ライニール領の鉱山と暗闇の地底湖
「ミレット、おはよう」
先生はとても眠そうな顔をして、門の外まで出て来た。朝に弱い先生がわざわざ見送りに出てきてくれるとは思わなかった。キリーが先生を見て嬉しそうに鼻をブルブル振るわせる。
これからハルガンと一緒にライニール領の鉱山に行こうとしている。朝早いので、まだ馬の世話をする使用人は来ていない。
「先生、わざわざ見送りに起きて下さったのですか」
「噂の幼馴染くんにもご挨拶させて頂きたくてね」
アーレンツ領に水や土の採取に行く時に、ハルガンが何度か一緒に来た事がある。女性の助手の先輩たちが、かっこいい、かわいい、と騒いでいたのだ。
とはいえ、先生がそんな事を気にするとは思えない。鉱山に行くことを、とても心配してくれていたのだ。
先生のお祖父さんは鉱物を専門とする学者だった。幼い先生を置いて外国に建築の勉強に行ってしまった両親に代わって育ててもらったと聞いている。そのお祖父さんに連れられて、各地の鉱山に行った事があるらしい。
「ライニール領の鉱山にも行ったことがあると思うけど、細かいことは覚えていないな」
それでも鉱山は危険だという事は、口をすっぱくして注意されてきたそうだ。
「くれぐれも気を付けてね。一緒に行けたら良かったんだけど」
先生は研究院の中での研究発表に向けて忙しく準備している。色々な分野の教授や優秀な学生たちが、研究成果を発表する大切な場なのだ。そこで発表する助手の先輩もいるので、研究室はとても慌ただしくなっている。
私には、いつもの雑用を出来るだけ多くこなす他は、心の中で応援することしか出来ない。皆が私に構う時間がない今は、自分で出来ることを進めておこうと思っている。
「ミレット、おはよう!」
ハルガンが馬からおりて、こちらに歩いてきた。そして私の傍らに立つ先生に目を留めた。
「ハルガン、おはよう。こちらは私がお世話になっている先生です」
先生が歩み寄ってハルガンに手を差し出した。
「初めまして、セイボリー・ジラルスです」
ハルガンは戸惑ったように視線を、先生の顔と私の顔に何度も行き来させた。やがて、先生の手を取り握手をした。
「ハルガン・ライニールです。ミレットから嫌になるくらい話は聞いていたのですが、もっとお年を召した方だと思っていました」
先生は困った顔でほほ笑む。
「よく言われます。ミレットも最初は驚いていたね」
「あの時は腰が抜けるほど驚きました」
そういえば、あの時も興奮のあまり教室で奇妙な振る舞いをしてハルガンに迷惑をかけたっけ。懐かしく思い出す。
キリーの後ろにくくりつけた鞄が落ちないようにもう一度確認する。採取のための道具が入っているから落とすわけにはいかない。
「では、先生。行って参ります」
笑顔で見送ってくれる先生を何度も振り返りながら、ハルガンと馬を進めた。
しばらく馬を進めたところでハルガンがぽつりと言った。
「ミレットの先生、想像と全然違った。でも、よく考えたら君が勉強を教えるくらいの年齢の子供がいるんだ。若くて当たり前だな」
「先生は、40歳になるかならないかくらいだったと思う。高等部の時にはもう何本も素晴らしい論文を発表するくらいの天才だったって。だから、あの若さでもう教授なの。本当に尊敬してる」
研究院には国中の天才が集まっている。だから、教授の中で先生だけが特別に若いわけではない。それでも、初老にさしかかった教授が圧倒的に多いので『教授』と名乗ると驚かれると言う。
「ミレットが先生を大好きなのって、それって⋯⋯」
ハルガンが何かを言いたそうにして口ごもる。
「どうかした?」
「ごめん、何でもない」
ハルガンは少しふてくされたような顔をして馬の足を速めた。
◇
ライニール男爵には、いつものように歓迎して頂いた。ハルガンのお母さまも、相変わらず私の頭をモフモフと触り、ギュウギュウと抱き着いて歓迎してくれる。
珍しい香草のパトロニエのこと、作物の育成に影響を与えるかもしれないグリリウムのことを説明すると、男爵はしばらく考え込んだ。
「もし、その仮説が正しいとしたら面白いことになるね。パトロニエとグリリウムか⋯⋯」
男爵のここまで真剣な顔は滅多に見ない。協力を得られないかもしれない、と思うと内臓がギュッと縮こまるような心持ちがする。
「あ、すまない。先を考えると、この研究は興味深い。もちろん協力は惜しまないよ。ただ、研究がまとまったら、私にも内容を教えてもらえないだろうか」
「はい、もちろんです」
