第7話 夜の庭とくのいちさん

 夜の中庭は静かだ。どこからか虫の音が聞こえる。

 月の光がそっと庭に落ち、静かにコントラストを作る。


 やっちまったな……。


 第四夫人ノイエさま。代々大司教を産んできた聖職の家系。ほとんど女性が生まれない男系家系の中で、珍しい女の子だったという。

 その気性は大変優しく、聖母のような方……と、馬車の中で侍従官が言っていた。


 この人とは仲良くしておくべきだったなぁ。


 自分の無知が、こんな結果を産むことになるとは……。

 ここまで四戦四敗。

 夫人六人の中で、四人に悪い印象を与えてしまった。


 夜の中庭のベンチで一人たたずむ。

 優しい風が音もなく雲を運び、時折、月を隠した。


 退屈過ぎて、こっそり夜の中庭に出てきたのだ。

 護衛武官に夜中に出歩くなと言われたけど、あんな狭い部屋では気が滅入る。スマホがあった頃が懐かしい。スマホがあれば「正妻や愛人と仲良くする方法」で検索していたことだろう。


 月夜だけは、日本にいた時と同じだ。懐かしくて泣きそうになる。


 本当なら、目の前にある噴水がシャバシャバと音を立て、月が水面にユラユラと映る光景があるはずだが、池にも噴水にも水が来ていない。


 ショボい城だよ。ホント。帝都はあんなに華美でにぎわっているのに、ここの静けさと質素さと……なんていうか、見掛け倒し感、半端ない。


「はぁぁ」


 嫌なため息。職場でも出したことがない。

 あれは、自分の仕事には、多少の自信があったせいだ。

 今の自分に全く自信がない上に、この先、何をすりゃいいかもわからない。

 途方に暮れた時のため息だ。

 転職に失敗していたら、こんなため息をついたことだろう。


 少なくとも、残りの第五夫人と第六夫人には、もう少しマシな接触がしたいものだ。


「くーーーー」


 悶えてしまう。

 人間、ある程度未来が見えていないと、こうも動けないものなのねぇ。とにかく、情報不足過ぎんのよ。いろいろ急だったしさ。

 私も、礼儀作法に頭がいって、侍従官が教えてくれた情報をちゃんと使いこなしてなかった。


 確か、第五夫人と第六夫人は、どちらかというと体力系の方らしい。


 第五夫人は、騎士の家出身で、魔力も使えるという。この世界でも魔法剣士は非常に珍しい存在だ。そもそも全世界に100人も魔法使いはいない。帝国内でも20人もいない。魔法剣士となると、かなり希少なはずだ。


 ただ、気性は荒くて、いつもイライラされている方とか。

 うん、絶対に近づかないでおこう。最後で良い。


 第六夫人は東方人で、この国でいう外国人だ。この国の言葉もあまり自由に話せない。ここら辺では珍しい、漆黒の長髪に黒い瞳という。


 どうも、西の概念や東の概念は、大雑把に元々いた世界に近い。

 東方人とはアジア人のことだろう。


 この世界で東方といえば、武人の国として知られている。戦闘民族を束ねる国。

 戦国時代のイメージでいいのかな?


 その同盟の証として、輿入れしてきたというが、それならば祖国に近い東の皇子か、皇帝の後室に入ればいいのに、警戒されているのであろう。祖国からもっとも遠い西の皇子の元に嫁いだという。

 趣味は動物で、大きな鳥を飼っているとか。

 侍従官は「あまり気を許さないように」と言っていた。

 政略結婚のたぐいだろう。


「くーー」


 今のは悶え声ではない。腹の音だ。

 食事の量も多くない。まあ来たばかりの庶民出身で、バクバク食べていては、『食いしん坊夫人』などという不名誉なあだ名がつきかねない。それこそ第二夫人の思う壺だ。


「ヲ食べ?」


 耳の横から、芳しい小さなパンが出てきた。


「へ?」

「ヲ食べ?」


 振り向くと、そこに立っていたのは、黒髪をポニテにした女性。その右手には、パンが一個あった。


「へ?」

「ヲ腹、クー」


 自分の腹をぽんぽんと叩く。雲が晴れ、その姿が見えた。美しい顔立ちが浮かんだ。だが、その服は真っ黒な作務衣。もし顔も隠していたら、自分の影かと思っただろう。


 あ、あれだ。時代劇に出てきた『くのいち』だ。小さい頃にお爺ちゃんの家で見たくらいで、実物は初めてだ。顔もこの辺の人の顔ではない。どこか懐かしい顔。


「え? あ、食べろって?」


 コクリと頷く。思わず、ありがとうございますと受け取ろうとして、はっとした。


「もしや、第六夫人ヒメカさまではっ!?」


 物凄い勢いで飛び退って、私は一礼をした。


 この辺りの顔ではなく、東方人の顔で、黒髪って、第六夫人の特徴じゃねーか。

 パン貰っている場合じゃない。ご挨拶をせねば。


「わ、わたくし、このたび、嫁いでまいりま」

「ヲ食べ?」


 え? 下げた頭の目の前にパンがある。パンを差し出している。

 ……いやまて? 私、いま、五歩分くらい、離れたのに?


「クー、良くナイ」

「えっと……はい、頂戴します」


 顔を見上げたが、ニコニコとしている。

 言葉はあまり通じていなさそうだ。

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