メルヘン王子がやさぐれてしまった


「問題の木箱に話を戻そう」


 ルードヴィヒ王弟殿下がエルゼ嫗に話しかける。


「アドルファスの怒りに反応して鍵が壊れた――そこまでは分かりました。そもそもこれはなんの箱なんですか?」


 分からないことだらけだ。中身も問題だし、どうしてそのような仕かけになっているのかも。


「これを見とくれ」


 エルゼ嫗がポケットから紙片を取り出し、テーブルに置いた。


「この紙……」


 見たことがある。先日アドルファス王太子殿下に届いたものとほぼ同じだ。


 ……ということは、やはりアロイスか。


「また古代語?」


 ユリアが眉根を寄せる。古代語のため、ユリアも私も読むことができない。


 ルードヴィヒ王弟殿下が訳してくれた。


   * * *


 この木箱には鍵がついている。鍵を壊す方法は、アドルファス王太子殿下を怒らせること。怒ると彼の魔力が跳ね上がるから、それに反応して壊れるようにしてある。ただし木箱のすぐ近くで怒らせないと、アドルファス王太子殿下の魔力は届かないので注意せよ。エルゼ嫗は弟子のゲオルクを『ペイトン』の姿に変えて、ディーナとふたりきりにするように。エルゼ嫗がこれを実行しなかった場合、ペナルティとして、『呪いの鏡』を破壊する。アロイスより


   * * *


 エルゼ嫗がやれやれと肩を竦めてみせる。


「弟子のゲオルクを『ペイトン』の姿に変えるには、本物がどういう顔をしているかを、術者のあたしが知っている必要がある。それを知らないと呪いがかけられないからね。だからあたしは『呪いの鏡』を使って『ペイトン』の顔を調べた。そして『呪いの鏡』は指定した人物の過去も少し見ることができるので、ディーナとペイトンが元婚約者同士だったということも知ったのさ」


 私は『なるほど』と思った。


 そういえば先ほどエルゼ嫗は『変わった客人が訪ねて来ることを、あたしは事前に察知したんだよ』と言っていた。――つまり初めにこのアロイスからのメッセージで、アドルファス王太子殿下や私がやって来ることを知り、そこを取っかかりにして、『呪いの鏡』で色々調べていったということか。


 エルゼ嫗が続ける。


「ルードヴィヒ王弟殿下――あんたは知っているだろうが、呪いのアイテムを壊されると、副作用が怖いんだよ。『呪いの鏡』を破壊されたら大変なことになるからね、あたしとしてはアロイスの指示に従うしかなかった」


 ルードヴィヒ王弟殿下が額を押さえる。


「やむをえない事情があったとはいえ……我々にすぐ事情を話すとか、もっとやりようはあったはず」


「まぁ聞きなよ、言いたいことはふたつある。ひとつは、弟子のゲオルクがここまで変態だと思っていなかった。あたしの前だと大人しいからね。まさかお嬢さんに飛びつくとは」


 皆が冷ややかにゲオルクを眺めた。ゲオルクは気まずそうに肩を縮こませ、小声で言い訳する。


「だってディーナさんが可愛いから……こんな辺鄙(へんぴ)なところにずっといてごらんなさい。好みの美女が現れたら、テンションが上がりますよ。……とにかくすみませんね」


 おい、謝る気あるのか? という開き直りぶりである。


 エルゼ嫗が横目でゲオルクを睨んでから、ルードヴィヒ王弟殿下のほうに視線を戻す。


「それでふたつめだが、あたしがお嬢ちゃんに緑の本を持たせただろう? ――そう、これこれ」


 エルゼ嫗がテーブル上に置いてあった本に手を伸ばす。表紙をめくると紙面に文様が描かれているのが見えた。黒っぽいインクが使われている。


「これはブルーソルトが入った塩インクで描かれているんだよ。聖女の浄化能力に反応して、力を増幅させる魔法陣が描かれている。これが発動すると、いくつかの呪いを弾ける」


