予想しなかった顛末

「肖像画? 私の?」


 カノアの師匠は数日後には招待を受けて家に来てくれた。師匠が帰った後、カノアが私を部屋に呼びつけて椅子に腰掛けさせた。


「師匠が色んな画材を使って様々な題材を取り扱えって。まずは絵の具で肖像画を描くといいらしい」


 それは理解した。でも素材が私というのは。


「他に誰かいないの?」

「父さんを描けって言うのか?」


 確かに、想像しにくい。


「馬の肖像画でもいいじゃない」

「馬鹿なのか? 人間の表情と内面を描き出す事に意味があるんだよ。他にいないんだから我慢しろよな」

「えー、私が退屈だから嫌だ」


 肖像画を描かれている間、じっと座って我慢するのではないか。


「本を読んでていいいよ。それならいいだろう?」

「それならいいよ」


 しかし、引き受けた事を後悔するまでに時間はかからなかった。


「お前、間抜けな顔をするな!」

「間抜けってひどい。ちょっと考え事をしているだけじゃない。知的な顔でしょ?」

「は? ぼんやりして魂がどこかに行っているような顔は、知的じゃなくて間抜けっていうんだ」


 最近、『馬鹿』『間抜け』が減って来たと思ったのに。


「お前、俺の絵を見たくないのか?」


 それを言われると弱い。


「⋯⋯見たいです」

「なら、まともな顔をして本を読んでろ」

「んー、何か悔しい」


 騒ぎを聞きつけて先生が顔を出すけど「喧嘩は、ほどほどにしなさい」と言うだけで、もちろん代わってくれたりしない。


 学校は冬休みに入っている。研究院には冬休みが無いので、助手の仕事をしに毎日行く。帰りは比較的早くてまだ明るいから一人で大丈夫と言ったけれど、カノアは律義に帰りの時間が近くなると学校にやってきて、校舎に飾ってある絵画を見たり、図書室で本を読んだりして待っていてくれる。


 そして帰ると、部屋で画架の前に座らされる。


「ほら、顔!」



 新年は家族で迎えた。焼き芋の後、私は家に帰れないでいた。どうやって両親と祖母に謝ればいいのか分からなかったからだ。私のせいで家名を落とし領地を召し上げられた。恐らく、経緯まで全て耳に入っていることだろう。


 馬小屋でキリーから離れずにぐずぐずする私を、コレントが無理やり引っ張って家の中に押し込んだ。両親と祖母はすぐに駆けてきて私の頭をモフモフと撫でた。


「おかえり」


 母が黙ってぎゅっと抱きしめてくれた。


 母のぬくもりを感じて我慢出来なくなり、しがみついて声をあげて泣いた。大きくなってから、私が泣く姿を見た事がなかった家族はとても驚いていた。


 今までの私だったら、自分の悲しかった気持ちを隠し、涙を見せて心配させたりしなかったと思う。カノアとの自分を騙さない練習で変わったと思う。これが、良い事なのか悪い事なのかは分からない。


「可愛そうに。理不尽に憎まれて、大切な論文を燃やされて辛かったね」


 父も私を抱きしめてくれた。コレントが背中を撫でてくれる。


「僕は、姉さんが平気そうな顔をしているのが怖かったんだ。ちゃんと泣けるようになって安心した」


 そして家族は改めて、本当に没落は悪い事じゃなかった。結果的に自分たちに良い結果をもたらした、と言ってくれた。


 それなのに。


 その知らせが届いたのは2月に入る頃だった。来週には研究院の論文審査の結果が出る。私は落ち着かない日を過ごしていた。


 そんな中、次の休みには必ず家に戻るよう、父からの知らせが届いた。コレントと私は雪が積もる中、慎重に馬を走らせた。


「家名と領地が戻った」


 父の言葉に驚きはなかった。数日前から先生の家での様子がおかしかった。何かを隠しているような感じから、何となく推測はしていた。


 コレントにも驚く様子がない事から、彼もライニール家で何らかの情報を得ていただろう事が分かる。


「受けるの?」


 父は険しい顔をして俯いた。ためらうような沈黙の後、重い口を開いた。


「受けるつもりだ」


 今回の話には、高度に政治的なことが関わっている。アシュレの家からの口止めや、他にも複雑な利害が関わっている。助けてくれているライニール家を巻き込まない為にも、今回は引き受けるという選択をするそうだ。


「でも、二人が後を継ぐ事は考えなくていい」


 私とコレントは思わず顔を見合わせた。


「二人とも、平民でいる方が自由に未来を選べることは、よく分かっているから。


 跡継ぎがいなければ、私たちの後はまた領地を返上してもいい。養子を迎えて継いでもらってもいい。ほら、ライニール家のハルガンの下3人は継ぐ領地が無いだろう。うちを継いで、ライニール領とここを協力して運営してくれてもいいんじゃないか。ライニール男爵も賛成してくれている」


