チュ♡
「さて――アロイスが出したふたつの条件についてだが」
気を取り直してルードヴィヒ王弟殿下が話を戻した。
アドルファス王太子殿下がそれに答える。
「ひとつ目は、僕が愛する女性を見つけることです」
「よかったな、それはクリアしている」
ルードヴィヒ王弟殿下が私をチラリと眺めてからそう言うと、アドルファス王太子殿下は照れることもなく頷いてみせた。
「そうですね」
彼があっさり肯定するのを聞き、私は淡く笑んでいるものの、少し困っているというか若干気まずい思いをした。
……アドルファス王太子殿下から大切にしていただいて嬉しい。けれど婚約者からこういうふうに扱われることに慣れていないから、正直なところ戸惑いが大きくて。
元婚約者のペイトンは『外でディーナを大切に扱ったら負け』とでも思っていたのか、メイヴィス王女を持ち上げて、私のことは軽く扱った。ペイトンと関わっていた年月が長かっただけに、同じ男性でもこんなに違うのか……と混乱することがある。
私には少し時間が必要なのかもしれない。
アドルファス王太子殿下が優しい人だから、私も冗談めかした勢いがあれば自分を出すことができる。けれどやはりペイトンにつけられた傷はどこかにしっかり残っているのだろう。それが先ほどの『恋人同士であっても、すべてをオープンにするのは、ちょっと』という発言に出てしまったのかも。
「それで、ふたつ目の条件は?」
ルードヴィヒ王弟殿下から促されたアドルファス王太子殿下はためらいをみせた。
「アドルファス? どうした?」
「いえ――この部分は記憶のロックを完全には解除してもらえませんでした」
「どういうことだ?」
「重要な部分にノイズが入って、聞き取れなかったのです」
「じゃあ『何を』クリアすべきか分からない状態で、お前は賭けに挑まなければならない?」
「はい……ただ」
アドルファス王太子殿下が気遣わしげに隣席の私を見つめる。
私は彼の瞳を見返した。
「アドルファス王太子殿下、私は大丈夫なので、何かあるならおっしゃってください」
「アロイスはこう言ったんだ――『ふたつ目は、君が心から愛したその人が』――そのあとノイズが入って分からなくなり、最後は『こと』で会話が終わった。主語を置き換えて意訳するとこうなる――『ふたつ目は、ディーナが何々すること』あるいは『ディーナが何々になること』」
私は息を呑む。
「私の問題……」
「いや、君の問題というわけじゃない」
アドルファス王太子殿下がきっぱりと否定する。
「ディーナが関係しているのは確かだけれど、その課題は僕のほうにあると考えるべきだよ」
私は考えを巡らせる。
……アドルファス王太子殿下は優しいからこちらに負担をかけまいとしてそう言ってくれたのだろうけれど、やはり『彼がどうこう』という問題ではなく、『私が何かをクリアすべき』なのでは?
「それから朝目覚めて、これを見つけた」
アドルファス王太子殿下がポケットから紙片を取り出し、テーブルの上に置く。
一同それを眺めおろすが、過半数が『???』という顔つきになった。
「すみません、私は読めないです」
ユリアが申告する。
「私もです」
と私も続く。
「僕もです」
マイルズも。
「これは古代文字だ」アドルファス王太子殿下がルードヴィヒ王弟殿下を見遣る。「叔父上は読めますね?」
「ああ」
ルードヴィヒ王弟殿下は難しい顔でメモをじっと睨んでいる。視線が二度行き来したので、納得できなくてもう一度最初から読み直したようだ。
やがてルードヴィヒ王弟殿下が通訳係としてメモを音読してくれた。
* * *
おめでとう、アドルファス王太子殿下。ひとつ目の条件はクリアしたね。
君は愛する女性、ディーナと出会った。
しかしふたつ目の条件についてはまだ達成できていないから、どうか頑張ってくれ。
タイムリミットは二週間後――だけどさ、ただ期限の到来を待つのも退屈だよね。
そこで親切な私から、あいだに三つの試練を用意してあげたよ。
――テーマは順に『過去』、『選択』、『愛』だ――。
健闘を祈る。
* * *
「ふざけていますね」ユリアが不快感をおもてに乗せる。「人の命をなんだと思っているのかしら。アロイスの暇つぶしのために、我々は生きているわけじゃない」
ユリアが率先して怒ってくれたことで、空気が引き締まった。
気持ちが落ちずに、『負けるものか』と思えた。アロイスが神か悪魔か知らないが、やっていいことと悪いことがある。
私もまた怒りを覚えながら、同時に重責を感じてもいた。
皆の意見も聞いてみたくて、慎重に考えを伝える。
「この紙片に『ふたつ目の条件についてはまだ達成できていない』と書いてあるということは、現状私に足りないものがあり、その欠点を二週間以内に直す必要があるということでしょうか」
すると。
「違う」
「絶対違う」
「違います、ディーナさんに欠点はありません」
「姉さん、そうじゃないと思う」
皆から速攻かぶせ気味に否定が来たのだが、それらは冷静な言葉というより、全体的に殺気交じりの言葉のような感じもして、私はたじ……となった。
「あのでも皆さん、ここは合理的に判断しないと――」
「ディーナ、君に欠点なんてないから」
アドルファス王太子殿下が珍しくご立腹だ。
「いえ、普通にたくさんあると思いますよ?」
それはさすがに……人間ですから。
「ないから~もうやだ~ディーナに欠点があるとか言うやつ、ころす~」
綺麗な顔で怖いことを言い出した。ピュアなアドルファス王太子殿下がこのままでは闇落ちしてしまいそう。
私は慌てた。
「あの、ありがとうございます、そう言っていただけて嬉しいです」
「当たり前だから。誰だよ欠点があるとか言ったやつ~」
私です……あれ、私、殺されちゃうの?