「そんなものがあるのか」


 ルードヴィヒ王弟殿下が感嘆の声をあげた。


 聖女はブルーソルトの不純物を浄化できるけれど、能力はそれのみであり、限定的なものだ。


 アドルファス王太子殿下はブルーソルトの浄化以外にも色々な呪いを浄化できるのだが、彼は規格外なのである。


 しかしこの緑の本を使うと、聖女でもアドルファス王太子殿下同様、呪いの浄化が可能だと言う。


 エルゼ嫗が片眉を上げ、皮肉な顔つきになる。


「とはいえ、ごく軽い解呪しかできないよ。それでもペイトンの姿にされたゲオルクの呪いは解くことができたはずなんだけどね――ディーナはなぜそれができなかった?」


 エルゼ嫗の色素の薄い瞳が真っ直ぐに私を射抜く。


「――つまりあんた、本物の聖女じゃないね」


 はっきりと指摘され、私は目を瞠った。


 確かにエルゼ嫗の言うとおりだし、隠しても仕方ない。


 私は姿勢を正した。


「はい、そうです」


「あー、そういうことかい、やるなぁアドルファス王太子殿下」


 エルゼ嫗が瞳を細めてアドルファス王太子殿下に視線を転じる。


「あんたがディーナに惚れこんで、聖女に仕立てたってわけだね」


「まぁそうかな」


「純愛だね」


「純愛なんだ」


 アドルファス王太子殿下がなんの抵抗もなく認めたのだが、私は『え?』と引っかかりを覚えた。


 ……私が聖女になった時点では、出会ったばかりだったし、そんなに『純愛』というほど気持ちは盛り上がっていなかったような?


 ルードヴィヒ王弟殿下のクマバージョンを見たメイヴィス王女殿下が悪い態度を取り、『そういう常識のない女性を花嫁に迎えたくない』となって、ほとんど消去法で選ばれたように記憶しているのだけれど……しかもそういう流れにしたのはルードヴィヒ王弟殿下だし。


 アドルファス王太子殿下の澄んだ瞳がこちらに向く。


「ディーナ、矛盾点を掘り返してはいけない。些細なことだよ」


「……些細かしら?」


「僕、初めて見た時からディーナのこと好きだったし」


「そうだった? 『叔父上と気が合うなら、僕とも合うはず』とか言ってなかったかしら? ルードヴィヒ王弟殿下任せというか、初対面の時はそんなにピンときていなかったわよね?」


「気のせい」


「嘘」


「絶対気のせい」


「挙句の果てに、顔が好みと言っていたような……」


「そりゃ顔は好みだよ~。いや違う、顔『も』好みだ」


 にこ~と綺麗に笑うアドルファス王太子殿下。


 私は『んー』となった。……調子が良すぎないかしら? まぁピリつき具合が治まったから、いいけれども。


 すると懲(こ)りないゲオルクが口を挟む。


「そうですね、僕もディーナさんの顔が好みです。アドルファス王太子殿下と別れたら、会いに来てください。一生大事にします」


 アドルファス王太子殿下が身を乗り出し、ローテーブルに片膝をつくようにしてゲオルクに顔を近づけた。おそろしいほどの無表情だ。そして容赦なくデコピンを食らわせる。


 ――ビシ!


 ゲオルクは痛……と額を押さえて涙目になった。


 さらにアドルファス王太子殿下から脅しがかけられる。


「――おい、次にディーナの名前を呼んだら、ぶっ飛ばす」


 私は呆気に取られた。


 とうとうメルヘン王子がやさぐれてしまった……! 私の可愛いメルヘン王子が……!


 ユリアがにやりと笑う。


「ふっ、ざまぁ、ゲオルク。アドルファス王太子殿下、もっとやれ」


 ルードヴィヒ王弟殿下が咳払いをした。


「さぁ、君たち――お遊びはこのくらいにして、木箱を開けるぞ!」


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