パピーが僕と一緒に寝ます?


 ――『アドルファス王太子殿下、可愛いんかい事件』を皆がまだ引きずっている中、ルードヴィヒ王弟殿下が今後の予定を語った。


「急で申し訳ないですが、我々は明日の朝、出発する予定です。ディーナさん――一緒に発てますか?」


「はい、大丈夫です」


 もしも先の提案がなく、家族とは今夜でお別れということだったら、私はとても心細く感じたことだろう。


 けれど都合がつき次第、家族も隣国にやって来て、結婚式まで一緒に過ごせると分かっているから、気持ちがとても落ち着いている。


「今夜中に手荷物をまとめます。ほかの私物は後日、送ってもらうようにしようかと」


「そうだね。隣国に着くまでの着替えや日用品だけ準備いただければ」


「はい」


「ディーナ」と父。「我々はたぶん、一、二週間後に発つことになると思う」


「ありがとうございます」


「……なんだか私も隣国に行くのが楽しみになってきたよ」


 父の穏やかな語り口を聞き、私は幸せな気持ちになった。


 これもすべてルードヴィヒ王弟殿下、アドルファス王太子殿下のおかげだ。


 彼らは大国の王族であるのに、弱者であるこちらに強く出ることはせず、それどころか色々と配慮してくださった。


 私と父が笑みを交わしていると、


「あ、あの、いいですか」


 とマイルズの声がした。遠慮がちだが、一生懸命発言した感じが、いかにも彼らしい。


 私と父が彼のほうに顔を向けると、マイルズが微かに頬を赤らめ、こんなことを言い出した。


「僕も姉さんと一緒に、明日発ってもいいですか?」


「マイルズも?」


 私はびっくりした。マイルズがこんなに積極的なのを、初めて見たかもしれない。


 僕も姉さんと一緒に――そう主張したマイルズは、瞳がキラキラ輝いていて、ひたむきで可愛い。


「姉さんは結婚前だから、家族が誰かひとり一緒にいたほうがいいかな、って。僕はあまり頼りにならないけれど、男性の身内は護衛代わりにもなるし、姉さんとふたりきりでずっと一緒にいたとしても、変な噂を立てられるリスクがないから」


「そうね、助かるわ」


 私が『マイルズもいいかしら?』とアドルファス王太子殿下のほうを見ると、彼がにっこりと綺麗な笑みを浮かべた。


「わーい、マイリーくんゲット~」


 え……いえ、同行するだけで、アドルファス王太子殿下のものになったわけじゃないですからね?


 私が戸惑っているあいだいに、父が電光石火でツッコミを入れる。


「いいや、この子はあなたのものにはならない!」


「僕は一度もらったら返しませんよ、パピー」


「あげてない! マイリーはうちの子ですから!」


 え……あれ? とうとうパピーも『マイリー』って言い出したぞ……私はヒヤリとした。


 弟が生まれてから十七年間、ずっと『マイルズ』と呼んできたのに、もう影響されちゃったの?


 なんだかんだアドルファス王太子殿下ったら、うちのパピーの心もゲットしてない? パピーったら、彼の一言一句にムキになって反応して、もうアドルファス王太子殿下の虜(とりこ)じゃないの。


 考えを巡らせていた私はハッと我に返った。


 やだ――今まったく自覚なく、我が父を心の中で『パピー』と呼んでしまっていたわ!


