焚火が炙り出した真実

 風も無く天候も良く、焼き芋にうってつけの日になった。11月も半ばなので少し肌寒いけれど火を囲むにはちょうど良い。


 休日の研究院は人影がまばらで、しんとした敷地の遠くにまで私たちの騒ぎ声が響いている。


「そろそろ、火を付けるよ!」


 大き目の石を積んで作られた囲いの中に集めた落ち葉をたっぷりと入れた。そこに、先輩が火をつけた紙を数個放り込む。乾燥した落ち葉はすぐに煙を上げて燃え上がる。


「きゃあ、ここにサツマイモを放り込むのね!」


 モリーナが目を輝かせて興奮している。豪快で楽しそうだけど、そんな事はしない。


「ここに放り込んだら、あっという間に黒焦げになってしまうわ。『まだ熱いけど炎は出ていない』って状態まで落ち着いてからサツマイモを入れるの」


 コレントが続きを説明してくれる。


「サツマイモの甘さは火の通し方で変わるんだ。高すぎない温度でじっくり火を通すと甘さが強くなるんだよ」


 コレントとカノアが協力してサツマイモの準備をしている。この二人は気が合うらしくアーレンツ領に行った時にもよく二人で話をしている。


 私はモリーナも誘って一緒にサツマイモの準備を手伝った。1個ずつ紙でくるんで水にさっとくぐらせて湿らせる。それを燃え難い紙で更に包む。こうすると焦げ難くなる。


「そろそろ良い火加減になったよ! 準備出来た?」


 先輩の呼びかけに応じて私たちは紙に包んだサツマイモを持っていく。先輩が長い棒を使って器用に赤い火の色だけ残った落ち葉の中に並べてくれた。


 モリーナが何一つ見逃さないという熱意でサツマイモを見つめる。先輩や私たちはこういう物を見慣れているので、何でも喜んで珍しがってくれるモリーナの目を通す事で、改めて新鮮に楽しみを味わう事が出来ている。


 先生と古参の先輩が、紙に包んでいないサツマイモを日にかざして眺めながら何やら真剣に話しをしている。のんびりと飲み物を片手にベンチに腰かけてくつろぐ先輩、なぜか体操する先輩。それぞれ焼きあがるまでの時間を楽しんだ。


「最近、話し掛けてくれるけれど、アシュレは大丈夫?」


 私の質問にモリーナは目を伏せた。


「どうしても、私をあなたから引き離したいみたい。理由を聞いても教えてくれないの」

「ごめんね、多分私が何かしてしまったからだと思うんだけど、理由が分からないから謝れなくて」

「いいの。私とアシュレは違う人間で違う考えを持っていてもいいって教えてもらったでしょう。あれで、とても気持ちが楽になったの。ありがとう」


 休みの日も、どこにいて何をするかアシュレに報告する習慣があるそうだ。でも今日は秘密にしてこっそり来ているのだと、悪戯っぽい微笑みを浮かべて嬉しそうに話してくれた。


「そろそろ、焼けるよー!」


 先輩が試しに1つ取り出して紙ごと半分に割った。橙色に近い濃い黄色の断面からほわっと湯気があがる。先輩が『熱っ』と言いながら一口齧った。


「うん、美味しい。甘いよ」


 芯も無く中まで火が通っている。完成だ。取り出してみんなに配ると、みんな『熱っ』と言いながら割って食べ始めた。


「モリーナ、そこは皮だから食べなくていいのよ。黄色い所だけ食べてね」


 彼女の生活では、こんな風にサツマイモを丸ごと手づかみで食べるような真似はしないのだろう。嬉しそうに、楽しそうに笑っている。


(アシュレにも婚約者がこんなに喜ぶ姿を見せてあげたいな)


 焚火が消えた事をモリーナがあまりに残念がるので、先輩がもう一度落ち葉を石囲いの中に集めて火を付けてくれた。


「すっごいの! 燃えてるわ!」


 モリーナが興奮して焚火の周りをぐるぐる回る。


「危ないから、あまり近寄らないで」


 先輩たちもそれを温かく見守る。その時だった。


「モリーナ」


 冷たい声が鋭く響いた。決して大きな声では無いのに一瞬でその場を凍り付かせるような声。モリーナがびくっとして動きを止めた。


「アシュレ⋯⋯どうしてここに」


 事情を知らない先生や先輩たちも動きを止めてアシュレに注目した。彼は片手に紙の束を持ち、微笑みながらモリーナにゆっくりと歩み寄ると焚火の手前で立ち止まった。


「君は屋敷にいると思ったんだけど、なぜこんな所にいるの?」


 モリーナは真っ白な顔色をして、ふらついている。私は駆け寄って小刻みに震える彼女を支えた。


「僕が禁止した事を、君の頭では覚えていられなかったかな。それとも、覚えていたのにやったのかな」


 モリーナは浅い呼吸を繰り返して何も話せなくなっている。私の腕にぎゅっとしがみついた。それを見てアシュレの顔が豹変する。最近、教室で見せるようになった私の事が憎くて仕方ないといった顔。


