日本国内でも、方言がうつっちゃったりしますものね。うちの子どもたち、全国に散っちゃってるのですが、現地では関西弁と言われ、戻ってきたら訛ってると言われ、どちらからもおかしいと言われるようです。
言語が違うともなれば、しかも日本語を話す人がほぼいない環境に長らくおられたら、そちらに馴染んでしまうのはしかたないですよね。
作者からの返信
楠秋生さん、
コメントありがとうございます。
私も、あれは私の広島弁のせいで、英語訛りではないとか言って誤魔化したりもしていました。発音は、確かに、広島独特のものがあり、福岡に10年ほど住んでいましたが、広島弁の発音は残っていると指摘されたとこがなんどかありました。
しかし、文法においては、語順が変になっていたり、代名詞で、見え雨の人のことを「彼」と呼んだりするのは、英語のせいだったと思います。そして、「行く」と「来る」の使い方がおかしいと言われたこともあります。これは、英語でgoとcomeの役が必ず、「行く」と「来る」ではなく、時々、go=「来る」だったっり、come=「行く」の方が日本語訳としてはて切りている時があるからだと思います。I come over there.を「 私はそこへ来ます。」と直訳すると、おかしな日本語になり、この場合は「行く」と訳すべきなのですよね?このおかげで、父に私の日本語がおかしいといわれたことがあります。
なるほど!
姉も長年ドイツ南部に住んでいたので、日本に帰ってきてからしばらくは日本語の発音が微妙でした。(ラ行がやたらと巻舌になったりetc)
帰国してからしばらくは「日本語を頭の中で一回ドイツ語に変換してから理解するからちょっと面倒」と言っていたので、似たような感じだったのだろうなと。
作者からの返信
歌川ピロシキさん、
コメントをありがとうございます。
個人的には、ドイツ語の発音は英語よりも難しいと思いますから、御姉様が日常的にドイツ語ばかり話されていたのなら、アクセントが残っていたのがよくわかる気がします。
もう一つ、日本で、日本人の先生から覚えた外国語よりも、現地で体験から覚えた外国着語の方が、こうなる確率は高いと思います。米国へ留学する前まで、ろくに英語を学んでなかった(特に発音・会話)私でした。
御姉様も、ドイツ語で夢を見られていたのではないかと察します。
英語が堪能なのですね。憧れます。ちなみに日系企業の◯モザイク、全部分かりますよ(笑)
英語でしか話せない環境でしたら、英語を一旦日本語に直して英語にするということはなくなり、英語を英語で理解するような感覚になるのでしょうね。
> 日系米国人にしては日本語は上手なレベルだが、本物の日本人としたら、英語のアクセントがついた日本語を喋っていたらしい。
→ これはカタコトの日本語というニュアンスなのでしょうか?
作者からの返信
刹那様、
コメント、どうもありがとうございます。
>英語を英語で理解するような感覚になるのでしょうね。
そうですね。日常生活が英語なので、逆に日本語はうまく理解できないケースもあります。特に、最近のトピックには付いていけないことが多いです。
>これはカタコトの日本語というニュアンスなのでしょうか?
いいえ、私の言い訳は、広島弁のアクセントがあったからだと言い張って起きました。ちょっとしたニュアンスが違うのも理由の一つだと思います。例えば、目上の人を普通「彼は」とか言いませんよね?教授とか、「〇〇先生は、、、」と言うでしょうが、私は「彼は、、、」と言っていたのでした。その頃、日本語はあまり話していなかったので、英語では単純にHeだったので、そのまま使ってました。もう一つは、日本の大学に行かず渡米したため、一般社会人のボキャブラリーがなかったのです。カタコトよりはまし、ネイティブ以下と思ってください。外国人コメンテイターとなどとして日本のテレビに出てくる「タレント」なら、セイン・カミュー並みかちょっと下、ボビー・オロゴン以上とでも言っておけばよいのかと思います。と言っても、これは20年前の話ですから、二人とも、今の日本語レベルはわかりません。
英語が喋れるというだけで尊敬です。
うちは子供が英会話習ってるのである程度は喋れますが、私も旦那さんもまったく駄目です。
奥様が外国人女性だと、お子様も日本人から見るとどう見ても外国人に見えますよね。
じゃあ旦那さんも外国人かなと思ってしまうのでしょうね。ひと目でアジア人と分かるくらいならともかく。
作者からの返信
コメントをありがとうございます。
その国にある程度の間住んでいれば、言葉は話せる様になりますね(今も米国に住んでます)。日本にいる間に話せる様になる人(子供)もいる方が私には驚きです。私の勤めている大学には、イラクからの留学生が多くいましたが、帰国しても英語を話せる様にと、ディズニーのアニメを何本も買って帰る学生もいたのを思い出します。今なら、ストリーミングでしょうが。私は広島県の山奥で育ち、英語を話す機会は全くなかったので、留学しなかったら、英語はどうなっていたかは分かりません。日本の英語教育への不満は、入試の為の一科目となっていて、英語が話せる為の教育ではない事です。入試から英語は除いて、他の科目の問題の一部を英語で出したりすれば良いのではないかと思っています。
逆に、小説が書ける人達の才能(というか、私の作文力のなさ)に驚いています。カクヨムで小説をよんでいて、私にはここで読まれている様な文章は書けないと自覚しています。何故なら、会話が書けないからです。高校まで日本で受けた教育では、国語をまともに勉強していなかったのと、一時期帰国していたあいだに書いた文章は学術的な論文や報告書が主でしたから、会話を含む文章には縁がなかったのです(今もですが)。専門的な学術論文は日本でも英語でしたし。エッセイ/体験談は、日本語の勉強のために書いています。誤字とか多いのに、書いている間は、気がつきません。第一人称を私と俺と混用しているのも後で気付きます。
はじめまして、蜂蜜の里と申します。
私もロスに住んでたことがあり、いろいろ「わかるなー、それ」の連続でした。
アメリカ人は、実力がある人は認めるお調子者が多いけど(懐が深いともいいます)、逆にすぐに蹴落とされるサバイバルな面も大きいから、ご自分の選択でずっとその国で生活されていたこと、すごいな、と思います。
(私も将来移住したいなー、でも日本快適だしなー、でずっとやってきました)
作者からの返信
蜂蜜の里さん、
コメントをありがとうございます。
ロスの小学校での体験から読ませて貰っています。私の場合は、中学生の時に日本へ連れて帰った息子の話を重なる事もありますので、ダブルで楽しんでいる感じです。
幼い頃の外国での生活は、今でも、日本人ではなかなか経験できなかいことで、私の世代では、本当に稀でした。皆には羨ましがられていたでしょうが、当の本人には(私の息子も含めて)偉い迷惑でもあった可能性も高いとも私は自覚しています。
これからも楽しみに、蜂蜜の里さんのロス日記を読ませて頂きますので、よろしくお願いします。