応援コメント

第23話 8月6日に思うこと。」への応援コメント

  • @fumiya57様。

    >8月6日が登校日でない県があったと知って驚きました

    私も実は全国的に登校日だと思っていて驚いたことがあります。
    折り紙で折り鶴を折るのも当たり前のように思っていましたが、他県ではあまり鶴を折らないとも聞きました。

    両親が原爆にあってることで結婚に支障があるなんてことがあったことにも驚きました。



    作者からの返信

    この美のこ様、

    コメントありがとうございます。

    広島市内ではないですが、同じ県内で生まれ育ったおかげで、日本人としても、ユニークな体験ができたと思います。しかし、これは広島県人には共通の思い出の体験でもあります。例えば、ちょっと東の岡山県の中国山地の町に生まれていたら、どうだったんだろうかと思う事もあります。

  • @fumiya57さま

    こんにちは。

    少なくとも四十年前、大分県南部では、八月六日は登校日、平和授業の日でした。当日のあさ八時十五分には、市全域にサイレンが鳴り渡っていました。日本全国そうだと思っていたので、県外に出てそうじゃないと知ったときには驚きました。

    いま、職場(神奈川県)では三月十一日に東日本大震災の死者を悼む黙祷を促す放送が流れますが、八月六日は完全スルーです。この差は何なのかともやもやします。

    時間的隔たりが人間のこころに良くも悪くも大きな影響を及ぼすのと同様、物理的な距離も大きな因子ですね。東日本大震災の直後、関東は大きな被害のない地域でも、自粛自粛の今まで味わったことのない暗いムードでしたが、その直後に九州にもどると、そこにはこれまでの日常が広がっていました。もちろん、未曽有の災害のために手を差し伸べようという声はいろんなところから上がっていましたが、それでも町の雰囲気は、明るいままでした。ひしひしと「距離」の力を感じました。

    原爆を後世にどのように伝えていくのか、時間と距離の両方に阻まれた、とても困難な取り組みになるのでしょうね。肌感覚でその悲惨さを感じられる人はいなくなるかもしれませんが、事実が忘れ去られるようなことにはならないで欲しいと思います。

    作者からの返信

    佐藤宇佳子様、

    コメントをありがとうございます。

    私も、8月6日が登校日でない県があったと知って驚きました。私は8時15分に全国の子供達と黙祷していると思っていました。しかし、広島県内でも、市内と、市外を比べると、私の育っていた地域は実際の肥大を受けていないので、実は、県外と変わらない感じかとも思っていました。しかし、米国にしばらく住んでから帰国して、実は原爆被害者や目撃者は、我が街にも多くいると知って、大変驚きました。私の幼い頃は、この方達は、偏見を恐れて、隠れていたのだろうと察しると、とても申し訳ないと思いもしました。(勿論、この人たちがカミングアウトできたのは嬉しかったのですが。)

    東日本大震災は中国地方や九州等では、聞くが薄れるのが早いというのは、信じられますね。神戸の地震や熊本の地震は、私の親戚や知り合いが被害を受けたため、身近に思えました。しかし、私には、今回の能登半島の地震の記事で読むまで、2007年の新潟県中越沖地震の記憶はほぼ残っていませんでした。

    昨年の映画オッペンハイマーのおかげで、米国の若者の間で原爆に関する注目度が少し増えた様で、今回息子が引率した日本での研修/観光旅行で、広島の1日を入れたそうでした。日本を訪れたいと言う若者は多いので、ついでとは言っては失礼ですが、広島と長崎も訪れてくれる外国人(特に若者)が増えることを願っています。平和公園へを訪れた経験がるのとないのでは、原爆に関するオピニオンがかなり違ってくると思うので。


  • 編集済

    私の県ではわかりませんが、私が小学生の時、住んでた地域の学校では8月6日は全校登校日になっていた気がします。戦争の話とか聴く日でした。かわいそうなゾウの話に小学1年生ながら悲しくて今でも忘れられません……もちろん原爆のことも……(T_T)被爆者だから結婚できないなんてこと……せつなすぎます。どうか彼女が今、素敵な方と出会い、幸せに暮らしてることを願いたいです。
    戦争、本当に怖いですね……。

    作者からの返信

    カエデネコさん、

    コメントをありがとうございます。

    そうですか、他の県でも登校日だったのですね。象の話は私も覚えています。今でも、戦争になると、動物園の動物達が処分されたり、餓死したりしているニュースを見ます。別の話に書きましたが、私は動物園は人間の思い上がりの象徴だと思っているので、余計に嫌なニュースです。

    あの同級生のことは、今でも時々思い出し、同じように、幸せになっていてほしいと思っています。彼女はきっと、留学前の同級生だったので、遅れて卒業した私は、同窓会も別の学年となってしまって、日本にいた間に出会う機会もありませんでした。あの頃は、今ほど思い返してもいなかったのですが。年を取った証拠なのでしょう。

