私の卵
「さて、ではディーナの番だ。どれからいく?」
尋ねられ、私は少し考えて、黒の卵を手に取った。
「まず、黒から」
「どうぞ」
促され、黒の卵を割る。中のメモは丸めてあり、デボラの時と同じだった。ヒモを解き、開く。
自然とため息が漏れた。
「知らない名前だわ――ニコラス、と書いてあります」
「あ……!」
驚きの声を漏らしたのはデボラだ。
私がデボラのほうに視線を向けると、彼女が気まずそうに説明してくれた。
「ニコラスは故郷の幼馴染です。家が近かったので、よく顔を合わせていたのですが、意地の悪いことを言ってくるので、ずっと苦手でした。私が王都に出て来たことで縁が切れ、今どうしているかは知りません」
アレックスが口の端を上げる。
「ニコラスは君の気を引きたくて意地悪していたわけだね。非常に興味深い――つまりだな、人というものは表向き嫌な態度を取っていても、それが本心とは限らないってことなんだ。むしろ狂おしいほど愛している、という可能性もなきにしもあらずだ。よくよく考えてみれば、これは筋が通っているよね――大抵の人は重要事項を優先するから、興味のない相手を攻撃している暇はない。アクションを起こした時点で、そこには歪んだ愛、執着がある」
「そう言われても困ります」デボラは困惑しきっている。「私はニコラスに攻撃されている時、愛なんて感じませんでした」
「当たり前だ、ニコラス自身が自分の気持ちに気づいていないのだから」
「じゃあ結ばれるわけがない。縁がなかったのだと思います」
「君は何も感じていないだろうけれど、向こうは違うんだよ――君のことをずっと覚えていて、もしかすると今も腹を立てているかもしれない」
「なぜ? 私は何もしていない」
「でも彼は君の存在が気に入らないわけだ。ムシャクシャして囚われている時点でそれは強い愛なのだが、彼はそんな単純な事実に気づくこともなく、こじらせている――君が急に目の前から消えたことで、怒りは倍増しているかもね。ふふ……怖くないか? 世界中のほとんどの人が君のことを忘れたとしても、おそらくニコラスだけはしつこく覚えているよ。攻撃的な執着は鎖のように絡みつく愛だ。君はニコラスに愛され、呪われている」
デボラがゾッとした顔をしているのを見て、私は胸を痛めた。
ひどすぎる。アレックスは言葉でデボラに呪いをかけようとしている。
「私は違うと思います」
私ははっきりとした口調でそう告げた。
「ディーナ? おいおいどうした急に?」
アレックスが鼻で笑う。
私はその挑発に乗らないよう、努めて冷静に語った。
「あなたはデボラさんが『呪われている』と言いましたが、それは違います」
「どう違うんだ?」
「呪われているのは、恨みを手放せないニコラスさん自身です。彼の執念が呪いという形で、想い人をどうこうする力はない。ただ本人の精神を蝕(むしば)むだけ。他人から押しつけられた思いを受け取らないのは、デボラさんの権利です。好意であっても悪意であっても、デボラさんには突っ撥ねる権利がある」
「ディーナ様……」
デボラが涙ぐんだ。心の重しが取れたような、ホッとした顔をしている。
私は彼女に微笑みかけた。
――結婚するのだから、ネガティブな思考に引きずられないほうがいい。故郷で別れたニコラスの気持ちが膿んでいて、これから先もあなたを恨み続けるのだとしても、デボラが心を痛める義理はないと思う。
どうかお幸せに……私は他人事だからこそ、そう思った。
アレックスがくくっ、と可笑しそうに笑う。
「ああ、ディーナ……それは自分自身に言い聞かせているのかい?」
「どういう意味ですか?」
「君もどうでもいい相手から歪んだ愛を向けられ、執着されているもんね」
「何を言っているのか分かりません」
「本当に分からないの? ……まぁいいや、次の卵を選びたまえ」
アレックスは人の気分を害する天才かもしれない。相手を小馬鹿にする口調はなんとかならないものだろうか。
客観的に判断するなら、『アレックスは何かにひどくイライラしていて、八つ当たりしているのかも』という感想が浮かぶけれど、こういった感情の制御ができない相手とずっと会話しないといけないのは、苦痛しかない。
自分の機嫌は自分で取ってください、と言いたくなった。膿んだ感情をぶつけてこられても困る。私はあなたの子守(ナニー)ではない。
――次の卵を選べと言われたので、私は水色の卵を手に取った。
回収した時は、瞳の色と卵の色がリンクしているのかと思っていた。けれどデボラの結果発表で違うことは分かっている。ハンスの瞳は緑色だが、彼の名前は黄色の卵に入っていたのだから。
「次は水色の卵にします」
「では割って」
私は円卓の上でそれを割り、中からメモを取り出した。ヒモをほどき、中をあらためる。
ああ……ため息が出た。私は頭を抱えたくなった。
「なんと書いてある?」
アレックスのニヤニヤ笑い。
私は小声で呟きを漏らした。
「……ゲオルク」
ああ……周囲からも、ため息が出る。
ゲオルク……ここへきてゲオルクか……。
エルゼ嫗の助手をしているゲオルク。確かに彼は私に迫っていたし、「好みのタイプだ、一緒に行きたい」と猛烈にアピールしてきた。
「私はゲオルクをオススメする」アレックスのニヤニヤ笑いが深まる。「彼、痴漢じみたところがあるけれど、あの年齢まで変人扱いされずに生きてきたわけだから、そこを評価してあげてほしい。ほら――エルゼ嫗も言っていただろう? 『あたしの前だと大人しい』って。つまり彼は猛烈に好みの女性を見て暴走しただけで、そこまで変態ってわけじゃないのさ。彼にあそこまでさせたのだから、ディーナはゲオルクと結婚したら、ものすごく愛されると思うよ」
そう言われても私は困る。
だって私はゲオルクのことをまったく好きではないのだ。長々とオススメされたところで、なんの感慨も湧いてこなかった。
それにアレックスが真実を述べているかも分からないのだし。
ここにゲオルクがいないのだから、言いたい放題できる。
「ああ、ちなみにぃ」
アレックスが人差し指を振りながら、楽しげに続ける。
「君がゲオルクを選んだ場合、彼、ここにいないからね――キスできないじゃない? だから、キスは後日でもいいよ。彼を選ぶという宣言だけしてもらえば、ゲームクリアだ」
私は真っ直ぐにアレックスを見つめた。
「私がゲオルクさんを選ぶことはありません」
「ま、そうか。三人オープンしてから決めてもいいよね。別にさ、ひとり目のニコラスに決めたっていいんだよ? ディーナはゴージャスな美人だし、君と結婚できるとなれば、ニコラスも改心して良い夫になるかもしれない」
「いいえ、ニコラスさんとも結婚しません」
答えながら頭痛がしてきた。
……これはなんの時間なのだろう。「もうお腹いっぱい」と伝えているのに、次々に料理を出される感じ。
「じゃあ最後の卵を割って」
やっとお許しが出て、私は金色の卵を見おろした。
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