触れれば爆ぜる?馬場での初遭遇

 研究院の畑では分かりやすい結果が出た。


 植えたパトロニエのうち、通常の畑の物は全滅した。グリリウムを混ぜた土のパトロニエは全株が健やかに育ち、グリリウムを沈めた水を撒いた畑では枯れた株はないけれど、少し元気がない。


「グリリウムを沈めただけの水では、アーレンツ領の川の水よりもグリリウムの含有量が少ないからね。仮説通りグリリウムの量との関連が予想されるね」


 古参の助手が、私の記録を熱心に確認して助言をくれる。土に混ぜ込む量も一定を越えると発育に差が出なくなった。適正量の予測も出来そうだ。


「初めての研究対象としては、良い物を見つけられたね」


 自分の事のように嬉しそうに笑って、私の頭をモフモフしてくれた


「僕はね、研究で一番難しいことは夢中になれる研究対象を見つけることじゃないかと思っているんだ。君は幸運だ。そして研究者には幸運も必要なんだ」


 この先輩は助手を卒業して来年から教授見習いになることが決まっている。駆け出しの頃は打ち込める対象に巡り合えず苦労したそうだ。


「でも、私は先生に対象を見つけて頂いたようなものですから」


 先輩は豪快に笑った。


「経緯は聞いているけど、あれは君の探求心に教授が巻き込まれたんだよ。パトロニエに気が付いたのもアーレンツ領の作物の味が違う事に興味を持ったのも君じゃないか」

「そう言って頂けると安心します。ありがとうございます、先輩」

「僕のことだって、数年後には『教授』と呼ばせてみせるからね」


 先生のように天才ではない私は、先輩を見習って一歩ずつ進んでいきたい。先輩はまた、私の頭をモフモフとしてくれた。



(今だ!)


 ハルガンが席を立って一人で廊下に出た。私は急いで後を追いかける。


「ハルガン!」


 小さな声で呼びかけたから、私だと気づかなかったようで怪訝そうな顔で振り返った後に驚いたような顔をした。


「話しかけてごめんね」


 先日の『ハルガンの恋人になりたい宣言』の事があるので、いつも以上に接触には気を遣っている。


「この前のグリリウムの結果が出たの。聞きたい? それとも興味ない?」


 ハルガンは少し困った顔をした。


「すごく興味はあるし聞きたいけど、今はちょっと⋯⋯すぐ戻ってくるから待っててもらえないかな」

「ごめん、お手洗いね。うん、行ってきて! ふふ。小さい頃みたいに漏らしちゃったら大変だものね」

「俺は漏らした事ないよ! そんな事するのは双子だろ!」


 そんなに赤くなって怒らなくてもいいのに。


「そうだったっけ? はい、行ってらっしゃーい」


 すぐ戻ると思ってそのまま廊下で待っていると、背後に誰かの気配を感じた。振り返ると。


(モリーナ⋯⋯)


 また私に構う気だろうか。珍しく婚約者のアシュレを引き連れていない。先日の適当な相槌作戦で失敗したので、ここはひとつ違う作戦を試してみる事にする。


「ねえ、サツマイモは好き?」


 私の方から話しかけたのでモリーナは驚いて息を呑んだ


「今ね、研究院でサツマイモを育てる実験をしているんだけど、成功したらとても美味しい甘いサツマイモが採れるはずなのよ。モリーナのような上流階級の家でも、サツマイモは食べるでしょう?」


