「どの教授でも、先生と同じくらい尊敬できたかどうか分からない」


 同じ農学でも、細かい分野も人柄も、研究に取り組む方法も、教授によって全然違う。


「でも、数ある論文の中から、私が興味を持ったのはジラルス教授の論文だったの。研究院に広がる畑の中で私が一番気になったのもジラルス教授の畑だった。その畑で出会ったのが他の教授じゃなくてジラルス教授だった事は当たり前なのかもしれない」


 コレントは返事をせずに考え込んでいる。


「ごめんね、あなたの質問の答えになっていない気がする」

「ううん、そんな事ない。行動したことで、出会う事が出来たって事でしょ? 僕も行動して進むことで尊敬できる師匠に出会えるのかもしれない」

「きっと、出会えるわよ」


 にっこり笑うコレントは、少し大人びて見えた。



 度々、研究院の畑で水やりをしに来ていたモリーナだったけれど、ついにアーレンツの領までやってきた。両親の家にはもっと広いサツマイモ畑があると言ったら、どうしても見たいと付いて来た。


「私、乗馬は幼い頃からしっかり仕込まれているの」


 心配したけれど、カノアより、よほどしっかりと走らせる。数人の助手の先輩と一緒に馬を並べて楽しそうに話している。助手の先輩の中には、私のような平民もいる。あのモリーナが嫌な顔ひとつせずに親しんでいることが不思議で仕方ない。


「あの女って、お前に嫌がらせしてたんじゃないの?」


 カノアが馬を並べて小声で聞いてい来た。私は『アシュレ付きのモリーナ』と『ただのモリーナ』の事を説明した。


「よく分からないんだけど、『ただのモリーナ』の事は、私は好きよ」

「ふうん」


 モリーナはサツマイモの世話をしたいだろうから、パトロニエのことは先輩にお任せして二人で歩き出した。


「俺も行く」


 いつも、カノアはコレントと話をするか辺りの景色を写生している。今日はサツマイモ畑を写生するつもりだろうか。


「今日はね、試しに少しだけ掘ってみるの」

「掘る? 実がなるのではなく?」


 またイモが土の中に出来ることを忘れてしまったらしい。


「サツマイモはね、根が膨らんで出来るの。収穫はもう少し先なんだけど、今どのくらいの状態なのかを少し掘り出して確認するの」


 カノアは鉛筆で辺りの風景を描いている。


 モリーナに手袋をさせて蔦を引っ張り上げた。慎重に周りの土をスコップでほぐす。


「この下にあるから掘り出すわよ。イモを傷つけないように慎重にね」


 少しずつ掘り出すと、思ったよりも大きなサツマイモが現れた。あと2週間ほど先が収穫に一番適した大きさになるだろう。それでも、美味しく食べられる大きさなので、モリーナのために、そのまま株をたどって数個を協力して掘り出した。


「これがサツマイモなのね! お皿に乗った物しか見たことがなかったの。掘り出す作業って楽しいのね」


 私たちは掘り出したサツマイモを持って木陰に移動した。倒木に腰かけて写生しているカノアにサツマイモを披露する。


「大きいのが採れるんだな!」

「本格的に収穫する時には、もっと大きくなってるよ」


 比較的汚れていない岩の上に、布を敷いてモリーナを座らせた。私は切り株に腰かける。


「このまま食べられるの? 私、サツマイモは料理になった物しか食べたことが無いの」

「毒ではないけれど、生のままでは消化が良くないの。加熱が必要よ」

「ショウカ? カネツ?」

「消化は、食べたものを栄養にできる状態にする事、加熱は熱を加える事。サツマイモを焼いたり煮たり蒸したりしないと、お腹を壊してしまうという事なの」


 モリーナと話をしていると、言葉を知らないと思うことが多い。でもそれは、私と彼女で日常で使う言葉の種類が違うのだろう。毎日同じ教室で時間を過ごすのに、こんなにも世界が違うのが不思議だ。


「採ったサツマイモは、普通なら日光にあてて干して貯蔵するの。余分な水分が無くなってからの方がホクホクとして美味しくなるのよ。でも今日はせっかくだからコレントに何か美味しく料理してもらいましょう」


 モリーナが目を丸くする。


「そんな危ない場所に行かせていいの?」

「危ない場所?」

「厨房には何があっても入ってはいけないって言われているわ。命を失う事になるから絶対に近寄ってはいけないって」


 上流貴族のご令嬢は、そうやって育つのか。本当に世界が違う。カノアも写生の手をとめて、驚いたようにモリーナを見ている。


「ねえ、あんたさ、ミレットと仲良くなりたいんだったら、皮肉を言ったりして気を引くんじゃなくて、ただ話しかければいいんじゃないの?」


 カノアの突然の言葉に、モリーナが真っ赤になって俯いた。


(私と仲良く?)