    ただし、私の幼い頃に比べると、被爆者が隠れる必要もなくなっているのは良いことだと思います。

  • いきなり、横にズレた話で申し訳ないのですが、高二の時にオリビア・ニュートンのフィジカルをMTVで見て、私はあんな美人をGETするんだという思いでアメリカに行った口です。しかし、あとで知ったのですが、彼女はイギリス出身なのですよね。

    話を原爆に戻して、私は日本女子が原爆を落とした特に白人のアメリカ人男性と国際結婚する事に違和感があります(黒人、ヒスパニックは別です。アメリカで差別されて辛い目に遭っているから)。アメリカ人男性が日本人女子にプロポーズする、あるいはその逆の時に原爆の問題をどう処理しているのかと。

    私は、はっきり言って日本女子と結婚するアメリカ人男性はルーザーだと思います。白人女性がGETできない。しかし、戦後メディアを通じて印象操作されて白人優位になっているため、それを利用していると思うんですね。

    また、アメリカ人と結婚する日本女子もどうかと思います。お前ら原爆落とした国の奴らをどう思ってんねんと。

    もっとも、軍のやった事でアメリカの一般市民がやった事ではないというを事は理解できるのですが…。

    母親に言わせると、原爆なんか昔の話、日本女子はアメリカ人に見初められたのよと言いますが、それはまたハッキリ言わせてもらって違うと思います。

    翻って博士のように単身アメリカに乗り込んで白人の女性、それも南部出身をGETされたのは、私にとってヒーローですね。何しろ戦勝国の女性を娶った訳ですから。奪った?と言っても良い。しかし、今ではアメリカ人の白人の女性を娶る日本人男性も増えてきましたが、博士の頃は、ごくごく少数だった。

    告白しますが、私はアメリカで英語教師の白人女性と一夜を過ごした事がありますが、付き合う事はできないと言われました。やはり、差別が怖かったんでしょうね。

    また、話を元に戻しますが、私はかなり尖がった保守で、日本も抑止力としての核を持つべきだと思っています。そんな話を今週共産党員と話をしていたら、「そんな世界のすべての国が核を持ったら、一体どうしますか?」と言うので「持ったらいいじゃない」答えたら無言になっていましたけどね。

    今は、アメリカ空軍のMA-1を着るのは当たり前になっていますが、私は着たくないですね。原爆落とした空軍のジャケットとなんか俺は着んぞと言った感じです。

    それから、申し訳にくいのですが、私の名字は加藤ではなく加福です。江戸時代から代々長崎でオランダ通詞をやっていました。

    先祖は、中国人でこれは、元朝日新聞の記者が、その当時の歴史に興味があり私の家系を調べた本を送ってきて判明した事なのですが、いらんことをしてくれるなと言いたい。

    みんな名前を聞いた時点でコイツ中国やなと思っているのは分かっています。差別があると思います。それもあってアメリカに移住しようと思った経緯もあります。

    私は、アメリカに5年留学(フィラデルフィアとラスベガス)していましたが、やはりインターナショナルな雰囲気は良いと思いましたね。その間、黒人女性からアプローチがありましたが、黒人女性なんてと思っていました。私も差別していたんですね。今になっては、かわいい子だったので、非常にもったいない事をしたと思っています。

    私は、留学の最後の方に、ブルースに目覚めてギターでラスベガスのジャム・セッションでやっており、黒人、日本人、白人、ヒスパニックで演奏していました。これは、やはり音楽は人種の壁を乗り越えて良いなと感じた事がであります。












    作者からの返信

    加福 博さん、

    苗字を間違って、大変申し訳ありません。今の私は、cataract 白内障になってしまって漢字の微細なところが区別できないのは確かですが、実は、脳内の日本語離れ(忘れ)が起こっているのではないかと察しています。それでも、不注意なのは、言い訳でしかありません。

    オリビア・ニュートンジョン、妻の兄がかなりのファンで、Xanadu (ザナドゥ)という彼女が主演した映画見た後、私たちに、今まで見た映画の中でも、最高の部類だとかいうので、夫婦で見に行ったら、二人とも「金返せ!」的な反応でした。義兄は、あまりにもオリビア・ニュートンジョンに惚れ込んでいて、映画のないようなどうでもよかったのだろうというのが後の二人の結論でした。確かにきれない人でした。イギリス生まれで、オーストラリア出身だと言われていたと思います。実は、祖父の一人が、ドイツ人物理学者で、ノーベル賞をもらったマックス・ボルンという人です。最近話題となったオッペンハイマーとの共同で生み出した近似法で有名です。ユダヤ人だったので、英国へ逃れています。

    米国人男性が日本人女性に求婚することの捉え方としては、私は、米国は日本人よりも考え方が異なった国民が多いため、一口にまとめてt、米国人男性とは言えないと思っています。例えば、前出のオッペンハイマー、彼はマンハッタン計画の責任者でしたが、原爆投下後には、反核運動に転じて、水素爆弾開発に反対して、セキュリティ・クリアランス(Security clearance)を剥奪覚ました。第二次世界大戦中、日系米国人に対しての差別や収容所への強制収監中にも、それに反対した米国人白人はいました(その頃、数は少なかったですが)。