男爵は優しく笑うと、立ち上がって私の前に来て、頭を遠慮がちにポンポンとなでた。
「私はね、今でもアーレンツ領は君の御父上が治めた方がいいと思っているんだ。もしも君の研究を活かして、アーレンツ領でもパトロニエを育てられるようになったら、領地の返還や身分の復活も望めるかもしれない」
男爵のお気持ちは嬉しい。でも本当に私の家族は今の立場と生活に満足している。
(でも、まだ研究で成果を上げられるかどうか分からないわ)
成果が出てから改めてこの話をしても遅くはないだろう。私は丁寧にお礼を伝えた。
あらかじめハルガンが、鉱山に行きたいと言う事だけは伝えていてくれたので、詳しい案内人が準備をして待っていてくれた。鉱山からそのままアーレンツ領まで行くので、キリーに乗ったまま鉱山に向かう。
「ハルガンも来てくれるの?」
てっきり、このまま両親と過ごして王都に戻ると思っていた。
「行かなくていいのか? ミレットは暗い所が苦手じゃないか」
「暗い?」
「地底湖だから、当然だろう」
「⋯⋯一緒に来て下さい。お願いします。」
うかつだった。地底なので暗くて当然と言う事を忘れていた。私は暗闇が大変苦手だ。
「ミレット! そんなに服をつかむと歩きにくいよ」
「だって、暗いよ!」
「ちゃんと自分の足元を照らして歩かないと危ないぞ。怖いなら足元だけ見て歩けよ」
「待って、怖いから、もっと近くにいてよ!」
あまりに怖がるものだから、案内人もゆっくり歩いてくれている。
「なら、俺が水を汲んできてやるから、外で待ってろよ」
「それは駄目。正しく採取しないと意味がないの」
呆れたようにため息をつくと、ハルガンは明かりを反対の手に持ち替えた。そして、空いた手で私の手をぎゅっと握ってくれた。
「ありがとう。安心する」
「小さい頃みたいだな」
普段は双子たちに負けないくらい元気いっぱいに遊んだ私だけど、洞窟や天気が悪い薄暗い日の森の中では、ハルガンかコレントにぴったりくっついていた。ちなみに、双子は私をもっと怖がらせようとするので、そういう時に近寄ってはいけない。
まさか案内人に、ぴったりくっつくわけにはいかない。ハルガンが来てくれて本当に良かった。
(もし、先生と一緒だったら?)
無理だ。想像しただけで心臓が爆発しそうだ。先生と一緒だったら決死の覚悟を決めて暗闇なんて怖くないふりをしなければならない。
「ハルガンの匂いがして落ち着く」
「え? 俺の匂い?」
ハルガンが自分の姿を見下ろした。
「うん、お日様みたいな匂い。あなたたち兄弟は、みんなお日様の香りがするの」
「そうかな? ミレットはいつも、ミレットだなって香りがする」
「何それ? 土かしら」
「いい匂いだよ」
「ありがとう」
お日様の匂いで気を紛らわせながら進むと、地底湖はちゃんとあった。水と周辺の泥と乾いた土を採取した。帰りは明るいところに出るまで小走りで進む。
そのまま山の中、グリリウムが多い場所まで案内してもらった。少し持って帰って良いと男爵のお許しを頂いているので、遠慮なくリンゴくらいの大きさのかけら数個を紙に包んだ。
この後は、地図を見ながら同じ地盤が続くところをたどり、アーレンツ領の山まで行く。朝早く出て来たので、まだお昼にもなっていない。案内人にお礼を言って別れると私とハルガンは馬を進めた。
「途中でね、湧き水があったり地図に無いような川があったら、水を採取したいの」
「分かった」
順調に進めば、お昼過ぎにはアーレンツ領の山に着きそうだ。地図を見ながら馬を走らせたけれど、水が湧き出ているところは見つからない。
「地図ではさっきの地底湖につながる地下水が、アーレンツ領の川の源泉になっていると書かれているの。途中で湧き水が出ていたら、その水を調べる事で、それを裏付けることが出来るんだけど」
残念ながら見つからないまま山頂付近の川の源泉にたどり着いてしまった。
緑の中に大小の岩が転がっている。あちこちから、水が沸きだして一帯が濡れている。
「ここから、あの大きな川になっていくのが、いつも不思議で仕方ないのよ」
ここからの水に、他の場所からの水も少しずつ加わり、やがて川になる。理屈は分かるけれど、いつ来ても不思議だと感じる。
私は数か所の湧き水と周りの土を採取した。小さな石も数個拾った。
「ハルガン、ありがとう。これで今日やりたかった事が全て終わった」
「上手くいって良かった。⋯⋯俺、腹減ったよ」
もうお昼を過ぎている。言われてみると私もお腹がすいた。
「私の家に行きましょうか」
