呪いは解いても解かなくてもいい、けれどどうせ解ける


「ああ、もう」


 ルードヴィヒ王弟殿下がぼやく。


「万が一に備えて、浄化能力を持つアドルファスには、普通の状態でいてほしかったんだが……」


 猫化したことでポンコツになる危険性もあったので、ルードヴィヒ王弟殿下としては、甥っ子がキャンディを摂取するのを事前に止めようとしたし、事後にも(もう手遅れだけど)苦言を呈そうとしたようだ。しかしいずれも失敗に終わった。


「――なぁ、ウィンダム」


 店主のロイはまだ近くに留まっていたようだ。彼はテーブル上で横向きに丸まっているウィンダムを見おろし、そっと声をかけた。


「お前、今は猫状態だから、嘘がつけないんだよな?」


「ああ、そのようだ。今の私はただのいたいけな猫ちゃん……それ以上でも、以下でもない」


「気になっていたんだが、妹と喧嘩した理由は?」


 隣り合っているため、こちらのテーブルにもふたりの会話は聞こえてしまう。

 そういえばウィンダムはロイの妹と婚約しているんだっけ。けれど喧嘩中なのだと、少し前にも言っていたな。


「ロイはどうしてそれを知りたいんだ?」


 猫耳を生やしたウィンダムが丸まったまま尋ねる。

 ロイは苦い顔だ。


「頭の出来が違うから――妹が馬鹿だから、お前は見切りをつけたのか? 本当のところどうなのか、俺は知りたいんだ」


 そう問われたウィンダムは右手で猫耳をこすってから、観念した様子でゴロリと仰向けになった。そして天井を眺めながら、静かに語り始めた。


「実はだな――……彼女はほかに好きな男ができたんだ」


 衝撃の告白だった。


「え」


 ロイが目を丸くする。

 こちらのテーブルの面々も驚きを覚えつつ、話に引き込まれる。


「元々、彼女のような美人が、偏屈な僕と付き合ってくれたこと自体奇跡だった。でも夢はいつか醒める――そういうものさ。彼女が僕を捨てて乗り換えた男は、ロイ――君に似たタイプだったよ。陽気で、タフで、格好良い。彼女にさ、『ごめんね』と謝られた。『元彼とヨリを戻すことにしたわ』って……それを告げてきた時、彼女はものすごくつらそうでもなかったけれど、一応僕に気を遣って、申し訳なさそうにはしてくれた。だから、いいんだ」


「ウィンダム……」


 ロイが何かをこらえるように友人を見つめる。

 ウィンダムは口角を上げてみせた。


「本当のことを言ったら、君が傷つくと思ったんだよね」


「は、なんで俺が傷つくんだ?」


「君たち兄妹は仲が良かっただろう? 妹がそんな簡単に心変わりしたと知ったら、兄としてガッカリするんじゃないかと思ってさ」


「お前」ロイが眉尻を下げる。「……あのな、妹は悪いやつじゃないが、本能に忠実というか、ビッチなところが玉(たま)に瑕(きず)だというのは、俺も知っていたよ。別にさ、正直に言ってくれてよかったのに」


「そうか……変に気を回して、僕は馬鹿だな」


 ウィンダムの語り口は棘がなく、まろやかだった。すべて話してスッキリした顔をしているのは、果たして猫紳士キャンディの作用だけなのだろうか?

 実はずっと正直に話したいと思っていて、これで胸のつかえがおりたのでは? 成り行きを見守っていた私はそんなことを考えた。

 話を聞いていたユリアが口を挟む。


「……驚いた」


 猫化状態なので、話をしていても姿勢はダラけていて、テーブルに頬杖を突いたままユリアが続ける。


「ウィンダムさん、あなた、ロイさんを尊敬しているのね?」


「え?」なぜかロイのほうが慌てている。「そんなはずはない、こいつはいつも俺を馬鹿にして――」


「違うにゃん」とユリア。「見ていれば分かる――ウィンダムさんはロイさんをすごい人だと思っていて、敬意を払っているわ。でもなんで普段はあんなふうに憎まれ口を叩くの?」


 天井を見上げているウィンダムが瞳を揺らした。気のせいか、目尻が潤んでいるように見えた。


「だって僕……ロイには何も勝てないからさ。ロイは人気者で、いいやつで、運動神経もいいし、マッチョで格好良くて、僕とは全然違う。僕は……小さい頃からひとりぼっちでいることが多くて、ロイみたいに誰とでも仲良くなれる才能はなかった。僕がすごいやつじゃなかったら、ロイに見放されると思ったんだ。だから……頭が良いって自慢して、ロイにすごい人間だと思ってほしかった」


