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  • 第51話 ゲリーの話 IIへの応援コメント

    女性側からすると、奥様たちに一票?

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    コメントありがとうございます。

    こちら側の味方かと思ってました。残念です(笑)。


  • 編集済

    第51話 ゲリーの話 IIへの応援コメント

    猫を飼っていないので実物は見たこともありませんが、TVのCMでネコちゃん用のトイレがしょっちゅう紹介されています。
    至れり尽くせりのしろもので、贅沢なものがあるのだな、毎月お金がかかって大変なんじゃない? って余計な心配をしています。
    でも大切なペットには、お金の出し惜しみはしないということかも、ですね。

    アメリカにも勿論あるのでしょうが、博士やゲリーさんのお宅では、お庭でのびのびと用を足す方がネコちゃん思いでよろしいんでしょうか。
    もっとも多くの日本のお宅では、広い庭でというのが難しいという事情もありますけれど。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントありがとうございます。

    猫のトイレはアメリカにもあります。もういろんな種類があり、匂いがしないとという新製品がどんどん出ているのでしょう。宣伝もよくみます。

    しかし、犬も猫も、甘えなんでしょうか、外に出たが流傾向があるようです。ゲリーの猫はようを足しても、すぐには’家に入って来ないところは、結局、構ってくれと言ってたんだと思います。

    私は、犬のしたものを裏庭で回収するのが日課になっていました。妻に、長年かけて博士号を取ったが、人生で重要な日課が犬の糞を拾うことになるとは思っても見なかったと言って笑われていました。


  • 編集済

    第51話 ゲリーの話 IIへの応援コメント

    私がツボったのは、他の人と違って、ゲリーさんの奥様が、よにも恐ろしい「査定屋」という人で、それを家庭内のギャグにも持ち込んでいるところです。

    よく、経理の女性(ベテラン)に「こんなの出せません」と申請を投げかえされる、あれです。
    それが査定屋。

    おそろしや、おそろしや
    ゲリーさんに同情します

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントありがとうございます。

    その経理のベテランさんのような人、どこにもいますよね?いなくてはならないとは方達と言っても、自分のことになると苛立ちます。適当に直しておいてよと思うのですが、本人にとっては、なん十もあるケースの一つで一々対処してられないんでしょう。今回、10人以上の研究者を纏めて、研究費の申請をして、両側からの経験をしました。

    生き物に関する研究はずっと避けてましたが、ナノの研究分野で、無機質なものでやることがなくなったので、最近はバイオナノで、生き物に関連したことにも首を突っ込んでます。

    編集済
  • 第51話 ゲリーの話 IIへの応援コメント

    確かに、その話、どこが面白いのって言いたくなりますね(笑)。
    ときどき、私も夫の冗談についてけないところがあります。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、
    コメントありがとうございます。

    私も分かっていると思っても、子供の頃と変わりない考えに戻ってしまっている(いや、きっと成長していない)自分がいます。大人になれと言われてがんばっているんですが、掘っておくと暴走してしまいそうです。その意味で、妻がいなかったら私の人生はどうなっていたのか心配です。すこしは、もっといい意味ですごいことになっていたという思いもありますが、きっとメチャクチャになっていた可能性の方が高いです。成長できていませんね。

    雨 杜和さんのご主人も、優しい目で見てあげてください。

    編集済
  • 第51話 ゲリーの話 IIへの応援コメント

    エネマ・バンディット

    犯罪を助長する気は毛頭ないのですが、あまりにも理解がしがたい変態行為には苦笑を禁じ得ません。ほんとうに意味がわからないですねえ。🤨

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん、

    コメントありがとうございます。

    その男は、大学を卒業して就職した後も、キャンパスに帰ってきた反抗を繰り返したそうです。よほどの快感を覚えていたのでしょう。

  • 奥様、素敵な方ですね。

    田舎に来て思うのは、「妻」ではなく「嫁」という存在は一番小さな単位の「移民」だなということでした。

    作者からの返信

    小烏 つむぎ様、

    こめんとありがとうございます。

    妻は、人種差別もせず、家族とは違いオープンな人柄です。しかし、私のことを「私の囚人です。」と言って紹介していました(笑)。

    都会から田舎へ行くと、日本人でもカルチャーショックでしょうね。わかります。

  • 日本の田舎と、アメリカでの生活では価値観も習慣も違うのでしょうね。
    早くにアメリカへ渡って,息がしやすい場所だったのですね。


    作者からの返信

    小烏 つむぎ様、

    コメントをありがとうございました。

    アメリカにも、都市と田舎の差はあり、日本のそれよりも大きいかもしれません。その頃の米国の都市は、今よりも治安が悪くなっていたところが多く、白人が郊外に逃げ出していました。おかげで、私の留学先の高校生達は、しかごから1時間半のところに住んでいても、シカゴ市内にはほとんど行かない生活をしていました。

    日本の田舎で育った私には、米国の田舎の生活は合っていたと思います。

  • アメリカでは本当に銃が身近なのですね。
    奥様は銃は怖いと言いつつ、なかなかの凄腕というのがカッコいいですね。

    作者からの返信

    小烏 つむぎ様、

    妻の射撃のうまさには本当に驚きました。

    大学も、学生は銃の所持は禁止されているのですが、職員は携帯できるのです。私は銃を所持している人は知りませんが、いることは確かです。

    何年か前、趣味として、散弾銃を買いたいと言っても却下されました。

  • 本当に落語に登場しそうな人物で、話の最後だってオチそのものですね。
    このお話は奥様には喜んでいただけましたか。

    さて、とうとう50話まで読ませて頂きました。
    本当に愉快でした。おかげさまで、楽しい時間となりました。
    これからはリアタイ(子供達の言葉のマネですが、正しい使い方かな?)でいけます。また楽しませてくださいね。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントありがとうございます。

    ゲリーストーリーは確かにジョークよりも面白いと妻は言ってました。

    私は@88chamaさんの作品では、まだ追いついていません。年末になると、こちらでは長い休暇があるので、その間に追いつけたっらと思っています。@88chamaさんのやさしが、滲み出てくるお話ばかりで、感動ものです。

  • 子供の頃、母親が下卑た言葉やいやらしい言葉、ませた言葉や性的な言葉など、を平気で話すような子には近づけないように、あの子とは遊ばないようにと、そういう点からだけは友達の選別をするところがありました。
    そのせいか下ネタなどはゴメンナサイ、です。
    ですから私もホストマザーさんのように、悪い言葉には一生懸命に阻止しようとしたり、どうやってうまく説明してそんな言葉は絶対に禁止なのよ、って言ってやれるでしょうと思いました。
    でも、嫌い嫌いと言ってるわりには、子守り(敢えて日本語で)の発音の間違いの件には大うけしてしまいました。
    上品ぶってるだけで、本当はそうでもないんじゃないの、と疑われそうな私がいます。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントありがとうございました。

    ごめんなさい。実は、若い頃の私の言葉遣いは悪かったのです。これは書いたかどうか覚えていないのですが、インターナショナルスクールで日本語の時間に先生に注意されて、それに下品な広島弁で答えてしまった息子に、若い日本人の先生が驚いて、二度とそのような言葉は発しないように注意したら、息子は「お父さんはいつもこんな感じで話すので、つい出てしまいました。」的なことを言ったそうなのです。「俺のせいにするな!あほ!」とか言った覚えがあります。息子は笑いながら、私に、しばらく〇〇先生は避けた方が良いよと言ってきました。(息子が使ったのは、広島でも野蛮に聞こえる言葉だったと思います。地元の祭りなどで、青年団について行き、飲み会に参加させてもらい、酔った若者達から、広島弁を教えてやると、かなりひどい広島弁を習っていました。)

  • 嫁ぎ先は職人の家でした。私の実家も職人の家でしたが、父は本来なら学問の道に進みたいと高等師範に通っていた人でしたので、根っからの職人の義父とは毛色が違っていて驚きました。
    でも私は落語が趣味でしたので、いつも落語の世界で遊び、出てくる職人さんの威勢の良さや粋さや、べらんめえ口調に惚れ惚れしていましたので、義父や夫の威勢のいい口調は気に入っていました。

    子供が小さかった頃、夏に帰省しほぼ1か月近く実家にいると、久しぶりに東京へ帰ると、喧嘩とまではいきませんが口調の激しさにちょっと戸惑うこともありました。
    博士のご実家では、お母さまを想像すると、さぞ激しく生き生きとした会話が飛び交っておられたことでしょうと思います。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントをありがとうございます。

    科学者の中には、インテリ系の家系と職人系の家系からきた者、両方がいますが、実は職人系が多いです。特にエンジニアリング(工学部)となると、職人の家族を持つ者が多いです。

    我が家は、最初は建具屋でしたが、父は建設会社を受け継ぎました。日本の建物状況が変わり、建具屋は廃業するところら多くなりましたが、母は、ベッドフレームの下請けを始めて、建具屋と兼業していました。

    母は短期でしたが、さすがに父親(私の祖父)に厳しく育てられていたので、言葉遣いは悪くはなかったです。一軒家だったので、声は家族全員大きかったですが。

  • 殺人事件を起こした弟の働くお店に、同情されているとはいえ買い物に行くがいて、しかも商売は繁盛していると知り、少し驚いています。
    日本だったらどうでしょうか。実情を知らなくて言うのもどうかとは思いますが、恐らくそういった事件を起こした人と分かってて、買い物に行く人はどれ程いるでしょうか。
    こんなことを言ってる時点で、偏見を持ってるから言うのではないかと疑われかねません。
    やむなく犯罪を起こしてしまった人に対しても、日本は厳しいのが現実ではないでしょうか。
    東野圭吾「手紙」では当事者はもとより、その家族などの辛い状況に涙します。
    この魚屋さんのお話は、買いに行かれる方たちの心が凄いなぁと感心しました。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    これは、私の実家のある町の隣町で起こったことです。JRの路線が廃線になりそうな、ものすごく田舎の町です。事件が起こる前から、兄の弟へのDVは近所の人達は皆よく知っていて、事件前から、同情していたようです。逆に、兄は嫌われていたのかもしれません。何しろ、夫を亡くした兄嫁が、出所後の義弟が一緒に店をやることを許したのですから。

    私の両親や祖母も、この魚屋で買い物するのに全く躊躇していませんでした。

  • これだから博士のエッセーは面白くて止められないのです。
    何故って、まずお母さまの威勢の良さに感服で、博士のジャイアンぶりが凄くって(ジャイアンの形容はお嫌ですか。Xでしたら改善致します)。
    そこに優しい弟さん、そして不登校から友人を救い出した妹さんですものね。
    その対比が実に面白さを引き立たせています。

    そして更に、極め付きは毎晩寝酒を供にさせた(これが、した、ではなくさせた、というところが「極め付き」と称したいところなのですが)お祖母さまの存在です。
    もっと遡れば、豪気な叔父さまの武勇伝の数々。
    まるで豪華キャストで盛りだくさんな内容の、ドラマや映画をみているよう。

    残念ながら私のエッセーにはないエピソードがいっぱいです。
    楽しく拝読出来て、そしてアメリカのことも教えていただけて嬉しさいっぱいです。感謝です。

    作者からの返信

    @88chama様、

    実は、コメントをいただいたのに、お返事が遅れてしまい申し訳ありません。

    我が家は確かに日本でいう変わり者が多い筋だとは思います。田舎の大将が多い血筋だったのでしょう。妹はオタになっても、今で言うオタクです。弟は三人兄弟の中では、一番普通の人間ですが、それは私と妹が変人ぽいから言えることなのかもしれません。母は、男だったら、大変なことになっていたのではないかと思う(あの叔父の様な)時もあります。脳筋だったのだと思います。そんな母ですが、息子はちゃんとひ孫を連れて会いに行ってくれました。私が祖母から受けた様に、息子は私の母の愛を受けて育ったと確信しているからだと思います。

    そーば様のお話は、とても面白くて感動することも多く、いつも楽しみにしています。これからもよろしくお願いします。

  • 第42話 結婚詐欺と母の涙への応援コメント

    スパルタ式のお母さま。私の想像ではお嫁さんにも少しは(少しは、ですけど)何かしら注意なさることもあるのかしら、と思っていましたが、やはりグッと堪えてらしたんですね。
    可哀そうだと泣いておられたと聞いて、申し訳ないですが笑ってしまいました。
    だって、博士はお母さまのスパルタぶりを、そりゃぁ猛烈なものとおっしゃるんですから、ちょっとやそっとでは涙することはないのかと・・(まるで鬼扱い?と思われそうですが、そうではないんですよ、絶対に!断じて! お母さまに失礼なことは言いません)