私は眉尻を下げた。
「こういう時、周囲がいい人ばかりだと困るわ。だって私の欠点をあげつらう才能がゼロなんだもの。今必要な人材は、私のことを意地悪にけなせる人ね」
「え、姉さん、それってペイト――」
迂闊にマイルズがそう言いかけて、慌ててピタリと口を閉ざす。
禁断のワードが飛び出し、シン……空気が張り詰める。
緊張がピークに達したところで、バン! とユリアがテーブルを手のひらで叩いた。
皆が驚いてユリアを見ると、彼女はなぜかドス黒いオーラを発しながら、低い声で呪いのような言葉を垂れ流した。
「Pの話はやめましょう、あんなやつここにいたってなんの役にも立ちませんよ、どうせディーナさんの欠点を訊いても、『俺に媚びなかったから』とか『俺にキスしなかったから』とか『俺の前で脱がなかったから』とかクズキモイことを言うに違いありません。キモイ、キモすぎるよ、P――お前を喜ばせるために清楚なディーナさんが脱ぐわけないだろ、くそ図々しい男だな、とっととメイヴィス王女と結婚してしまえ。それで妻にならってPも前髪パッツンにして、『くそダサイ夫婦だな』と貴族社会で笑われるがいい」
私、そしてマイルズは思わずのけ反っていた。Pに対してではなく、ユリアの言いがかりのひどさにドン引きした。
Pが今もらい事故をくらっているのは明らかだった。
だって私は彼から無視暴言などのモラハラは受けていたものの、『キスをしろ』や『服を脱げ』等のセクハラ被害に遭ったことはなかったからだ。メイヴィス王女殿下に夢中な彼が、別の女性に対してそんな欲望を抱くわけがないのに……私はそう思った。
ところが私以外の全員が、ユリアの意見に同意しているような顔つきである。私にとっては『破廉恥で馬鹿馬鹿しい』見解なのだが、ほかの人にとっては『ユリアは驚くべき勘の良さでペイトンの昏い欲望を言い当てている』となるのだろうか。
そんな中でもアドルファス王太子殿下が見せた反応は激しかった。
「ド変態ペイトン、キモイ~」
はっ……アドルファス王太子殿下が澄んだ瞳で悪態をつきだした! 彼が他人を「ド変態」呼ばわりするなんて! ふたたび闇落ちしかかっている!
私はギュッとアドルファス王太子殿下に抱き着いた。
「メルヘン王子、光の世界に戻って来て!」
「ディーナ、そもそも僕はどこにも行ってないよ?」
「でも闇落ちしかかっています」
「だってペイトンがディーナの裸を見ようとしたって、ユリアが……」
「嘘の情報に騙されないで!」
「え、嘘じゃないっす、マジっす、私こういうことには鼻が利くっす」
とユリアが混ぜ返す。
ちょっとユリアさん、メルヘン王子を惑わせないでください――こうなれば最終手段!
私は抱き着いたままアドルファス王太子殿下のほうにさらに身を寄せ、チュ、と彼の頬にキスをした。
その途端アドルファス王太子殿下はヘニャリと脱力し、赤くなって手のひらで顔を覆ってしまう。
「ディーナがまたパピーとの約束を破った……キスはだめなのにぃ」
そんな場合ではないけれど、私はキュンとした。
「ふふ、照れているアドルファスくんは可愛いぞ♡」
端でそれを見ていたマイルズがそっと冷や汗を拭った。
……父さんがここにいなくて本当によかった……彼の瞳にはそんな感情が浮かんでいた。
* * *
その後皆で和やかに朝食をとり、宿を出た。
悩んでも悩まなくても結果は同じだから、悩まない――こういう部分では全員足並みが揃っている。
マイルズだけは本質的に心配性なところがあるが、彼は周囲に影響されやすい部分もあるので、皆が楽天的だとわりと流される。
馬車に揺られ、半日後、一行は王宮に辿り着いた。
――さぁ、アドルファス王太子殿下のご家族と対面!
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