 ――恐るべし、アドルファス王太子殿下の脳内浸食。




   * * *




「――皆様、今夜は当家にお泊りくださいな」


 母がおっとりした口調で誘うと、アドルファス王太子殿下が本当に嬉しそうに笑った。


「やったぁ、彼女のおうちにお泊りー」


「部屋は別ですからね」


 いちいちムキになる父。


「じゃあパピーが僕と一緒に寝ます?」


「寝るわけないでしょ!」


 やり取りを聞いていた私は笑い出してしまった。


 ……夜が更けて、父がアドルファス王太子殿下のいる客間で寝ていたとしても、そんなに驚かないかもしれない。




   * * *




 その夜は皆で食卓を囲み、ごちそうを食べたあと、カードゲームをして遊んだ。


 私はたくさん笑ったし、弟のマイルズも同様だった。


 父も、母も。


 アドルファス王太子殿下も、ルードヴィヒ王弟殿下も、秘書のユリアも。


 まるで十年来の友人同士のようにリラックスして、楽しい時間を過ごした。




   * * *




 翌朝。一同は馬車乗り場に集まっていた。


 昨晩は楽しく過ごすことができたので、皆、晴れやかな顔をしている。


 それでは笑顔で旅立ち……となるかと思いきや、この国にしばらく残る予定の父が、馬車前でくどくどとアドルファス王太子殿下に注意を始めた。


「いいですか――アドルファス王太子殿下。隣国への旅に私が同行しないからといって、ディーナにベタベタするのは厳禁ですからね。結婚前は節度を保ってください」


 聞いていた私は、『お父様ったら、わざわざ自分からアドルファス王太子殿下に話しかけているわ』と思った。注意という形をとっているけれど、単にかまいたいだけなのでは?


 アドルファス王太子殿下が小首を傾げる。


「手を繋ぐくらいはいいですよね?」


「だめです」


「キスは?」


「手を繋ぐのがだめなのに、キスがOKなわけないでしょ」


「訊いてみないと分からない」


「訊かなくても分かるはず」


「じゃあ、手の甲にキスは?」


「だめ! 先のふたつがだめなんだから、だめに決まってるでしょうが」


「パピーのヤキモチ焼き~」


「ヤキモチじゃない」


「僕はパピーのこともちゃんと好きですから、ディーナとイチャイチャしても拗(す)ねないで」


「なんで私があなたのことを好きなていなんだ」


 そう返した父の声音がちょっと笑み交じりな気がしたので、私は『アドルファス王太子殿下……!』と心の中で叫んだ。


 小悪魔ふうにパピーを翻弄するの、やめてください! 父は四十すぎだけれど、ピュアな人なんですー‼


 かたわらにいた弟のマイルズが眉尻を下げ、小さな呟きを漏らした。


「父さん……」


 マイルズが父を眺める視線は、非行に走りそうな子供を見る時の親の感じだった。




   * * *




 そろそろ出発の時間だ。


 これにて父とは一旦お別れになる。


 私は父とハグして、


「お父様、お先に」


 と笑顔で告げた。


 父はぎゅっと私を抱きしめ返した。


「気をつけるんだよ」


 それから父はマイルズをハグした。


「ディーナのことを頼むよ」


「はい、僕、頑張ります」


 マイルズがはにかんで答える。


 ――するとなぜかそこへ腕を広げて近寄る、アドルファス王太子殿下の姿が。


 父はマイルズを離し、複雑に眉根を寄せて、アドルファス王太子殿下を見つめ返した。


「なんですか、アドルファス王太子殿下」


「僕ともハグしたいでしょう?」


「どうですかね」


「ほら、ほら」


 なんということでしょう……それを見た全員が目を丸くした。


 父がアドルファス王太子殿下をハグしたのだ!


「……お元気で」


 そう呟いた父の眉尻は少し下がっていた。


 え……まさか、しょんぼりしている?


「すぐに会えますよ」


 優しい声音で答えるアドルファス王太子殿下。


「そうですけど」


「寂しいですか?」


「まぁ……ちょっとはね」


 ふたりはそっと離れ、視線を交わした。湿っぽくならないようにという配慮なのか、アドルファス王太子殿下が笑みを浮かべる。


 そしてアドルファス王太子殿下は、父に奇妙なハンドジェスチャーを教え込んだ。互いの拳と拳をコツンとぶつけて、手の甲をすり合わせたり、握手をしたりと、なかなかに複雑な工程だったので、父は四苦八苦しながら覚えなければならなかった。


 少し練習したあと、ふたりは完璧にそれを交わし、最後にハイタッチをした。


 それを見て、私は笑みを浮かべた。


 こんなに楽しい別れの場面は初めて見たと思ったからだ。

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