第36話 人虎再撃

 中空を、風の階段を散歩するようにリディアさまがふわふわと、舞っていく。

 そして、魔物のいる丘を目掛けて、手をかざす。


 一方、エレナさまの魔力付与した武器の効果か、柵の周りの小鬼ゴブリンたちは、悲鳴を上げて徐々に下がり始めた。


 その隙に、ヒメカが南西門から飛び出し、林に隠れた小鬼たちを斬り倒していく。林の中で小鬼が血しぶきをあげ、我先にと逃げ始めた。


 と、ぽつり、ぽつりと私の頬を雨がうつ。

 見上げると、さっきまで晴れていたのに、真っ黒な雲が広がり始めていた。


 やがて雨は本降りとなり、雨粒が大きくなった。

 魔物たちも動揺している。

 それはこちら側も同じだ。

 雨の中、顔をぬぐいながら、敵の様子を確認するが、雨で魔物がはっきりとは見えなくなった。雨は体に打ち付けるように降り続け、正直、痛いくらいだ。


 だけど、この鐘塔から降りる訳にもいかない。私が、指示を出さないと、この砦がやられてしまう。鐘塔に捕まりながら、立ちあがる。

 見ると、堀の水が溢れ始めていた。


 なんてこった。このタイミングで豪雨かよ。

 丘を雨が川のように流れ始め、魔物たちが固まって流れに耐えようとしている。丘の中央の黒い塊は全部魔物だろう。


 リディアさまを探すが、雨が目に入って、どこにいるのかも分からない。聞こえてくる魔法の詠唱がやたらと長い。ずっと笑いながら詠唱している。

 ……もしかしたら、超大型の魔法?


「アーシュリー! 行くよ!」


 シェリルの声だ。教会を飛び出し、雨音の中で叫んでいる。

 その声に合わせて西門が開けられた。

 え、何をする気? まさか?


「どうじゃ? 今日は特に調子が良い」


 リディアさまが、再び私の横に降り立った。びしょ濡れで、もういろんな形がくっきりとしちゃってらっしゃる。見てられない。


「え? この雨? リディアさまが?」


 あー! 精霊魔法って、こういうの!?


「そろそろますぞ? あとはアレで片付くじゃろう」


 リディアさまは、オーケストラの指揮者のように、右手でぐっと宙を掴む。

 それに合わせて、ピタリと雨が止む。と、ほぼ同時に西門からドンっと衝撃波が聞こえ閃光が走った。


 アーシュリーだ!

 再び変化へんげしたアーシュリーが物凄い勢いで駆け抜けていく。その前で、魔物たちが体を寄せ合っていた。雨があがってはっきりと見える。


「ふむ。終わりじゃ」


 魔物たちは、アーシュリーの剣に触れた瞬間、轟音を立て、はじけ飛んでいく。


「……感電!?」


 周辺一帯に大きな電撃の渦が生じた。その勢いは凄まじく、次々と小鬼ゴブリンの体が宙を舞い、あるものは目玉は飛び出し、あるものは舌を尖らせながら焦げ死んでいく。

 一帯は、魔物たちの断末魔の声で溢れかえった。

 電撃に耐えて動こうとするものは、雷神と化したアーシュリーによって斬り倒される。この状態でも剣を振るい続け、動くものを目掛けて電光石火の斬撃を繰り出す。


 再び起こったこの殺戮を、呆然と眺めるしかなかった。断末魔の叫びは途切れることがない。


 ──いったい、どれくらいの時間が経ったのか。


 気付けば辺りは静けさに支配された。

 丘で動くものは、なにもない。

 黒焦げの魔物たちの死体の中央に、まだ火花を散らす人虎の姿がある。

 片手に剣をさげ、鎧の大半は衝撃で吹き飛んだのか、胸当て以外ははだけ、その青い服の背中に縞模様が浮かんでいるのが見えた。


 全滅……。

 あの魔物の大群が、ほんの数分ほどで、電撃に体を焦がされた死体となった。

 砦の皆も、声もなく人虎の姿を見つめ、動けなかった。


 その人虎がゆっくり膝をつき、倒れた。

 しばらくそれを眺めていたのは、その凄惨な光景に声を失っていたからだ。

 我に返った私は伝声符を使って動ける人を探した。


「誰か! アーシュリーを……」


 その時、一番最初に動き出したのはラウロでも、護衛武官でも、村人でもない。


 死んだと思った大鬼オーガが、ゆっくりと火傷を負ったその体を起こし、そして怒りの咆哮をあげた。


 その目と鼻の先には、いまうつ伏せに倒れたアーシュリーがいた。

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