    同じかどうかは分かりませんが、私の母もお嫁さんにグッと我慢して言わないでいたことがありました。
    公務員の長兄夫婦は、今の時代とは違ってあの時代にはまだ少なかった、家事でも男女平等が当たり前の人達でした。

    母が家を訪れた時、兄が洗濯をしていました。そして料理も片付けも・・
    明治生まれの母でしたから、きっと思うところはあったことでしょう。
    でも母は兄嫁の賢さや県庁での役職など色んなことで、彼女を尊敬し認めていましたので何も言うことはありませんでした。

    明治生まれの母の古い考えで躾や道徳などには厳しく、女の子は女らしく、という教育で育ちましたから、今の時代の女とか男とか言うことすらに対しても厳しい反応に、時々戸惑ってしまうことがある私です。(42話の話題とは離れてしまいましたが・・)

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントをありがとうございます。

    母が、妻に何も言わなかった理由の一つは、もちろん、妻が日本人でなかったからだと思います。二つ目は、同居していた私の祖母が、母に対して全く文句を言わない義母だったからででしょう。時々、我家に遊びに来ていた、地域の母と同年代のお嫁さん達が、彼女達の義母に対する苦情を言い合っていた時に、いつも私の母だけが自分の義母は全く問題がないと言っていたのを覚えています。(その場に、私の祖母ははいなっかです。)

    私の祖母も明治生まれですが、昭和生まれの父の方が面倒臭かったです(笑)。

  • >「そんな高いワインだったら、その時教えてくれていたら、もっと味わって飲んだのに、、、」と苦情を言ったらしい。

    そのまま落語のオチになりそうな発言に脱帽です。お見事。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸

    コメントとてもありがとうございます。

    >そのまま落語のオチになりそうな

    そうなんです。ゲリーはこんなに楽しいやつなんです。

    私も、招待で、天然のフグの刺身の大皿を五人分平らげた後、いくらくらいするか聞いて、もっと味わって食べれば良かったと思ったことがありました。一緒にいた方達は年上で、酒飲んで話が弾んで、食べ物は動かないので、早く帰りたい仲居さん達が、体がデカくてよく食べそうな私に目をつけて、全部食べてくれと、持ってきました。


  • この話で思い出したのが、子供が学校からかえると、

    ーママ、なんで指立てたらいけないの?

    ってきいてきました。

    なんのことかわからなかったんで、たてる指によるけど、どうしたの?ときいたら、

    道中に広がって帰る小学生に、車が小さなクラクション鳴らしたら、小学生がドライバーに中指立てたらしく、学校に苦情きたそうです。

    …とりあえず、説明しましたが、ツッコミどころ満載で、日本って平和だと痛感しました。

    YouTube見せたくないのが、親の本音ですが、見せないと予防や危険性もわからないですしね。

    とりあえず指を説明しながら、

    ーどこまで説明すんの?です。

    難しいです。メディア。ネットまで増えました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    これも、欧州、特に英語圏、の文化が入って来なかったら問題にはならなかった事ですよね?私が学生の頃には日本に存在しなかった問題です。逆に、OKサインは英米では良いサインでしたが、日本では気をつけなくてはなりませんでした。

    時と共に時代は変わるです。

  • hの発音は日本人には厄介なものなんですね。無声音だけで、発音しているわけで。わたしは、sheがうまく発音出来ずに、学生時代、困ったことがあります。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントありがとうございます。

    Fとか Lは有名で、この私でも知っていましたが、hは良く知りませんでした。

    あと、w特にwhの発音が、本当に唇の形に気をつけて発音しないと通じないと体感したのはバーガーキングでワーパー(日本ではワッパーなんですね?)を注文しようとした時でした。フーパーてきな発音しても通じなかったです。

    whopperなんだから、who(フーの発音)で良いのではと思ってました。

    編集済

  • 編集済

    第48話 基礎研究の楽しさへの応援コメント

    私の研究していた、フランス哲学で法哲学は、日本では何の役に立つか分からない、親にも内容を話ても、大学で何やってんだ?というようなものでした。

    ただ、授業の単位認定の厳しさから、あれに比べれば、どんな仕事上の困難にも打ち克つ自信だけはつきました(?)

    結局、自分の為だけになったわけでして。そういうのも大事ですね。
    しかし博士課程は単位取得だけで論文は出せず仕舞。最終学歴は法学修士です

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントありあとうございます。

    文系だと、この実際の物に繋がる研究からは遠い分野がもっと多いでしょうね。実は、私の従姉は、名古屋大学で研修医だった時に出会った法学部の助手と結婚しました。後に名大教授になりましが、従姉いわく、週に一二度しか大学には行かず、部屋に篭って物書きをしている。義母にあたる私の叔母の話では、何の役に立つことを研究しているんかと聞いたら、自分から、実用性のない政治学(国際政治学)を研究していると答えたそうです。米国なら、名大クラスの大学の法学部の教授は、その大学の教授の平均的な給料の2−3倍は貰っていて、実際に弁護士として役立つスキルを教えていると思います(大学院のLaw Schoolの話ですが)。逆に、従姉の旦那さんは、学部によらず、ほぼ同じ給料を貰って、学問だけに集中している。日本らしいと言えば、それまでです。現在の米国の大学は、このようなリベラルアーツと言われる、教養関連の科目や学部まで廃止しさせろという、右側からの圧力を受けています。金にならないなら、教える必要はない、と言う感じですし、自由な発想は危険でうあるとも言ってます。まあ、保守の考えそうなことです。多様性とかも攻撃されてます。

  • 「エ」と「ロ」の話、下ネタはちょいと苦手な私なのですが・・と断り書きをつけて。
    その話に匹敵するかどうかは分かりませんが、嘉門タツオの「あったら怖いセレナーデ」というのがあるのです。こんなのです・・
    ♬包丁のつかみ取り もぞもぞ動くタラコ 脱毛に悩む毛虫 座禅を組むダックスフンド・・あったら怖い~あったら怖い~
    そこで、私が怖かったセレナーデじゃなくエピソードは、小学校低学年頃の息子がTVで聞いたらしく大きな声で歌っていた歌詞です。
    いくつかの怖いものの中に、オブラートで出来たコ〇ドーム で、ビックリして息子に意味が分かって歌ってるのかと聞きました。
    もちろんのこと、全く分かっておりません。
    それで良い機会かと思って、真綿で包むようにファジーに(何と言い表しましょうか)教育的に教えました。
    恥ずかしいことでもいけないことでもないものなんだけど、人前では歌わないのよ、と恥ずかしさを堪えながら、いちおう毅然としたふりをするのが大変でした。
    ふ~ん、という感じの反応に、冷や汗ダラリの私はホッとしました。
    分かったのか分からなかったのか分からない・・そんな思い出です。
    (しかし、ホントにあったら怖い、ものでしたけどね笑)

    作者からの返信

    @88chama様、

    コメントをありがとうございます。

    『〇〇書きたい同盟』、この企画は、西しまこさんが始められたもので、普通大人の男が思うよなものではなかったと思います。(私には、そんな話題で、人様にお披露目できるものは書けません。これくらいがせいいっぱいです。)
    https://kakuyomu.jp/users/nishi-shima/news/16817330665031536029

    息子さんのお話は、私のナプキンに関する話に出てくる、ホストファミリーのおばあちゃんが、恥ずかしくて、ナプキンをバンドエイドだと誤魔化して後で大恥を書いた話を思い出します。@88chamaさんはちゃんとお話しされているので、ご立派です。「第22話 Johnson & Johnsonめ!女子大生と勘違いされた!」です。
    https://kakuyomu.jp/works/16817330659296751062/episodes/16817330661504960894

  • 私はちょうど学生運動の真っ最中に大学生でした。
    特別な思想もなく、頭も良くない平凡な女子大生でしたから、運動とは全く無関係でした。
    しかし、そんな私であるのに長兄は抗議デモに出ろというのです。
    友達も日和見主義はいけないからと言うので、デモの列に加わりました。
    でもシュプレヒコールだって何を叫んでるのかさえ意味も分かりません。
    集会の会場を機動隊が取り囲んでいると聞かされた時、ビビッて友達に捕まったらどうしようと泣きつきました。そんな私でした。
    オリンピックじゃあるまいに、参加すればいいというものではありません。
    反省し即、普段の何も問題意識も持たない女の子、に戻りました。

    あさま山荘事件の時には、初産で退院したばかりで、機動隊の突入のニュースを見て衝撃をうけておりました。あさま山荘と聞くと未熟児だった娘を懸命に世話していたことを思い出します。

    小学生が全学連に入って大暴れするぞ、と意気込んでらしたなんて、かわいいもんだな、と笑ってしまいました(失礼)

    作者からの返信

    @88chama様、

    コメントをありがとうございます。

    田舎のガキ大将だった私が、テレビニュースを見て、大学に入ると、警察と角材で殴り合いが公認されていると勘違いしていたのは、本当に黒歴史です。その後、浅間山山荘の事件が起きた頃には、もう中学生で、そんなに甘くはないとわかっていました。学生運動家達の中で過激派が孤立して暴走していたのは、中学生にも理解できました。公の場で、シュプレヒコールを叫びながらデモしていた頃には、比較的多くの市民も賛同していた人も多かったのではないかと思いますが、浅間山山荘事件では、完全に支持を失ったと思います。

    デモに参加されたということは、私もそのニュースを見ていたかもしれませんね。

  • ぅわぁなつかし~い、って思わず声が出そうになりました。
    「ローハイド」「ララミー牧場」「荒野の七人」「駅馬車」「シェーン」・・
    ♬ ローレンローレンローレン と口ずさみ、「シェーンカムバック!」と言ってみました(アホらしいですね)
    クリント・イーストウッドの何とステキなこと!(今だって悪くないし)

    あと「マカロニウエスタンは英語ではスパゲッティウエスタン」はメモっておきたい豆知識となりました。

    作者からの返信

    @88chama様、

    コメントありがとうございます。

    「ローハイド」と「ララミー牧場」の他に、「ボナンザ」がありました。そのボナンザに三人兄弟の一番下の弟として出演していたマイケル・ランドンが、後に「大草原の小さな家」に主演して大成功しました。そして、その「大草原の小さな家」にちょい役で出ていたシャノン・ドーハティーという子役が、「ビバリーヒルズ青春白書」で主演女優となり、大ヒットしました。流れがあります。

    流れといえば、今は大映画監督と言われるロン・ハワードも、昔は白黒のテリ美シリーズの子役で有名になりました。その後、高校生達の50年代の生活を振り返るテレビ番組で主人公となり、今では監督です。

    マカロニウエスタンはあの映画評論家の淀川長冶氏が提案したそうです。淀川長冶といえば、我々の世代には「さよなら、さよなら、さよなら。」ですよね?

  • 基礎研究の即現実有用性など、気にする必要は、そもそも無いと思います。
    実用性のための研究をなされているのなら、また別ですが。
    目的が違うことを考える意味はない。
    ただ、人は他人の役に立ちたいような、役に立って認められたいような自己承認欲求が大なり小なりあるので、悩む場合もあるから、厄介です。

    作者からの返信

    舞夢様、

    コメントを有難うございます。

    基礎研に即刻の実用性は期待できませんが、将来物凄いことになると書くのが、最近の研究費申請書の掟となっていると思います。

    実は、この傾向は昔からあったのですが、日本のバブルの頃から余計に激しくなってきたと思います。90年代初頭、日本は米国の基礎研の結果を利用して金になる製品を創り出しているが、米国の企業は米国の基礎研の恩恵を受けていないと言われ出したのです。その理由として、米国企業が国(国立研究所)や大学での研究が金儲けに繋がると認識していなかった。また、大学等、基礎研をやている側も、実際の製品につながることなど勘上げてもいなかったのです。要は、次の予算を取るために、成果を発表し、それを報告書や次の予算申請書に書き込んでいただけでした。米国が不況になり。日本がバブルになってからは、米国企業がどれだけ利益をえらるかも少し重視されるようになりました(申請書の中では)。(しかし、今でも’National Science Foundationはペーパーさえ出していれば、現実の製品になったかどうかは気にしていないようですが。)

  • いま時期なんですか?予算って?

