2.旅立ち前
九十五点
アドルファス王太子殿下がショーを仕切り終えたあとは、叔父であるルードヴィヒ王弟殿下が締めを引き受けた。
ルードヴィヒ王弟殿下は驚くほど要領が良い人で、『聖女判定式』が終わるやいなや、
「それでは我々はこれで失礼しますよ! 決めなければならないことが、山ほどあるのでね!」
とよく通る声で告げた。
タイミング、音量、声の張り、すべてが完璧だった。全員の注意を引き、かつ、反論しづらい空気を自然と作り出してしまう。
国王陛下が会衆席から立ち上がり、慌てて礼をとるが、
「どうか、お気になさらず! こちらを発つ前にまたご挨拶しますので」
気さくに堂々と振舞い、こちらサイドに目配せして、
「――さあ行こう! ディーナさんのお父上も、どうかご一緒に!」
颯爽と歩き始める。
ルードヴィヒ王弟殿下から誘われたので、会衆席にいた父も自然な流れで腰を上げる。
おかげで私たちは黙って従うだけでよく、面倒な愁嘆場(しゅうたんば)からすぐに抜け出すことができたのだった。
* * *
私の父に状況を説明する必要があり、関係者は王宮の離れに向かうことにした。
その離れはルードヴィヒ王弟殿下に使っていただくために、あらかじめ棟ごと貸し切りになっている。
同行するのは、隣国の人たち(アドルファス王太子殿下、ルードヴィヒ王弟殿下、秘書の女性ユリア)、そして私と父である。
* * *
教会から屋外に出ると、爽やかな風が吹き抜けて、ホッとため息が出る。
父が複雑そうな顔でこちらを見おろしてきたので、私は軽く笑んでみせた。
話すべきことはたくさんあるのだが、それは歩きながら口にできるようなことでもない。それで私は右手を持ち上げて、そっと父の腕に絡めた。
腕を組まれた父は困ったように眉尻を下げたまま、それでも娘の気持ちを汲み取って、口角を僅かに上げる。
親子でしみじみと色々なことを噛みしめながら、並んで歩いた。
ところで私の左隣には、アドルファス王太子殿下がいて……。
「ディーナ――君の左手はまだ空いているようだ」
突然話しかけられた私は「?」と小首を傾げて、アドルファス王太子殿下を見遣った。
……左手がまだ空いてる?
それは確かにそう……右手は父の腕に絡めているけれど、反対の手はフリーだ。
アドルファス王太子殿下は相変わらずクールな顔つきであるが、じっとこちらを見つめてくるので、なんとなく『お願いの気持ち』らしきものが伝わってきた。
彼……なんだか可愛いわ。
私はふふ、と笑みをこぼしながら、彼のほうに空いていた左手を差し出してみた。
するとアドルファス王太子殿下のクリアな碧眼が宝石のように美しく煌めく。
「ダメもとで言ってみるもんだな、ラッキー」
子供のように素直な台詞……なんというか彼、落ち着いた声音や気品のある佇まいに騙されがちだけど、内面はすごく面白い人なのかも。
ふたりは手を絡め、笑顔を交わした。
「――アドルファス王太子殿下」
そこへすかさず父の硬い声が割り込む。
「それはまだちょっと早いです」
「え、お父様?」
びっくりした私は父のほうを振り返る。父は不機嫌そうな顔をしていた。
「こういうのはケジメが大事だからね、ディーナ」
「私たちの婚約を認めてくださったと思っていました」
教会で父に「アドルファス王太子殿下は誠実な方だと思います。私、彼のもとに嫁ぎたいわ」と気持ちを伝えたら、「そうか、お前がそれでいいのなら」とあの時は納得してくれたのに……。
「それはそれ、これはこれだから。知り合ったばかりのくせに、イチャイチャ手を繋ぐのはありえないから」
父、ちょっと早口になっている。平坦にまくし立てる感じで、普段の父らしくない。
とはいえ言われた内容はごもっともであり、心に刺さった。
私は『それもそうね』と納得し、そっとアドルファス王太子殿下から手を離す。
あ――……アドルファス王太子殿下は表情をほとんど変えなかったが、なぜか私は彼が、『おやつを取り上げられたワンコのような、悲しげな瞳をしている』と思った。
――気まずい空気を醸し出す三人の前方では、ルードヴィヒ王弟殿下と秘書の女性ユリアが、なんだかいい空気になっている。
「さっきの『聖女判定式』、どうだった? 何点だい?」
ユリアに話しかけるルードヴィヒ王弟殿下の態度は底抜けに陽気で、言外に『君が大好き』と伝えているようだった。
一方のユリアはなんだかクールな態度だ。
背筋を伸ばして歩きながら、
「九十五点です」
端的に答える。
「おや、そう? 辛口の君にしては、意外と点数高いね?」
「感動的でしたわ。アドルファス王太子殿下の仕切りも、ディーナさんがきっぱり気持ちを主張したのも」
「ちなみになんで百点じゃないの?」
「ペイトン氏とメイヴィス王女殿下の振舞いが不快だったので、四点マイナスしました」
「いや……逆にあれ、マイナス四点でいいんだ?」
「私にとって彼らはミジンコなので。ミジンコの彼らはマックスでマイナス四点しか叩き出せません」
「ミジンコ……」
ルードヴィヒ王弟殿下がおそれおののいている。
「あれ? じゃあ、なんであとマイナス一点されてるの? 評価は九十五点なんでしょ?」
「最後の最後で、あなたがしゃしゃり出ちゃったので」
「え?」
「『皆さん、これで失礼します』の締めも、アドルファス王太子殿下がすべきでした」
「わぁ、ごめーん」
「いいですけど」
ユリアがくすりと笑う。からかっていただけのようだ。
後ろで話が聞こえてしまった私は、ふたりのやり取りが可愛くてついニコニコしてしまう。
しかし。
「……手が寂しい。超ブルーだ」
左隣のアドルファス王太子殿下がポツリと呟きを漏らす。
相変わらず優美な物腰で、拗ねたような顔をしているわけでもないのだが、言葉には彼の率直な感情が滲み出ていた。私に手を離されたことをまだ引きずっているらしい。
すると今度は右隣からボヤキが。
「……は? 何言ってるんですか。娘が隣国に行っちゃうんだぞ、私のほうがブルーですけど」
父、ふたたびの早口。平坦で大人げない早口。
私はものすごく気まずくなり、足元に視線を落とした。
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