「いや、どのくらい時間がかかるか分からなかったから、昼食を持ってきた」
「さっすが!」
私たちは山を少し下り、馬を休ませられる場所を見つけた。馬たちが水を飲むのを見ながら私たちもお昼ご飯にする。
「「いただきます!」」
朝早くから動き回ったので少し疲れた。私ですらそうなのだから、興味がない事に付き合わされたハルガンは、もっと疲れただろう。
「ハルガン、本当にありがとう。おかげで研究が進みそう。興味ないかもしれないけど、研究内容がまとまったらハルガンも聞いてくれる?」
「うん、聞かせて欲しい。それに恋人だったら、これくらいのこと当然だろう?」
(うん? 何だ、恋人って)
私の意味が分からない、という顔をみてハルガンが大声で笑った。
「だよなあ。やっぱりこの前、適当に返事してたんだろう?」
「この前?」
「モリーナにからまれた時だよ」
ハルガンに鉱山のことをお願いした時だ。モリーナが何か言ってたけど何も聞かず、ハルガンが赤くなってしまうくらい、ひどくいい加減な受け答えをしてしまった時のことだ。
「ごめん、あの時は鉱山とグリリウムの事しか考えてなかった」
ハルガンが困ったような顔で言った。
「あの時ミレットは、俺のこと『大好き』って言っただろう。それは、恋人になりたいってことか、っていうような事を言われてたんだよ」
「そうだったんだ」
「俺のことが大好きでたまらなくて絶対に恋人になりたいです、って宣言した事になってるよ」
「はあ」
本当にモリーナのことは理解できない。人のそんな話を聞いて何が面白いのだろう。しかもモリーナのことだから教室中に触れ回ったに違いない。
「はあって、ミレットはそれでも⋯⋯いいの?」
ハルガンが妙に真剣に聞く。何か困ることがあるか私も真剣に考えてみる。
「うん、別に何も困らないな。――あ! ごめん、ハルガンが困るね。学校に行ったら訂正するね」
嫌われ者の変人に好かれている、という評判はハルガンには悪い事しか無いだろう。これは訂正しなければならない。
「恋人になりたくないです、って言ったらハルガンに失礼な感じがするよね。じゃあ教室で『ハルガンに嫌われて振られちゃったよう』って派手に大泣きしようか。それならハルガンの名誉は保たれるよね」
「やめてくれ、絶対にやめてくれ」
本当にやりかねないと思ったのだろう。真剣に止められてしまった。まあ、止められなければやったかもしれない。
「じゃあ、どうしたらいい?」
「何もしなくていいよ」
私から少し顔を背けて言う。どう思っているのか表情が良く見えなくて分からない。
「でも、このままだと、変わり者に好かれてるって、ハルガンの評判が悪くなっちゃうんじゃない? もしかしたら、ハルガンの事を好きな他の子が遠慮しちゃうかもしれないよ?」
言いながら違和感を抱く。よく考えたら『栗色の羊』と嘲られ、平民になった女の子には誰も遠慮なんてしない。
「それは構わない。それより君こそ評判に傷がつくんじゃないのか」
ちゃんとした令嬢が恋を成就させるには、家同士で決めた婚約が必要だ。婚約もせずに異性と特別に仲良くなると、身持ちが悪いと悪評が立ち誰とも結婚できなくなってしまう。
「私の評判って」
思わず笑ってしまった。
「私はただの平民だし、もともと結婚するつもり自体ないもの。評判なんて関係ないわ」
まさか研究院に入るときに、身持ちの固さについて評価される事もあるまい。私には全く関係のないことだ。
「結婚するつもりがないって、どういうこと?」
ハルガンがこちらを振り返って真剣な顔を見せた。
「どういうことって、ハルガンが言ったんじゃない。私みたいな変わり者は結婚できないから、研究者になった方がいいって」
「俺が、そんな事言った?」
「うん、まだ幼い頃だけど。あれは私にとって運命を変える言葉だったよ。おかげで、結婚を意識した淑女らしさなんて気にしないで、研究院への道をすすめばいいって分かったんだもの。結局平民になったから、この道を選んでいて正解だった。ありがとう」
ハルガンは力なくうつむいてしまった。皮肉のように受け取られてしまっただろうか。一般的にはけなす言葉かもしれないけど、私は本当にありがたかったのに。
「ほんとだよ、本当に心から感謝してるんだよ」
「⋯⋯うん、分かってる」
そのまま、ハルガンは私の家に立ち寄った時も、王都への帰り道もずっと、元気がないままだった。
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