お父様、私、すぐに隣国に発ちます――からの驚きの展開


「……ごべなさ……私にお構いなっぐ……」


 変な笑い方をして横腹がつったのか、ユリアが両手でグッとお腹を押さえ、体を曲げながら皆に謝った。俯いていて顔は見えない。肩がプルプルと震えている。


 ルードヴィヒ王弟殿下が優しく彼女の背中を撫でてやり、やがてそっと手を離すと、父のほうに視線を向けた。


「クエイル伯爵、ひとつご提案があるのですが」


「なんでしょうか」


 先ほどアドルファス王太子殿下と張り合って、狂気の領域に片足を突っ込みかけた父であるが、今ではすっかり冷静さを取り戻している。


 そんな父を見てホッと胸をなでおろす私であったが、ルードヴィヒ王弟殿下から、


「ディーナさん、急で申し訳ないが、これから私がする提案について、あなたがどうしたいかを考えてみてほしい」


 そう改まった調子で言われ、思わず背筋が伸びた。


「はい、分かりました」


「本来、二国間の縁組は成立するまでに長い時間をかけるものですが、ディーナさんに限っては、数日内に当国に来ていただいたほうがいいと思っています」


「え」


 私、父――両者の声が揃った。ふたりとも呆気に取られ、顔を見合わせる。


 まさか、そんな話とは。結婚といってもまだ先――……そんなふうに考えていた。


「なぜですか?」


 父が慎重に尋ねる。


 それに答えるルードヴィヒ王弟殿下の表情は晴れない。


「私はメイヴィス王女殿下に対して、まったく良い印象がありません。彼女は人間性に重大な欠陥がある――そう思えてならない」


 率直な物言いに、父は言葉もない。


 私もまた同様だった。


 ルードヴィヒ王弟殿下が続ける。


「我々はすぐに帰国する予定ですが、このままディーナさんをこの国に残していくのが、心配で仕方ないのです」


「心配……ですか」


「クマ男バージョンの私と対面したあと、メイヴィス王女殿下は甥と結婚するのを嫌がり始めました。それは呪いの腕輪をつけた私が醜い姿をしていたので、血縁者のアドルファスも同様の見た目をしていると勘違いしたせいです。しかし実際はそうではないことを、彼女はもう知ってしまった」


「確かにそうですね。教会でおふたりが今のお姿になったのを見て、メイヴィス王女殿下は目を丸くしていた」


「彼女はかなり粘着質な性格をしていそうだ。もう覆(くつがえ)しようがないことでも、ゴネにゴネて、周囲に無理難題を押しつけかねない」


「しかし……教会で、ああもきっぱり、アドルファス王太子殿下が娘のディーナを望んでくださったので、さすがにメイヴィス王女殿下もどうしようもないのでは……」


 メイヴィス王女殿下の面倒臭さを、父はまだ理解しきれていないようである。


 けれど私にはルードヴィヒ王弟殿下の心配がよく分かった。


 ああ、そうね……確かに危ない。


 要望が通るか、通らないかに関係なく、メイヴィス王女殿下は絶対にゴネる――それこそが問題なのである。王族である彼女がゴネれば、身分が下の者はその相手をしなければならない。


「想像してみてください」


 ルードヴィヒ王弟殿下がテーブル上に少し身を乗り出す。


「我々がいなくなったあとで、国王陛下からこう言われたら、どうします? ――『うちのメイヴィス王女がディーナさんと話したがっている。クエイル伯爵、娘さんを王宮に連れて来てくれ』――強く頼まれたら、断れますか?」


「それは……」


 父は額を押さえた。顔色がすっかり悪くなっている。


 私も同様だった。


 アドルファス王太子殿下かルードヴィヒ王弟殿下がその場にいて、「いや、ディーナがメイヴィス王女殿下と話しても意味がない」と突っぱねてくれれば話は別だが、彼らが帰国してしまえば、国王陛下のお願いには誰も逆らえない。


 もしも父がそれを断れば、「ただ話をしたいと言っているだけなのに、王族への敬意がないのか!」と国王陛下から怒りを向けられるだろう。


 ――先ほど教会で、国王陛下は私に対して常識的な態度を取ってくれた。しかし彼はメイヴィス王女殿下に異様に甘いので、ふたりきりになって娘から強く頼まれれば、また以前と同じように、私を無理矢理巻き込んでくる可能性は高い。


 そして依頼どおり私が王宮に出向けば、ロクなことにならないのは分かりきっている。


 メイヴィス王女殿下は、ペイトンもその場に同席させるはずだ。


 出口の見えない話し合いに延々と付き合わされそうで怖い。嫌なこともたくさん言われるだろう。「聖女の立場をずるい手で奪った、返して」と、恨み節を聞かされるかもしれない。そしてその茶会は一回で終わるだろうか?


