こっそり忍び込んだ畑で腰を抜かす

 先生とはこの畑で出会った。


 中等部の3年生の時に、研究院を見学する行事があった。私には漠然と研究者になりたいという想いはあったものの、研究院についての詳しい情報は少なく、もちろん足を踏み入れた事は無かった。


 学校の奥、厩舎と広い馬場を挟んだ向こうに研究院の大きな建物がそびえたつ。広い敷地のあちこちに、正体不明の小屋のようなものが建ち、木材や石などが積んである。


 私が心惹かれたのは広い広い畑だった。全てに同じものが植えてある区画もあれば、細かく区切って違う種類と思われるものを植えてある区画もある。覆いをかけてあるところ、高めに土を盛っているところ、様々な工夫をして何かを育てて観察している様子が見受けられる。


(あの細かく区分けされている畑は何だろう)


 似たような葉なのに、区切りごとに少しずつ育ち方が違う。私は気になって仕方なかった。


 授業では研究院の施設と、様々な分野の研究設備を一通り見学するだけで、畑について詳しい事は教えてもらえない。我慢できなくなった私は、放課後にこっそり研究院の敷地に入り込んだ。


 畑の中には入ってはいけない事は父から教わって知っている。靴底についた土などから菌や種などを持ち込んでしまったら、大変なことになるので、何の対策もせずに踏み入ってはいけない。通路から見える限りのところを観察する。


(茎の生え方が少しずつ違うかしら)


 同じイモ系の植物に見えるけれど、真っ直ぐ生えているもの、横に向かって生えているもの、斜めに生えているもの、深めに埋まっているもの、区分けごとに植え方が違うようだ。


 私は持っていた帳面に、それぞれを記録した。


 その日から、お昼休みにここで観察して記録をつけるのが日課になった。どのように条件を変えると、育ち方が変わるのかを推測するのも楽しい。


 私は、幼い頃に天啓を受けている。


「お前みたいな変わり者は結婚できないよ。好きなだけ知りたいことを調べてればいいんだ」


 幼馴染のハルガンの言葉だ。貴族の令嬢は大人になったら結婚しなければいけないと思っていた私の考えを変えてくれた一言。知りたがりな私にうんざりしたハルガンが言った言葉は、私の胸に深く刺さった。


 結婚できないのだから違う道に進めば良い。好きなだけ知りたいことを調べる生活。それは学者になるのが良いという事ではないだろうか。


「お父さま、どうしたら学者になれるの?」


 父は記憶を探るように頭をかしげた。


「そうだな、王立学園を卒業した後に研究院に進学すれば研究者になれるんじゃないかな。お前の言う学者って、研究者のことだと思うよ」


 それからは研究院に入って研究者になることが、私の目標になった。


 私が特に興味があるのは農学。両親は領主でありながら、自分たちでも家畜を育て畑を耕していた。幼い頃から手伝いをしているうちに、工夫次第で育ちや実りが変わる事に面白さを覚えていた。


 その日も、お昼休みになるや否や、勢い良く教室を飛び出した。厩舎に向かう途中のベンチでパンを1個ほおばる。厩舎で私の馬のキリーと弟の馬のポリーの顔を見てから水飲み場で水を飲む。本当は馬用の水を汲むところだけど、お腹を壊したことがないから、気にせず毎日飲み続けている。


 そのまま、馬場の横を走って研究院の敷地に入る。ここからは人目を避けながら畑に向かう。


「わあ、今日も元気ねえ」


 葉が青々と茂っている。初夏に向かい一番葉が育つ時期だ。いつもと同じ場所にしゃがみ、鉛筆を植物に向けてかざして片眼を閉じる。近くの札の高さを基準に、茎の高さと葉の大きさを測定して帳面に書き記す。


「畑1よりも、2と3の方が育ちがいいわね。茎の角度だけじゃなくて、水のやり方も違うかしら」

「うん、変えているよ」

「ひっ!」


 突然の声に驚き過ぎて、帳面も鉛筆も落として尻もちをついてしまった。その姿勢のまま声のした方を見上げると、背の高い男性が立っていた。シャツの腕をまくり上げて泥除けの長靴を履いているけれど、作業をする雇われ人という様子には見えない。


