皆が私のおうちに来ています


 ――その日の夕刻。


 隣国の王族たちは王宮を出て、私の実家であるクエイル伯爵邸に来ていた。


 広間の大きなテーブルを囲んで一同着席しているのだが、その中にひとりだけ様子のおかしい人間がいて……。


 隣席に座っている弟のマイルズが、切羽詰まった声でこっそり話しかけてきた。


「……姉さん、なんですか、これは」


 私たち姉弟ふたりの見た目はとても似ている。


 以前どこかで、「クエイル伯爵のお子さんって、外見はどんな感じ?」という話題になった時、ふたりを知る誰かが「圧のない美形」「胃もたれしない顔」と答え、それがあまりにしっくりきたため、今ではそれが姉弟のあだ名になっているのだとか。


 私が二十歳で弟は十七歳だから、年齢差は三歳――そう離れてもいないので、ふたりが一緒にいると、初対面の人でも姉弟であるのがすぐに分かるようだ。


 ただ、性格はだいぶ違っていて、『表と裏』『プラスとマイナス』くらい違う。私はおおらかだが、弟のマイルズは超がつく心配性なのである。


 私は弟のほうに顔を寄せ、コソコソと答えた。


「昼間、色々あったのよ」


「いや、ざっくりまとめないで」


「そう言われても、簡単にササッと説明できることじゃないわ」


「うちに大国の王族がやって来るとか、怖さしかない」


「大丈夫、怖くない、怖くない。よしよし」


「いや、怖いですよ」


 それを聞いた私は『困った子ねぇ』と眉尻を下げる。


「あのねマイルズ、これから詳しい説明があるから」


「そう言わずに、さわりだけでも教えて。ドキドキして心臓破裂しそう」


「じゃあ言うけれど、私、隣国に嫁入りすることになったの」


「は? え? だってペイトン氏は?」


「ペイトンさんとはお別れしました」


「政略結婚の相手なのに?」


「だから色々あってね」


「いや、たった数時間で色々ありすぎでしょう! 姉さん、隣国のどなたと結婚するんです?」


「アドルファス王太子殿下よ」


「え? ん? あの――今対面の席にいらっしゃる、キラキラしたオーラの超絶美形な王子様?」


「そう」


「えー……あの超絶美形な人と結婚する気なんですか? 正気ですか、姉さん」


「自分が正気かどうかは、私にも分からない。でも結婚はするわ」


「えー……」


 ドン引きしている弟を眺め、私は軽く眉根を寄せる。


「なんなのマイルズ――あなた、そんなにペイトンさんを慕っていたの?」


「うわ、まさか」


 弟は水をかけられた猫みたいな、すごい顔をしている。


「まさか、ってどういうこと?」


「僕、ペイトン氏が苦手でした」


「え、そうなの? 知らなかった」


「姉の夫になる人だから、態度に出さないよう我慢してたんです」


「そう……ペイトンさんに何かされた?」


「何かされたっていうか……あの人たぶん、僕の前では気を抜いていたから……」


「気を抜いていたから、何?」


「なんかキモかった……どこが好青年なんだよ? あんなの……蛇が獲物を丸呑みする時の顔じゃないか。焦がれるというより、ズタズタにして捕食したがっているように見えた」


「マイルズ?」


 私はマイルズが何を言っているのか分からなかった。


 マイルズはキュッと眉根を寄せてから、またいつもの気弱な顔に戻り、私を見返す。


「姉さんは……気づかなかったなら、それでいいんです。そのほうがいい」


「? いいの?」


「ええ。あー……なんか僕……小さい時から心配性だったけれど、ここまでじゃなかったでしょう? ペイトン氏と姉さんが結婚するのが、すごく心配でストレスだったのかも。ずっとクヨクヨしてたら、こんな根暗になっちゃった」


「そこまでストレスを感じていたなんて……」


 驚いた。マイルズはこれまで、そんなことを一度も口にしたことがなかった。


「ずっと言えなくて……だって政略結婚ってガチガチに縛りがあるじゃないですか。相手の男がキモイって理由くらいでは破棄できないでしょう?」


「それは無理ね」


「じゃあ騒いでも仕方ないし。大体、キモイと思っているの、僕だけだったし……とにかくまぁ……姉さんがペイトン氏と縁が切れたなら、本当によかったです」


「マイルズ……」


 私はなんともいえない気持ちになった。


 ペイトンとの婚約について、自分も家族に打ち明けられない悩みがあって、すごく苦しかった。だけどまさか、マイルズもそうだったなんて。


「あー……ディーナ、マイルズ」


 父から声をかけられ、私はハッとして隣席にいる父のほうに顔を向けた。


 ちなみに席は対面が隣国組で、こちら側がクエイル伯爵家の面々、というふうに分かれている。


 向こう側は、秘書のユリア、ルードヴィヒ王弟殿下、アドルファス王太子殿下という並び。


 こちら側は、母、父、私、弟という並びだ。


 父が気まずそうに注意してくる。


「今は皆で会話をする時間だから、ふたりでコソコソお喋りするのはやめなさい」


「ご、ごめんなさい」


 私は赤面して謝った。


 左隣の弟と話をするのに夢中になりすぎて、周囲の空気を気にしていなかった。


 ああ、どうしましょう……父母が隣国の皆さんと挨拶兼世間話をしていたから、『弟とこっそり話しても、誰も気にも留めないだろう』と、つい油断してしまった。


 申し訳なく感じて対面の様子を窺うと、隣国の人たちが皆、なんだか楽しげにこちらを眺めていることに気づいた。それに驚き、『え、なんで?』とビクリと肩を揺らす。『客人を無視してお喋りするのは、マナー違反だ』と腹を立てるのが普通な気がするけれど。


「うわ、ごめんなさい……!」


 弟の慌てぶりは、私の比ではなかった。


 もともと小心者なのに、先に話しかけたのはマイルズなので、すっかり取り乱している。


 彼はアタフタと体を動かし、首や耳までかぁっと赤くして、隣国の皆さんに謝った。


「僕が姉に話しかけてしまいました! 皆さんがいるのに、ついお喋りに気を取られて、本当に申し訳ありません……!」


 隣国の人たちは慌てふためくマイルズを見て、なんだかホッコリしているみたいだ。かわいいなぁ……そんなほのぼのした感想が皆さんの顔に浮かんでいた。


 普段クールなアドルファス王太子殿下でさえ、物柔らかな瞳でマイルズを見つめている。そして穏やかで思い遣りのある声で、慰めの言葉を口にした。


「気にしなくていいよ、マイリーくん」


 これに私はぎょっとした。マ、マイリーくん……???


 アドルファス王太子殿下ったら、初対面なのにマイルズの名前を勝手にアレンジして、いきなり愛称で呼んだ……!


 この場にいたアドルファス王太子殿下以外の全員が、私と同じように度肝を抜かれた顔をしていた。




   * * *




 秘書のユリアが手帳に書き留めている、アドルファス王太子殿下に関する生態メモより抜粋――。


『アドルファス王太子殿下は、気に入った人への距離の詰め方が、エグイ』



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