 想像するだけで吐き気がしてきた。


「私が一番恐れているのは、メイヴィス王女殿下が『聖女判定式』をもう一度やり直したいと言い出すことです」


 ルードヴィヒ王弟殿下にそう指摘され、私はハッと息を呑んだ。


 ああ……どうしよう、それは困る。


「私は聖女の能力を持っていないから、とんでもない騒ぎになりますね」


「そう――ディーナさんが塩の色を変えられなければ、メイヴィス王女殿下は得意げに大騒ぎをするでしょう」


 私はどうするかを決めた。考えるまでもない。もうそうするしかない。


「お父様、私、すぐに隣国に発ちます」


 自分がここに残れば、実家を危険に晒してしまう。メイヴィス王女殿下が無茶な要求をしてきた場合、父はきっと私を護ろうとする。けれど護ろうとするその行為が、父をどんどん追い詰めてしまう。


 私がこの国にいなければ、国王陛下が父に何を言っても意味がない。


 父はただ、


「娘を呼び戻したいなら、隣国に問い合わせてください」


 と事務的に返せばいい。


「なんてことだ……いつかは嫁に行く、それは分かっていたけれど、こんなに急に」


 父が口ごもり、手のひらで目元を覆う。


 父は隣国への嫁入りを反対しているのではない。すぐに出て行かれては、親として娘に何もしてやれない……父の様子にはそんな苦悩が滲んでいた。


 頭ではそうしたほうがいいと理解できても、心が追いつかないのだろう。


 私のほうも同様の苦しさはあるが、『自分が早く出て行くことで、家族を護れる』という使命感があるから、まだ気持ちの整理はつけやすい。


 私が父の肩に手を触れ気遣っていると、ルードヴィヒ王弟殿下がさらに驚きの提案をしてきた。


「ご家族も隣国に来て、しばらくのあいだ滞在されてはいかがでしょうか?」


 え……家族も?


 父が顔を覆っていた手を離し、呆気に取られてルードヴィヒ王弟殿下を見つめ返す。


 ルードヴィヒ王弟殿下の瞳は物柔らかだった。


「もちろんすぐは無理でしょう。ご家族は後追いで来てくださればいい。予定を調整いただいて、準備が出来次第、当国にお越しください。クエイル伯爵と奥様、あとディーナさんの弟君もいらしたかな? 結婚式まで、数カ月か半年か、かなりかかるでしょうが、いっそ結婚式が終わるまで長期滞在されたらいかがです? 特にご子息にとっては、当国に滞在して見聞を広めることは、後学のためプラスになると思いますが」


「いや、しかし……一家で押しかけたら、さすがにご迷惑では」


「我々の都合でディーナさんに無理を言って花嫁に来てもらうのでね――彼女が気持ち良く新生活をスタートできるよう、こちらはできる限りのことをすべきだと考えています。それにこれは、私の都合もありまして」


「ルードヴィヒ王弟殿下のご都合、ですか」


「私はメイヴィス王女殿下と国王陛下に、プレッシャーをかけてやるつもりなのですよ。現状、当国のブルーソルトはそちらの王室に直接納めていますが、できればそれを暫定的(ざんていてき)に、クエイル伯爵経由で渡すように変更したい。ですからクエイル伯爵が当国に長期滞在する公的な理由も、ブルーソルトの取引窓口ということで通せます。しかしこの話を受けるかは、クエイル伯爵ご自身に決めていただきたい。嫌なら断っていただいて大丈夫ですよ」


 父は返事をする前にこちらを見た。


 私は父が、『君にとって一番良い形で進めたい』と考えているのが分かった。私は胸がいっぱいになり、父に気持ちを伝えようとした。


「私――我儘は良くないけれど、もし――もし、お父様が……」


 言葉が続かない。一緒に来て、と頼むのは、やはり我儘すぎるだろうか。


 私の顔をじっと見つめ、父が笑みを浮かべる。


 そしてルードヴィヒ王弟殿下のほうに向き直り、頭を下げた。


「謹(つつし)んでお受けいたします。ブルーソルトの件で何かお力になれるのであれば、尽力いたします」


「お受けいただけてよかった」


 ルードヴィヒ王弟殿下がにっこり笑う。


 しばらくのあいだ黙して成り行きを見守っていたアドルファス王太子殿下が、穏やかな瞳で叔父のルードヴィヒ王弟殿下を見つめ、こう言った。


「僕は叔父上から学ぶべきことが、まだたくさんありそうです」


「お、そうかい?」


「年に三回くらい、叔父上にはハッとさせられます。やはりすごい人だな、って」


「おい――感心するのが、年に三回しかないんかい!」


 ルードヴィヒ王弟殿下の返しが荒れる。


 やはりアドルファス王太子殿下はぶっ飛んでいて、殊勝なはずがないのだった。


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