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    日本と違い、よさん申請は年中あります。

  • おっしゃる通りですね。
    私はバブル崩壊で地方に移住してきたわけですが、大きく地方産業の構造が変わりました。
    次世代は量子コンピュータでその研究が盛んですが、現在のシリコンや半導体材料、製造機械は精密加工技術が求められるため、やっぱり日本の職人芸という所になっています。
    パナソニックや東芝が落ち込んでいくなかで、新潟の地場産業は日本企業でなく、アメリカやヨーロッパの企業と直接取引をするようになりました。
    日本が遅れをとったのは、東芝やパナソニック、ソニーもそうですが企業体質です。インテルやAMD、Nvidia、アームは設計する会社となり、TSMCは半導体を製造する会社ですが、半導体の材料や製造機械は依然として日本の会社で、オランダのASMといっても、長岡市の町工場(シナノ精機など)で作った機械にASMのシールを貼って売っている製品も多々あるわけです。
    まだまだ日本は生き残る道はある、と地方にいる私は思うのですが、周りはアメリカは研究にお金が出ると思う人たちが多く、もう地方は東京の方を向いてはいません。そちらや霞が関を見ても地場産業は商売にならないわけです。

    よく言われるのが、ニット産業の五泉市や見附市、長岡市栃尾の工場の人たちは、「東京の人たちはアジア製のユニクロを着ている。フランスの高級ブランドはわれわれが作ったニットにブランド名を入れて販売してくれるが東京の人はブランド品なんて買ってはくれない。どちらを相手に商売すればいいかは明白」だと(笑)

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントをありがとうございます。

    私が住んでいた二十年前から、日本のアメリカ化が進み出したように思えていました。人に優しい社会がなくなって、お互いが歪み合う機会アガが増えているように見えたのが、米国に似てきていると思った理由です。米国に帰ってみると、こちらはもっとひどくなっていました。貧富の差は広がり、階級間と人種間の不調がさらに目立っていました。

    比較的小さな会社、東京エレクトロン、HORIBA、キーエンス等はよくやっているのが、こちらにいてもわかります。京セラと村田製作所には日本にいる間にお世話になりましたが、今の調子はわかりません。

    そんな中でも、米国も、共和党は、軍事関連だと言わないと、研究費は出さないので、私のいる研究所も、ここ十年は、主要な研究費は、陸軍から出ています。半導体関連の研究費も削られて、私の元同僚達も、別分野で研究している者が多いです。もう、引退する人も随分多くなりましたし。

  • なんだか、もう、ほうっという気持ちです。
    基礎研究費を国の予算から出すのは、無駄かもしれないけれど、必要ですよね。最近の国立大学の予算を考えると、悲しくなることがあります。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントありがとうございます。

    技術立国とか言いながら、科学や教育に関する予算は横ばい程度だった、暗殺された元首相の政権にものすごい怒りを感じていました。

    その上、私が赴任して驚いた自由に研究できる時間の少なさが、どんどん進んでしまい、大学の先生たちは、研究者には雑用と呼ばれるような仕事ばかりが増えています。大学から出る研究成果が減るのも理解できます。


  • 編集済

    ー基礎研究は、やっていることの9割以上が使い物にならないと言えると思う。いや99%と言っても過言ではないと思う。実際の商品になる可能性が1%ほどしかない基礎研究をなぜ行うのだろうかと、一般の方たちは不思議に思うかもしれない。


    単純に楽しいから?というか、基礎ってそうじゃないと基礎じゃなくないですか?

    なぜ不思議なのか、よくわからないです。

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    世の中、楽しいだけでは貴重な研究費はもらえないのです。もっともらしい言い訳いるのです。

    その1%がPCRあったり、トランジスターであったりするのですが。


  • 編集済

    高校生の時、ビートルズが好きになりました。大学時代は皆でよく一緒に歌ったものです。(たいして意味わかんないくせに・・)
    ビートルズが初来日した時、下宿のご主人から一人息子がコンサートに行きたいと言っているけど、どうしたものかと相談されました。
    私達の時代はビートルズの曲やロックを聴くと不良になる、なんて言われてましたので。
    もちろん私は大好きだし、行けるなら是非行くといい、と答えました。
    私は田舎から出てきた真面目な乙女(自分で言うなんてずうずうしい!!)でしたから??不良にはなっていません、十分な証明になりました。
    でも本当は、イモ姉ちゃんだったことが幸いしたのだと言い直しましょう。ウソはいけませんからねぇ。

    ビートルズ、久しぶりに聴いてみました。「フール・オン・ザ・ヒル」「ノー・ウエア・マン」「イン・マイ・ライフ」 そうそう、これこれ、懐かしい~ぃ
    十年以上ぶり? レコードは? CD5枚組だったかな、どこいった? となりました。
    つい最近、「ナウ アンド ゼン」が発表されたので懐かしいなあと思っていたところでした。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントをありがとうございます。

    実は、私も貴方の「ローバの充日」を読ませてもらっていました。おねい様のお話では涙が出ました。歳をとって、涙もろくなりました。

    ビートルズ、初めて聴いた時、衝撃を受けました。今まで聞いていた歌謡曲は何だったのか?私の西洋思考をますます加速させてくれました。(それと、やはり、後に硬派を名乗っていた私ですが、金髪女性に憧れていたのは、秘密です。)

    「ナウ アンド ゼン」出ましたね?曲としてはあまり好みではないですが、まあ、歴史的な重要性は認めます。今でも、昔から好きだった「レット・イット・ビー」が大好きです。私のとっては原点です。

  • 前話で叔父さまのやんちゃぶりに感激したばかりでしたのに、今度は従弟さんですか。 オールスター勢ぞろいと言えますね。
    私も親戚の男の子がよく風呂敷をマント代わりにして遊んでいたと聞いたことはありますが、さすがに高い所から飛び降りたという話は聞きません。
    むささびのようにこちらからあちらへ・・子供なら考えそうですが、大人の自分は想像だけで震えます。
    今の子は高所恐怖症ではなく高所平気症だと聞きました。
    親は少しの間でも油断は出来ませんね。 (とても心配性の私です)

    従弟さんも叔父さまのように、立派な職人さんになり家庭も持たれて、おさまるべきところにおさまった、というところでしょうか。 メデタシ・メデタシですね。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    コメントありがとうございます。

    明治生まれの祖母も、同級生の男の子たちに喧嘩で負けたことはなかったと言ってました。3代続いて、無敵の戦士が出ています。私の場合は、一年生で、左年生よりでかい図体(ジャイアン効果?)のおかげでしたが。

    従弟は問題児でしたが、喧嘩をするような子ではなかったようでした。

    私の妻は、かなりの心配性で、今では一人でどこにも行けないほどなのですが、若い頃も、とんでもないことをする私と息子のおかげで、大変でした。

  • 第33話 私の叔父への応援コメント

    すっかりお母さまが気に入ってしまった私でしたが、今度はやんちゃな叔父さまの男気がとても気に入りました。
    エッセーを書くには、こんなエピソードの沢山ある方がいらっしゃると、書き手も読み手のどちらにも楽しくっていいんじゃありませんか。

    武勇伝って、身近な人にはハラハラさせられて大変かも知れませんが、聞かされる方はドキドキ・ワクワクで楽しいですね。
    (叔父さまには出演?許可はいただいていますか? そんな野暮なことは聞かずともよし、でしたかな)
    喧嘩にめっぽう強く、そのうえ超一流の腕の持ち主ときたひには・・もう立派なものですね。 正義のヒーローならばなおのこと、スゴイ!拍手です。

    作者からの返信

    @88chamaさん、

    叔父へのコメント、大変ありがとうございます。

    叔父は、残縁ながら、帰らぬ人となってしまっていますので、許可はもらっていません。年老いてからも、叔父と私は話が合いました。とても可愛がってももらいました。

  • @fumiya57さま、初めまして。
    ここ数日、貴方さまのエッセーを読ませて頂き、楽しい時を過ごせました。
    面白いエピソードの数々に、1話づつ感想をお伝えするのももどかしく?次はどんなお話かとどんどん進んでいって、ついにここまできてしまいました。

    私もポパイのほうれん草を強くなるからと食べさせられて、更にはそこに頭が良くなるからと味の素をいっぱい振りかけられた思い出があります。
    憎まれ口をたたく子に、橋の下から拾ってきたんだよと軽口を言って笑い合ったりしている我が家ですので、このエピソードを娘に話したら「こんな古典的なこと、どこでも言ってるんだね」と笑いました。

    日系3世と間違われるほどの方だと教えたら、その英語力が羨ましい!と言い、そしてご先祖様?が卵を買いに行かれたくだりには、自分の苦肉の策でボディーランベージでやりすごした経験の話題で、母娘は盛り上がりました。

    更には起こして下さいとニンジンの間違いや、女子大生に間違われた贈り物の件も、もう可笑しくて、お笑いネタそのものでした。
    自虐的なところも混じってはいるのでしょうが「ヤクザまがいの風貌」を想像すれば、その可笑しさは倍増してしまいます。

    ピースを鉄槌で叩き込む、スピード狂、バカと言って叩く、スパルタの指導、警察?での啖呵や謝罪やお礼の姿など・・お母さまの様子がなんとも愉快で楽しくて、すっかりファンになってしまいました。

    訴訟の件ではおっしゃるように、寝る間を削られる魅力のカクヨムも対象となりそうですよね。私もコメントのやり取りが嬉しくて、PCの前にへばりつき足が浮腫んで困るので、これは何とかならないものでしょうかとごねたくなります。
    こんなアホらしいと思える事でも、米国って為せば成るの訴訟天国?とクスッとしています。

    余談ですが、「前略」について書かれていましたが、昔お笑いのネタで「前略・中略・後略。 終わりに臨んでさようなら」というのがあったのを思い出しました。私もめったに書かない手紙で、前略の結びは?とか、かしこの使い方は?で迷っています。なかなか面倒なものですね。

    余談のあと一つ。卒業後に10か月だけですが就職したことがありました。教えられた電話での決め台詞「いつもお世話になっております」と言いましたら「そちらには一度もお世話したことはありませんが」と言われました。皮肉たっぷりな感じが伝わってきて新米社員はへこみました。

    まだまだ沢山お話したいところですが、お婆さんの長話に閉口されてはいけませんので、止めることに致します。
    お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
    これからも楽しく拝読させて頂きたいと思います。宜しくお願いします。

    作者からの返信

    @88chama様、

    コメントを大変ありがとうございました。励みになりました。

    同様な経験がる方がおられて嬉しい限りです。私たち兄弟は(私、弟、妹)は猛烈な母に振り回されて育ったのだと思っていたら、下の二人は、私よりも要領が良くて、私ほどの反応はしていなかったのだと知った時には、大変驚きました。それも、中年と呼ばれる年になってから気づいた自分は、母と同じく、突っ走りやすい性格なのだとしみじみ思い込まされました。

    味の素、我が家も騙されていたと思いますが、90年代に、カリフォルニア州、サンホゼの日本人街の美味しいという評判の定食屋さんで、漬物に味の素がかかっていたので、一緒に行った日本人女性が、今の日本では味の素は健康のためによくないと認識されていると、伝えてました。私には、そんな勇気はなかったですが。

    @88chama様に、「いつもお世話になっております。」と言ってしまったのが私ではなかったことを祈っています。

    88の由来は何かわかりませんが、私の息子が1980年8月8日生まれなので、8という数字が気に入っています。


  • 編集済

    9.11同時多発テロの後に、アメリカに帰国したいってどういう神経なんですか!?

    でも、奥様の病気が心配ですね。

    作者からの返信

    DITTOさん、

    お返事が遅れて申し訳ありません。

    >どういう神経なんですか!?

    あの頃の米国は、愛国心でまとまってましたし、何しろ、息子が大学へ行くために米国に帰ってしまっていたのです。


  • 福岡もですが、広島も方言で会話が、関東の方からしたら喧嘩してるようにきこえるらしいです。

    うちも旦那のダイソ◯のように食べ物をたべるは助かります。食べ放題や回転寿司など、旦那がいるとメニューが増えます。私と子供だけじゃ食べきれないから、品数が少なくなります。

    博士のお料理が美味しいんでしょうね。だんなも料理しますが、

    ー頼むから鍋の素を素直に使って?

    です。まずいです。本人、美食家といいますが、めちゃくちゃまずいです。

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    >本人、美食家といいますが、めちゃくちゃまずいです。

    これには笑いました。ご本人は美味しいと思っておらるんですよね?

