探し求めた人は身近にいて

 数日経つと、熱が下がり動けるようになった。まだ学校には行かせてもらえないけど、家の畑や馬小屋には行けるようになった。


「キリー! ロイ、レイ!」


 馬たちが私を歓迎して鼻を鳴らす。キリーが私に差し出した首筋に頬をぴったり当てながら、首筋を優しく撫でた。


「あ! 分かった!」


 急に思い出した。


 夏にカノアのお母さんの領地から、カノアに絵を教えてくれた画家の馬の絵を持って帰って来た。それを街の画廊に持って行って、画家の行方を探していたけれど、全然行方が分からなかった。


 学校のどこかで見たことがある気がして、時間を見つけてはカノアと学校の中を探していた。でも学校の中には数えきれないほどの絵が飾ってある。よく行くところを中心に探していたものの、まだ見つかっていない。


(厩舎だわ。飼育人の部屋に飾ってある絵が似ているんだ!)


 厩舎には飼育人が休憩する控室がある。両親の家から馬で通っていた頃には、毎日そこを使わせてもらって着替えをしていた。その部屋に、馬の絵が飾ってなかっただろうか。


 私はカノアが帰ってくるなり、その事を伝えた。


「ねえ、今から見に行こうよ!」


 さすがに渋い顔をされた。粘ったけれど許してもらえない。


「今から行ったら、暗くなるけど大丈夫なのか?」


 冬に入り日が落ちるのが早い。既に辺りは薄暗くなっている。夜の厩舎は嫌だ、怖い。


「明日にします」


 先生に事情を話して、翌朝は早く行く事にした。カノアと一緒に馬の絵の話する私を見て回復したと認めてくれた。


「元気になって良かった。助手の仕事は来週からにして欲しいけど、帰りに研究院の私の部屋に寄ってくれる?」


 来年に向けての論文の進め方だろうか。


「カノア。そんなに時間は掛からないから、ミレットを待っててやってくれ。先に帰ったりするなよ」

「そんな事しない」


 カノアは絶対に私を置いて帰ったりしないけど、普段の様子から、先生はそういう意地悪をしていると疑っているようだ。家で意地悪をするカノアが悪い。



「これは⋯⋯」


 カノアが息を呑んだ。学校の厩舎、飼育人の控室に飾ってある馬の絵は、探していた画家の絵だった。飼育人のユーゴさんに断って絵を外させてもらい、カノアが裏を確認している。


「絵の具で描いた絵だけど、確かにあの人の絵だ」

「ユーゴさん、ここの馬の絵は定期的に変わっている気がするんですけど、学校の指示ですか?」


 学校に飾ってある絵のほとんどは、芸術の教師が選んでいる。季節や私には分からない何かの基準で、定期的に入れ替わっている。


「いや、厩舎なんて誰も気にしやしないよ。この画家さんが自分で来て取り換えているんだ」

「「え?」」


 灯台もと暗しとは、この事だ。探している画家はこんな近くを頻繁に訪れていた。


 旅に疲れた年老いた画家は、数年前から王都の支援者の元で暮らしているそうだ。最近は肖像画を多く描くけど、本来は馬が好きらしい。たまに馬が恋しくなると、王都の中では珍しく広い馬場があるここに来ては、駆け回る馬を見て絵を描いているそうだ。


 私たちが授業を受けている日中に来ているので、全然出会わなかったらしい。


「次にいつ来るか、分かりますか?」

「つい最近来てたから、遠からず来ると思うけどな」


 画家は大抵午前中に来てユーゴさんたちと昼食を食べ、午後早くに帰るというので、来たら連絡をもらう事にした。お昼休みに来れば会えるかもしれない。


 カノアが想いの丈を綴った手紙も託した。


「そうか、カノアくんは絵が好きだったんだな」


 ユーゴさんはにこにこ笑って、私の頭をモフモフした後にカノアの頭もワシワシ撫でた。馬に優しくするカノアを、とても気に入っているのだ。



「先生、ミレットです」


 ここに来るのは久しぶりだ。さっき、先輩たちがいる部屋に行き焼き芋の時に掛けてしまった迷惑を詫びた。先輩たちなりに、アシュレが口にしたパトロニエの事を調べていて内容を教えてくれた。


 私とコレントが推測した通り、アーレンツ領から質の良いパトロニエが市場に出回ることで、アシュレの家の領地に経済的な打撃を与えてしまっていた。


「世の中を良くすると想像出来るかという考えはみんな、教授から受け継いでいるんだ。その僕たちも、君の判断は間違いじゃなかったと思う」


 同じ悩みにぶつかってきた先輩の言葉が、ただの慰めじゃない事が伝わって来て私の心を支えてくれた。


 先生は机の引き出しから書類を取り出しながら、馬の絵の顛末を知りたがった。


「厩舎には私も頻繁に行くけれど、絵が飾ってあるなんて全く気が付かなかったな。⋯⋯カノアが絵にそれほど情熱を傾けているとは思わなかった。彼も自分の道を歩き始めているんだね」


