脅迫とサイン
対面のアレックスが呆気に取られている。アドルファス王太子殿下が押し勝ったらしい――そしてその事実がアレックスを驚愕させていた。
「嘘だろう……お前、本当に人か?」
「くどくどと泣きごとを聞かされるなら、時間の無駄だ。僕たちは帰らせてもらう」
「いいや、待て」
アレックスが舌で薄い唇を湿らせてから続ける。
「念には念を入れておいてよかった。人質を取ってある」
「馬鹿も休み休み言え」
「本当だ、これを見ろ」
アレックスが手をかざすと、中空にふたつの光の玉が現れた。光の中に景色が見える――空間が歪んでここと直接繋がっているわけではなく、遠隔の風景が映っているだけのようだ。サイズ感がおかしいので、それが分かった。たとえば光の中に手を入れたとしても、相手方に届くことはないだろう。
右側に浮かんだ光の玉には、粗末なベッドで眠る老女の姿が映し出されていた。その枕元には漆黒のバラが置かれている。
「お母さん……!」
キッチンメイドのデボラが叫んだ。
驚愕しているのはデボラだけではない。私も同じだ。
もうひとつの光の玉には、私の両親であるクエイル伯爵夫妻の姿が映し出されている。
「お父様、お母様……!」
私は焦りを覚え、思わず身を乗り出していた。
両親はソファに腰を下ろしているのだが、目を閉じていて明らかに様子がおかしい。座面の上にはやはり黒いバラの花がある。
マイルズも両親が意識を失っている姿を見て、恐怖で目を見開いている。
「ディーナとデボラ、ふたりが契約書にサインしないと、こうなるよ」
バラの茎がしなり、ニュルリと伸びて、蛇のように父母の首にからみつく。トゲが刺さり、母の首筋から鮮血がひと筋したたり落ちた。
アドルファス王太子殿下が殺気を纏って前に出ようとしたのを見て、アレックスが強くそれを制する。
「待て! 私を攻撃したら、ディーナの両親は死ぬ。あれを実行しているのは、今ここにはいないアロイスだからね――私は無関係だ」
「貴様」
「アドルファス王太子殿下、あなたの解呪能力は確かにすごい――しかし遠隔地にその力が及ぶかな? しかも二カ所同時に対処する必要がある。確実に死者が出るぞ。色々天秤にかけて考えたまえ――ディーナはサインすべきだよ」
私は覚悟を決めて進み出た。
アドルファス王太子殿下の隣に並び、彼の手を握る。
「私、サインをするわ」
「だめだ、ディーナ」
「両親を危険に晒せない――お願い、アドルファス王太子殿下。私を信じて」
「ディーナ……」
アドルファス王太子殿下の瞳が揺れる。
私は胸を痛めた。
彼は優しい人だから、こうなった責任を感じているんだわ。だけど私もあなたの支えになりたい。荷物を半分持たせて。共に乗り越えていきましょう。
私、頑張るわ。
試練を乗り越えて、両親の安全を確保して、アドルファス王太子殿下の助けになりたい。
できることがあるなら、自分でやりたいの。
いつもいつも、あなたばかりが頑張らなくていいのよ。
十歳の時妹さんの命を救った、あなたの行動はとても立派だったと思う。けれどいつもあなたが護らなくてもいい。いつもあなただけが犠牲を払わなくてもいい。
あなたが傷ついたら私は悲しいし、それはあなたのご家族も同じなのよ。ヘルベルト国王陛下も、ジニー王妃殿下も、フレデリカ王女殿下も、同じようにあなたを大切に想っているはず。
私はアドルファス王太子殿下のことをすごい人だと思っている。彼が本気を出したら、人質を救出し、アレックスとアロイスを制圧することも可能かもしれない。
けれどアドルファス王太子殿下自身は無事では済まないという予感があった。護る者が多すぎて、実力の半分も出せないだろう。しかも相手は神クラスの力を持っており、二対一という不利な状況だ。
だから私が契約書にサインをして、ルールに則ってゲームに挑んだほうが、まだ勝機がある。
「契約書にサインします」
「さぁディーナさんはこう言っているよ? デボラ、どうする?」アレックスが煽る。「病で臥せっている母の首をバラの茎で絞めてやろうか? まぁ元々死にかけている老女だ――君の場合はこのまま母を見捨てて、逃げ帰るって手もあるよ」
デボラは勇敢に進み出た。
「私、サインします! 母には手を出さないで、ずっと病気で苦しんできたの、ひどいことをしないでください」
私はハッとさせられた。デボラにはデボラの人生がある。私も必死だけれど、それはデボラも同じだ。
私はデボラに語りかけた。
「一緒に頑張りましょう、デボラさん」
「ディーナ様……」
「先ほどのルール説明でいくと、卵は計六個、互いに三個ずつ選ぶということだから、私たちは敵対するわけじゃないかもしれない。互いに正しい選択を行えば、ふたりで勝ち抜けできるかも」
「確かにそうですね」
デボラの瞳がパッと明るくなった。
私は最後にもう一度アドルファス王太子殿下と視線を合わせ、彼の手をぎゅっと握った。お願い……応援して。
気持ちが通じたのか、彼も握り返してくれる。
「……僕が付いている」
「ええ、心強いわ」
私は微笑んでみせた。
「あなたがいてくれるから、私は勇気を出せる」
私とデボラはアレックスの隣に歩み寄り、円卓の前に立った。
ふたり視線を合わせてから、頷き合って、紙面の下部にサインをする。紙面の大部分に古代文字がビッシリ書き込まれているのだが、私はそれを読むことができない。
ふたりがサインを終えてペンを置くと、それぞれの紙面が中空に浮かび、光を放ってから掻き消えた。
「……今のは何?」
「神々の契約だ」アレックスが中空を見据えたあと、ディーナのほうに視線を戻す。「幾重にも呪術的な縛りがかけられているから、サインしたあとは決して破ることができない」
「なんの契約だったのですか?」
「君たちはゲームに参加することを宣言した。これは『花婿を決めるゲーム』だ」
「え」
皆が驚きの声を上げた。
――花婿を決める? このゲームで? そんな馬鹿な!
