ゲーム終了!


「きゃあ! 嫌!」


 遠くで悲鳴が上がった。


 私はハッと身を起こし、振り返った。


 ――今のは、デボラの声?


 まさか、アレックスに何かされた?


 踵を返し、声が聞こえてきたほうを目指して走り出す。


 キッチンメイドのデボラは不幸にも巻き込まれた立場で、庇護すべき存在というのが強く頭にあった。貴族籍に身を置く者は、目下の者を護る義務を負っている。少なくとも私はそういう考えだった。だから自分のことよりもデボラを優先した。


 悲鳴が何度か響いたので、方角の見当はつけやすい。


 いくつか植込みの門を曲がると、小道に座り込んでいるデボラを見つけた。


「デボラさん! 大丈夫?」


 尋ねると、デボラがあわあわしながら立ち上がる。


「す、すみません……蛇が出たと思ったんです」


「蛇?」


 王宮の敷地は広大なので、蛇くらいはいるかもしれない。けれど人の手が入っている庭園迷路に蛇がいるだろうか? なんとなく奇妙に感じられた。


「肩に何か伸びて来たんですけど、なんとか引きはがしてみたら、生垣の一部だったことが分かりました。お騒がせして申し訳ありません」


 デボラはしょんぼりして落ち込んでいるのだが、私は彼女のせいだとは思わなかった。


「アレックスの妨害かもしれないわ」


「え?」


「ゲームを盛り上げているつもりなのかも。生垣の一部を伸ばして、蛇のように動かして、あなたを驚かしたんじゃない? そうじゃなかったとしても、暗い中だもの、驚いて当然よ」


「あの、ありがとうございます……」


 怒られることを覚悟していて、フォローされるとは思っていなかったのだろう。デボラが涙ぐむ。


 私はデボラの肩をさすってやりながら、可哀想になってしまった。


 こんな素朴な子を巻き込んでしまって心が痛む。


 自分は王族に嫁ぐ身で、ましてや肩書上は『聖女』であるから、何か問題があるなら解決する義務を負っている。そして大好きなアドルファス王太子殿下を助けたいという強い動機もある。


 けれどデボラは違う。彼女の仕事はキッチンメイドで、日々一生懸命料理を作って、コツコツ働いてきたのだろう。病気の母親がいて、不安に感じることも多かったはず。そんな中でもうすぐ結婚ということになり、新しい家庭を築いて前を向こうとしているのに、こんな訳の分からないゲームに巻き込まれてしまった。


 出発時にデボラから、「一緒に回ってはだめでしょうか?」と尋ねられたのに、私は断った。


 あの判断は適切だったと思っているが、とはいえ正しいなら、ほかの人にもそれを押しつけていいのかとなると、それはそれで違う気がした。弱々しいデボラを見て、自分がした過去の選択がズシリと重くのしかかってくる。


 もうちょっとデボラのことを気にかけてあげればよかったわ……。


「ディーナ様、すみません、後半は一緒に回らせていただいていいですか?」


 デボラからふたたび同行について尋ねられる。彼女はよほど心細かったようで、早口に続けた。


「その、私はすでにふたつ卵を見つけているので、お邪魔はしません」


 見ると、デボラのカゴには黄色と、赤色の卵が入っていた。


「分かったわ。一緒に回りましょうか」


 ここまで頼まれてはもう突っ撥ねられない。私が頷いてみせると、デボラがホッとしたように肩の力を抜く。


「ディーナ様はいくつ集めましたか?」


「まだひとつ」


「あ、水色ですね!」


 デボラが瞳を輝かせる。


「アドルファス王太子殿下の瞳の色だわ! すごくいいと思います!」


 デボラにそう言ってもらえて、私もホッとした。そしてリラックスできた影響か、ふと重要なことを思い出した。


 そうだわ……立会人のアレックスはゲームが始まる前に『共通点』というワードを何度も出していた。


 関係者の頭文字がかぶっている――名前に『ディーナ』がつく、あるいは『D』がつく――何かしら互いに共通点があると、ちょっとしたことでも運命を感じるよね と。あれはゲーム攻略のためのヒントだったのかも。