 それは良い考えだと思う。コレントも嬉しそうだ。


「王都の屋敷も、また使えるようにする」


 恐ろしくて手を付けたくないほどの褒賞が出たそうだ。もっともらしい理由をつけて、褒賞が与えられて汚名がそそがれたけど、実質は口止めとしての意味があるのだろう。父はそれも受け入れた。


 父は王都の屋敷をちゃんと整備して、私とコレントをそこに住まわせて学校に通わせるという。両親と祖母は畑があるからこの領地を離れないけど、ちゃんと王都の屋敷を取り仕切る人も雇ってくれるそうだ。


 先生の家を出るという事だ。家名の復活は想定していたけれど、これは考えていなかった。


 領地から通うなら遠いことを理由に先生の家に置いてもらう事が出来る。でも王都に屋敷があるのに、先生の家に置いてもらう理由がない。


 でも、良かれと思ってくれている父や、落ち着いて暮らせるようになるコレントの事を考えると、さすがに我儘は言えない。



 先生の家に戻ると、カノアがロイにブラシをかけていた。もう遅い時間なので世話人は帰ってしまっている。


「おかえり」

「ただいま」


 私は往復して疲れたキリーに、水と飼い葉をやった。


 まだ外には雪が残っているのにカノアは薄い上着しか着ていない。寒がりな私は見ているだけで震えそうだ。


「そんな恰好で寒くないの?」

「家の中が暑かったからな。父さんもお前も、寒がりなんだよ」


 キリーが少し頭を下げて目を閉じた。疲れたから眠るのだろう。キリーから離れて桶を片付けた後も、何となく家に入りたくなくて、ぼんやりとカノアの作業を眺めた。


「なに? 俺の姿に見とれてるの?」

「うん、そうだよ」


 カノアが驚いた顔をして、私が冗談を言っているのか表情を探ってから少し赤くなった。勝負ではないのに勝った気分になる。


「何かあったのか?」


 帰り道に考えを整理した。カノアと練習した通り『本当は?』と何度も自分に問いかけた。


「ここを離れたくないな、って思ったの」

「え?」


 カノアがブラシをかける手を止めた。ロイが前足を掻いて催促する。


「ごめん、ロイ。今日はもう終わりだ」


 カノアはロイの首筋を優しくなでた後、片づけをした。そして、馬小屋の端にある作業用の椅子に私を腰掛けさせた。隣に自分も座る。


「どういうこと?」


 私は家名と領地が戻った事、王都の屋敷に住む事、ここを出る事を説明した。


「前に、家名が復活するかもしれないとは先生から聞いていたの。でもその時は、助手も続けさせてもらえて、ここにも置いてもらえるって聞いてた。だから、ここを出る事になるなんて、全然考えてなかった」


 カノアは少し身震いして上着の襟元を掻き合わせた。


「ごめん、寒いね。中に入ろう」


 カノアは立ち上がりかけた私の手を取ると、また座らせた。そして嫌な顔をする。


「何だよ、温まろうと思ったのに、お前の手の方が冷たいな」

「手が冷たい人は心が温かいのです」

「お前また、研究者のくせにそんな根拠のない事を言うんだな」


 風で雲が流れて月が顔を出した。澄んだ空気と、手から伝わる温かさで心が落ち着く。


「ここを離れたくないのは、畑と、馬と、俺から離れたくないから?」

「ふふふ、自信家ね。でも合ってる。あと先生もね。研究院だと他にも助手や教え子が多くいるけど、ここでは私だけの先生だもの」

「何だよ、父さんが一番か」


 私の手を放り出して、空を見上げた。


「当然でしょう。私が先生の論文を読んでから何年憧れてきたと思ってるの。カノアの師匠には、今のところ他に弟子がいないから、この気持ちは分からないわよ」


 無理やりカノアの手を握ると、少しすねたような顔をして微笑んでくれる。


「お前のところの屋敷は、ここから歩いてすぐじゃないか。いつでも来ればいいだろう。ほら、他の助手だってよく来るんだし」


 先生を独り占めは出来ないけど、他の人たちよりは近くに住んでいるのだから頻繁に遊びに来てしまおう。


「それに、俺は⋯⋯お前が来るなって言っても家に行くからな。帰りは学校で待ってるし、勉強も引き続き教えて欲しい」

「もう、勉強は必要ないでしょう」

「いや、父さんに高い画材を買わせるには、成績良い事が一番効果あるんだよ。お前の教え方は的確だから理解しやすい」

「⋯⋯ありがとう。何も変わらない気がしてきた」

「本当は?」

「大丈夫、本当に。ちゃんと本当にそう思ってる」


 カノアが優しく微笑んだ。そして立ち上がる。


「さすがに寒い。家に入ろう」

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