「お前だな。⋯⋯やっぱり、お前が僕のモリーナを台無しにするんだ」

「私が?」


 アシュレが視線を私にぴたりと合わせたまま、ゆっくりと私に近づく。私のすぐ後ろに誰かが立ってくれた。カノアだ。


「――初等部に入って、僕のモリーナがお前に興味を示したあの時から、お前は危険だって分かってたんだ」


 アシュレが話していることが理解できない。私が戸惑っている事が分かったのか彼の顔が益々醜く歪む。


「分からないのか? お前が邪魔なんだよ。だってモリーナはお前が熱中しているものを知りたがる。自分も一緒に知ってみたいと言う。自分の知らない事をたくさん知っているお前と仲良くなりたいと言う。話しかけてみたいと言う。


 ――モリーナは、お前みたいに物を考えて学んだり、周りの事に興味を持ったりしてはいけないんだよ!」


 モリーナの方を見て、うっとりとした顔で笑った。モリーナは真っ白な顔色で身動き一つしない。


「人形のように美しく、僕の横で笑っていればいいんだ。何も考えてはいけない、何も知らなくていいんだ。僕の言う事だけ聞いていればいいんだ」


 ゆがんだ愛情。心がすっと冷える。


 焚火が風に煽られて炎を大きくする。大きな音と共にアシュレのすぐ横で火の粉が爆ぜる。それには見向きもせずに、アシュレはゆっくりとまた私に視線を戻す。


「それなのに、いつまで経ってもモリーナはお前に興味を示す。邪魔なお前を遠ざけたいのに、どれだけ虐めてもお前は学校に来る。あんなに何年も何年も虐めてるのに、平気な顔をして来るんだ」


 火の粉がひと際大きな音で爆ぜる。それだけの熱の横でもアシュレは真っ白な顔で、目だけを異様に輝かせて私を見つめる。


「――だから、父上に頼んでお前の家を潰してやったのに! それでもまだ学校に来続ける。なぜ、そんなにしぶといんだ? なぜ、僕の大事な物を平気で台無しにするんだ?」


(家を潰した。まさか)


「パトロニエの事は仕返しか? だとしたら大した仕返しだな。お前を完全に排除出来なかったせいだと父上に責められたよ。全部お前のせいだ!」


 なぜパトロニエがここで出てくるのか。もう何もかも分からない。よろけた私の背中をカノアが支えてくれた。


 これほどまでの憎しみを受ける理由がどうしても理解できない。


 アシュレは目を憎しみで満たしたまま、顔だけゆっくりと笑う。カノアの母の領地で見た化け物の絵のようだ。


「お前は僕の大事な物を台無しにしたんだ。僕もお前の大事な物を台無しにしても、文句はないだろう? 当然だろう?」


 アシュレは化け物のような笑顔のまま焚火に向かうと、手に持っていた紙の束を放り込んだ。あっと言う間にそれは燃え上がる。吹き込んだ風に煽られて火の粉がふわりと美しく舞い上がる。


 先輩の一人が何かに気付いたのか叫び声を上げると桶の水を焚火に掛けた。大きな音がして大量の水蒸気と煙が上がる。「馬鹿、止めろ!」と止める先輩と、長い棒を使って中から何かを描き出そうとする先輩、あっという間に焚火の周りに先輩たちが集まる。


 私は身動き一つ出来ない。


 煙を避けるようにして焚火から少し離れたアシュレは大声で笑った。心から楽しそうに、誇らしげに。


「――なあ、今の何だと思う?」


 アシュレは目尻に溜まった涙を手で拭きながら、私に一歩近寄った。


「お前の大事な論文だよ」


 後ろで背中を支えてくれていたカノアが、アシュレの方に飛び出した。私はとっさに腕を強く掴んでそれを止める。


「離せミレット!」


 私は必死で腕を掴んでいたが、それはもうカノアを止める為ではない。力が抜けて座り込んでしまいそうになるのを、腕にしがみついて必死にこらえる為だ。モリーナは既に地面にへたりこんでいる。


 先生と先輩たちはアシュレが放り込んだ何かの残骸を掻きだす事に成功したようだ。皆の様子から多分それが本当に私の論文だという事が分かる。


「こっちです!」


 先輩の一人が警備の人を数人連れて走って来た。途中で事情を話したのか、すぐに警備の人がアシュレを取り囲んだ。


「触るな! 僕の身分が分かっているのか? お前たちが触れていいような人間ではない!」


 それでも警備の人は何かを言いながら、アシュレを引き立てて行った。それを見て、やっとカノアから力が抜けた。私も手を離し地面に崩れるように座り込んだ。


「姉さん!」


 駆け寄って来たコレントが私を抱きしめてくれた。私はコレントの肩に顔を伏せた。誰にも顔を見られたくない。誰とも話をしたくない。自分の体が震えている事が分かる。コレントを心配させてしまうから、落ち着かなければならないのに、体が言う事をきかない。


 コレントは小声で誰かと何かを話してから、私を力強く立ち上がらせた。私はコレントに掴まり、震える足をどうにか踏みしめる。


「行こう、姉さん」

「でも、モリーナも片付けも、えっと⋯⋯」

「いいから。全部大丈夫だから、安心して」


 そのまま、私の肩をぐっと掴んで歩き出した。まだ震えは止まらないけれど、歩けないほどではない。私は黙って付いて行く。

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