    言葉もそうですが、音声のボリュームが違うんです。私の生家の周りには家がないし、敷地も広いので、大声で怒鳴り合ってようやく聴こえるようなケースも多いので、我が家の住民は声がデカかったのです。私も隣町の叔母の家に行くと、声がデカくて近所に聞こえると叱られていました。


  • 編集済

    Go beat him up! (爆笑)。

    アメリカ女性のユーモラスでしかも短気な一面が現れたようで傑作ですね^^。

    作者からの返信

    DITTO さん、

    コメントありがとうございます。

    心の中ではそう思っていたのがバレてしまいました(笑)。

  • う〜〜ん、妻の立場からいえば、素敵な旦那さまです。
    うちの人も優しいですけど。
    専業主婦か、そうでないかで、やはりちょっと違ってくるようにも思えますけど。
    昔、美容院に行くのを夫にたずねたら、米国人の女性がいて、美容院に夫の許可はいらないと笑われました。
    祖母は夫に従う典型的なやまと撫子でしたので、今の私を見たら、本当にびっくりする事でしょう。
    時代が変わっていきますよね。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございます。

    我が家では、主婦と夫の役割なんていう概念は消えてしまいました。

    義母は自分の娘でもキッチンに余り入れたがらない女性だったので、妻はいわゆる家事を余りやっていませんでした。皿洗いとかも、私は、従医学研究所のビーカーとかを洗うバイトをしたことがあったので、なんとも思わずやってました。いまでも、家の掃除は妻が始めます。彼女の方が綺麗さにうるさいのが理由ですが、疲れると、やっといてとなります。私の思い通りなら、掃除は月一くらいになってしまうかもしれません。

    確かに、美容院へ行くのは夫に許しを得ることではないでしょうが、私は運転手としてついて行かされます。コロナで行かなくなったので、今は問題ないですが。美容室で、他は女性客なのに、待っているのは少し恥ずかしかったです。一応、たまに、ご主人が待っているケースもありましたが。お男は邪魔だという感じでした。産婦人科の待合室も男が付き添った女性は20%くらいしかいませんね。

    何度か、ショッピンモールのトイレの前で、待っている間、ハンドバッグが面倒なので、持って手くれと言われ、出てくる女性客に変な目で見られていました(笑)。

    我が家の常識は、米国でも常識ではないのです。

    戦前の比べれば、社会は変わりましたが、まだまだ、女性には不利なことが多いように思えます。米国でもそういう点は数多くあります。

  • 私の妻は、殴ってこい、とは言いませんが、似たようなものです。
    料理は普段は自分が食べたいものを自分で作りますが、カレーライスだけは私に作れ、といいます。
    どこかに出掛ける時も、後ろの座席に座って、私はショーファーのようなもの。
    後ろから、あそこに行け、と指示を出すだけです。
    掃除、洗濯は私の仕事。
    ただ息子の教育は妻が担当ですが、金は出すけど口は出さないみたいです

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントありがとうございます。

    ほぼ似た者同士ですね。

    カレーはお得意の料理なのですね。私の妻は、時々、料理しますが、私がそばにいて、手伝うのが当たり前だと思っています。

    車の場合、私の妻は、助手席に座って、スピード落とせとか、色々とけちをつけてきます。

  • 逆に、日本はとても安全なので、少し事件があると目立って治安がすごく悪いと思われますね-.-"

    前の近況ノートでリンクありがとうございます。自分で探していましたが、検索結果が多すぎましたね@_@

    作者からの返信

    鎌倉結希さん、

    コメントへのお返事が遅れてしまいました。申し訳ありません。

    私が米国人に、鍵のかからない家で育った(戸にかける簡単は鍵はあったのですが、壊れて掛からなくなっていましたし、他の、出入り口等から簡単にはいれました)というと、皆驚きます。かなりの田舎で、でかい犬が番犬でいた家に育った知り合いが、彼の家には鍵はかけていなかったと言ってましたが。

    ニュースを見ていると、治安はすこしずつ和r区なっているかなと思いますが、統計的には、90年代から、そんなに変わってないですよね?90年代に、窃盗などの犯罪が急増したのは、中国人が主な理由だとは新聞か何か読んだことがありました。事実なので、仕方がないです。


  • 編集済

    いつも犯罪率で思うのですが、日本の場合、殺人事件で圧倒的に多いのが尊属殺人です。
    ある意味、家族で仲が良ければ、あるいは、悪い家族とは距離的に遠く離れていれば起きない犯罪です。
    殺人でもっとも怖いのは通りすがりや無差別殺人などだと思います。
    防ぎようがない殺人が少ない。その意味でも、日本は非常に安全な国だと思っています。
    このまま、安全な社会を保ってほしいのですが。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメント有り難うございます。

    確かに米国では日本に比べると無差別殺人が’多いいですね。それでも、多くの殺人事件は、米国でも、知り合い同士の間で起きるのが多いです。白人が黒人に殺されたり、白人女性がレイプされる可能性が、白人が加害者である可能性よりもかなり高いと思っている白人が多くいますが、実は、白人は白人が’加害者である可能性の方が’はるかに高いのです。逆に、警察の暴力で命を失くす黒人も問題になっていますが、実は、黒人間の殺し合いの方がかなり確率は高いのです。

    貧富の差はこのような犯罪が起こりやすい一因だと思います。銃が容易に入手できない日本ですから、この貧富の差が拡大しているように見えるので、少し心配です。日本が誰にも優しい社会であって欲しいです。稼いでいる人間が税金を払いたくないと思うのは当たり前でしょうが、貧しくても、自分の成長を社会が助けてくれたと思う人間が多くいるほうが、国としては良好で健全な状態だと思うのですが、最近、生活保護を受けている方達に厳しい社会になってますよね?

  • 日本は安全ですよね。うちの子落としたスイッチ本体、県庁近くのコンビニに届いてました。ほんとうにありがたかったです。

    安全パトロールの連絡きますが、最近はサルに対する注意です。うちの地域、なぜか子供達を狙ってる猿がいます。

    自治体で対策とるみたいですが、相手がさるなんで…。はぐれ猿だから目立つでしょうけど。

    ただ、最近気になるのは、どう考えてもネットやニュースの影響による加害が多いですね。

    いじめられたって言う人が他人を絶対的にいじめてないとは、どうしても私はおもえません。

    私はふつうに悪口いいます。不満言ってますし?同調だってします。それはいじめてない、は、ないはず?

    不思議です。

    作者からの返信

    コメント有り難うございます。

    いじめは米国にもあります。学校や仕事場での多重殺人事件の引き金にもなりました。日本人は復習するというモーチベーションが’低いようにも思えます。私は逆でしたが。

    >いじめられたって言う人が他人を絶対的にいじめてない

    個人的には、例えいじめていてからと言って、いじめを受け入れる必要はないかと思います。罪のない人間は存在しないというのが’キリスト教の教えの一つですが、それは正しいと思います。

  • 学生時代、お茶の水のM大学でした。
    当時学生運動の人も、同じ校舎にいました。
    ヘルメットかぶって、角棒持っていました。
    頭から血を流した人とすれ違ったこともあります。
    タオル渡したら、喜んでいました。

    作者からの返信

    舞夢さん、

    コメントありがとうございます。

    ○○台キャンパスですね?90年代に、学会で行ったことが何度かありました。

    私が日本の大学へ行っていたら、へんな団体に勧誘されて、入ってしまっていたのではないかと、少し心配します。しかし、へそ曲がりで、人についていくのはきらいなので、長続きはしなかったと、自分に言い聞かせています。

  • 多民族国家にはこういう問題も起こるのですね。
    子連れの再婚家庭でも、この問題には頭を悩ませそうです。

    作者からの返信

    小烏つむぎ さん、

    コメントしていただき、ありがとうございます。

    他民族国家であっても、その頃は、今以上にアングロサクソン系の感覚の強い国でした。女性は、大半が髪を金髪に染めていた時期でした。まあ、友人はかなり口が悪く、性格も博士課程を修了した教養ある人間には思えないところもありました。口が悪いのが最大の原因だったと思います。しかし、友人思いの人情に厚い、江戸っ子とでも言える性格でもありました。

    私にとっては、もっと醜いと思える話では、最近になっても、ある白人女性が、自分の子供として、混結の赤ちゃんをSSNに載せたら、黒人と寝たのかと、中傷されたそうです。彼女は、友人に生まれた赤ちゃんを養子にしたのでしたが、勘違いされたようでした。本人はそんなことどうでも良かったので、書き込まなかったのですが、一部の人間には、それが一番気になったようでした。多くは、祝福してくれたそうですが。ちなみに、彼女には白人の旦那さんと旦那さんとの間に産まれた娘がいました。

  • お祖母さんの孫を思う気持ちなのでしょうね。
    おそらく日本在住の受験生をもつ親族なら、天満宮に行く機会があるなら行こうとするだろうなと思います。
    少なくとも、受験生のもとには御守りが集まってきます。


    作者からの返信

    小烏 つむぎさん、

    コメント有り難うございます。

    大在府は、義務教育にも出てきますから、重要だとは知っていましたが、実は、親のわたしも、福岡へ行くまで、学問の神様とは知りませんでした。

    日本が米国のように受験がない国だったら、今ほどに人気のある観光地にはなあなかったかもしれないとうことですよね?

  • レジのバイトさんに戦意を嗅ぎ取ったのですね。
    ま、一言欲しかった場面ではあると思います。

    もしやの日本初クレーマーですか?
    クレーマーも悪い人ばかりではなく、ちゃんと権利の主張の場合もあるので、それはそれでヨシ!

    作者からの返信

    小烏 つむぎ さん、

    あれから30年、今考えると大人気ない対応でした。日本人はもっと優しい対応が常識ですよね?この彼だって、実は他人と話すのが苦手だったのかもしれません。自己本位に考えすぎたのは、米国人になってしまっていたからだと、言い訳しています。実は高校生の間には、こんなことがエスカレートしてしまった事もあったのですが、それはもっと黒歴史です。

  • ポパイのホウレンソウは、私も母によく言われました。

    私としてはホウレンソウが缶詰から出てくることのほうが、興味深かったです。
    ホウレンソウってスーパーで生野菜として買うものだったので。
    アメリカではホウレンソウの缶詰があるのですか?

    作者からの返信

    小烏つむぎ さん、

    コメントありがとうございます。

    その頃の米国では、ほうれん草は調理した後に食べるものだったのでしょう。結婚後に、生のほうれん草を含んだサラダを作ったら、妻は驚いていました。一度、義母がフレッシュなほうれん草が手に入れる入ったので、夕食に来ないかと言われ、行ってみると、出てきたのは、缶詰と変わらないほど煮込まれたほうれん草で、こっちがびっくりしたことが’ありました。最低でもおひたし並の物が出るのではないかと思っていた私でしたが。

    ほうれん草の缶詰、今でも売ってます。

  • 確かに入試としての英語は、「語学」を判定すべきもので、会話力を判定する性格ではないです。
    英会話は、話して伸びるもの。

    作者からの返信

    舞夢さん、

    コメントありがとうございます。

    英会話だけの問題でなく、英語の入試問題になると、ひねくれた問題になってしまう傾向もあるのではないかと思います。それは、普通に英語を理解するのに、全く必要ない知識っだったりします。帰国子女は、入試の発音に関する問題(特にどこにアクセントがるという問題等)ができないという定説があると学生達が教えてくれたことがあります。

    私の提案は、物理や数学等の問題が普通に英語で出ていて、それを理解して解けばいいというだけの話なのです。文系の問題はどうなるかはわかりませんが。教科書が英語になったらどうなる見てみたいです。

  • 好きこそものの上手なれ!ですね(*^^*)好きなものが題材だったら、子どもは止めてでも勉強しそうです。

    作者からの返信

    カエデネコさん、

    コメント、大変ありがとうございました。

    そうですね。そのような好きなことが子どもの間か、若い頃に見つかると良いです。そのためには、いろいろな経験をさせることが重要だと思います。私は、音楽の才能はないのですが、妻はかなりあります。しかし、親の都合で、レッスンとか受けられるような生い立ちではなかったのが残念です。彼女のように、自分の好きなことを見つけられない、または、諦めてしまった人間がどれだけいるかを考えると、不憫です。

    私のような性格の者には、好きなことで生計が立てられるのは、とてもラッキーです。私に取っては、「科学」は職業であり、趣味でもあります。こちらは定年もないので、体が保つだけ、給料をもらって趣味を全うできます。嫌な雑もありますが。


  • 編集済

    私の県ではわかりませんが、私が小学生の時、住んでた地域の学校では8月6日は全校登校日になっていた気がします。戦争の話とか聴く日でした。かわいそうなゾウの話に小学1年生ながら悲しくて今でも忘れられません……もちろん原爆のことも……(T_T)被爆者だから結婚できないなんてこと……せつなすぎます。どうか彼女が今、素敵な方と出会い、幸せに暮らしてることを願いたいです。
    戦争、本当に怖いですね……。