「アシュレってのがミレットのことを嫌うから、あんな態度を取ってるのか?」


 何とまあ私が聞きたくて聞けなかった事を、はっきりと言ってくれた。


「アシュレ⋯⋯は確かに、私がミレットに興味があるのが気に入らないんだと思う。だから、私がミレットを気にするといつも、いつの間にかアシュレと一緒にあなたに皮肉を言うことになってしまう」


 心当たりが無いけれど、私はいつかどこかでアシュレの気に障ることをしてしまったのだろう。


「後悔することも多いんだけど、なぜか気が付くといつも、あんな事を言ってしまうの。ごめんなさい」

「気持ちは分かったわ」


 理解は出来ないけど、悪意が無い事は分かった。


「だから、あなたがハルガンの恋人になりたいというのを邪魔するつもりもないの。私たちが嫌がらせをしたから、舞踏会のパートナー選びでハルガンの誘いを断ったんでしょう?」


 モリーナ、何でそんな事まで知っているのだろう。そして今はその話に触れて欲しくない、ちょっと緊張してカノアの方をちらっと見ると、予想通り恐ろしく不機嫌な顔になっていた。


「ミレット。ハルガンから誘われたのか?」


 私は出来るだけ軽い調子で答えた。


「うん、誘われたよ。でも断ったよ。私たち協力しようって約束したものね!」

「ふうん。ハルガンの恋人になりたいの話は、訂正しないの?」


 何だろう。私は何も悪い事をしていないはずだけど、とんでもなく罪悪感を覚える。


「そうそう、モリーナ! その事なんだけどね、私、あの時は畑の事で頭がいっぱいだったから、話を聞かずに返事をしていたの。ごめんなさい」


 誤解があって、ハルガンとは本当にただの幼馴染だということを説明した。モリーナはにっこり笑った。


「そうだったのね! 考えてみたら普段のあなたは、ぼんやりしているから、のん気なハルガンよりも、しっかりしたこの子の方がお似合いかもしれないわね」


 カノアもにっこり笑った。


「そうなんだ。だから、あなたが教室でも周りの誤解を解いておいてくれると、ミレットも喜ぶよ」


 さっきまでモリーナの事を『あんた』と言っていたのに『あなた』に変わっている。態度もとても優しくなった。


「でも、アシュレが⋯⋯」


 またモリーナが憂鬱な顔になった。


「モリーナは、サツマイモが好きだから一緒に来てくれてるんじゃなくて、私と仲良くなりたい、と思ってくれていたの?」


 モリーナが赤くなって頷いた。


「ありがとう。その気持ちは嬉しい。アシュレとあなたは別の人間でしょう? アシュレが嫌いな物を、あなたまで嫌いになる必要は無いと思うの。少しずつでいいから、教室でもアシュレと少し離れて、おしゃべり出来るようになったら嬉しいわ」

「何て、話しかければいい?」


 カノアが吹き出した。


「何でもいいんだよ、『おはよう』でも『畑で今日は何するの』でも。――そうだな、こいつが本を読んでいて話を聞いてくれない時は、本を閉じてしまえばいいんだ」

「何てことを教えるの!」


 本に夢中になっている時、私は周りの音が聞こえなくなる。そういう時には、本を取り上げられて隠されてしまう。先生も同じことをされている。私と先生はカノアが本を隠しそうな場所の情報を定期的に共有している。


「ふふふ。今度試してみようかな。あなたが何の本を読んでいるのか気になるもの」


 コレントに渡したサツマイモは、美味しいお菓子になった。厨房に入って料理をしたコレントの事を、モリーナは英雄のように褒め称えて皆を戸惑わせていた。


「研究院で作っているサツマイモは、数値を記録し終えたら焼き芋にして食べるんだ」


 毎年、冬の初めには先生と助手の皆で焚火を囲んで焼き芋をするそうだ。先輩がモリーナの事も誘い彼女はとても嬉しそうにしていた。

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