特別な弟子、新しい師匠

 再び書いた論文は無事に提出できた。今度は学園長ではなく、先生経由で研究院の審査部門に渡ったそうだ。


 そこで、他にも多く届いている論文と共に研究院への入学が審査される。先生はあんな風に言ってくれたけど、狭き門ということは知っている。それほど自信が持てない。


「まだあと1年あるから、落ちても大丈夫。全然気にしない」


 カノアに言うと顔をしかめられた。


「本当は? ほら、この前練習しただろう。俺の前では本当の気持ちを自分で確認する練習をしろ」

「本当は⋯⋯気にする。今回の論文が駄目だったとしたら、次にもっと良いものを仕上げる自信がない。次に失敗したら後が無いと思うと、とても怖い」


 深呼吸をした。


「それに、先生をがっかりさせるのが怖い。こんな子を拾ってしまって失敗だったと失望されるのが怖いの」


 カノアが笑い出した。


「ごめん。気持ちを聞くだけにしようと思ったけど、これは教えておいてやる。父さんがお前を見つけた時の話を聞いた事がある。お前ふわふわの野生動物みたいで、話しかけたら怯えて逃げてしまったって」


(野生動物。確かに逃げたけど、人間らしく知的な会話もしはたずなのに)


「知識量も意欲もすごいのに、ひどく子供っぽい所との相違が大きくて面白いって」


 既にもう、あまり話さなくなっていたカノアに、珍しく饒舌に話して楽しそうに笑っていたそうだ。


「父さんが、あんなに笑うのを初めて見たし、弟子みたいな教え子もたくさんいるのに、俺にまで話したのはお前だけだ。それを覚えてたから、お前が家に来るって聞いた時に嫌だったんだ。嫉妬したんだよ。」

「だから冷たかったの?」

「ごめん、悪かった。お前は、父さんにとって特別な教え子なんだよ。ちょっと失敗したり、期待通りの事が出来なかったくらいで、失望したりがっかりしたりされない」

「そうなのかな」

「絶対にそうだ。――俺が嫉妬したことは、父さんに言うなよ」

「うん、言わない。ありがとう」


 不安だった気持ちが楽になった。


「最近、カノアがお父さんみたいだよ。一緒にいると安心する」


 カノアは嫌そうな顔をした。


「それは、間違った方向の好きだよ。舞踏会の時の方向で進んでくれ」

「えっと、それは転んでも『馬鹿だな』とか言っちゃいけない、ってことだよ」

「はあ? だって、いくら考え事してたって、普通はあんな所で転ばないんだよ。そりゃ馬鹿って言われても仕方ないだろう」



 モリーナが学校に来た。少しやつれていたけど、思ったよりは元気そうだった。休み時間に二人で話をした。


「アシュレのこと、ごめんなさい。私のせいで、あなたに。あなたに⋯⋯」


 泣き出したモリーナにハンカチを差し出した。モリーナは受け取って使ってくれる。


「論文は無事に再提出したし、家の事は誰も気にしてないわ。それより、あなたは大丈夫だったの? アシュレが怒ってたけど、ひどい目にあわなかった?」


 モリーナは力なく微笑んだ。


「アシュレは遠くの領地に幽閉されているわ。私のお父様がひどく怒って、彼のお父様も許さなくて。家は彼の弟が継ぐ事になったの。私は、彼の弟と婚約することになった」

「弟と⋯⋯」

「あ、気にしないで。彼の弟は人柄の良い子だし嫌いじゃない。それよりも、アシュレがあんな事を思ってたって受け入れるのが難しくて。もう一度話したいんだけど会えないの」

「いつか、ちゃんと話せるといいわね」

「うん。⋯⋯ねえ、難しいと思うけど、いつか私の事を許す気になったら友達になってくれる?」


 モリーナ。ずっと私と仲良くなりたいと思っていた。そのせいで、アシュレとあんな事になってしまった。彼女の幸せを壊した私に、彼女の友達になる資格があるだろうか。


⋯⋯違う。本当は、本当は。


 こうなって良かったんじゃないかと思っている。アシュレのあの愛情は異常だと思う。あんな風にモリーナの気持ちも好奇心も全て押し潰して彼女が幸せになれるとは思えない。取り返しがつかない事になる前に発覚して良かったのではないだろうか。


 彼女は昔から私と友達になりたいと思ってくれていた。そのことを、私はとても嬉しいと思う。


「あなたが昔から私に興味を持っていたと聞いて本当に嬉しかったの。私と友達になって欲しい」


 顔を上げて私を見たモリーナの顔に血の気がさして、少し明るくなった。モリーナと微笑み合って私は続ける。


「あなたの興味がある事を教えて」

「うん。この前の焚火の仕組みが知りたいの。木に生えている葉に火を付けたら、もっと大きな焚火になる?」

「え? 絶対そんなことしちゃだめよ。この前は枯れ葉を使ったから燃えやすかったけど、生きている木も燃えないわけじゃないから――」


 私に教えてあげられそうな事は、たくさんありそうだ。



「ミレット、厩舎に行くぞ!」


 昼休みになってすぐだった。畑に行く支度をしていた私は、大声で名前を呼ばれて驚く。

カノアが自分の教室かのように堂々と入ってきて目で私の姿を探している。周りが目を丸くする中、すぐに見つけて私の席までやってくる。私の返事も待たずに、腕を無理やり引っ張って立たせた。


「おい!」

「カノア、お久しぶり」


 険しい顔をして腰を浮かせたハルガンと、にっこり笑って手を振るモリーナが目に入る。


「もしかして、あの人が来たの?」


 馬の絵の画家。来たら飼育人のユーゴさんが連絡くれることになっていた。頷くカノアを見て、私たちは教室を飛び出して馬場まで走った。


「ほら、こっちこっち!」


 ユーゴさんが厩舎の外で待っていてくれた。傍らには大柄な白髪の老人が立っていた。老人は私たちが息を整えているうちに、カノアの頭をワシワシと撫でた。


「覚えているぞ。大きくなったなあ!」


 カノアが瞳をうるませた。泣きそうな顔をして勢いよく頭を下げた。


「お久しぶりです。俺、言われた通りに、ちゃんと絵を描き続けています」

「そうか、そうか。後で見せてくれ」


 私とユーゴさんは二人を残して馬房に戻った。私の姿を見て、キリーが鼻を鳴らして前足を掻く。厩舎に来たのに、すぐに顔を見せに来なかった事を怒っている。


「ごめん、ごめん。カノアが話している間、少し遊んでようか」


 休み時間いっぱい話したカノアは、とても満足そうだった。


「今度、家に招待させてもらうことにした。帰ったら父さんに話さなきゃな」


 支援者のお屋敷に連絡したら話が伝わるように手配しておいてくれるそうだ。


「色鉛筆のことも、仕上げの事も教えてもらえた。これからも師匠として教えてくれるって」


 私よりもユーゴさんの方が喜んで、よかったなあ、と言いながらカノアの頭をワシワシ撫でた。ちなみに、カノアの師匠は去り際に私の髪の毛を『何とふわふわの不思議な頭だ』とモフモフして行った。

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