    作者からの返信

    カエデネコさん、

    コメントをありがとうございます。

    そうですか、他の県でも登校日だったのですね。象の話は私も覚えています。今でも、戦争になると、動物園の動物達が処分されたり、餓死したりしているニュースを見ます。別の話に書きましたが、私は動物園は人間の思い上がりの象徴だと思っているので、余計に嫌なニュースです。

    あの同級生のことは、今でも時々思い出し、同じように、幸せになっていてほしいと思っています。彼女はきっと、留学前の同級生だったので、遅れて卒業した私は、同窓会も別の学年となってしまって、日本にいた間に出会う機会もありませんでした。あの頃は、今ほど思い返してもいなかったのですが。年を取った証拠なのでしょう。

    ただし、私の幼い頃に比べると、被爆者が隠れる必要もなくなっているのは良いことだと思います。

  • 妹さまも弟さまも素敵です。
    毎日、不登校の子を迎えにいくって、短期間ならできますけど、ずっとは難しい。そして、ずっと恩を感じる、相手の方もいい方達で、なんだか、ほっとしました。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございました。

    妹の話を母から聞いた時は、本当に驚きました。二年以上やっていたと聞いた覚えがあります。自分の妹ながら、あっぱれでした。

    妹も弟も人を実はすごい奴らだったのだと知ったのは、大人になってからでした。どちらかと言うと、子供の頃は、人に迷惑をかけてた方が多かったと思われる私は恥ずかしい限りです。

    妹は、その後はたただのオタクだとしか思っていませんが、実は、もっと人を救っているのかもしれません。弟もです。ダメ兄貴は何も知らないのでしょう。


  • 編集済


    いま動くガンダム福岡にあります。光るし喋ります。

    妹さんに、ガンダム福岡おすすめです。

    中学生の娘さん、よくガンダムみについて行ってくれましたね。


    博士の奥様になついてたんですか?さすが奥様、ですね?

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    もう20年以上前の話です。今は、義弟も姪も東京勤務になってますから、いつでも見に行けます。まあ、ガンダムの情報は妹の方がよく知ってるとおもいます。

    姪は一人っ子で、妹にかなり引っ付いていました。

    編集済
  • 妹さん、弟さん、先生も人情に厚いんですね。

    でも、イジメっこをイジメるなんて話聞いた事ないですよ(笑)。

    作者からの返信

    DITTO さん、

    いじめというか、ただ暴力を振るってやっただけですが。他から見ると、ただのジャイアンとしか見られていなかったかもしれません。ただし、よく虐められていた子から懐かれて、彼の家まで遊びに行ったことがありました。

  • やはり米国とは文化が違うのですね。このページでは日本での生活に対する愛情や楽しさを伝えています。妻や息子との関係や会話には、笑いや感動があります。
    僕は米国の自由さも好きですが、作者の目を通して、日本での暮らしの魅力を感じることができます。あああ! 日本に生まれ育って良かった。

    作者からの返信

    神崎 小太郎 さん、

    コメントありがとうございます。元々、日本では田舎でしか生活したことがなかった上に、他県でした。九州と中国地方は比較的近いと言っても、やや異なる文化でした。勿論、米国化してしまっていたのが一番の勘違い理由でした。今となっては、恥ずかしい事ばかりです。

  • この作品を読んで、楽しみながらも多くのことを学ぶことができました。作者は、自分の経験を通して、日米の文化や価値観の違いを理解しようとする姿勢を示しています。私も、作者のように、異なる文化に対してオープンマインドであることが大切だと感じました。このエピソードは、日米の架け橋となる素晴らしいものだと思います。ありがとうございました。

    作者からの返信

    神崎 小太郎 さん、

    コメントいただけて、とても嬉しいです。

    オープンマインド、昔は、科学者たるもの、、、と考えていましたが、実は、他の分野でも重要ですよね?カクヨムで小説を書かれている方達も同じように、オープンマインドな精神で、作品を書き上げておらる方たちが多いように思います。神崎 小太郎さんは、その中でも、特に色々と努力をされて、書くことに、大変真面目にアプローチされているのが読んで取れます。尊敬しています。

  • 第2話 俺の息子は天才への応援コメント

    この作品は、母親と息子の関係を描いた作品です。母親はせっかちで、息子はのんびりしています。親子といえども、こんなに違うのが愉快なところ。でも、ふたりのやりとりは、愛情やユーモアに満ちています。
    物語の終わりには、彼は自分の将来に希望を持ち、家族や友達と幸せに暮らします。こんなところも、心温まる感動的なエピソードです。

    作者からの返信

    神崎 小太郎さん、

    コメントをありがとうございます。

    実は、私も、母ほどではありませんが、妻にはせっかちと言われます。物事によりますが、妻は日本人よりも時間にルーズなのですが、1−2時間遅れも問題ないと思っていた息子のフィリピン人クラスメイトにはかないません。息子は、私よりも時間に厳しく、約束時間よりも最低15分前に着くと、日本人並みの男です。

    私は、せっかちは母が大好きで、私を育てくれたことにとても感謝しています。

  • 第42話 結婚詐欺と母の涙への応援コメント

    奥さん魚食べられるんですよね?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    鮨も刺身も大好きです。こちらで、レッドスナッパーという鯛の一種が大好きです。冷凍のサーモンは常備してます。好みの寿司ネタは、ウズラの卵の乗ったイカの軍艦巻きの月見イカです。

    育ったのが、フロリダ州の沿岸の街だったので、元々、魚は好きだったのです。

    編集済
  • 第42話 結婚詐欺と母の涙への応援コメント


    ー息子の嫁からまでも苦情が来る

    爆笑しました。

    妊娠中は特定の食べ物にはまる人いますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    米国では、妊婦はアイスクリームとピクルスを食べたくなると言われています。

  • 第42話 結婚詐欺と母の涙への応援コメント

    ひき肉のないトマトソースのパスタを、米国で食べたことがあります。正直、むちゃ不味かったです。
    あれを毎日、食べさせられるくらいなら、自分で料理するかもです。料理は好きじゃないんですけど。

    そうか、お母様、複雑な心境だったでしょうね。
    国ごとに味の好みが違うので、それに日本人同士でも家庭料理の味が違うから、料理って難しいですよね。
    これは単純な疑問ですが、お料理の片付けは奥様がなさってらしたんじゃないかな。
    でしたら、奥様のほうが偉いと思うのですけど(優劣をつける問題じゃないですが)。
    料理するより後片付けのほうが億劫で、料理作りっぱなしの生活は憧れます。目立つのはコックさん、でも、縁の下の力持ちのほうが大変で。
    うちの姑は非常に料理がうまい人だと夫は思っていました。確かに私と違って家庭的で姑をパーフェクト専業主婦オババと私は呼んでおります。
    ははは、今では私の料理のほうが美味しいそうです(やりきった感)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    実は、今でも後片付け、主に私の仕事です。今は、洗浄機で洗うのが主流ですが、洗浄機への皿や食器のだしいれも私の仕事です。妻は手が荒れやすいという理由もあるのですが、実は、私は大学生の間に、獣医学の研究所で、試験管などを洗浄するアルバイトをしていた事があり、洗い方やリンスの仕方等にうるさかった時期があったのです。元々、朝が苦手の妻の為に、彼女よりも朝が早い私が朝食の準備をして、2人の弁当を準備しています。

    我が家の家事分担は、私がキッチン周りを主に担当、妻が掃除と洗濯を主に担当しイています。力がいる仕事は私が手伝います。妻が心臓の異常脈で入院してからは、私の割合が増えています。昨日も、ハロウィンへ向けての飾り付けをやらされました。以前から、芝刈り等の家の外での作業は私の任務です。

  • はじめまして、コメントをしなくてすみませんでした- -

    エッセイを楽しく拝読しました!知らないことが多くてよい経験になりました。アメリカに憧れるところが多いですが、日本との違いがたくさんありますね。
    最近大きな立方体の氷の真ん中がグラス状に削ってあってそこにコーヒーをサーブするお店の紹介動画を見て、女の子がアニメっぽく冷たさにビックリするジェスチャーをして、日本だと普通にかわいいと思われますが、英語のコメントで(アメリカ人なども多くいるはずですが)いっぱい(変とか若干ネガティブに)叩かれていました!いろいろとそうかもしれませんがTT

    今回のエッセイ、今インスタみたいに安全な場所なのですが、Fワードだけでなくコメント欄になんでも悪い言葉が飛んでいて、子供が前よりも簡単に覚えますね…(⁉⁉)

    作者からの返信

    鎌倉結希 様、

    コメントありがとうございます。

    たしかに、日本では可愛いと言われる事を見て、それに違和感を持つ米国人は多いと思います。日本の漫画に出るキャラクターの目の玉が大きすぎて不自然に見えて仕方がないと言われてましたが、今の若い人達は、アニメ等の人気で、慣れている様に見えます。

    「美月 ~芸能界の物語~」を読ませて貰っています。私は、その舞台から少し山奥に入った広島県北部の出身です。地理的には近いところですが、浜田道ができるまでは、時間的には遠いところでした。高校時代には、三瓶山には、バイクで行った事はありましたが、海外沿までは足を伸ばしていません。

    我々が日本にいた90年代には、確かにFの付く言葉はもう日本では多くの人が知っていました。米国でも、使う大人は十分いるので、子供も直ぐに覚える単語ですが、良い子は聞いても使ってもいけない言葉としても知られています。常識の欠ける父親を持つと常識に欠ける子供が育ちます。

  • 第19話 猛烈な母の話。への応援コメント

    今度はお前の番だ!で爆笑して、その後も、ずっと笑いっぱなしでした。先生、どんどん書いてください。

    作者からの返信

    DITTOさん、

    コメント、ありがとうございます。

    喜んでいただいてうれしいですが、私のアホさを晒してますよね?妻には、科学の分野では、私の言うことは、まあ信用してやっても良いが、他の話は、一般常識に欠けると思われているのです。妻が間違っていないと言えないのが悲しい事実です(笑)。


  • 4歳であの映画を見れるってすごいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    見たと言っても、見せられたのでした。常識のない父親でした。

  • 「Vuck you a$$hole!」
    あたたですけど。4歳児が言うの、きっと可愛いかったとも思えるんですけど。

    作者からの返信

    雨 杜和 さん、

    コメントありがとうございます。

    実は、ちゃんとアーノルドのアクセントを上手く表現していて、可笑しく可愛かったです。そこで、余り、笑いすぎると、息子が寮で謹慎くらった時の話を同じく、私がもっと叱られる事になるので、必死に我慢でした。

    自分で言うのも、あれなんですが、正直、息子はハーフの良いところを取った様な可愛い子でした。母親お陰でしょうが。憎まれ口も達者でしたが。


  • 編集済

    Hasta la vistaは最初意味が分からなかったのですが、カリフォルニアはスペイン語などの言葉が通用しているのを知りました。大学で習ったのは「さようなら」程度の意味でしたが、日本語字幕では「地獄で会おうぜ」と出ていました。

    ブラッカイマーの「パールハーバー」(放題)を見た時は、もう英語が完全に分かる大人になっていましたが、さすがに聞くに耐えない言葉使いでしたね。
    日本語字幕には出ませんけど

    (追記)
    ご指摘のとおりターミネーター2だと思います。
    パールハーバーは、ドゥリットル飛行隊空襲まででしたが、おっしゃるとおりご都合主義的なシナリオでアメリカ人が史実で習っていることと違うので、両国で酷評だったみたいでし

    作者からの返信

    Hasta la vistaは、2の方のセリフですよね?実は、2の方は、アーノルドがいい奴になってしまったと言う内容ですよね?オリジナルで余りにも人気が出てしまったので。

    パールハーバーは、ベン•アフレックの作成と主演?見たのは確かですが、余りセリフは覚えていないんですよね?米国でも、あんまり感動ものでもなかった様に思えます。ただ日本を爆撃できたと言う話で、これは日本がハワイを上下できれば、米国も逆ができるだろう的な私の単純な考えですが。正直、もっと米国の底力を見せつける様な展開まで持っていくのかと思って見ていました。ミッドウェー海戦くらいまで持っていって。米国の評論家からも、かなり酷評されていた様に思います。

    実は、日本語字幕読んでいては分からない所で、妻と私が笑うので、周りにいる日本人の観客には迷惑がられていました(笑)。

  • 年下の友人がソープ通いしているのですが、「加福さん、知ってました?梅毒の検査って無料なんですよ。僕、ソープ行ってるでしょ。だから、定期的に検査してもらってるんですよ!」ってやや混みの電車の中で思いっきり大きな声で言うんだから…。

    作者からの返信

    面白い友人がおられるのですね?そんな所で、こんな話を振られると、自分なら、どんな顔して、どう返事をするか、どうなるでしょうか?


