私は明日、その品性下劣な人とお会いするのか
席順は男女で交互に座るとか、上座はこちらで下座はこちらとか、そういった細かいルールは一切なしの晩餐会だった。
皆笑顔で和気あいあいと食事を楽しむ。
「マイルズくんは、からいものって大丈夫?」
ヘルベルト国王陛下はマイルズに夢中だし、
「はい、僕はからいものが大好きなんです」
マイルズも会話を楽しんでいる。キラキラした瞳は大好きなご主人様を見つめるワンコのようだ。
「マイルズくん、そうは見えないねぇ」
「なんでだろう? よく言われます。ヘルベルト国王陛下はいかがです? からいものはお好きですか?」
「実はね……私は苦手なんだ」
「え、見えませんねぇ、ヘルベルト国王陛下はからいものが得意そうなのに」
「よく言われるよぉ」
そんな会話を聞き流しながら、ルードヴィヒ王弟殿下は凪いだ表情でマッシュポテトを口に運び、「君たちは付き合いたてのカップルか」と小声で突っ込みを入れた。
そしてジニー王妃殿下――こちらはこちらで隣席の私につきっきりの状態だ。
結局ジニー王妃殿下が強く希望して、アドルファス王太子殿下から私を奪った形になった。
「ねぇディーナさん、明日の予定はもうお決まりかしら?」
ジニー王妃殿下に尋ねられた私は笑みを浮かべた。
「明日はパスカリス塩湖に行く予定なんです。アドルファス王太子殿下、ルードヴィヒ王弟殿下、ユリアさん、マイルズと」
「あら、そうなの……」
ジニー王妃殿下は途端に元気がなくなった。「お茶会か散歩でも一緒に……と考えていたのに」とジニー王妃殿が呟きを漏らした。
「――ルードヴィヒが一緒に行くなら、ただパスカリス塩湖を見学して終わりじゃないね?」
ヘルベルト国王陛下が表情を改め、ルードヴィヒ王弟殿下に尋ねる。
ふたりは視線を交わし合った。たった数秒であるが、長年の信頼関係が窺えるような無言のやり取りだった。
ルードヴィヒ王弟殿下が落ち着いた声音で答える。
「エルゼ嫗(おうな)に会って話を聞くつもりです」
「本気か?」
ヘルベルト国王陛下が呆気に取られている。
「エルゼ嫗?」
ジニー王妃殿下が小首を傾げる。
ヘルベルト国王陛下が妻のほうに視線を向けた。
「エルゼ嫗はパスカリス塩湖の『裏』管理人――といったところかな」
「だけど私は一度もお会いしたことがないわ」
ジニー王妃殿下が呆気に取られている。
私もまた驚きを覚えていた。
ジニー王妃殿下も私と同じ国の出身で、二十数年前に聖女と認定されてこちらの国に嫁入りしたと聞いている。
……エルゼ嫗はパスカリス塩湖の関係者なのに、現聖女であるジニー王妃殿下は会ったことがないの? ブルーソルトの浄化を行う聖女にとって、パスカリス塩湖はもっとも関係が深い場所なのに。
一体どうして……?
ヘルベルト国王陛下が妻に説明する。
「パスカリス塩湖の西側に、大きな管理棟があるだろう?」
「ええ、城壁と一体になっているわよね。中には作業の人がいて、倉庫のスペースもあって」
「君はそこに何度も行っていると思うが、管理棟の前に立ってパスカリス塩湖のほうを眺めると、対岸に小屋が見える」
「ああ……そういえば……」
ジニー王妃殿下が視線を巡らせる。
ヘルベルト国王陛下が頷いてみせた。
「あの小屋に住んでいるのがエルゼ嫗だ」
「いつから?」
「ずっと昔から。私が子供の時にすでに老女だったから、今は何歳なんだか……」
「エルゼ嫗は『人』なの?」
「人だ。パスカリス塩湖に関しては誰よりも詳しい」
「どうして表舞台に出て来ないのかしら? 王宮に顔を出したことは一度もないわよね?」
「そういう堅苦しいのが嫌いな人なんだよ――人間嫌いとも違うんだが、とにかく変わり者だから、君をあの小屋に連れて行かないようにしていた。エルゼ嫗から、『私は客人に意地悪な悪戯をするよ』と予告されていたので、君に会わせるのが怖くて」
ジニー王妃殿下はずっと驚きっぱなしだ。
「え、意地悪な悪戯? お年を召された女性なのよね? どういうこと?」
「エルゼ嫗は性格がよろしくない――品性下劣な人物で、本人もそれを自覚している。『よほどの緊急事態でないかぎり、私に人を近づけるな。存在も知らせるな』と言われていた」
「………………」
ジニー王妃殿下の顔から表情が消える。
いきなり空の果てを見せられた人はこんな顔つきになるかもしれない……私はそんなことを思った。びっくりしすぎて、かえって凪ぐというか。
そして私は『私も今同じ顔をしているかも』とも思った。
ヘルベルト国王陛下が説明を続ける。
「エルゼ嫗は東の果てにある集落『ウォルフ』の出身だ」
「ウォルフってあの、呪術師たちが住む村?」
「そう」
「それじゃあエルゼ嫗は呪術的な力を使って、パスカリス塩湖を見守っているの?」
「まぁそうだ。浄化の力までは持っていないが、気の流れみたいなものは見えるらしい。あの小屋にはウォルフ村で一番力の強い巫女が代々住む決まりになっているんだよ」