    核爆弾の開発には多くのユダヤ人科学者とエンジニアが参加していましたが、それは米国政府がナチスドイツに対して使うと言っていたのが主な理由でした。ユダヤ人で、ナチスドイツの犠牲者が親戚にいなかった例はかなり稀だったので、彼らは、家族の仇を取れると思っていたので、日本へ落とすことはそれほど考えてはいなかったと思います。可能性はありだとは知っていたでしょうが、それは、ドイツに落とした後の話だったと思います。

    お母様が言われるように、世界中の男の間で、日本人女性の評判は世界一と言ってもよいと思います。それが日本人女性にとって良いことかというとそうでもないでしょうがが。多くの中国人の同僚も、日本人の奥さんを持つことは、中国人男性の間でも憧れだと言っていました。日本人と結婚する白人男性はルーザーという考え方は、白人女性の方が日本人女性よりも格上だということになりますが、白人の中ではそんな考えもあることは確かです。白人女性はわがまますぎて、結婚相手にできないという男もいます。

    私が若い頃には、本当に、アジア人と白人女性のカップルは少なかったです。西海岸には少しはいましたが。私は、ほとんど白人とばかり付き合っていましたから、妻との結婚は、普通の流れでした。逆に、妻が私と結婚する気になったのかの方が謎ですが、彼女は、親族の中でも、数少ないリベラルです。南部出身である彼女の親族はトランプ支持者が多いのですが、彼女は民主党支持です。これが、私と結婚してしまったために、大学関係者と付き合いが多いかrかもしれないですが、彼女はそういう人間なのだと思っています。私と血このすることを決めたことも含めて。(面白いことに、親戚の間のもう一人のリベラう派は、従姉の息子ですが、彼はもう25年も陸軍に務める軍人です。)

    核所有に関しては、私は、米国の核の傘に下で、平和に育つことができたと思っています。あれがなかったら、ソ連と北朝鮮(中国も)に攻め込まれていたとでしょう。銃が嫌いな日本でも、警察官は銃を持ってますし。しかし、幼い頃の私はそういう考え方ではなく、日教組の影響を受けた反核でした。そんなのほほんな子供時代が許されたのは、米国の核の傘のおかげだと思っています。

    最後に一つ、私は典型的な昔の日本人の夫ではありません。現在は、妻の尻に敷かれたひ弱い夫です(笑)。

  • 被爆された語り部さんが高齢化してどんどん少なくなっているといいます。
    そういう話を聞いた私たち世代は経験していないにしろ知識として知っていますが、何も聞いたこともない世代が増えていって、今後の日本を憂えます。

    作者からの返信

    オカン様

    コメントをありがとうございます。

    広島県では、原爆記念日は、登校日で、原爆に反対する、犠牲者への偏見を無くすと言う内容の教育を受けて育ちました。それももう中止された様です。多量の記録は残っていますが、なくなってしまった話も数多いと思います。

  • 彼女、結婚できていると、本当にいいですよね。心から願ってしまいました。

    作者からの返信

    お優しいコメントを本当にありがとうございます。

    もう45年になるのに、忘れられません。その後の被爆者に対する世論も、その頃に比べると、良い方向へ向かっていたので、なんとか期待しています。


  • 編集済



    こういう話を読むと、つくづくむずかしいですね、いまの世界で平和問題を、我が子たちに客観的に教えていくのは。

    わずか78年前なんですが…。いまなお苦しまれてます。

    けど、客観的に子供達に伝えられるかっていわれたら、正直にむずかしいですね。

    よくいまの子は想像力が乏しいといわれますが、逆なんじゃないかなあ?は、感じます。繊細ですよね。

    この時期は、オッペンハイマー氏が毎年ニュースになりますね。

    追記

    博士のおっしゃる通り、最近みてると、なんか根本的に違うんじゃ?があります。平和デモしてる自分に酔ってるだけじゃ?です。

    私が知ってる方々は、アメリカを恨むというより、当時の日本を恨む人が多いですが。

    うちの子たちは、戦争でひいじいじとじいじの姉が亡くなったは、墓参りのたびに教えてますが、いまはまだそれくらいですね…。

    作者からの返信

    そうですね。簡単は問題ではないです。

    オッペンハイマー、60年代から盛んになった物理学者の反核運動の先駆者でしたね。量子力学の講義では、ボルン・オッペンハイマー近似という課題で出てきます(このマックス・ボルン博士はノーベル賞受賞者ですが、近年に亡くなった歌手・俳優オリビア・ニュートンージョンさんの祖父でした)。

    原爆の犠牲者の差別問題と核廃絶運動は別物と思うのは私だけではないでしょうが、日本では(特に広島では)、一緒になってるように見えます。

    私は、米国の核の傘の下で守られて平和に育ったと思っています。今のロシアを見れば、米軍がいなかったら、ソ連と中国は日本へ侵入してきていたと思っています(北朝鮮もやばいですが)。これを広島で言うと叩かれます。私が正しいか間違っているかは、永遠に答えは出ないでしょう。子供達には、自分で答えを出せるように教育していくべきでしょう。

    編集済