  • ー後に一眼のない所で、息子と私は妻に説教をくらったが。(なんで息子が言ってしまった事に対して、私が叱られているのかと言いたかったが、そこは口を開かなかった。)

    奥様肩もみもみ?

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    コメントありがとうございます。

    その頃は、若かったので、肩揉み揉みしたら、変な下心があると思われたので、できませんでした(笑)。息子はできましたが。


  • 編集済

    僕は、マイアミ・ヴァイスが大好きで今でもDVDを見ているのですが、娼婦連続殺人の謎( "Duty and Honor" )という回があり、これには驚きましたね。

    去勢の話です。

    Miami Vice: "Duty and Honor" Trailer

    https://www.youtube.com/watch?v=KV03WKgRHeU

    あ、それから、私、エロい小説をカクヨムに書いて二人女友達を失いました。

    作者からの返信

    加福様、

    コメントありがとうございます。

    マイアミバイス、ものすごい人気の時期がありましたね。インドネシアでは、最近まで、性犯罪者に去勢していた(今はどうか知りません)ので、国連に避難されたとか言うニュースを見た事があります。死刑になるケースもある様でした。

    米国でも、未成年者が犠牲になる性犯罪はもっと厳しく取り締まれと言う世論です。実は、多くの刑務所で、子供に手を出した性犯罪者は、一緒に服役している犯罪者や働いている警備員達から嫌われていて、良く暴力沙汰の犠牲者になるそうです。警備の人間も、他の服役者達が襲っても、目を瞑っていたり、技と暴力を振るいそうな者と同じセル(個室)に入れたりするそうです。

    この〇〇(〇〇に「エ」と「ロ」を入れる)な作品を書くとい企画は 西 しまこさんと言う方の企画で、カクヨムの規定に触れない様な〇〇な作品を書くと言う試みです。18禁の様なものではないのです。米国にもハーレクイン小説とか言うのが、一部の女性の間で人気でした。そんな感じで、女性の参加者の方が多い企画です。現在、リレー小説と言う別な企画でおもしろい事になっています。

    編集済
  • 米国での暮らしぶり、おもしろ、おかしく拝見しました。
    いざとなれば頼もしい奥様。やんちゃな息子さん。ちょっと小さく暮らすご主人の様子が手に取るように見えました。
    また続きをお待ちしてます🎵

    作者からの返信

    おかん様、

    コメント、ありがとうございます。

    息子のヤンチャはほぼ私のせいだと断言できるので、妻には頭が上がらない時もあります。普段は頼りない、と言うか、私に頼り過ぎ、な妻でしたが、土壇場では踏ん張ってくれていたのだと思い出しています。

    息子と私(特に私)は、未だに大人になりきっていないのです。だから、2人とも大学で働いています。

  • 『魔女のジニー』、好きだった~。
    『ご主人様』(たぶん原語は、マスターと呼んでたと思う)をこちらでは『殿(との)』って呼んでたのを受け入れてた。
    のちに『殿』が『(たぶん)ご主人様』だろうな~と気づくまで違和感なかったな~。

    作者からの返信

    ベロりねったさん、

    コメントありがとうございます。

    ジニー役のバーバラ•イーデンさん、可愛かったです。95歳で、未だ健在です。

    その殿役のラリー•ハグマンの方は10年くらい前に亡くなりました。

  • それぞれのエピソードが面白くて、その中にもお子さまを思う親バカ(?)な気持ちに、とっても共感しました。
    息子さん、かわいい。きっとイケメンになるんでしょうね。
    以前、仕事で関わった外務省が管轄するJET プログラムで日米ハーフの男性が来ていました。むちゃくちゃイケメンでした。

    それにしても、小さい頃の子どものエピソードって楽しいですよね。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございます。

    息子は確かに可愛かったですが、今はもう中年です。つい最近、日本で息子をよく知っていた女性が、子供よりも、植物を育てる方が好きかもしれないと言って来ました。成長しても、植物は言い返さないのでと。私も同感だと伝えました。うちにいたシーズ犬たちは、歳を取っても口答えしなかったと、息子にも言ってました。

    その息子にも、7月の息子が生まれました。「今度はお前の番だ!」と、私たち夫婦は、やっと祖父祖母として、責任感なく孫を甘やかしていけるようになりました。

  • ーイリノイの街とは人口で10倍以上の差があった。しかし、総人口が同じくらいのシカゴよりも渋滞が数倍ひどい。

    京都市内は通ったことないですが、日本のどうろだと、北海道と四万十川沿いですか?

    作者からの返信

    崩壊どうも四万十川も行ったことないのでわかりませんね。北海道も、札幌などは、東西南北に走る道路が多いと聞きます。どうなんでしょう?

    日本の大きな都市は皆大混雑するではないですか?いつか、妻の友人の家で、クリスマスパーティーをして、車で天神を通って帰って来たら、ものすごい渋滞に巻き込まれました。通勤時のシリコンバレーは、高速道路があんな感じです。

  • こういう学生運動が起きないように、「考えることのない人間」を作ろうとしたのが、その後の教育かなあって思っているのです。
    いま、学生運動するような気力を持った若者はいません。
    (わたしも「社会を変えよう」とか全然思わない。)

    日本はどこへ行くのかなあ。

    学生運動に関しての、わたしの知識は、なぜか村上春樹から得ております(笑)。

    作者からの返信

    西しまこさん、

    >ういう学生運動が起きないように、「考えることのない人間」を作ろうとしたのが、その後の教育かなあって思っているのです。

    お返事が遅くなりましたが、私も同感です。

    もう一つは、学校から不良や悪と呼ばれていたやんちゃな生徒を締め出すような教育方針にもなって、自由が失われていると思います。

    幼い頃から、偏差値と内申書で縛り付けて。

  • 「かなりやばい父親に育てられた」っていう表現が面白いですね。笑いました^^。

    作者からの返信

    加福さん、

    コメントありがとうございます。

    自他共に認めるやばい父親ですが、成長した息子は、それでも自分は育ったんだと、自分を褒めていたのだと思います。私よりはまともに育ったと思います。一応、母である妻のお陰である事は確かです。

    一応と言ったら引っ叩かれるかもしれませんが。

    編集済
  • アメリカは州によっても、全く雰囲気が違うことが、すごく面白いエッセイで、楽しんで読ませていただきました。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントありがとうございます。カリフォルニアなどの多くの州は、日本に近い大きさがあり、サンフランシスコ(シリコンバレーを含む)と、ロスアンゼルスの周りでは雰囲気が異なりますし、その二つのに大都市郡を離れ、田舎の地域に行くと、又それぞれ特徴があります。イリノイ州でさえ、北のシカゴの周りと、州の南の方では全く異なった雰囲気です。

    私は、広島の田舎育ちなので、大人として福岡に住んだ時に(大人になっていないという意見もありますが)、たった車で半日の距離であっても、ちょっとした異国のような感じがしてました。出張で行く、東京の池袋あたりは、外国に思えましたし(笑)。

    私のやらかしたことが面白いと言っていただけると大変嬉しいです。これからもよろしくお願いします。


  • 編集済

    日本の博士取得は博士課程内で取得するのが楽で、論文博士は相当な研究実績と優れた論文でないと難しいというのが現状です。
    私は、博士論文提出資格だけ博士課程で取ってまだ博士論文は提出せず20年近くになりました。

    LAは1週間程度しか居たことはないですが、雨が降ると交通事故だらけですね
    道路の区間線が金属ピンだというのも事故原因だと思います。気温は高いですが湿度がないので東京よりは住みやすいと思います、けど治安が良ければ良い街だと思います

    (追加)
    私の大学院ですと、学校から博士課程の単位を取得して論文提出資格を有していることの証明書が出ると伺っています

    作者からの返信

    晁衡 さん、

    コメントをありがとうございます。

    私が日本の大学で働いていた間、年寄りの先生達が自分達の頃は、博士課程を修了してから何年もかけて博士号を取ったものだと言っていました。その頃には、博士=研究室の教授の後を継ぐということだったようで、博士号を取得するまで助手にしてもらっていたという話もありました。

    博士論文提出資格を持っておられるなら、それはまだ有効なのでしょうか?引退後に博士論文を提出することは可能なのでしょうか?クイーンのブライアン・メイが、何十年も前に中断した宇宙物理の博士論文を近年完成させて、博士号を取ったと、ニュースになっていましたよね?

  • 私もラスベガスで2度交通事故に遭い、モルモン教徒の弁護士を使いました。オチは、無いです。はい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    アメリカで生活していると、弁護士が必要なんですよね。今、仕事先で、院生が、職員・教授連中を片っ端から訴えています。お陰で、訴えられていない私が、その学生の指導をさせられています。何かしたら、私も訴えられるかもしれなので、気を付けろと言われてます。訴えたいのは1人か2人なのに、全員訴えて、なんとか示談に持ち込む作戦なのでしょうか?大学では使えないやり方です。どの州でも、教育関連者は守られてますから。よほどのことがない限り。

  • またまた、腹筋鍛えさせて頂きました^^。

    作者からの返信

    加福さん、

    コメントありがとうございます。今でも、こんな感じで夫婦喧嘩になることもあります。二人の考え方が偏っているためだと思います。


  • 編集済

     私が大学を出て最初に勤めたシンクタンクの会社の社長が昭和18年の生れでした。京大を出て一部上場のメーカーに勤めていた時に、過激派に入り活動を始めました。ある時、加福君、俺なあ昔懲役5年になるとこやってん、また機会があったら話するわなと言うので何したんかなーと思っていたのですが、会社辞めて留学して帰国して社長に久々に会いに行きました。中華をおごってもらったのですが、その時にあの懲役五年って何だったんですか?聞いたら「放火」。「ええー!!そんな事やって良いんですか?」と私が言うと「ええねん。証拠ないから」、「………」。そんな彼が、会社を引退してのうのうと大学教授やっていたのだから開いた口が塞がりませんよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私よりも10歳くらい年上の教授の中には、過激派だった先生たちも多くいました。私は、日本の大学が国防関連の機関(国防省や自衛隊等)から研究費を受けいることに賛成ですが、そういう教授たちの流れ(もう現役にはいませんが)で、似たような思想の孫弟子とかが残っていて、猛反対します。欲しくない教官は受け入れなければ良いし、受け入れたい教官には受け入れさせれば良いのです。

    放火というと、子供っぽい悪さとも取れますが、証拠がなければ良いとは、驚きの発言ですね。殺人も証拠がなければ良いのか?という流れになりますよね?