 表情に怒りはないようには見える。でも、私は入ってはいけない所に侵入している。心臓が早鐘をうち、腰が抜けてしまって立ち上がることができない。


「あの、あの、も、申し訳ありません」


 真っ赤な顔であせる私を見て、男性の顔に面白がるような表情が浮かぶ。黒い髪の毛がさらさらと動き光を放ち、細められた目からは優しい温かさを感じた。


「ごめんね、驚かせてしまったね」


 男性は私の腕を取って立ち上がらせてくれた後に、落とした鉛筆と帳面を拾い上げ、そのまま内容に目を走らせた。学生にしては落ち着き過ぎているけど、父よりはかなり若い。研究者だろうか。


「茎は角度と高さ、太さ、色、推測される土への埋まり具合、間隔を見てるのか。葉は色と大きさと厚み⋯⋯なるほど。良い視点だね」


 研究者に会える機会なんて今後もあるかどうか分からない。どうしても気になっていたことを聞きたくなった。我慢出来ない。


「あの、あそこと、あそこはほぼ同じなのに、なぜ茎の色だけ違うのでしょうか」


 私が指した区画2か所に目をやって、男性が答えてくれる。


「あの2か所は、肥料だけ少し変えている」

「肥料の量ですか、種類ですか?」

「種類だよ。あっちは、魔力を含む肥料を混ぜているんだ」

「魔獣の糞ですね。⋯⋯育ち方に差が出るという論文を読んだことがありますが、茎の色に変化が出る事は知りませんでした」


 人間や動物には魔力と呼ばれる生気がある。その生気を吸って生きる動物の事を魔獣と呼んでいて、種類によっては糞にも魔力が含まれる。


 魔力は生気なので、土に混ぜる事で作物の成長にも影響を与える可能性が指摘されていて、研究が進んでいる。

 

「作物の種類によって違いが出る事まで分かっている。今は、成長よりも次に繋げる機能に影響があるのでは、と考えてイモ類で試しているんだ」


 なるほど。作物が得た生気を使う目的か。私は返してもらった帳面に書き記した。侵入が見つかった恐怖より、作物への好奇心の方が勝っている。手はもう震えていない。


 帳面から目を上げると、男性が私の事を観察していた。


「その制服は中等部だね。魔獣の糞についての論文、理解するのは難しかったんじゃないのかな」

「学園の先生にも少し教えてもらいましたが、先生にも分からない事が多くて、まだ理解できていない所もあります」

「例えば、どんなところ?」


 私は論文で理解できなかったところを何か所か質問した。男性は丁寧に説明をしてくれる。


(やっぱり研究者だ!)


 まだまだ聞きたいことはたくさんあるけれど、この研究者が侵入を咎める気になる前に、立ち去った方が良いだろう。後ろ髪をひかれる気持ちで最後に1つだけ質問をした。


「勝手に入って申し訳ありませんでした。もう二度といたしません。でも最後に1つだけ教えてください。先ほどのような論文を理解するのに、私にはどの辺りの知識が足りないでしょうか」


 中等部の先生は農学の専門家ではないので、この研究者が答えてくれたような質問には答えられなかった。せめて、自力で足りない分野を学びたい。


「そうだな、私の論文を理解するなら⋯⋯」

「私の?」


(まさか、この方は!)


「セイボリー・ジラルス教授!!!」


 研究者だと思っていた男性は、驚いたように目を見開いた。


「すごいね、論文の執筆者の名前まで知ってるのか」

「も、もっとお年を召した方だとばっかり!」


 ジラルス教授は、私が尊敬して止まない研究者だ。農学のうち土壌や肥料についてを専門に研究されていて、発表している論文の数も、それによって国の農業に貢献した功績も数限りない。


(ほとんどの論文を読んでいます!)


 興奮しすぎて声が出ない。顔に血が上り、心拍数がとてつもなく上がる。また腰が抜けそうだ。手がぶるぶると震える。


「そう、学習の範囲を広げた方が良い分野は――」


 あの教授が、あの教授が、あの教授が!私の前で話をしている!あまりの出来事に、もう何も聞こえない。


(もう無理!)


 私は脱兎のごとく逃げ出した。走って、走って、息が続く限り駆けた。馬場を抜け、厩舎を過ぎ、校舎に駆けこんで、教室に飛び込む。

 そして、自分の席に突っ伏した。

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