「どういうことですか?」
私は厳しく問いかけた。
アレックスは薄笑いを浮かべながら説明を始める。
「卵の中には、男性の名前が書かれたメモが入っている。六個卵があるけれど、すべて違う名前のメモが仕込まれている。ディーナ、デボラ――君たちは選んだ卵三個――つまり三名の中から結婚相手を選ぶことができる」
私は咄嗟にアドルファス王太子殿下のほうに視線を向けた。
では、私が選択を間違ったら、アドルファス王太子殿下と結婚できないかもしれないの?
それでか――私はやっと理解した。以前、アロイスからのメッセージにこう書かれていた。
ふたつ目の試練は『選択』――正しい答えを選べるかな? 頑張って――あれはこのことだったのだ。
「そんな、デボラ……!」
不意に、ずっと黙っていた青年が叫んだ。
デボラと一緒に連れて来られた男性で、名前はハンスといったか。確か、御者をしているということだった。
そういえば……私は数時間前に聞いたデボラの情報を思い出していた。
ユリアが言っていた、デボラはもうすぐ結婚する予定だと。
すると、ハンスという彼がもしかして……?
ハンスがデボラの手を握る。
「デボラ、怖いよね。ひどい話だ」
「ハンス……」
「だけど大丈夫、きっと僕の名前が入った卵を選べるよ」
「そうね、頑張ってみる」
ハンスは背がとても高く、ダークブロンドに緑の瞳が印象的な、優しそうな男性である。ふたりが互いを深く想い合っているのが、私にも伝わってきた。
アレックスが私のほうを見た。少し意地の悪い目つきだった。
「お察しのとおり、ハンスくんはデボラの婚約者だ。ふたりは二週間後に結婚の予定だった。どうなるかはこのゲーム次第だね。――ちなみにハンスくんの名前と、アドルファス王太子殿下の名前、どちらも『夜明けの卵』六個の中に入っているからね。『当たりがナシだった』ていうせこい真似はしないから」
よく分からない……私は眉根を寄せる。
「私が選んだ三つの卵の中に、アドルファス王太子殿下の名前がなかったら、本当に彼とは結婚できないのですか? だったら私は生涯未婚を通すわ」
「できない――とまでは言い切れない」アレックスが肩をすくめてみせる。「けれど正解を選べなかったのに、アドルファス王太子殿下と結婚したい――それは勝手がすぎるだろう? あるいは、選んだ三つの卵の相手、誰とも結婚しないというのも、勝手がすぎる。我儘を通すなら、ペナルティが必要だ」
「ペナルティはなんですか」
「光を奪う。昼間は一切ものが見えなくなるよ。ただ、夜だけは見えるようにしてあげる。日中、光を失う覚悟があるなら、アドルファス王太子殿下と添い遂げればいい。――それはデボラも同じ条件だ」
とにかくやるしかない。三つ選べるのだから、その中に当たりを引けばいいのだ。
私はアドルファス王太子殿下としっかり視線を合わせた。
大丈夫、と頷いてみせる。
アドルファス王太子殿下は案ずるように私を見つめ、頷き返してくれた。
「さぁそれでは、ディーナとデボラは生垣の中に入って、スタンバイしていてくれ。――アドルファス王太子殿下たち、ディーナの仲間はここで身体検査を受けてもらう」
「はぁ?」ユリアがきつく相手を睨みつける。「冗談じゃないわ」
対し、アレックスもご機嫌はよろしくない。
「私はゲームが始まったら、ディーナたちの動向に注意を払わなければならない。君たちは信用できない――呪いのアイテムを持っているし、手癖が悪そうだからね。怪しいものを持ち込んでいないか、ここで確認させてもらうよ――ほら、ディーナたちは向こうでスタンバイ」
アレックスが苛立っているので、刺激しても良いことがなさそうだと、私はデボラを促して歩き始めた。生垣でできたアーチをくぐると、その先にちょっとしたスペースがあるので、『そこがスタート地点だから先に行っていろ』ということらしい。
御者のハンスはアレックスに『シッシッ』と手で払われたので、デボラに付いて一緒に中まで来た。
恋人同士、少しでも一緒にいたいだろうし、私は他人事ながら『よかったね』と彼らのために喜んだ。
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