  • 編集済

    私も80年代、MTV世代なので、リストにずばり当てはまりました。ただ、私は1967年生まれなので、博士よりも年下だと思います。

    フォリーナーですが、ボーカルがケリー・ハンセンになってからの方が良いと思います。

    https://www.youtube.com/watch?v=EE-ZsGvUAR4

    もう、ご覧になっていたらごめんさない。

    BOZ SCAGGSは、聴きませんか?バックは、TOTOです。

    https://www.youtube.com/watch?v=EnJ-IRZtKB0

    作者からの返信

    コメント大変ありがとうございます。

    新しいフォーリナーのリンクもありがとうございます。このボーカルの彼も素晴らしいですね。私は、オリジナルのルー・グラハムのでているビデオがかなり好きなのです。

    このボーカルの入れ替わりで思い出すのが、ジャーニーのスティーブ ペリーとアーネル Pinedaの話ですが、私はどちらも良いと思っています。スティーブ ペリーの方が好みですが、彼がもう歌えないのに、いまだにアーネルを貶すジョーニーファンの方は理解できません。

    Boz Scaggsはローダウンは知ってますし、スティーブ ミラー バンドのメンバーだったことは知ってました。Totoと関連が深いとは知りませんでした。曲は余り知らずに、Bozrという名前だけは目立つなと思っていました(笑)。

    因みに私は一回り年上です。MTVが始まった年には大学院生でした。

  • いきなり、横にズレた話で申し訳ないのですが、高二の時にオリビア・ニュートンのフィジカルをMTVで見て、私はあんな美人をGETするんだという思いでアメリカに行った口です。しかし、あとで知ったのですが、彼女はイギリス出身なのですよね。

    話を原爆に戻して、私は日本女子が原爆を落とした特に白人のアメリカ人男性と国際結婚する事に違和感があります(黒人、ヒスパニックは別です。アメリカで差別されて辛い目に遭っているから)。アメリカ人男性が日本人女子にプロポーズする、あるいはその逆の時に原爆の問題をどう処理しているのかと。

    私は、はっきり言って日本女子と結婚するアメリカ人男性はルーザーだと思います。白人女性がGETできない。しかし、戦後メディアを通じて印象操作されて白人優位になっているため、それを利用していると思うんですね。

    また、アメリカ人と結婚する日本女子もどうかと思います。お前ら原爆落とした国の奴らをどう思ってんねんと。

    もっとも、軍のやった事でアメリカの一般市民がやった事ではないというを事は理解できるのですが…。

    母親に言わせると、原爆なんか昔の話、日本女子はアメリカ人に見初められたのよと言いますが、それはまたハッキリ言わせてもらって違うと思います。

    翻って博士のように単身アメリカに乗り込んで白人の女性、それも南部出身をGETされたのは、私にとってヒーローですね。何しろ戦勝国の女性を娶った訳ですから。奪った?と言っても良い。しかし、今ではアメリカ人の白人の女性を娶る日本人男性も増えてきましたが、博士の頃は、ごくごく少数だった。

    告白しますが、私はアメリカで英語教師の白人女性と一夜を過ごした事がありますが、付き合う事はできないと言われました。やはり、差別が怖かったんでしょうね。

    また、話を元に戻しますが、私はかなり尖がった保守で、日本も抑止力としての核を持つべきだと思っています。そんな話を今週共産党員と話をしていたら、「そんな世界のすべての国が核を持ったら、一体どうしますか?」と言うので「持ったらいいじゃない」答えたら無言になっていましたけどね。

    今は、アメリカ空軍のMA-1を着るのは当たり前になっていますが、私は着たくないですね。原爆落とした空軍のジャケットとなんか俺は着んぞと言った感じです。

    それから、申し訳にくいのですが、私の名字は加藤ではなく加福です。江戸時代から代々長崎でオランダ通詞をやっていました。

    先祖は、中国人でこれは、元朝日新聞の記者が、その当時の歴史に興味があり私の家系を調べた本を送ってきて判明した事なのですが、いらんことをしてくれるなと言いたい。

    みんな名前を聞いた時点でコイツ中国やなと思っているのは分かっています。差別があると思います。それもあってアメリカに移住しようと思った経緯もあります。

    私は、アメリカに5年留学(フィラデルフィアとラスベガス)していましたが、やはりインターナショナルな雰囲気は良いと思いましたね。その間、黒人女性からアプローチがありましたが、黒人女性なんてと思っていました。私も差別していたんですね。今になっては、かわいい子だったので、非常にもったいない事をしたと思っています。

    私は、留学の最後の方に、ブルースに目覚めてギターでラスベガスのジャム・セッションでやっており、黒人、日本人、白人、ヒスパニックで演奏していました。これは、やはり音楽は人種の壁を乗り越えて良いなと感じた事がであります。












    作者からの返信

    加福 博さん、

    苗字を間違って、大変申し訳ありません。今の私は、cataract 白内障になってしまって漢字の微細なところが区別できないのは確かですが、実は、脳内の日本語離れ(忘れ)が起こっているのではないかと察しています。それでも、不注意なのは、言い訳でしかありません。

    オリビア・ニュートンジョン、妻の兄がかなりのファンで、Xanadu (ザナドゥ)という彼女が主演した映画見た後、私たちに、今まで見た映画の中でも、最高の部類だとかいうので、夫婦で見に行ったら、二人とも「金返せ!」的な反応でした。義兄は、あまりにもオリビア・ニュートンジョンに惚れ込んでいて、映画のないようなどうでもよかったのだろうというのが後の二人の結論でした。確かにきれない人でした。イギリス生まれで、オーストラリア出身だと言われていたと思います。実は、祖父の一人が、ドイツ人物理学者で、ノーベル賞をもらったマックス・ボルンという人です。最近話題となったオッペンハイマーとの共同で生み出した近似法で有名です。ユダヤ人だったので、英国へ逃れています。

    米国人男性が日本人女性に求婚することの捉え方としては、私は、米国は日本人よりも考え方が異なった国民が多いため、一口にまとめてt、米国人男性とは言えないと思っています。例えば、前出のオッペンハイマー、彼はマンハッタン計画の責任者でしたが、原爆投下後には、反核運動に転じて、水素爆弾開発に反対して、セキュリティ・クリアランス(Security clearance)を剥奪覚ました。第二次世界大戦中、日系米国人に対しての差別や収容所への強制収監中にも、それに反対した米国人白人はいました(その頃、数は少なかったですが)。

    核爆弾の開発には多くのユダヤ人科学者とエンジニアが参加していましたが、それは米国政府がナチスドイツに対して使うと言っていたのが主な理由でした。ユダヤ人で、ナチスドイツの犠牲者が親戚にいなかった例はかなり稀だったので、彼らは、家族の仇を取れると思っていたので、日本へ落とすことはそれほど考えてはいなかったと思います。可能性はありだとは知っていたでしょうが、それは、ドイツに落とした後の話だったと思います。

    お母様が言われるように、世界中の男の間で、日本人女性の評判は世界一と言ってもよいと思います。それが日本人女性にとって良いことかというとそうでもないでしょうがが。多くの中国人の同僚も、日本人の奥さんを持つことは、中国人男性の間でも憧れだと言っていました。日本人と結婚する白人男性はルーザーという考え方は、白人女性の方が日本人女性よりも格上だということになりますが、白人の中ではそんな考えもあることは確かです。白人女性はわがまますぎて、結婚相手にできないという男もいます。

    私が若い頃には、本当に、アジア人と白人女性のカップルは少なかったです。西海岸には少しはいましたが。私は、ほとんど白人とばかり付き合っていましたから、妻との結婚は、普通の流れでした。逆に、妻が私と結婚する気になったのかの方が謎ですが、彼女は、親族の中でも、数少ないリベラルです。南部出身である彼女の親族はトランプ支持者が多いのですが、彼女は民主党支持です。これが、私と結婚してしまったために、大学関係者と付き合いが多いかrかもしれないですが、彼女はそういう人間なのだと思っています。私と血このすることを決めたことも含めて。(面白いことに、親戚の間のもう一人のリベラう派は、従姉の息子ですが、彼はもう25年も陸軍に務める軍人です。)

    核所有に関しては、私は、米国の核の傘に下で、平和に育つことができたと思っています。あれがなかったら、ソ連と北朝鮮(中国も)に攻め込まれていたとでしょう。銃が嫌いな日本でも、警察官は銃を持ってますし。しかし、幼い頃の私はそういう考え方ではなく、日教組の影響を受けた反核でした。そんなのほほんな子供時代が許されたのは、米国の核の傘のおかげだと思っています。

    最後に一つ、私は典型的な昔の日本人の夫ではありません。現在は、妻の尻に敷かれたひ弱い夫です(笑)。

  • 大爆笑…腹筋鍛えさせてもらっています^^。

    作者からの返信

    加藤 博さん、

    私も、思い出すと、今でも笑ってしまいます。私だけでなく、近くに、勘違いしてた人もいたのも面白かったです。

  • 失神寸前まで追い込んで…大爆笑

    しかし、後半の文章は、考えさせられるものがありました。私は、最初のアメリカ旅行のアムトラックの中で、トイレに行ったら横のブースで四人組の白人が話しており、その中のお爺さんが「お前、何しにアメリカに来たんだ?」と睨みつけられました。

    それで、シーサイティングです、と答えたら間が開いて、若いのが人差し指を一本立てて、サイトシーイング。結構緊張しました。あ、アジア人ってやっぱり差別されるのかと。多分、あのお爺さん朝鮮戦争時代の人だったと思います。

    パールハーバー、これは陰謀論かもしれませんが、アメリカは暗号を解明していたという話もありますよね。ベトナムもアフガン、イラクも。まず、身を切らせて骨を絶つ。ちょっと、表現は間違っていますが、まず戦争の口実を作って世界の世論を引き付ける。私は、どうもアメリカはこういう事を続けているんじゃないかと思うんですよ。




    作者からの返信

    加藤 博さん、

    コメントありがとうございます。

    >世論を引き付ける。

    選挙人制度ではなりますが、大統領を国民が選ぶ投票をするので、米国では世論は重要ですから、まずは、世論からと、昔からそうだったとのだと思います。日本のような内閣総理大臣に直接投票しない制度とは異なっているますね。

    人種差別は今でもあります。新型コロナのおかげで、アジア人に対する差別が以前よりも激しくなっています。しかし、それの加害者の多くは、黒人や中南米系の白人から差別されている連中であることが多いです。もちろん、白人のアジア人に対する差別もあります。しかし、白人至上主義の中には、韓国や日本のようなほぼ一民族国家に憧れていて、日本に住むのはどんな感じなのかとか聞いてきて、フレンドリーなのも多くいるのに驚きです。人種差別問題は複雑です。

  • うちらは死ぬ!…大爆笑

    作者からの返信

    加藤 博さん、

    またもやコメントありがとうございました。

    こんなところで笑ってしまって、女性から白い目でみらる男って、割と多くいますよね?私は、妻にしからてしまい、しょぼんとしてましたが、正直、妻にはなぜ笑いが最初にこないのか不思議でした(笑)。私が閉じ込められた被害者だったとしても、笑い話にすると思うのですが、、、、

  • ここにいるには、お前は若すぎる(笑)。いかにもアメリカ人が言いそうな事ですね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます。

    そうですね。特に、大麻でハイになっている連中は言いそうです(笑)。

  • 当時住んでいたラスベガスの私のアパートでベトナム帰還兵の元フィリピン軍の情報部員のプログラマーと元アメリカ海軍のデザイナーで飲んでいたときにフィリピン軍のポケットからピストルが出てきましたねえ。かなり飲んでいたのでデカいライターかと勘違いしてよく見たら本物でした。次に何が起こるから分からないから、持ってると言ってはりました。

    作者からの返信

    加藤 博さん、

    コメントありがとうございます。

    酔っ払いと銃は危ないですよね?しかし、過去の経験から離せない人も多くいますよね。武道クラブで知り合った大学生の若者は、幼い頃、母を亡くしてしまった時、トラックの運転手だったため、長い間留守にしていがちだった父に銃を渡されて、2歳としうえの兄と一緒に育ったそうでした。枕の下にいつも銃を置いて寝ていました。

    今住んでいる州は、オープンキャリーと言って、銃を見える様に持ち歩くには許可はいりません。隠し持つにはいりますが。銃を持って歩いている人間は余り見かけませんが、多くが隠し持っていると認識しています。しかし、それで、日々の生活が、恐ろしくてしょうがないと言うわけではないです。加藤さんの様に、住んでいた方達でないと理解できないと思います。

  • 爆笑。

    作者からの返信

    DITTO さん、

    コメント有難うございます。返信が遅れて申し訳ありません。

    彼は、英国でスキンヘッドを初めた仲間だったらしいのですが、大学在籍中、鉄工所で働いていた頑張り屋でもありました。迫力があります。

  • ワクワクしながら次章を拝読させて頂きます^^。

    作者からの返信

    加藤 博さん、

    コメント、大変ありがとうございます。とても嬉しいです。前のコメントから、米国に住んでおられた事がおありで、同胞の方ですね。フォローさせて頂きましたので、貴方の日記も読ませて頂きます。これからも宜しくお願いします。

  • 素晴らしい切れ方ですね。私も見習いたいです。

    作者からの返信

    DITTO さん、

    コメントありがとうございます。遅くなって申し訳ありません。’見落としていました。

    やられれば、やり返す!田舎の不良の掟です(笑)。しかし、これは、幼い息子がやりそうな事で、大人気なかったです。

  •  私もアメリカに留学していた事があるのですが、同じアパートのチンケなドラッグ・ディーラーと小さな事でトラブルになって、彼にハッお前殺し屋か!?と言われ、手に小型ナイフが握られていた事があります。そんなくだらないものしまえよ、で事なきを得ましたが、やはり武道をやっていたので全然怖くなかったですね。


  • 編集済

    学生運動は、教科書の世界です。

    あんまり授業では触れなかったような?たぶん、感化されるから、ですかね。

    淡々と史実として習いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    学生運動って、ヒッピーと繋がりがあるんですよね。主に、反社会というところで。ヒッピーの方は、ピースで、平和的な、インドのガンジーみたいな抵抗。学生運動にも色々あった様ですが、目立ったのは、暴力的なksつどうでしたね。九大でも、生き残りが田島寮に住んでいたり、入試の日に、地下鉄駅の出口で、プラカード持って立ってました。一度、トイレの便器が壊されたこともありました。


