アドルファス王太子殿下による、恐怖の洗脳事件


 散々猫じゃらしで弄ばれたあと、ウィンダムがテーブル上にぐったりと横たわり、身を震わせた。


「……くそ、殺してくれ」


 これを聞き、皆が驚きを覚えた。

 え……この状態で、自我があるの?


「あの、ウィンダムさん?」


 猫じゃらしを手にしたユリアが、おっかなびっくり話しかける。


「てっきり、猫モードで何も分かっていないのかと……」


「違う」涙ぐむウィンダム。「動くものを見ると、つい飛びついて、夢中になってしまう。どうしても本能に抗えない……でもふとした瞬間、正気に戻るのだ。ほら――本物の猫ってさ、夢中で遊んでいたのに、突然パタッと飽きて反応しなくなるだろう? あれと同じさ。猫の本能が満足すると、人の気持ちが戻るのかもしれない」


 聞いていたら、なんだか可哀想になってきた。あんなに気取っていた男が、こんなにもしょんぼりしている。

 皆、やりすぎたなと反省した。猫モードになった彼は生き生きと楽しそうに見えたので、遊ばせて発散させたほうがいいのかと思っていた。逆に言うと、遊びたがっている猫に「じっとしてなさい!」と押さえつけるのは、そのほうが虐待になるだろうし、と。


「――ていうかあなた、なんだか素直になっていません?」


 ユリアはまだ信じられない気分なのか、眉根を寄せている。


「分からん。私は今、素直なのか?」


 ええ、とても……おそらく全員がそう思っただろう。

 皆が訝しげにルードヴィヒ王弟殿下を見遣ると、元凶の彼もこの展開に驚きを隠せないようだった。


「このキャンディをくれた人は、『賢者は猫にならないよ』としか言っていなかったんだが――……なんだ、この副作用は?」


「叔父上」


 アドルファス王太子殿下が小首を傾げる。


「こういう変なアイテムはいつも率先して自分で試すじゃないですか。このキャンディは試さなかった?」


「試したよ」


 さすが、そこはブレないルードヴィヒ王弟殿下だ。


「どうなりました?」


「私の場合は猫にならなかったんだよねー。だからばったもんかなーと思っていたんだよ。――だってほら、私が賢者じゃないのは、はっきりしているし」


 賢者じゃない自分は、キャンディで猫化するはず――それが猫化しなかったということは、キャンディがばったもんなのだろう――そういう理屈らしい。


「ええ、叔父上は絶対に賢者じゃない」


 アドルファス王太子殿下がシレッとそれを認めた。

 ルードヴィヒ王弟殿下としては、自虐するのは別に構わないが、甥っ子に『賢者じゃない』と断定されると、それはそれで複雑そうである。

 ルードヴィヒ王弟殿下が微かに眉根を寄せて続けた。


「こうなると、もっとサンプルが欲しいなぁ。このキャンディは入手したばかりだから、自分以外の人には試してなくてさ」


「叔父上は猫にならなかったのに、自意識過剰なウィンダム氏が猫化したのは解せないです」


「なんでだろうね? 普通に考えたら、結果は逆のはずだが……」


 叔父と甥は腕組みをして考え込んでしまう。


「――では、私が試してみましょう」


 止める暇もなかった。

 秘書のユリアが赤い缶に手を伸ばし、キャンディをひとつ摘まんで、自身の口の中に放り込んだのだ。

 ……というか、猫『紳士』キャンディなのに、女性にも同様の効果はあるのだろうか……私は疑問に思った。過去、この怪しげなキャンディを試したのは男性だけで、それで『紳士』という名前がついたとか? だとしたら性別は関係ない?

 ルードヴィヒ王弟殿下が「あ」と呟きを漏らす。彼は目を見開いており、珍しく本気で焦っているようだった。

 自分で試すのはいいけれど、婚約者が怪しげなものを摂取するのは嫌なのかもしれない。

 ――ポン!

 ユリアの頭部に猫耳が生えた。

 ちなみに猫耳が生えても、人間の耳はなくならない仕組みらしい。あと猫っぽい特徴としては、かぎ爪になることと、手のひらにプニピニの肉球が発生することくらいだろうか。

 途端にユリアは目をトロンとさせ、テーブルの上にグデーと上半身を乗り出した。


「うわ、ダルー。秘書とかマジでダルー。真面目な顔保つの、超しんどー。一日中、だらだらゴロゴロしたいなー。だらだらしたいにゃーん。おーい、かつおぶしもってこーい」


 おお……だめ人間の典型……!

 全員が衝撃を受けた。ユリアは普段キリッとしているだけに、このだらけきった姿は、見てはいけないたぐいのものに感じられた。

 ユリアはテーブルに顎を乗せ、「だるー」を繰り返している。


「ディーナたん、膝枕しろニャン。おいらは猫だぞー、猫様の言うことを聞くのだー」


 私は困ったように「まぁ」と眉尻を下げた。


「こんなに言うのだから、膝枕してあげたほうがいいかしら?」


「だめ」


 するとなぜか横からアドルファス王太子殿下が口を挟む。無表情なので分かりづらいが、食い気味の否定なので、かなりご立腹らしい。


「アドルファス王太子殿下?」


「膝枕なんて、僕もしてもらったことないんだぞー、ほかの人にするとか、絶対だめだからー」


 アドルファス王太子殿下が綺麗な顔でぶーぶー文句を並べる。

 さっきまで真面目な話をしていたのに、この変わりようったら!


