応援コメント

第47話 基礎研についてもう少し」への応援コメント

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    私も、ある目的に向かって一直線に研究を進めるより、その周囲をうろついたり回り道したりして、思いもよらかったものを見つけるのが好きです。

    人間の思い付きに比してこの世に隠れている自然の摂理は膨大で、どんな緻密な研究計画でもたどり着けないものが多いのではないでしょうか。「思いもよらない偶然の産物」はバカにできないんじゃないかなあと思っています。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    Accidental discovery、重要ですね。

    ノーベル賞をもらった人の多くは、受賞の理由となる大発見が、その思いもよらないものであった人たちだと思います。逆にとるべきして取った人もいますが。私の大学に、ノーベル物理学賞を二つも取った教授がいましたが、彼の様な人もいれば、逆に、ノーベル賞をもらうまで、ほぼ無名だった人が、島津製作所の田中氏の話は有名です。京大のある先生も、京大教授であったにも関わらず、退官まじかでも、ノーベル賞受賞まで、再就職先が決まっていなかったとか。

    逆に、日本でしか開発できなかったのが、窒化ガリウムLEDだと思います。窒化ガリウムLEDは欧米の研究者が挑戦して皆失敗して、別の突破口を探そうとしていたのに、名大のグループはずーと研究を続けていたのです。欧米なら、一代目の教授が退官した後に、その先生の教え子が研究室を引き継いで、研究を続けることは稀です。それも、あまり成果が出ていなかったのに。簡単に諦めないのが日本です。これには、逆効果もありますが。

    今、もうすぐ博士課程を修了するイラクからの博士課程の学生がいます。彼は、教授に言われた実験をやっていて、新しいことを発見して、そっちに暴走を繰り返していました。最初は、見守っていた教授も、自分のプロジェクトを掘っておいて、他のことへ走ってしまうので、喝を入れる必要がありました。その学生も、5年で卒業しようと思えば、この暴走をやめなければなりませんでした。私の大学院時代の教授は、私に好きにさせてくれましたが、他の教授だったら、クビだったかもしれません。

    編集済
  • とても興味深いお話でした。
    わたしも、増え過ぎた人類に対する修正機能を、地球は持っていると思います。
    人類の進化はテクノロジーの進化とともにあるというのも納得です。
    若い世代は進化した世代なのだと思います。

    そして!
    研究をけちってはいけない!
    その通りです。そこに力を入れていない日本はどんどん沈没していくと思います。
    教育もけちってはいけません。
    でも、教育には力を入れていないと思います。残念なことです。

    作者からの返信

    西しまこ様、

    コメントありがとうございます。

    教育に関しては本当にそう思います。教育をちゃんとしていれば、研究費が増えなくても、そこを何とかして、世界レベルの研究をする者が育つと思うのです。例えば、戦後にノーベル物理学賞を貰った湯川秀樹と朝永振一郎の2人は、幼い頃からの同級生でしたが、戦前の研究資金は少ない時期に、まあ、紙と鉛筆でこの賞を取ったと言える成果を出しています。欧米を除いて、この様な学問を追求できる環境を整えていた国は、日本とインドだけではなかったでしょうか?中国出身の物理学者は多くいますが、活躍したのは、主に欧米(主に米国)に渡ってからだと思います。インドも英国や米国へ渡ってから活躍した学者がほとんどだと思います。

    https://www.news-postseven.com/archives/20210422_1652875.html?DETAIL

    近年の政府が教育に力を入れないのは、選挙の票を稼げる年齢層が年寄りで、若い世代を捨ててきたからだと思います。

    編集済
  • 基礎研究の即現実有用性など、気にする必要は、そもそも無いと思います。
    実用性のための研究をなされているのなら、また別ですが。
    目的が違うことを考える意味はない。
    ただ、人は他人の役に立ちたいような、役に立って認められたいような自己承認欲求が大なり小なりあるので、悩む場合もあるから、厄介です。

    作者からの返信

    舞夢様、

    コメントを有難うございます。

    基礎研に即刻の実用性は期待できませんが、将来物凄いことになると書くのが、最近の研究費申請書の掟となっていると思います。

    実は、この傾向は昔からあったのですが、日本のバブルの頃から余計に激しくなってきたと思います。90年代初頭、日本は米国の基礎研の結果を利用して金になる製品を創り出しているが、米国の企業は米国の基礎研の恩恵を受けていないと言われ出したのです。その理由として、米国企業が国(国立研究所)や大学での研究が金儲けに繋がると認識していなかった。また、大学等、基礎研をやている側も、実際の製品につながることなど勘上げてもいなかったのです。要は、次の予算を取るために、成果を発表し、それを報告書や次の予算申請書に書き込んでいただけでした。米国が不況になり。日本がバブルになってからは、米国企業がどれだけ利益をえらるかも少し重視されるようになりました(申請書の中では)。(しかし、今でも’National Science Foundationはペーパーさえ出していれば、現実の製品になったかどうかは気にしていないようですが。)

  • いま時期なんですか?予算って?

    作者からの返信

    茶々アルトさん、

    日本と違い、よさん申請は年中あります。

  • おっしゃる通りですね。
    私はバブル崩壊で地方に移住してきたわけですが、大きく地方産業の構造が変わりました。
    次世代は量子コンピュータでその研究が盛んですが、現在のシリコンや半導体材料、製造機械は精密加工技術が求められるため、やっぱり日本の職人芸という所になっています。
    パナソニックや東芝が落ち込んでいくなかで、新潟の地場産業は日本企業でなく、アメリカやヨーロッパの企業と直接取引をするようになりました。
    日本が遅れをとったのは、東芝やパナソニック、ソニーもそうですが企業体質です。インテルやAMD、Nvidia、アームは設計する会社となり、TSMCは半導体を製造する会社ですが、半導体の材料や製造機械は依然として日本の会社で、オランダのASMといっても、長岡市の町工場(シナノ精機など)で作った機械にASMのシールを貼って売っている製品も多々あるわけです。
    まだまだ日本は生き残る道はある、と地方にいる私は思うのですが、周りはアメリカは研究にお金が出ると思う人たちが多く、もう地方は東京の方を向いてはいません。そちらや霞が関を見ても地場産業は商売にならないわけです。

    よく言われるのが、ニット産業の五泉市や見附市、長岡市栃尾の工場の人たちは、「東京の人たちはアジア製のユニクロを着ている。フランスの高級ブランドはわれわれが作ったニットにブランド名を入れて販売してくれるが東京の人はブランド品なんて買ってはくれない。どちらを相手に商売すればいいかは明白」だと(笑)

    作者からの返信

    晁衡さん、

    コメントをありがとうございます。

    私が住んでいた二十年前から、日本のアメリカ化が進み出したように思えていました。人に優しい社会がなくなって、お互いが歪み合う機会アガが増えているように見えたのが、米国に似てきていると思った理由です。米国に帰ってみると、こちらはもっとひどくなっていました。貧富の差は広がり、階級間と人種間の不調がさらに目立っていました。

    比較的小さな会社、東京エレクトロン、HORIBA、キーエンス等はよくやっているのが、こちらにいてもわかります。京セラと村田製作所には日本にいる間にお世話になりましたが、今の調子はわかりません。

    そんな中でも、米国も、共和党は、軍事関連だと言わないと、研究費は出さないので、私のいる研究所も、ここ十年は、主要な研究費は、陸軍から出ています。半導体関連の研究費も削られて、私の元同僚達も、別分野で研究している者が多いです。もう、引退する人も随分多くなりましたし。