最終話 私、浮気はいたしません
サンルームにはアロイス、ルードヴィヒ王弟殿下、そしてマイルズがいた。
アロイスとマイルズがなぜかチェスをしていて、ルードヴィヒ王弟殿下は行儀悪くテーブルに片肘をつき、足を組んでゲームの成り行きを眺めている。
「……アロイス、なんでいるの?」
アドルファス王太子殿下が半目になった。このリアクションを見るに、アドルファス王太子殿下も知らなかったらしい。
パスカリス塩湖のあの騒動のあと、アロイスは消えてしまった。
ブルーソルトの濁りとともに浄化され、消し飛んだのかと思っていたのだが……?
「君のおかげだよ、アドルファス王太子殿下」
「どういうこと?」
「解呪により私は自由になれた。アレグザンドラの残滓(ざんし)が消えたおかげだ。――パスカリス塩湖を全浄化した際、君は気づいたんだろう? アレグザンドラの魂はもうこの世に存在していなくて、ブルーソルトに混ざった汚染物質として残留思念が残っていただけだ。君たちが見た『アレグザンドラ』は私の魂の一部だった」
え、そうなの? 私は驚き、目を丸くした。
アロイスが申し訳なさそうに私を見つめて詫びる。
「ディーナ、巻き込んでしまって、すまなかったね」
「いえ……」
何千年も前に死んだ人と話しているのって、変な感じ。
というかなぜだろう……アロイスはじっとこちらを見てくる。彼がアドルファス王太子殿下と話している時も、ずっと目が合っていたのだけれど。
アロイスが私に向けて説明を始めた。
「アレグザンドラが死んだ経緯は聞いたかい?」
「はい。あとでアドルファス王太子殿下から教えていただきました。あなたの婚約者だったんですね」
「そう――でも愛はずっとなかった」
「え?」
「ディーナには誤解されたくない……」
んんん? この場にいるアロイス以外の全員が眉根を寄せた。
とはいえアロイスが何を言いたいのか、皆今ひとつ掴み切れないので、とりあえず黙したまま注意深く耳を傾ける。
「私は二十六歳で病死したんだが、遺骸をパスカリス塩湖のそばに埋められたことで、アレグザンドラの記憶に触れることになった。それはブルーソルトの汚染物質に刻まれた残りカスのようなものだったのだが、私の中に深く入り込み、魂を浸食して別人格として分離してしまったんだ。なんといったらいいか――アレグザンドラの死亡時、そのコピーがパスカリス塩湖に作成され、ブルーソルトの中に残されていたのだが、それが私の中に入り込んだというのが正しいだろうか。――そのあとはずっと地獄だった」
地獄……なんだか思っていたのと違う。
私は冷や汗をかく。
悲恋というか、もっと淡くて耽美な関係性だったのかと……。
アロイスは恥じることもなく、薄情なことを赤裸々に語った。
「アレグザンドラは絶えず怒り狂っていて、私を責めさいなんだ。十代前半で私たちは婚約関係にあったが、こちらは大人になるまで生きたから、彼女の外見は子供すぎて恋愛の対象ではなくなっていた。けれどアレグザンドラの思念コピーは十代前半のままで止まっている。そして私に執着し、共にあろうと縛りつけようとする。私はずっと苦しかった。誰かに助けてほしかった――アレグザンドラの残滓(ざんし)を解放してあげたいのではなく、ただ私が解放されたかった。それでアドルファス王太子殿下に賭けることにしたんだ」
「なぜアドルファス王太子殿下だったのですか?」
よく分からない……アドルファス王太子殿下は十歳の時に初めてアロイスと出会ったと言っていた。まだ幼い子供ではないか。そんな子供に賭けようという心理が、私には理解できない。
「彼は突出していたからね」アロイスは可笑しそうに笑った。「人間離れしていたよ、十歳時点ですでに」
「ゲームを持ちかけたのはなぜですか? 突出していたなら、事情を話して協力を頼めばよかった」
アドルファス王太子殿下はクールに見えるけれど、王族の矜持を持っている。パスカリス塩湖に関することなら、親身になって協力してくれたはず。脅す必要はなかった。
「私は彼にパスカリス塩湖の全浄化をしてほしかった。しかしそれを実現するには神がかった強い力が必要だ。だから彼の成長に賭けることにしたんだよ――愛を知ったアドルファス王太子殿下なら、もしかするとアレグザンドラの怨念にも打ち勝つことができるかもしれない。人間の魔力量のピークは二十歳前後だと言われているから、そのポイントでアドルファス王太子殿下の魔力量を爆発的に増やす必要があった。そのために彼の愛する人を危険にさらして、彼を揺さぶって器を強制的に広げることにしたんだ。王族なので、二十歳前後でパートナーは決まっているはずだと思っていたのだが、ディーナと婚約したのはかなりギリギリだったね」
私はアドルファス王太子殿下のほうに視線を向けた。
愛する人が危険にさらされると、魔力量が爆発的に増える……なんてことがあるの?