 ウィンダム、あんた……皆が切なげに彼を眺めた。

 ロイが言葉を詰まらせながら怒る。


「な、何を言っているんだよ! お前が昔ギャンブルで勝ってくれなければ、うちの家族は夜逃げして、野垂れ死んでいたかも。なのに――」


「君はそれを気にして、僕と縁を切れないんじゃないのかい?」


「馬鹿!」ロイが怒鳴った。「たとえお前があの時お金を稼いでくれなくても、俺たちは友達のまま、関係は変わらなかっただろうさ! 夜逃げしても、きっとあとで手紙を書いたよ」


「ロイ……」


「お前がすごいやつだから、友達になったと思うのか? 違うだろ。俺はお前の欠点をよく知っているけれど、それでも友達なんだ――それはこれからも変わらない」


 それを聞いたウィンダムは胸ポケットから白いハンカチを取り出し、チン、と鼻をかんだ。

 涙もろいユリアはすでに大号泣で、テーブル上に置いてあったフキンを目元に当ててしゃくり上げている。

 ユリアはみっともなく声を震わせながら口を開いた。


「ウ、ウィンダムさん……いいじゃないですか、このまま猫の呪いが解けなくても、ありのままのあなたでいればいいんですよ。私もこのとおり、すっかりグータラ猫になってしまいましたが、もうこの状態を受け入れます。互いに、ダメ猫のまま生きていきましょう」


 なかなかに感動的なスピーチであるが、ルードヴィヒ王弟殿下があっさりと水を差す。


「いや、ひと晩で呪いは解けるよ」


「……え?」


 ユリアがすごい顔でルードヴィヒ王弟殿下のほうを振り返る。彼がシレッと続けた。


「ひと晩で呪いは解けるし、なんならビールを飲めばすぐに解けるらしい。――僕は猫化できなかったから、本当にビールで解けるかは試せなかった。だから保証はできないんだけどね? でも、ま、皆さん、おおらかにダメ猫状態を受け入れているようだし、とりあえず今夜はこのままでいいんじゃないか?」


 ゴロンとしていたウィンダムが飛び起きて、厨房に向けて怒鳴った。


「――ビールを一杯お願いしたい!」


 ユリアもそれに続く。手を挙げて、給仕の人に頼んだ。


「私にもビールをいただけます? すみませんが、急ぎでぇ」


 私も手を挙げた。


「私にもお願いします」


 マイルズもはーい、と手を挙げた。


「あの、僕も同じくです!」


 ところがひとり(一匹?)だけ、流れに乗らない変わり者が。


「断固拒否~!」


 テーブル上にベタッと張りつき、猫耳つきのアドルファス王太子殿下がゴネ始めた。

 ……というかそもそも彼は、自力で解呪することができるのにもかかわらず、その能力を封印し、呪いを率先して受け入れていたのよね?


「僕は猫さんのままでいるー! 今日から猫王国を築くー」


 メルヘン王子の魂の叫びを聞き、周囲がふたたび騒がしくなる。


「一刻も早くビールをお願いしたい!」


「私、厨房まで取りに行きましょうか?」


「あ、私も取りに行きます」


「ぼ、僕も」


 皆、断固としてビールを求めた。

 ――ちなみにこの国では十六歳から飲酒可能なので、十七歳のマイルズもビールは飲めるのである。


   * * *


 ――五分後。

 すっかり元に戻ったウィンダム氏が、気取った仕草で襟元を正しながら、店主のロイにダメ出しを始めた。


「この店の衛生状態はどうなっているんだい? 先ほどテーブル上に仰向けになった際、初めてマジマジと天井を眺めることになったのだが、蜘蛛の巣が張っているのに気づいたぞ。さすが三流店だと感心すべきなのか? いや――今の『さすが』というのは皮肉なのだよ? いいかいロイ、僕に注意されなくても、もう少し気をつけたまえよ」


 ロイが怒りでプルプルと震え出した。


「くそ、なんで猫紳士キャンディの呪いが解けちまったんだ……!」


   * * *


 ――夜も更け。

 宿泊部屋の窓際に佇むアドルファス王太子殿下が、うっとりと月を見上げている。

 猫耳に月光が当たり、淡い輝きを放っていた。

 アドルファス王太子殿下はポケットに片手を入れ、中からピンクの飴玉をひとつ取り出した。

 親指と人差し指でそれを挟み、月の光にかざす。


「パピーと再会したら、これをあげよう、っと。どんなふうになるか、今から楽しみだにゃ~……」


 ――悪だくみ猫ちゃん。

 ふふ……と彼が笑みをこぼすと、アドルファス王太子殿下の頭部から生えた猫耳がご機嫌に揺れるのだった。



   * * *


 4.猫紳士キャンディ編(終)

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