「知らなかった……エルゼ嫗が品性下劣な人でなければ、お会いしてご挨拶したかったわ……」
それを聞いた私は『明日、その品性下劣な人とお会いするのか……』と思った。今、目が死んでいるかもしれない。
しばらく聞き手に回っていたルードヴィヒ王弟殿下が私のほうに視線を向け、謝ってきた。
「すまないね、ディーナさん……変な人に会わせて。なんせ緊急事態なもので」
「いえ、そんな、必要なことですから」
パスカリス塩湖の悪魔アロイスから、アドルファス王太子殿下が脅されているのだ。この状況では確かにエルゼ嫗に会って話を聞いたほうがいい。
「元気出して、ディーナ」
対面席のアドルファス王太子殿下が澄んだ瞳で告げる。
「叔父上とユリアがものすごく変な人たちだから、ふたりと関わったことで、すでに変人に対する耐性はできているはず」
「おい、失敬だろう! 君にだけは『変人』と言われたくないぞ」
「そうです、私はアドルファス王太子殿下よりはるかに常識人です!」
ヘルベルト国王陛下は低レベルに争う三人を眺め、「すごいなぁ、全員変人なのに、誰ひとりとして自分が変人であるという自覚がないなんて」と辛辣(しんらつ)な呟きを漏らした。三人のうちひとりは自分の息子であり、もうひとりは弟であるというのに……。
ヘルベルト国王陛下が私に声をかける。
「ごめんね、ディーナさん……エルゼ嫗と会うなら、私も付いて行きたいが、明日は外せない用があって」
私はヘルベルト国王陛下の親切な気遣いに驚き、一瞬目を丸くしてから、すぐに笑みを浮かべた。
「お気遣いありがとうございます。アドルファス王太子殿下がいつも護ってくださいますので、実はそんなに不安は感じていないかもしれません」
言葉に出してみて気づいた――そう、アドルファス王太子殿下がいてくださるから、大丈夫だわ。
対面席に視線を移すと、彼が包み込むようなまなざしでこちらを見つめている。
……彼は少し変わっているかもしれないけれど、私を見る目はいつも優しいの。
視線が合った瞬間、私もまた彼だけに向ける特別な笑みを浮かべていた。心の中に宝石のようにキラキラと輝く何かが存在している気分だった。
ジニー王妃殿下とフレデリカ王女殿下が両隣からそれを見つめ、関係ないのに息を呑んでいる。
ヘルベルト国王陛下がくすりと笑みをこぼした。
「アドルファスに大切な女性ができてよかった」
「父上」
アドルファス王太子殿下が父を見つめる。
「我が息子ながら、アドルファスが結婚する未来を想像できたことが一度もなくてさ……王太子は聖女と結婚する決まりにはなっているけれど、そういうの全部なしで、南国の奇抜な鳥とかと結婚するんじゃないかと内心ビクビクしていた」
「………………」
ヘルベルト国王陛下の静かな告白を聞き、皆、ショックを受けて黙り込んだ。
言っていることがなんとなく分かるというか、親の気苦労を垣間見た気がして。
空気が重くなったので、場の雰囲気を和らげようとしてマイルズが口を開く。
「ヘルベルト国王陛下、明日は公務がおありなんですか?」
「ああ、そうなんだよ。河川敷の視察に行く。技術者が海外から戻ったばかりでね、その報告を聞きがてら」
「うわぁ、いいですね」
マイルズの瞳が輝く。
そういえば……と私は思い出した。マイルズは橋に興味があると言っていたわね。
「マイルズくんは川に興味があるの?」
とヘルベルト国王陛下が尋ねる。
「橋を見るのが好きで」
「じゃあ明日、私と一緒に来るかい?」
「お邪魔でなければご一緒したいです――……あ、でも」
マイルズがハッとしてこちらを気にする。自分の都合で別行動するのは……と考えているらしい。
そんなこと気にしなくていいのに。
私は笑みを浮かべた。
「マイルズ、ヘルベルト国王陛下からせっかくお誘いいただいたのだから、橋を見て来たら? エルゼさんはパスカリス塩湖のそばで静かな暮らしを楽しんでいるのでしょうし、知らない人が大勢で押しかけたら迷惑に思うかも」
話を聞く限り、そんな繊細な人ではなさそうだけれど、ようはマイルズを納得させられればいい。
「そうか……確かにそうですね」
生真面目なマイルズは『僕までパスカリス塩湖に行っちゃうと、人数が多すぎてエルゼさんに悪いな』と考えを改めたようだ。
ヘルベルト国王陛下がにっこり笑った。
「じゃあ一緒に橋を見に行こうよ」
「はい、とても楽しみです」
「私もだよー、明日が楽しみだ」
見つめ合い、慈しみ合うふたり。
そうするように促したのは私だが、今さらになって不安を覚えた。
お父様、早くいらしたほうがいいかもしれません……まさかのダークホース出現で、マイルズが取られてしまいそう……。
ヘルベルト国王陛下は強敵ですよ、お父様。
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