  • 編集済

    東大安田講堂から、学生運動は、どんどん闇堕ちしていきましたよね。
    ヨド号ハイジャックの人たちは、北朝鮮にいるとか。日本に帰りたいというニュースを見たことがあります。

    日本がいろんな意味で激しい時代だったと思います。
    そうした表舞台の、いい意味でも悪い意味でも、そういう人々が目立つ時代、敗戦国で他国から鬼のように思われ差別され、それでも欧米に赴任した日本人ビジネスマンたちが差別と戦い、心を殺しながら良い評価を得る努力をしていた。名もない英雄たちがいたと思うのです。
    そういう方達を尊敬しています。

    作者からの返信

    雨 杜和 さん、

    コメントありがとうございます。

    あの頃、まさに激しい時代だったですよね?それに少し遅れてきたと感じていました。

    日本人ビジネスマン、戦前生まれの方達の覚悟は違っていたと思います。バブル経済のもとをになるほど、日本製品を売りまくった方達です。そして、その製品を開発したエンジニア達も。その儲かったお金の使い方を誤ったのが、大蔵省の官僚と銀行家でしょう。エンジニアは世界でもトップレベルだったのが、お金をマネージする方は最悪だったのでしょう。ある英国で教育を受け、日本の大学の教授だったた経済学者(息子の友人の父親)が、日本の経済学の教育は相当遅れていると言っていました。そのれで、Japan Timesにでかい紙面を使った記事を書いていました。

    我々の世代は、皆、欧米に憧れを持っていました。九十年代に日本へ帰ってみると、日本の方が住みやすいので、海外に行きたくないという若者多さに驚きました。その頃の大学は、日本で十分トップレベルの研究ができると認識され始めていたので、それでも良いかとは思いましたが、今は、レベルも落ちているのです。若い人たちには、また海外に飛び出す意欲を持ってほしいです。

  • 私の時代の10年くらい前ですね。
    安田講堂の時代の過激派も残ってましたが。

    ただ私の時代はバブル景気で物価上昇で、みんなで賃上げをヤレーという感じで、ストライキを応援する雰囲気がありました
    (ただ国鉄の一部過激派が仕切るストは別)

    1990年代はじめの早稲田大学の学生がストライキをやっていたのは学費値上げ反対で、基本的には革マル派が仕切っていましたが、期末試験は中止になるし、学生は願ったり適ったりだった、と記憶しています。
    ピケを張るのを、普通の学生が手伝っていたとか

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私は、93年から九州の大学に勤めていました。入試の際には、学生運動家達が入試の邪魔をする可能性を指摘されていました。学生寮に、昔からの活動家が、未だに住み着いていると言う話も聞きました(京大の寮の方が有名ですが)。一度、トイレの便器がハンマーのような物で壊された事がありました。

    米国では、試験を受けたくない生徒が爆破予告の電話を入れるのが定番です。主に、中学と高校です。

  • 竜巻のことかな?
    海外ドラマ見ていると、みんな地下に潜ります。

    最近、日本でも「竜巻に注意してください」っていうテロップが流れるけど、
    「どうやって? 地下室、ありませんよ?」と思うのでした。

    作者からの返信

    西しまこ さん、

    そうです。竜巻が最も危険ですが、マイクロバーストと言うやや竜巻よりも大きく、威力は少し低い嵐もあります。前線に伴って数十キロに及ぶ強風もあります。この辺は、台風に似たハリケーンは余り心配はありません。

    地下でなくても、部屋にガラス窓等がなく、できるだけ飛びちるガラスや木材による被害が少ない場所へ避難します。クローゼットとかが人気です。バスタブもよく使われます。私の友人で、米国人と離婚した日本人の女性がいますが、彼女はこの春のトルネード(竜巻)に襲われた地域に住んでいます。竜巻が来た時、彼女の20代の娘さんは、クローゼットに隠れていたそうですが、その家は大した被害はなかったそうです。友人が家にか帰ると、娘の姿が見えず、しんぱいしていたら、クローゼットの中で寝落ちしてたそうです(笑)。

    編集済
  • 第2話 俺の息子は天才への応援コメント

    お母様、朝の四時とは!
    思い立ったら待てなくなってしまいましたか。
    とってもお孫さんのことが心配だったのですね。

    作者からの返信

    日本時間の午後6時ごろだたとのだと思いますが、母はせっかちなので、思い付いたら電話してしまったのでしょう。

  • お邪魔します。
    ぼちぼち読ませてくださいね。

    日本語に英語のアクセントが加わるほど、アメリカ生活が長いのですね。

    作者からの返信

    小烏 つむぎ 様、

    コメントをありがとうございます。

    その頃の私は、4−5年に一度くらいしか日本へ帰らず、家族(妻と息子)も友人や同僚(大学院生とポスドク等)も日本人はほぼいない生活でした。学部生の頃は、周りにだれも同年齢の日本人はいなく、年上ばかりだったので、避けていました。

    編集済
  • お邪魔します。
    近況ノートのリンクから参りました。

    ポパイのほうれんそうは、私も同様に食べるよう言われていました。
    当時の子どもたちの多くは同じ経験をしているかもしれませんね。

    「お世話になっている」問題、ニマニマして読ませてもらいました。
    もしそういうお電話がきたなら、「@fumiya57様ですか?」と聞いてみましょうか。

    作者からの返信

    読んでくださってありがとうございました。今考えると、押し売りでした。申し訳ありません。

    私ほど勘違いな人からの電話はないでしょう。こちらは時差で、日本よりも半日以上遅れていますから、そちらはもう夜ですね。今夜は明日に備えてよく休んで下さい。


  • 編集済

    テープ状の火薬で大きな音を出す火薬銃。

    は、運動会であります。

    追記 あれ、違うんですかね?

    先生が耳塞いで、パーンってなるやつ。

    私が子供のころは、赤い紐みたいなやつで、なってました。

    いまの運動会の音同じだと思ったんですが、違うんですね。

    作者からの返信

    未だにテープ状の火薬ですか?今は連発で撃てる物はないのでは?

  • 懐かしい映画が多い。父が映画好きの影響で、こういう映画をよくみていて、確か、マカロニウエスタンもですが、ジュリアーノジェンマの映画も人気があったと思います。
    ジョンウエインの「駅馬車」はのちのハリウッドのカーアクションの原型のようで。
    ただ、子どもだったので、記憶に残っている映画は、たったひとつ。モンローが「帰らざる河」で、ギターを弾いてる姿です。アンニュイな魅力がありました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    これらの映画をご存知ですか?マカロニウエスタンは、ほとんどクリント・イーストウッドの作品しか覚えていませんが、他の役者主演で人気のでた作品があったことは知っていました。駅馬車、ジョン・フォード監督の名作と言われてますが、戦前のものと言われると驚く特撮ですよね?ほとんどの西部劇は、テレビで放映されるのを見てた世代です。

    マリリンモンローの作品を覚えておられると言うのも、私には驚きです。モンローはピンナップ写真で見るものだと言うのが、中高時代の私の認識でした(彼女の写真はかなりの数が売れていたでしょうが、ちゃんと著作権料は払われていたのでしょうか?)。私と同世代の男はそうではないかと思います。しかし、私が最初に米国へ来た頃、セクシーな歌い方と言えば、彼女の歌い方が必ず出るのが米国でした。

  • お父様の気持ち、同感です。
    アメリカ人にアメリカはどうかと聞かれ、つい、いつも、フラットだと答えてしまいます。
    それから、空気が乾いていること。
    独特の甘い匂いですかね。

    作者からの返信

    雨 杜和 さん、

    コメント大変ありがとうございます。

    あの中西部の平らさはもの凄いですよね。イリノイに長年住んでいると、道路は京都の通りの様に東西・南部に向けて走るものと思ってしまい、そうでない所へ行くと戸惑ってしまうんですよね。後、カリフォルニア人に、「丘があるから、そこで曲がれ」という指示を出しておいたら、延々と車で走り続けてしまった事がありました。1時間ほどして、ガソリンスタンドから電話があり、もう一度道案内をすると、やっとたどり着いたのでした。その「丘」で、車から降りて歩いてみて初めて坂になっていると認識したそうです。

    空気に付いては、あの、日本の空港へ着陸して、飛行機のドアが開いた途端に、湿度が上がるのを感じると、帰って来たなと肌で感じます。

  • 笑ってしまいました。

    実は、私も昔、UCバークレーの大学寮にしばらくいたことがあって、なんだか懐かしく思いました。
    女子寮で、とても綺麗な建物だった記憶があります。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメント大変ありがとうございます。

    UCバークレー出身の友人・知り合いは多くいます。以前の同僚は、物理の教授です。他にも、バークレー大好きの香港出身の友人もいます。彼は日本人の奥さんがいます。スタンフォードに先に行った後に、バークレーに行くと、狭いと感じるのですよね?化学の建物は、最初見た時は、息子の住んでいた寮に似た割と高層な建物だったので、寮かと思いました。バークレー好きの友人達はスタンフォードはカントリークラブだととか言いますが。大学の街としては、私もバークレーの方が好みですね。

  • 米国の環境、子供に関する愛情というのに、考えさせられました。
    子供が幼いころに与えられる無条件の愛情ほど、大事なものはないと、私も思っています。

    自己肯定感をもつために必要なものだと思います。これは両親が揃っていても愛情があるかどうかは違うと思うことがあり難しい問題ですよね。

    ただ、こうした愛情で育てられた私は、公の社会に出た時に、他人の悪意ある態度に、自分に向けられたものでなくとも怖いと思ってしまいました。

    作者からの返信

    雨 杜和さん、

    コメントをありがとうございます。

    優しいご両親に育てて頂いて、よかったですね。今でも、とても優しい方なのだと想像します。もし私と同学年だったら、きっと私のような問題児には怖くて近寄れなかったかもしれませんね。私は、陰気ないじめだけは許せませんでしたが、それは男子間だけの話でした。私の中学・高校の同級生には、女子の世界に首を突っ込む男はあまりいなかたっと思います。

    私の場合は、祖母と母のコンビで優しさと厳しさの両方を経験しながら成長できたのが幸いで、社会に出ても人間関係の問題は少なくて済んだのだと思います。よほどのことでないと、他人の悪意など感じない鈍感でした。そして、感じた時には、受けて立ってしまっていました。(一度、小学校の同級生の男子全員を相手にしたこともありましたが。と言っても、九人しかいなかったのですが。)正直、私のような奴が息子のクラスにいたら、かなりの迷惑だとも思ったでしょう。

    米国式と日本式の間のどこかに、正解はあるのではないでしょうか?しかし、個人によって適している方法はかなり異なるのであろうとも思います。私、の兄弟妹の間でも、母が厳しかったのは私だけでした。私で疲れてしまったという理由もあるかもしれませんが、弟と妹は同じように叱る必要はなかったのも確かです。

  • 「私には吉備s買った母も、息子は甘やかしていた。」

    誤字があるように思われます

    作者からの返信

    ご指摘、大変ありがとうございます。直しておきます。

  • 被爆された語り部さんが高齢化してどんどん少なくなっているといいます。
    そういう話を聞いた私たち世代は経験していないにしろ知識として知っていますが、何も聞いたこともない世代が増えていって、今後の日本を憂えます。

    作者からの返信

    オカン様

    コメントをありがとうございます。

    広島県では、原爆記念日は、登校日で、原爆に反対する、犠牲者への偏見を無くすと言う内容の教育を受けて育ちました。それももう中止された様です。多量の記録は残っていますが、なくなってしまった話も数多いと思います。


  • やっぱり息子さんて、博士と奥様がうまく育ててありますね。

    息子さんのお嫁さん選びうまいんでは?

    なかなか対等に喧嘩しない気がします。学者さんだからですかね。

    子供達はいろんな国の音楽をYouTubeなんかできいてますが、歌詞はわかってないみたいですし、ボーカロイドがどうたら、言ってます。



    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    米国人でも聞き取れない曲も比較的多いですが、さすがに私程勘違いはないです。私の若い頃は、ほとんど意味が分からないのに洋楽を聞いていました。意味の分からない曲が好きになり、レコードを購入し、それからレコードに付いてくる歌詞カードを訳して、曲の意味を知ると言う順番でした。

    うちの子は、躾とかはあまりうるさくしていませんが、私に比べると問題ない子供でしたから(私と比べる事態で既に結論は出ますが)。普段は怒らない私達両方ともキレると怖いと知っていたので、一線は超えてはいけないと思って育ったと思います。