 私が話し倒す作戦。言われるのが面倒なら、こちらからモリーナがうんざりして立ち去るくらいに話してしまう作戦だ。


「え、ええ。サツマイモは好きだわ」


 意外にも、ちゃんと答えてくれた。


「王都の市場で買うサツマイモよりもね、私が暮らしていた土地のサツマイモの方が甘くて味が濃いの。その理由を研究しているんだけど、秋には結果が分かるはずなの」

「そんなに味が違うの?」


 適当な話題を振ったつもりだったけど興味を引いたようだ。


「うん、驚くほど違うのよ。もし成功したら味見してみる?」

「いいの? 嬉しい、味見してみたいわ!」


 モリーナはサツマイモが好きだったのか。知らなかった。


「サツマイモに興味があるなら、畑も見に来てみる? 青々と葉が茂っていて水を撒くと水滴が輝いてとても綺麗なのよ」

「サツマイモの木が、この辺りに生えているの?」

「サツマイモはね木に実るのではなくて、土の中に出来るのよ。このくらいの背丈で――」


 私は目の前に手を広げた。


「花も咲くの。秋には地面の中に大きなサツマイモが何個も出来るの」

「地面の中に!」


 この子は授業を聞いていないな。イモ類のことは中等部で習ったはずだ。


「そうなの。土まみれになるけれど実を掘り出すのも楽しいのよ」

「へえ、それは楽しそうね!」


 その『楽しそうね』が意地悪ではなくて本当に心から思っているように感じた。


「研究院の畑で育てているから、いつかお昼休みに水やりに行ってみる?」


 いつものように皮肉の一つでも言うかと思ったのに、モリーナは目を輝かせた。


「行きたい、連れて行ってくれる?」

「教室で話しかけてもいいの?」


 そこで急にモリーナは顔を強張らせた。まるで何かに怯えるように。


「えっと、アシュレがいない時に⋯⋯お願いできないかしら」

「分かった。アシュレがいない時に声を掛けるね」


 嬉しそうに笑って、モリーナが去っていった。振り返ると呆然とした顔のハルガンが立っていた。


「何が起こったんだ。モリーナと君が和やかに話す所なんて初めて見た」

「ね。私も驚いた。彼女は相当なサツマイモ好きみたいね」


 ここまで人を虜にするサツマイモ、恐るべし。グリリウムの効果でぜひ甘くて美味しい実を育てたいものだ。


 モリーナと話をしていたのでハルガンに報告する時間が無くなってしまった。早く聞きたい、とハルガンが言う。


「でも今日の放課後は馬に乗る日だから、明日はどうかな」

「馬に乗るって、何?」

「学校の厩舎の馬がね、うちのキリーと仲良しなの。だから数日おきに馬で通学して馬場で遊ばせてから帰ってるんだよ」

「それなら俺が馬場まで行くよ。馬を遊ばせている間に話せばいいだろう?」

「ありがとう。話を聞いてもらうのに面倒かけてごめんね」


 私が研究院で畑の記録をつけ終わる頃に馬場に来てもらうことになった。


 その日の放課後、研究院から急いで馬場に向かうと先に来ていたカノアがロイに乗ってマオとキリーと遊んでいた。先生の馬のレイも一緒だ。


「カノア!」


 声を掛けて手を振ると柵までやってきてくれた。


「早かったな」

「今日は、友達とここで少し話をするからキリーには乗らないかもしれない。もし話が早く終わったら合流するね」

「お前の口から友達なんて言葉を聞くのは初めてだな」


 少し皮肉が混ざった口調だけど、今日は穏やかで優しい方のカノアだ。最近は不機嫌で意地悪なカノアよりも、こっちの方が多くて助かる。


 マオが鳴き声をあげて遊ぼう、と催促している。それに応じてカノアを乗せたロイが馬場の中央まで駆けていった。カノアとロイはすっかり仲良しだ。


「ミレット、お待たせ」


 ハルガンがさらさらの金髪をなびかせてやってきた。


「こちらこそ、ここまで来てくれてありがとう」


 私はグリリウムを使った検証の結果について大まかなことを説明した。後で父の男爵に説明するつもりなのだろう、ハルガンは真剣に聞いてくれる。たまに何かを紙に書き留めている。


「パトロニエを次に植えるなら夏が明けた頃が良いと思うの。一度アーレンツ領に帰って大き目の畑に試してみようと思う」

「父さんが、パトロニエにはかなり興味を示していたんだ。もしかすると、もっと大掛かりに試してくれと言うかもしれない」

「種の採取量が予測出来ないけど、広い場所で試せるのは嬉しいな」


 相談していると、ふいにハルガンの視線が私の後ろに動いた。そして怪訝な顔をする。振り返ろうとしたところで肘を強く引かれた。


「カノア!」


 いつの間にか後ろに立っていた事に驚く。馬場を見るとロイだけでなく4頭全てがいなくなっていた。


「帰るぞ」


 さっきまでの優しい調子ではなく、かなり不機嫌そうだ。最近は優しい事が多かったので、この態度は久しぶりだ。お腹がすいたから早く帰りたいのだろうか。


「待たせてごめんね、話が終わるまで、もう少しだけ待っててもらえないかな」


 ハルガンを振り返ると険しい顔をして鋭い視線をカノアに向けている。


「ミレット、この子は?」


 そういえば、ハルガンとカノアは顔を合わせるのが初めてだという事に思い当たる


「気が付かなくてごめんなさい。二人は初めて会うのね。ハルガン、この子は教授の息子さんのカノアよ」

「え? 君が勉強を教えている子のことか? この制服、高等部だろう。コレントより年上じゃないか」


 そういえば、幼くて穏やかな子だという推測を最初に伝えたきりだった。


「カノア、この方はハルガン。コレントがお世話になっているお家の方よ。あなたより先輩なんだから失礼な態度を取ってはいけないわよ」


 カノアはぷいっとそっぽを向いた。もはや懐かしいこの態度。


「とにかく帰るぞ」


 私の肘を強く引っ張る。力が強いので私はよろけてしまう。ハルガンがカノアの腕を掴んで止めた。


「よせ、手を離すんだ」


 カノアはハルガンを見もせずに手を離すと今度は逆の肘を掴んで引っ張る。


「ほら、行くぞ」


 ハルガンがムッとしたのが分かった。今日は話すのをあきらめた方が良さそうだ。


「ごめんね、ハルガン。もしお父様にお話しする為に情報をまとめた方が良ければ言ってくれないかな」


 私の声が聞こえないのか、カノアに厳しい視線を向けたまま何も答えない。


「それじゃあ、よろしくね。私は帰るね」


 ハルガンが人に敵意を向ける姿を見せるのは珍しい。二人の間を取り持ちたいけれど、不機嫌になったカノアの方も面倒だ。カノアの人見知りは、周りの人が他の人と話す事まで気に入らないのかもしれない。


(もう、面倒だなあ)


 ハルガンに手を振り、カノアに引きずられるようにして厩舎に向かう。面倒だとは思うけど腹が立たないのは、最近の優しさを知っているからかもしれない。

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