「なんだよう」ユリアも負けじとぶーぶー言う。「アドルファス王太子殿下は結婚してから色々してもらえばいいだろー。ウハウハじゃねーか。私は今日しかディーナたんに膝枕してもらえるチャンスがないんじゃい」


「今日もそのチャンスはない」


 アドルファス王太子殿下が硬い声で返した。


「ケチケチすんにゃ」


 ユリアはだめ猫モードでさらに返す。

 それらのやり取りを観察していたマイルズが口を開いた。


「あのー……もしかして、普段何かを我慢している人が、キャンディの影響を受けるとか? 猫耳が生えると、抑えていたものが解放されるんですかね? ――ウィンダムさんは素直になりましたし、ユリアさんもすべてのしがらみを捨てたかのように、だめ発言を繰り出していますよね」


「おお、確かに……!」


 一同合点がいき、表情が晴れた。

 考えを巡らせてから、アドルファス王太子殿下がこくりと頷いてみせる。


「叔父上が猫化しなかったのは、普段から欲望のまま馬鹿なことをしまくっているからか」


 この散々な言われように、ルードヴィヒ王弟殿下が半目になる。


「いくらなんでも、ひどくないかい? 君ね、もうちょっとオブラートにくるみなさいよ」


「すみません、根が正直なもので」


 全然謝る気ないだろ、な返しにルードヴィヒ王弟殿下は閉口している。

 マイルズがふたたび口を開いた。


「あ……じゃあ僕なら変身しないかも?」


「ん? どうしたんだい、マイリーくん」


「僕、普段から何も我慢していないので、変身しないと思います。ずっとオドオドしているから、別に裏表ないし」


 いつになく前向きなマイルズが赤い缶に手を伸ばした。そしてピンク色のキャンディを手に取り、口に含んだ。

 ――ポン!

 結果、すぐに耳が生えた。

 マイルズは慌てて猫耳を押さえている。


「あ、あれ? なんで? 僕……僕……」


「マイルズ?」私は弟の顔を覗き込んだ。「あなた、何か我慢していたことがあるの? もしかして本心では隣国に行くのが嫌だった……とか?」


「姉さん」マイルズの瞳がうるうるし出した。「うわーん、僕、姉さんに謝らなきゃならないことがありました! 思い出しちゃったぁ!」


「え、何? どうしたの?」


 私は驚き、目を瞠った。

 マイルズがメソメソ泣き出す。心から悲しんでいるようで、猫耳がしょげて垂れている。


「僕、昔、ペイトン氏が嫌いすぎて、嘘をついて彼を追い返したことがありました」


「え?」


 昔……私がペイトンと婚約していた時の話?


「ペイトン氏がアポなしで姉さんに会いに来たんですけど、応対に出た僕が、『姉は出かけています』って嘘ついて追い返したの。姉さん、家にいたのに」


「そ、そう……でも数回くらいなら、まぁ」


「違うんです、月に一回はやってた! 僕、超悪い子……!」


 え……結構ひどいことやってたんだな、マイルズ!

 そして素直に引き下がり、後日私に会った際にも、それについては何も触れなかったペイトンの謎行動も怖い。話題にしてくれていれば、私だって『あれ?』となったはずだ。けれどそうなったことは一度もなかった。「先日お宅に伺ったけど、留守だったね」とか言いそうなタイプなのに、なんで言わなかったのだろう? それが逆に闇深いというか、私の背筋をゾクリとさせた。

 もしかすると彼――私のほうから「先日は不在にしていて、ごめんなさい。せっかく会いに来てくださったのに」と詫びるべきだと考えていて、自分からは意地でも口に出さなかった、とか? だとすると、相当イライラしていたんだろうな。『俺が訪ねてやったのに、タイミング悪く留守にしていた上に、それを謝りもしないなんて、この女』と憤慨していたのかも。

 ……そういえば今になってみると、謎に当たりが強い日があったわ……月に一、二回ほど。

 今になって、無駄に点と点が繋がるという。

 ――打ちひしがれているマイルズを見て、アドルファス王太子殿下が椅子から立ち上がり、近くに歩み寄って、バックハグした。


「いい子、いい子――……マイリーくん、大丈夫だよ、僕は君が大好きだ」


「アドルファス王太子殿下、超、いい人……! 僕は悪い子なのに!」


「よーし、よし、僕は君を責めないから、隣国でずっと一緒に暮らそうね?」


 優しい声で、なんか怖い洗脳しだしたぞ……!

 ひぃ、と私は息を呑んだ。

 ――父がここにいれば、「何を言っているんですか、マイリーはあげませんから!」ときつめに突っ込んでくれたのに!

 私は不在の父を強烈に恋しく思うのだった。


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