アドルファス王太子殿下は小さくため息を吐く。
「……確かにディーナのことで心を揺さぶられて、魔力量が二倍以上に跳ね上がった」
「え」
一気に二倍? たとえば身長だと数日で二倍に伸びるってありえないわよね? 魔力も似たようなもので、そうそう倍増するものだと思えないのだけれど。大丈夫なの?
考えてみたら、あの広大なパスカリス塩湖のブルーソルトをすべて浄化したのだ。アレグザンドラは地殻運動の莫大なエネルギーを利用して、呪いを後世に残した。その悪魔じみた呪いに、生身の人間が打ち勝ってしまったことになる。
……アドルファス王太子殿下、本当に大丈夫?
私が心配になって見つめると、アドルファス王太子殿下がにっこりと笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。僕はディーナと結婚していないのに、人間をやめるつもりはないから」
「……結婚したら満足して、人間をやめませんか?」
「やめない。ディーナと結婚したら、ずっと一緒にいたいから」
「よかった」
私も安心してにっこり笑った。
するとアロイスが席から立ち上がり、こちらに歩み寄って来た。
……なんだろう?
訝しく思っていると、彼が私の手を取り、口づけを落とした。
私は呆気に取られてアロイスを見上げる。
「私はディーナの顔がすごく好みだ」
一点の曇りもない瞳でこちらを見おろし、アロイスが訳の分からないことを言う。
「……は?」
「パスカリス塩湖から解放されて、私は今、半分人間で半分神のような存在なんだよ。つまり人の営みも可能だと思う――そういうわけで私の花嫁になってくれ、ディーナ」
開いた口が塞がらない。私が拒絶するより早く、
「無理に決まっているだろ」
アドルファス王太子殿下がピシャリとアロイスの手を叩き落とした。美形なだけに、冷ややかに相手を見据えると、貴族的で優美だった。私はアドルファス王太子殿下の新たな一面を垣間見た気がした。
「ディーナは僕と結婚するんだから、ちょっかいをかけないでくれ」
「でもさ、昔は一夫多妻もあったし、一妻多夫もあったんだぞ」
「制度の問題じゃない。ディーナの夫になろうだなんて、図々しいぞ、アロイス」
メルヘン王子はすっかりやさぐれている。
「ケチケチするなよ、アドルファス王太子殿下」
「ケチケチして何が悪い、僕は絶対嫌だ!」
「ディーナの意見を訊こう――ねぇディーナ、私を二番目の夫にしてくれないか?」
アロイスが跪き、流れるように求婚してくるのだが……私は胸を手で押さえ、速やかに答えた。
「――無理です」
振られたアロイスはガーン……と目を見開いてショックを受けている。
それを椅子に腰かけたまま半目で眺め、ルードヴィヒ王弟殿下が小声で皮肉った。
「おいおい……なんで『いける』と思ったんだよ。アロイスって救いようのない馬鹿だな」
見物人のマイルズは眉尻を下げてアロイスを眺めていた。
それで結局――アロイスは行くところがないので王宮に住みつき、その後も継続的に私にちょっかいをかけ続け、アドルファス王太子殿下が嫉妬をするという、誰も得をしない構図ができあがった。
口説かれるたびに私はアロイスに告げる。
「何度もお伝えしておりますが――私、浮気はいたしません」
一途にアドルファス王太子殿下だけを愛し続けます。
* * *
3.隣国編(終)
* * *
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