 ――共通点を探せ、か。


 私はデボラに声をかけた。


「先ほど噴水のところで、ふたつ目の卵を見つけたの。回収に向かうわね」


「はい」


 ふたりは和やかに笑みを交わし、中央部に向かった。


 ふたたび噴水のところに歩み寄り、薄緑色の卵を手に取ろうとした私であったが、


「あ、あの、ディーナ様……!」


 デボラから引き留められてしまう。


「どうかした?」


「私、私……この卵が『当たり』な気がします」


「え?」


「緑色は彼の――婚約者であるハンスの瞳の色なんです。だからピンときて」


 デボラはこちらのカゴをチラリと眺めおろしながらそう言う。


 このことに私はハッとさせられた。


 このゲームでは着色された卵を選ぶわけだから、『色』が重要な鍵になるのではないか。デボラが言うとおり、瞳の『色』と関連づけるのは、筋が通っている。


 そういえばデボラは先ほど羨んでいた――アドルファス王太子殿下の瞳と同じ水色の卵を手に入れることができた、私のことを。


 デボラは瞳の色で探すのが正解だと確信しているようだ。


 私はデボラの直感を信じることにした。


 デボラへの甘さで、流されたわけじゃない。信じる根拠があったから、私は信じた。


「デボラさん、あなたは薄緑色の卵が欲しいの?」


「はい……すみません、ディーナ様が見つけたものなのに」


「私が回収する前にあなたが悲鳴を上げたのは、運命だったのかもね――私はあなたに賭けるわ」


 私は身を引き、デボラに薄緑色の卵を取らせた。


 これでデボラは『黄色』『赤色』『薄緑色』――この三つの卵をゲットしたことになる。


 対し、私はまだひとつだけ。


「デボラさん、途中で見つけたけれど、手に取らなかった卵はある?」


「いいえ。回収した以外のものは見つけられませんでした」


「それじゃあ悪いけれど、私はひとりで探すわ」


「え」


「たぶんあと三十分くらいしか時間が残っていないと思うの。私はまだひとつしか回収できていないし、これ以上、あなたを気にかけている余裕がなさそう――ごめんなさい、行くわね」


 三つ選び終えたデボラのほうはもうゲームを終えたといってもいい。


 もしもここで私が薄緑色の卵をゲットしていたなら、ふたつ回収した同士、このあとも一緒に回っただろう。しかし状況がガラリと変わった。


 デボラが申し訳なさそうな顔で謝ってきた。


「色々勝手を言って、すみませんでした」


「いいのよ、それじゃあまたあとで」


 私はデボラに別れを告げて、迷路の中を走り出した。




   * * *




 ひたすら走った。


 どうしよう……どうしよう。


 タイムリミットまでにひとつしか見つけられなかったら、最初に回収した水色の卵に賭けるしかなくなる。成功確率を上げるため、どうしても三つ見つけておく必要がある。


 走る。


 走る。


 走って、止まって、かがんで、あるいは背伸びをして、生垣のあいだを覗き込んで。


「――あった!」


 ふたつ目の卵を見つけた時、嬉しさで飛び上がりそうになった。


 なんと、通りのど真ん中に置かれている。鳥の巣に置かれた、黒い卵。


「黒か」


 感慨深い。そういえば、アロイスが送りつけてきた箱の中には、大きな黒い卵が入れられていたっけ。あれをアドルファス王太子殿下が拳で叩き壊した場面が脳裏に蘇った。


 くす、と笑みが零れる。


 アドルファス王太子殿下がこちらを見て微笑んでいる――その端正な顔を思い出すと、少し落ち着くことができた。


「大丈夫、まだ時間はあるわ」


 走るうちに、入口付近まで戻って来ていた。


 そしてタイムアップぎりぎりで、私は最後の卵を見つけた。


「――ゴールド」


 生垣の奥――枝のあいだに挟まっている。


 私は注意深く手を伸ばし、金色の卵を掴み取った。それをそっとカゴに入れる。これにて私が選択した卵は、水色、黒色、金色となった。


 その瞬間、花火が上がった。


 ――ゲーム終了!


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