 先生はすこしぼんやりと窓の外を眺めた。傾きかけた日差しが先生の顔を照らして、少し寂しそうに見えた。


 しばらくすると、こちらに向き直って机の上で手を組んだ。


「すまない、大切な話があるんだ。君の論文の事だ」


 心臓がどくんと大きくはねた。私は手を膝の上でぎゅっと握りしめた。


「調査の結果、研究院の審査部門から盗まれた事が分かった。アシュレに指示されて実行した犯人はもう捕まっている」


 燃え残った切れ端が頭に蘇る。盗まれた、犯人、という言葉は遠い世界の話のようで実感しにくい。


「アシュレについては、彼の父の力もあり、今後も表に名前が出る事は無いだろう。だが、彼の父は名前を汚そうとした息子を容赦するつもりはないらしい。恐らく今後二度と私達がアシュレを見る事は無い」

「二度と⋯⋯」


 アシュレとモリーナは学校に来ていない。二人とも病気という事になっていて、誰も焼き芋の騒ぎについては触れていなかった。


「論文について、君に落ち度が無い事は当然誰もが知っている。研究院としても提出済みの論文が盗まれて燃やされた失態を大いに恥じている。だから、君の再提出を望んでいる」

「期限を延ばして頂けるということですか?」


 先生が笑った。


「期限も何も、盗難など無かった事にしたいんだよ。君がもう一度提出した論文を、さも期限内に提出されたかのように審査するつもりだろう」


 状況は理解できた。草稿や記録はまだ残っている。同じものを書いて提出することは出来る。


「でも、私怨を買ってご迷惑をお掛けしてしまったのに、そこまでして頂いて良いのでしょうか」


 先生が顔をしかめた。少し怒っているように見える。


「さっきも言ったけど、君には全く落ち度がない。アシュレの父親がどれだけ口止めをしようと、この話は研究院の中ではとっくに有名になっている。研究者達が論文が盗まれて燃やされるという事に対してどれほど怒りを覚えているか知っているか? ここで君の論文が審査に通らないなんて事があったら、暴動が起こりかねないね」

「でも、中身が! 先生、中身が悪くて通らないかもしれませんよ!」


 手に汗をかいてしまう。中身が悪くて通らない場合は、ちゃんとその事が知れ渡るものだろうか。


「この私が指導してお墨付きを与えた論文だよ? 内容が悪くて通らないなんて事あるわけない。ミレットは私が信じられないの?」

「すみません、先生を信じてます!」


 何だろう、今の言い方はすごくカノアみたいだった。違う、逆なのか。カノアは私が知らなかった、先生のこういう面を受け継いでいるのか。


「だから君はもう一度、論文を書くんだ。何なら、提出した論文を管理出来なかった研究院に対して賠償を求められるよ。実際、君の先輩達はそうしようと息巻いていたけど」

「やめてください! もう一度書くくらい何て事でもありません! むしろ機会を頂けるご厚情を感謝しておりますから!」


 血の気がひいた私の顔をみて、先生は面白そうに笑った。


「まだ体も本調子じゃないだろうから、無理せず、ゆっくり書けばいいよ」

「はい、ありがとうございます」


 先生は深呼吸した。


「ここからは、まだ決定した話では無いけど君の耳に入れておく」

「はい」

「君の家のことだ」


 家のこと?両親の家ということだろうか。


「今回の事は、研究院の信頼を揺るがしかねない事で、恐らく君が想像している以上に政治的にも重い事件なんだ」


 私は政治については授業で習う以上の事を良く知らない。


「力を持つ家には敵も多い。捕まったアシュレが、君の家を貶めて領地を召し上げた経緯まで、辺り構わず話し過ぎた」


 私利私欲で、罪も無い家の爵位と領地を召し上げるような振る舞いは許されない。これが明らかになった事で、政治的な勢力図に変化が起きているという事だった。


 自分の家がきっかけになって申し訳ないとは思うけれど興味が持てず聞いていると、先生が笑い出した。


「本当に君には恨みとか怒りが無さそうだね。少しくらい、報いを受けて欲しいというような気持ちを持ってもいいと思うけどな」


 悲しかったことや憎まれて怖かった気持ちは、この前カノアに吐き出させてもらって、すっきりしている。今は本当に何とも思っていない。大丈夫、自分を騙したりしていない。


「それで、君に関係ある事と言えば、君のお父さんに爵位と領地が返還されるだろうという事だ。恐らく近いうちに」

「え! それは困ります!」


 名誉が戻ることは喜ばしいけれど爵位と領地が戻ってくる事は父も望まないだろう。先生は困った顔をした。


「政治的な事だから、どう転ぶかは分からないけれど、そういう心づもりでいなさい」


 領地と家名が復活したら?


 学校に通う権利が復活する。私とコレントはまた家に帰って、今まで通りに領地から学校に通える。


「先生、そうなったら、私は助手を続けられないですか?」

「え? 気にするのはそこなの?⋯⋯えっと、君が望むなら続けて欲しい」

「家にも置いて頂けますか? 畑とか、ロイとレイとか⋯⋯」


(カノアの家庭教師とか)


 先生はますます困った顔をする。


「出来れば、家にいてくれた方が私も助かるけど。君がいるとカノアが機嫌良く私と話してくれるしね」


 いったん、私は安心した。でも聞いた内容が多すぎて処理しきれない。落ち着いて考えたい。

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